「不法移民」が海を渡ってやってくるドーバーの街へ【イギリス取材レポート-5】

こちらは、2023年12月23日〜2024年1月13日に行ったイギリス取材のレポートです。

<目次>

・難民認定を待つアブドュルメナムの不安

・ヨーロッパを目指すシリア難民

・「不法移民」がやってくる街、ドーバー

・番外編〜写真家としての苦悩〜

前回は、2022年に「不法移民」としてイギリスに入国した兄アブドュルメナムと甥エブラヒムを、難民収容施設に訪ねたことを書きました。今回は、なぜ彼らが難民として暮らしていたトルコを離れてイギリスに向かったのか。またその旅ではどのようなことがあったのかをレポートします。

難民認定を待つアブドュルメナムの不安

2023年の終わり、私はロンドンの北の街ミルトン・ケインズの難民収容施設に暮らす夫の兄アブドュルメナムと甥のエブラヒムを訪ねました。小型ボートに乗ってドーバー海峡を渡り、「不法移民」としてイギリスに入国してから13カ月目。彼らは現在、難民認定の審査を待っています(前々回の投稿に、収容所での様子をレポートしています)。

しかしイギリスでは今、国内で急増する移民への危機感から、移民の処遇についての法を厳格化する方向へと向かいつつあり、2022年1月以降に入国し、難民申請を行なっている「不法移民」をルワンダに送還する計画も審議されています(*参考資料1)。

*参考資料1  「不法入国者らをルワンダに移送するイギリスの計画が物議 「ルワンダは安全」は本当か」(朝日新聞GROBE +  2024.1.15)

https://globe.asahi.com/article/15108107

この法案は、難民申請者をイギリスから6500km離れたアフリカ東部ルワンダに移送するというもので、2022年1月以降にイギリスに不法入国した人が対象。イギリス政府は、ルワンダがこれまで隣国などから13万人の難民・移民も保護してきた「安全な国」だと主張していますが、欧州人権裁判所やイギリスの最高裁判所は「ルワンダが移民にとって安全な国と認められない」という判断を下し、2022年6月には、難民申請者をルワンダへ空路移送する第1便が、出発直前にキャンセルされるという出来事もありました。現在もスナク首相は移民のルワンダ移送計画を目指していますが、ルワンダでの移民の処遇の安全性については、疑問視されているのが実情です。

こうした動きを、まさにその法案の対象者であるアブドュルメナムも耳にしていました。

〝トルコからイギリスに渡るため、あちこちに借金をして旅の資金を用意し、命からがらこの国に来た。それなのに難民認定が下りず、ルワンダやトルコに送還されてしまうかもしれない〟

その不安と気疲れから、アブドュルメナムはすっかりやつれていました。

ヨーロッパを目指すシリア難民

夫の兄であるアブドュルメナムはシリア中部のパルミラに生まれ、家畜の獣医を目指して学んでいました。しかし2012年以降、シリアでの紛争によってその道を閉ざされ、2016年にトルコに避難しました。トルコで小さな商店を経営して生活を再建し、シリアの政情が安定したら、いつの日か故郷に帰るのが夢でした。

(シリアにいた頃のアブドュルメナム。家業のラクダの放牧を手伝いながら、獣医になるため学んでいた)

しかし2020年年初め、全世界で新型コロナウィルスが大流行すると、トルコではコロナ後の急激な物価上昇に見舞われます。シリア難民全体の7割に相当する380万人が避難生活を送っていたトルコでは、これ以上のシリア難民を受け入れ続けることに不満が噴出し、「シリア人はシリアに帰るべき」という世論が高まっていきます。

こうしたシリア人への不満は露骨な差別を生んだほか、国内のシリア難民の三分の一ほどをシリア北部に帰還させる「シリア人帰還政策」がトルコ政府によって進められます。

物価上昇、差別、そして帰還政策。こうした一連の問題のなかで、紛争が続く故郷シリアには帰れず、トルコにも安心して暮らせないシリア人たちが唯一の希望と考えるようになったのが、ヨーロッパへの移動でした。それは難民に理解のあるヨーロッパの国で難民認定を受け、保護を受けながら生活再建を図る、というものでした。

