トルコ側の地震被災地、オスマニエへ
イスタンブールでの取材を終え、トルコ南部のオスマニエ県オスマニエ市にやってきました。高原野菜の産地で農業が盛んなオスマニエは、ほかのトルコの都市よりも物価が安いとされ、多くのシリア難民が暮らしています。私の夫の親族もこの街に2016年以降暮らしていることから毎年訪ねている土地のひとつです。
2月に発生したトルコ・シリア大地震では、このオスマニエが震源地から比較的近く、街の中心部にほど近い高層マンションなどが大きな被害を受け、500人ほどの住人が瓦礫の下敷きになって死亡しました。
この街では、親族やその繋がりから、地震の被害を受けたその後の人々の暮らしを取材しました。
この街では、親族やその繋がりから、地震の被害を受けたその後の人々の暮らしを取材しました。
(地震により倒壊したオスマニエ中心部のマンション跡地。瓦礫はすっかり撤去されている。人間が建てたコンクリートの建物は倒壊したが、地に根を張る木々は倒れることなく緑の葉を揺らしていた)
(倒壊は免れたものの、至る所に亀裂が入ったため、廃墟となったマンション。周囲に立ち入り禁止のテープが貼られていた)
(オスマニエ市街地では、建物に亀裂が入り、無人となったマンションや住居があちこちに散見された。撮影2023年6月8日)
(地震から4カ月、倒壊した建物の瓦礫の撤去が進んでいた)
(エルドアン大統領は、この地震によって住居を失った人々に対し、一年以内に新しい住居を建てて入居させると約束している)
(街の郊外に作られた巨大な公営避難所。仮説住宅が延々と立ち並ぶ。ここに避難しているのはトルコ人のみ)
(地震で家を失い、暮らす家が見つからない人々の多くが、親族を頼って他の街へ移動した。残った人々は、トルコ人なら避難所の仮設住宅に入れるが、シリア人は入れないため、路上の隅や空き地にテントを貼って暮らしている)
地震後、自分たちで家を建てた兄ワーセル
地震前、毎年私が宿泊させてもらっていたのが夫の兄ワーセル一家の家で、オスマニエ市街地のマンションの3階にある貸家でした。
この部屋は、よく風が通る気持ちの良い空間で、窓から眺める山々の眺めが素晴らしく、ベランダでは鳥を飼い、屋上では二匹の陸亀を放し飼いにしていました。私はここに毎年子供たちを連れて泊まり、トルコ取材の基地のひとつとしていました。
しかし地震後、この建物に大きな亀裂が入り、住み続けることができなくなりました。引っ越し先の貸家を探しましたが、多くの住宅が被害を受けたトルコ南部では、住宅需要が高まり、家賃が4倍〜5倍近くに高騰しました。
家賃の値上がりのためなかなか引っ越し先も見つからず、兄の家族はしばらくテント生活を続けた後、別の兄の家の隣に、自分の家を増改築することに。親族中から借金をしてお金を集め、資材を買い、自分たちで家を建てました。
(夫の兄ムハンマドが、3年前から土地を買って建てたオスマニエ郊外の家。牛を飼い、牛乳やヨーグルトを販売して暮らしている。
地震後、家を失った夫の兄ワーセルが、右側部分を増築して家を造った(建物の正面の黒いドアから右側部分)。もともとそこは牛小屋だったが、地震後、牛を外に追い出して家を増築した。牛たちには、代わりにコンクリートブロックを積んで簡易的に牛小屋を作った)
オスマニエにて泊まらせてもらったのが、この新しい兄の家です。コンクリートブロックを積んで自分たちで建てた、と聞き、良かったなあと思いつつ、内心、(地震被害のあった家の多くが耐震基準を満たしていなかったことを考えると)自分たちでまた家を建てて大丈夫なのか、地震が起きたらまた崩れるのではないかとも思ってしまいました。
「また地震が来たら、この家・・・、大丈夫ですか?」とはっきり聞いてしまいましたが、親族曰く、これまでもそうやって自分たちで家を建ててきたし、崩れたらまた建てればいい、との話でした。
それを聞き、故郷を追われてこの10年、彼らはずっとその繰り返しで生きてきたのだと思いました。シリアでの空爆で家を失い、シリアやトルコを点々として住まいを変え続け、大地震でまた家を失い、失ってはまた作り上げて、また失って。
この先何が起きるかわからない。だからこそ、親族からなるコミュニティで共助の関係性をしっかり作っておき、自分たちでできる限りのことをやっておく。それでも壊れたらまた作る。日本の常識では計り知ることのできない悲惨な戦災、自然災害を経験してきた彼らにとり、それが結論であるように感じられました。
(玄関前にて夜風に涼むムハンマド兄(中央)とワーセル兄(前列右)と子供たち。この時点で午後22時。子供たちはまだまだ寝ない。私の二人の子供たちもすっかり現地に馴染み、いとこたちと牛小屋や川や放牧地を走り回っている。トルコに行くたびに、子供たちはワイルドになる)
兄たちの家を、ムスタファ・カービースさんが壁塗り
オスマニエ在住のシリア難民ムスタファ・カービースさんは、私がここ数年取材を続けてきた難民の一人です。オスマニエに着いた翌日、朝起きて家の外に出ると、なんとムスタファ・カービースさんがムハンマド兄の家の玄関前を壁塗りしていました。
私がムスタファ・カービースさんの取材に毎年行くようになり、ムスタファさん一家と交流が生まれ、仕事を頼んだとか。取材を通し、シリア人同士の繋がりも生まれているようで嬉しいことです。
(オスマニエに夜遅く着き、翌朝起きて外に出ると、なんと(長年取材してきた)ムスタファ・カービースさんがムハンマド兄の家を壁塗りしていた!)
被災地では多くの家が地震被害を受けたため、住居建築が急ピッチで進められている。壁塗りの仕事も需要が高まり、地震後は仕事が増えたという。
ムスタファさんは脳腫瘍で苦しんでいましたが、二年前に手術をしてから状況が落ち着いているようです(その際は、ムスタファさんの手術後の生活費がなく生活が困窮するため、生活支援カンパを呼びかけさせていただき、多くの方々にご協力いただきました。ありがとうございました)。それでもシリアでの空爆に巻き込まれて大怪我をした背中と腎臓の古い傷が痛み、現在は週に4日ほど働き、あとは休んでいるとのこと。なんと地震後、7人目の(上の二人の息子は2013年にシリアでの空爆で死亡)赤ちゃんが産まれていました。待望の男の子だそうです。オスマニエにまた戻ってきたら、ムスタファさんの家を訪問させていただくことにしました。
被災地のオスマニエ。夫の親族たちは、突然の地震に戸惑い、経済的な打撃を受けながらも、その波の中で再び生活を作り出し、たくましく生きようとしていました。引き続き、取材を進めていきます。
(2023年6月11日)
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