7月からシリア難民の取材に向かいます

7月14日から10月5日まで、今年もシリア難民の取材のためトルコなどのシリア周辺国に渡航します。今年は円安加速で飛行機代が大変な額になっており、最近になってようやく航空券を購入できました。世界情勢はウクライナ侵攻で不安定化し、コロナの流行、円安など、さまざまな問題が同時進行していますが、「難民となったシリアの人々が、かつての満たされた日々に還っていくまでを見つめ、記録する」ことを続けていきます。シリア難民の報道が少なくなった今だからこそ、彼らの現状や変化を取材したいと思います。

シリア報道は大手メディアでも需要が少なくなり、なかなか掲載の機会も難しくなっております。しかしながら、せっかく自分の全財産と全生活をかけて取材に行くのだから、多くの方に取材した情報を手にとっていただきたく、現地からの情報発信に努めます。

取材経過や記事は、HPの「 Coverage of Syrian refugees 2022」のページに更新していきますので、是非ご覧ください。

https://yukakomatsu.jp/category/coverage-of-syrian-refugees-2022/

いま見るべき映画 〜アフガニスタン難民のドキュメンタリー「FLEE(フリー)」〜

6月10日に公開されたアフガニスタン難民のドキュメンタリー映画「FLEE(フリー)」。是非多くの方に見ていただきたい素晴らしい作品だ。

『FLEE(フリー)』 https://transformer.co.jp/m/flee/

本作の英題である“FLEE”とは、危険や災害、追跡者などから(安全な場所へ)逃げるという意味。

難民とはどういった存在なのか。葛藤や苦しみ、恐れ、不安、絶望感などが、登場人物の細やかな心情の変化によって描写され、やがて見る者一人一人が、その感情を追体験する。

特徴的なのは、この映画がアニメーションという手法で描かれていることだ。ドキュメンタリーにしてアニメーション。その理由は、やがて物語の進行とともに明かされていく。

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開ける

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開け、アニメーションでしか描けない世界観へと私たちは没入していく。長編アニメーションとしては初めて、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメ映画賞の3部門にノミネートされた本作は、アニメと実写の境を超越したとも言える画期的な作品なのだ。

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【公式サイトより あらすじ】

アフガニスタン難民の青年の秘密をアニメーションで描くドキュメンタリー。子供のときに祖国を離れ、デンマークに亡命した青年が、その過酷な半生を告白する。

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン

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ちなみに『パラサイト 半地下の家族』(*)のポン・ジュノ監督も「今年見た映画の中で最も感動した作品」と絶賛している。(*第92回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞。非英語作品の作品賞受賞は史上初)

上映中、私は3回ほど泣いた。困難な道にあって、ときに失望や不安や孤独に押しつぶされ、傷つきながらも、なお生きようとする登場人物の姿に、人間としての強い共感を感じたからだ。

映画をご一緒したのは知人のドキュメンタリー映画監督、杉岡太樹監督(「息子のままで女子になる」https://www.youdecide.jp/)。自らもドキュメンタリーの作り手として、独自の洗練された視点を持っている一人で、いつも刺激と学びをいただいている。上映後は、作品のストーリー性や技術的側面について一緒にお話させていただいた。

杉岡さんとの出会いは一年前。あるインタビュー企画の撮影でお会いした。映画製作をニューヨークで学び、普段はドキュメンタリスト(ドキュメンタリー制作者)として国内を拠点に活動。映画、ショートドキュメンタリーなどを制作されている。特にドキュメンタリーの持つ可能性や社会的役割について強い信念があり、“作品を作ることで、世の中がどう変わるのか。どのような変化を求めて何を伝えるべきなのか”をいつも考えている。表現者としての、そうした杉岡さんの姿勢を私は尊敬している。

その杉岡さんから、「すごくおすすめの映画」と誘われたのがこの作品。アニメーションと聞き、初めこそ「!?」と思ったが、作品を見るうち、アニメーションで描かれた理由を理解した。アニメーションでなければドキュメンタリーとして描けなかったからなのだ。そしてアニメーションであるが故に、実写作品では描ききれない真実をより深く理解する。『FLEE(フリー)』はそうした作品だ。

ここでは私自身の学びの記録として、クリエイティブに感じた杉岡さんのお話や、考えたことを以下に書きたい。

映画のポスターを一見しただけで、作品の視点が語られている

まず映画のポスターについて。「このポスターを見て、この映画を見ようと思った。日本にこのままポスターが来たのが嬉しいですね」と杉岡さんは言った。登場人物一人一人が描かれたこのポスターは、みんなが物語の一つという視点で描かれている。ヨーロッパ発じゃないとこういう視点はなかなかできないとのこと。日本人の感覚でわかりやすいように、日本だけ映画のポスターが違うということがよくあるそうだ。なるほど、ポスター一枚にしても、作品が伝えようとしているものを物語るものなのだ。