こうした移民のヨーロッパへの旅は、高額なうえに危険であることが知られています。

国境間の不法な移動を斡旋する業者への支払として、一人当たり9000ドルか10000ドルが必要とされ(トルコ南部の平均月収約300ドルの30倍以上にも及ぶ額だ。2022年当時)、さらに海を渡る小型ボートの転覆による死亡事故や、山や荒野を歩き続ける際の、暑さ、寒さ、飢えによる死亡例も少なくありません。しかしそれでも人々は進みます。難民認定を受けられれば、生活が保障され、安定した生活を送れるのだという希望があるからです。

コロナ後、アブドュルメナムが経営していた商店でも、トルコ人による嫌がらせや万引き、店の破壊行為があったにもかかわらず、警察の対応がとてもお粗末だったそうです。アブドュルメナムは、自分がシリア人であるため、ここではトルコ人と対等には守られないのだと不満を募らせていったそうです。このままでは、自分の子供たちも自分が経験してきたような理不尽さ、不平等のもとで生きなければいけないかもしれない。その思いが、アブドュルメナムを悩ませるようになります。そして彼は決断しました。自分の子供たちが、より良い未来を送るために。

(2022年8月、ヨーロッパへの移動の旅に出る直前のアブドュルメナム。5年間経営したトルコ南部オスマニエの食料品店で)

2022年8月24日、アブドュルメナムは、ヨーロッパを目指してオスマニエの自宅を出発します。まずトルコからギリシャまで地中海を密航し、それからほぼ約1カ月半をかけ、ほぼ徒歩で(!)フランスに到達。そして最後に、フランスの港町カレーから、ドーバー海峡を横断してイギリスを目指すのです。

「不法移民」がやってくる街、ドーバー

イングランド南東部、ケント州ドーバー。イギリス本土で最もフランスに接近したこの街は、フランスまではわずか34キロ。古来より、絶えず外敵の侵入に晒される一方、新しい文化や時代の先端が海を越えてやってくる入り口でした。現代では、安定した生活を夢見、小型ボートでフランスから海を渡ってやってくる不法移民が上陸する地でもあります。

(ドーバー城から仰ぐドーバーの街)

ミルトン・ケインズでアブドュルメナムたちを取材した私は、ドーバーの白い崖の上にそびえる城、ドーバー城に登り、眼下に広がる青緑色の海を眺めました。この城は古くはローマ時代から近年では冷戦期まで、イギリスの防衛を担った城として知られており、城壁から臨む海の向こうにうっすらとフランスの大地が見えました。この海を、小さなボートを漕ぎ、命懸けで渡ってくる移民たち。ちょうど数日前、一年前にこの海を渡ってきたアブドュルメナムの話が思い出されました。

・・・フランスのカレーの海岸からは、夜になるとイギリスのドーバーの街の灯りが見える。不法入国を斡旋する業者は移民たちの船には同乗せず、海を渡るタイミングを見計らい、船を用意し、集まる場所と時間を指示する。

「見ろ、あれがドーバーだ。あそこに向かって漕ぎ続けろ」。そう指示され、移民たちは小型ボートに乗り込む。そして街の灯りの方角へと一心に漕ぎ出していく。ドーバーまでは4〜5時間の距離だ。海が荒れなければ。強風が吹かなければ・・・。

アブドュルメナム一行が数時間、航海を続け、ついにドーバーの街の灯りを間近にしたとき、船に同乗していたみなが涙し、歓声をあげたそうです。2022年11月1日のことでした。

(ドーバー城の城門の一部)
(ドーバー城から、海沿いの白い崖方面を眺める。なだらかな大地の上に遊歩道が伸びている)
(ドーバー城の高台から眺めるドーバー海峡。写真左側の水平線の向こうにうっすらと、フランスの大地が見える)

アブドュルメナムたちのように、ドーバー海峡を渡ってくる不法移民が増加し始めたのは2018年以降とされています。イギリス内務省の報告によれば、2018年の299人、2020年の8466人、2021年の28526人を経て、2022年には45774人(アブドュルメナムとエブラヒムもこの一人)、2023年には約30000人が小型ボートでイギリスに到達しました。その9割が上陸後、難民申請を行なっています。

イギリスでは難民申請者もここ数年で急増しており、2015年の32733人、2021年の60950人を経て、2022年には89000件にも達しました。こうした難民認定の審査には、平均して15カ月(2024年1月時点)がかかり、申請者はイギリス政府の庇護を受けながらその期間を過ごすことになります。

移民たちは、どのように、何を思いながらこの海を渡ってくるのでしょうか。私はアブドュルメナムとエブラヒムの足跡を訪ね、フェリーでドーバー海峡を渡り、フランスのカレーに向かうことにしました。

番外編〜写真家としての苦悩「「不法移民」としてのポートレートをどう撮るべきか」〜

ここからは、写真家としての撮影手法の葛藤について書きたいと思います。

ミルトン・キーンズでアブドュルメナムたちに会った私は、どうしたら、彼らの今を物語るポートレートを撮ることができるだろう、と考えていました。ただあるがままを切り撮るだけでなく、彼らが置かれている状況や、そこに存在する意味を、いかに比喩的で抽象的なメッセージで、見る側に問いかけることができるだろうか。

アブドュルメナムたちの場合、イギリスに不法入国をして一年が過ぎ、難民収容施設にいるわけですが、その狭い一室で鬱々と過ごしている彼らの姿だけでなく、「不法移民」たる彼らの背景に意味を持たせることができるような、屋外での撮影を希望していました。

そこで浮かんだのは、ドーバーの海を背景に、アブドュルメナムとエブラハムのポートレートを撮影してはどうだろう、というものでした。彼らがトルコから移動するうえで、最も危険で困難だったというドーバーの海をバックに、彼らから自然に染み出てくる感情や表情を撮ることはできないだろうかと思ったのです。

しかし葛藤もありました。それは、果たしてドーバーの海まで行くことが、彼らにとって、また彼らのドキュメンタリーとして自然なことなのか。不自然ではないのかという問いでした。アブドュルメナムは現在引きこもり状態にあり、本人たちだけでドーバーに行くシチュエーションは成り立たないだろうとも思ったからです。

しかし考えた末、やはりドーバーの海を背景に、二人を撮りたいと思いました。ドキュメンタリーとして不自然かどうか、という判断は、より経験を積んでいった後の自分に任せるとして、今は思いのままに、これだ、と思った撮影を行うことにしました。

アブドュルメナムとエブラヒムにも相談したところ、快く承諾してくれ、さらにロンドンに暮らす兄アブドュッサラームの車で、ドーバーに連れて行ってもらえることになりました。

アブドュッサラームはアブドュルメナムの4歳上の兄。彼曰く、「アブドュルメナムはこのところずっと引きこもり状態で精神的に良くない。ドーバー行きは彼にとっても良いリフレッシュになるだろう」とのこと。その日、アブドュルメナムとエブラヒムが、朝早くミルトン・ケインズから電車でロンドンまで出てきてくれることになり、私たちは「ユーストン」というロンドン中心部の大きな駅に、(電車の乗り換えが苦手な)彼らを迎えに行きました。

12月の終わりのその日、電車でやってきたアブドュルメナムとエブラヒムがアブドュッサラームの家で休憩した後、皆で車に乗ってロンドンから1時間半ほど離れたドーバーに向かいました。

(ドーバーへの出発前、アブドュッサラームが近所のパン屋で買ってきた焼きたてのクロワッサンを美味しそうに食べるアブドュルメナム。ロンドンのヒンチュリーにあるアブドュッサラームの家にて。イギリス人のアブドュッサラームの奥さんに遠慮しているようで、この一年で2回しかここに来ていなかった)
(アブドュッサラームが所有する、電気で充電するタイプの自動車。生活に余裕があることをうかがわせた)
(ドーバーに向かう車内にて。前日に床屋で散髪したというエブラヒム)