アニメーションで描かれる、ドキュメンタリーという手法

そしてなんと言っても、アニメーションでドキュメンタリーを描くという手法の斬新さが、この映画の第一の特徴だ。アニメーションは、写真のなかの男性がウィンクしたり、現実に起きていないことを起こし、人の心を再現できる。ただそれを生かすためには、「抑制されたドキュメンタリーのカメラワーク」を使う必要がある。つまり、もっとできるのにやらず、本物のドキュメンタリーのような視点から撮影する。そうやってアニメーションはリアルに近づけることができる。その上でアニメーション独自の空想が時々登場すると、見る側はイマジネーションの世界に飛躍しながら、現実に近づけるのだ。その方法に、杉岡さんも驚いたという。

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記事掲載のお知らせ

お茶の情報サイト「CHAMART」様にて、シリアのお茶時間についての記事を掲載いただきました。

「シリアのお茶時間」

〜平和なときも、厳しい状況のときも、お茶の時間に憩うシリアの人々〜

CHAMART (チャマート)は、お茶の文化を発信する情報サイト。お茶の魅力、お茶を取り巻く環境について、さまざまな視点からの記事を掲載しています。

今回、シリア人のお茶文化の記事を掲載いただきました。びっくり仰天のお茶の作り方や、原料のこだわりなど、知られざるシリアのお茶の魅力を語ります!

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「さて、砂糖が溶けきってお湯が沸騰し、ヤカンの口からヒュー!っと白い煙が出てきたら、いよいよ主役の登場です。摘み取った茶葉そのものの形が残る、武骨でゴロゴロした茶葉を、ヤカンのお湯がすっかり隠れるくらい投入します。えっ、もったいないって?いえいえ、そんなことを言ってはいけません。シリア人はお茶づくりに妥協はしないんです。何しろこのお茶、みんなが集って楽しく過ごすために飲まれるお茶なんですから。」(「CHAMART サイト 記事本文より)

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お茶の情報サイト CHAMART

https://chamart.jp/archives/learn_world/syria/

(2022年6月11日)

義父ガーセムが残したものに生かされて〜その死から一年〜

パルミラに生きたガーセム

2022年5月31日、義父のガーセムが86歳でこの世を去ってから一年が経った。夫の父親であるガーセムは、厳しくて暖かく、威厳のあるアラブのお父さんだった。ガーセムを思い浮かべると様々な思い出がよみがえるが、その多くが、内戦前のシリアで忙しく働いていた頃の生き生きとしたガーセムの姿だ。

私は彼を通して、シリアの砂漠で生きる人間の精神、砂漠の世界観を学んだ。全ての砂漠は異なっていること、砂粒の大きさや色、形、そこに生える草の種類で砂漠を見分け、先祖代々、砂漠に名をつけて識別してきたこと。第一次世界大戦後にシリアの国境ができるまで、自由にイラクやサウジアラビア方面のオアシスへ砂漠を旅してきたこと。砂漠が閉ざされた空間ではなく、むしろ自分たちを違う世界へと導く「開かれた世界」なのだと教えてくれたのも、ガーセムだった。

左端がガーセム。パルミラにて。2009年。

2020年に上梓させていただいた拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル)では、前半部分にガーセムが登場する。内戦前のシリアの暮らしとして、シリア中部パルミラに暮らす一家の話を書いたが、それがガーセム率いるアブドュルラティーフ一家であり、まさにガーセムがいなければ知ることのできない世界であった。

『人間の土地へ』では、ガーセムをこう紹介している。

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「勤勉で実直、一代で身を立て、大家族を養ってきたガーセムは、一家の大黒柱として尊敬されている。がっしりとした体格にこの頃はいくらか脂肪がついてきたが、風貌は依然として威厳に満ちている。ガーセムがいるだけで、その場にピリリとした緊張感が生まれ、すでに50を回った彼の息子から小さな孫までもガーセムの機嫌を伺うのだ。冗談好きで陽気な一面もあるが、曲がったことが大嫌いで、こうと決めたらひたすらその道をゆく。特に善悪についての子供への教育に厳しく、いつも片手に杖を携えて睨みをきかせるために恐れられていた。」

                ―――(『人間の土地へ』「ガーセムとサーミヤ ある夫婦の物語」より

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内戦前のパルミラにて、ラクダに与えるエサを運ぶ仕事の合間に。中央がガーセム。右端の男性ソフィアンは、イスラム過激派ISの戦闘員になっていった(彼の物語も『人間の土地へ』に登場する)。

ラクダの放牧中、メッカに向かってイスラムの祈りを捧げる。一家は100頭近いラクダを砂漠で放牧していた。

内戦前のシリアでガーセムと過ごしたのは、2008〜2011年の4年間だ。ガーセムは当時70歳ほど。大柄でがっしりとした体躯で、いつも片手に杖を持っていた。その杖は、歩くためのものというより、学校に行かずに遊んでいる孫を見かけると叩くための杖だった(私も冗談で時々叩かれた)。ガーセムが現れると、その場の空気が引き締まるような独特の存在感があり、その足はいつも裸足にサンダルばき。足の裏はゾウのように硬い皮膚に覆われてひび割れ、中に土が挟まっていた。その手もやはり大きく厚く、水で洗っても手に染み込んだ土はとれなかった。土地とともに働いてきた長い年月を感じさせる手足だった。

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