ドーバーは、海沿いにそり立つ白い崖が有名で、その崖の上は遊歩道になっています。私はそこで、アブドュルメナムとエブラヒムのポートレート撮影をさせてもらうことにしました。

遊歩道では強風が吹き荒れており、一帯は背の低い草が生えているだけの荒涼とした土地でした。海を眼下に見渡すことができ、遠くにうっすらとフランスの大地が見えています。

(強風のなか、ドーバーの白い崖の上の遊歩道を歩く。)

アブドュルメナムとエブラヒムは、一年前にドーバー海峡を渡ってきて以来、再びこの海を見るのは初めてとのこと。命懸けで渡ってきた海を前に、どういった心境になるのだろうかと少し心配しました。

「海を前にしてどう感じる?」と聞くと、アブドュルメナムは、「nothing(別に何も)」とのこと。「ドーバーに上陸したときは、どの辺りから上陸したの?」と聞くと、「I forget(忘れた)」とのことで、あまり細かいことを覚えておらず、感傷的にもならないようでした。しかしじっと海を眺める彼の表情は、言語化できない感情があることを物語っていました。そうしたものこそ、写真に写し撮りたいと思いました。

ドーバーを渡ってきたアブドュルメナムとエブラヒムと、ドーバーの海を眺めた時間。それは、写真家として忘れられない時間になりました。その海を眺めながら、私はこの国で彼らが、どのように移民として新しい生活を切り開いていくのか、取材を続けていこうと決意するのでした。

(自撮りをするアブドュルメナム)

(2024年1月29日)

イギリス取材から帰国しました。ドーバー海峡を渡る移民との交流の日々を思い返しています

あっという間のイギリス取材を終え、1月13日夜に日本に戻ってきました。

今回も7歳と5歳の二人の子供を連れた子連れ取材。3週間弱のこの取材では、ロンドンに到着するなりスーツケースが空港で行方不明となり、三日後に見つかるという事件が起きましたが、その後も取材後半に、レスターという街で、財布をすられてほぼ一文なしになるという事件が起きました。

偶然立ち寄ったチャリティーショップ(売上の一部を慈善団体や福祉団体に寄付するリサイクルショップ)で中古服を見ていたところ、混雑した店内で、肩がけカバンのチャックをいつの間にか開けられて財布をすられてしまったのです。中に入っていたクレジットカードやマイナンバーカード、健康保険証などと現金をほとんど失いました。二人の幼い子供を抱え、異国で一文なしになるという突然の事態。幸い、パスポートだけは手元にあったため、イギリス在住の兄にサポートを受けながら、なんとか帰国することができました。

しかしそんなことは、もはや記憶から消えてしまうほどに、もっと深刻で、悲しい事態が私たちを襲いました。

今回の取材は、ドーバー海峡を渡ってイギリスへと入国する「不法移民」をテーマとし、移民たちがボートに乗ってやってくるドーバー海峡のイギリス側の街ドーバーや、彼らが海を渡る拠点とするフランス側の街カレーにも向かいました。

そのカレーでは、まもなく海を渡ろうとするシリア人コミュニティを取材し、三日間、一緒に焚き火にあたったり、話を聞いたりして過ごしました。彼らのほとんどが二ヶ月をかけてシリアから旅をしており、カレー中心部の橋の下や公園などにテントを張って、極寒の中を野宿していました。彼らからは、私の二人の子供たちをとても可愛がってもらい、たくさん抱っこしてもらい、本当にお世話になりました。私はそんな、彼らの写真をたくさん撮りました。彼らは、密入国業者による船出の指示を、一ヶ月近くにわたってカレーで待ち続けていました。

1月12日、ほぼ一文なしになった私たちが、ロンドンの空港からなんとか帰国するその日の朝、カレーで船出を待つシリア人の一人から連絡がありました。今晩、ついにボートでイギリス側に渡ることになった、と。海が穏やかで、天候が安定しており、海上警備隊が付近にいないことを条件に、彼らは夜の闇に紛れ、手漕ぎボートで海を渡っていくのです。そして対岸にあるイギリスに上陸し、難民申請をするのが目的です。

ちょうど一年前、夫の兄アブドュルメナムと甥のエブラヒムも、同じルートでここからドーバー海峡を渡りました。その際、ボートが転覆して溺れ、冬の海で死にかけたそうです。エブラヒムは救助隊によって心肺蘇生を施され、奇跡的に蘇生したと聞きました。まさに命がけの航海なのです。そして、そうまでして移民たちがイギリスを目指すのは、そこに行けば人生が大きく変わるのだという希望、というよりも信念を抱いているからです。

これから、暗闇の海を渡っていくだろう彼らの姿を思いながら、私は日本へと帰る飛行機に乗りました。そして私たちが日本に到着するまでの間、彼らは航海に出発したようでした。

13日深夜、羽田空港に到着した私は、スマートフォンをチェックし、彼らの安否を確認しましたが、消息がつかめませんでした。

日本時間14日の昼頃になって、現地から一報が入りました。私がカレーで一番お世話になったシリア人男性エイハムさんとその親族や友人、合計6人が、ボートの転覆により海に投げ出され、溺れて亡くなったというのです。

(フランスでのカレーでの取材を終え、イギリスへと戻る最終日、彼らとさようならを交わす。「次回はイギリスでまた会いましょう」が別れの言葉だった。写真中央がエイハムさん)

(1月14日未明、カレー近郊の海でボートが転覆し、溺死したエイハムさん。シリア南部ダラーの出身だった)

その知らせを半信半疑で聞きましたが、やがて、報道でも死者の名が公表されました。残念ながら、亡くなったのがカレーでお世話になったあのエイハムさんたちであることが、疑いようのない事実となりました。

なんということでしょう。不法移民としてボートで海を渡っていくことが、命がけの危険な航海であることは知っていましたが、つい10日前、隣で一緒にチョコレートを食べ、焚き火にあたり、子供たちを抱っこしてもらったあの人たちが、二日前にドーバーの海に呑まれ、今はこの世にいないのです。遠いシリアから長い旅を続け、イギリス本土の街の明かりを目にしながら、暗く冷たい海の中に沈んでいく最期のとき、彼らは何を思ったでしょう。私はただ、人間の不平等を思います。

彼らが密入国費用として約1000ドル(約150000円)を支払い、自ら小型ボートを漕いで4〜5時間をかけ、命がけで渡っていくドーバー海峡。同じ海を、私はフェリーで、70ユーロ(日本円で約11000円)を支払い、90分で快適に、安全に渡れるのです。そして彼らと私たちとを分けるのは、ただ、生まれた国とその国籍なのです。

(カレーの海で。夜になると、ドーバー海峡をはさんでイギリス側のドーバーの街の灯りが見える)
(カレー中心部の橋の下で野宿をしていたシリア人たち)
(ここで一カ月に渡り、野宿をしながら船出のタイミングを待っていた。昼も夜も焚き火にあたって過ごしていた)
(彼らに、二人の子供たちをとても可愛がってもらった)
(夜のドーバー海峡。この海を、彼らは渡っていく)

取材を終え、日本に戻りましたが、私はまだ心の整理がつきません。つい10日前に取材をさせてもらったあのシリア人たちが、ドーバー海峡で溺死してしまった現実を受け止めきれず、夜も昼も彼らのことを考え続けています。

そして、日本ではなかなか報道されない不法移民の問題について、もっと移民たちの背景にあるものや、彼らの思い、そして受け入れ国側の問題についても、もっと深めていきたいと思うのでした。今回の取材は、その始まりなのかもしれません。今回も子連れパニック取材ではありましたが、大変に深みのある取材ができました。自分自身の、写真表現に対する大きな変革も経験しました。

この取材では、物価が高いイギリスやフランスで、移動費や交通費、食費など、何につけてもとにかくお金がかかり、ギリギリの取材予算の中で、皆様にたくさんの応援をいただきましたことに大変感謝しております。おかげさまで、取材の全日程を終えることが出来ました。皆様、どうもありがとうございました。この取材内容を、世の中にしっかり発表していくことに努めます。

並行して、現地からレポートできなかった内容を、今後、以下のように順次ご紹介していきたいと思います。

*「不法移民」がどういった背景を持った人々で、どのような問題が現地で起きているのか。日本では報道されていないこうした問題をより多くの皆様に知っていただきたく、取材レポートを一般皆様にも公開させていただきたく思います。一方で、取材中の裏話や、詳しい取材内容については、こちらの「小松由佳HP有料会員コンテンツ」での限定公開とさせていただく予定です。

大変長くなりましたが、帰国のご報告でした。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。  小松由佳

                             (2024年1月16日)

難民収容施設のアブドュルメナム兄と、世界一美味しいシュワルマ【イギリス取材レポート-4】

(この記事は、2023年12/24〜2024年1/13までのイギリス取材の記録です)

ロンドン中心部から電車で1時間半ほど離れたニュータウン、ミルトンキーンズ。この街の難民収容施設に、夫の兄アブドュルメナムと、夫の甥エブラヒムが暮らしている。私はアブドュルメナム兄に会うため、この街を目指した。

アブドュルメナムもエブラヒムも、2022年11月にイギリスに「不法移民」として入国後、現在も難民申請中だ。住居こそ、難民収容施設で暮らさなければいけないものの、事前に報告すれば行動の自由もあり、買い物も遠方へ宿泊を伴った旅も可能とのこと。

ちょうどその前日は、年末だったこともあり、ロンドンに住む兄が素敵なクリスマスディナーを用意してくれ(詳細はひとつ前の投稿をご覧ください)、アブドュルメナムとエブラハムも招待したのですが、アブドュルメナムは体調が悪いとのことで、エブラヒムだけやってきた。そして翌朝、私たちは施設に帰るエブラヒムと一緒に、ミルトンキーンズを訪ねることに。

エブラハムは、この一年で英語がだいぶ話せるようになったものの、英語の読み書きはまだあまりできず、電車の乗り換えもまだ難しいとのこと。

(地下鉄から電車へ乗り換えのユーストンの駅にて)

今回の取材では、デジカメにオールドレンズをつけて臨んでいる。マニュアルフォーカスのため、動きのある被写体に対してピント合わせが難しく、ピントがボケてしまうことが多々あり。この一枚も、とても良いシーンだったがボケてしまった。しかし最新レンズのオートフォーカス機能ばかり使っていると、自分の眼で対象を捉え、何を伝えたいかを瞬時に判断し、ピントを絞ったりと、「写真を思考する」力が落ちていいってしまうように感じられる。また、一瞬の行為を記録するのだから、そもそもボケたりブレたりするのは当然で、それが写真であって、むしろ、ボケたりブレたりしない写真ばかりが世にあふれ過ぎていることの不自然さもこのところ感じている。ボケてもブレても、伝えたいことが伝わるならいいではないか、というのが私の持論だが、所属している「日本写真家協会」の重鎮の皆様には怒られそうである。今回の取材では、カメラの機能の良さで写真を撮るのではなく、写真の原点に還ったマニュアル的な撮り方をしたいと思い、実践している。

ミルトン・キーンズ駅に到着し、彼らが難民収容施設に向かう。

ミルトンキーンズ駅から徒歩10分ほどの難民収容施設の前にて。ここに4ヶ月前から暮らしている。外観は一般的なホテルだ。

建物の一階部分にあるエブラヒムとアブドュルメナムの部屋へ。入り口には係官がいて、出入りする際の記録を記入した。建物は新しく、設備も整っているように見えた。

ドアを開くと、右側にトイレ付きのシャワールームがあった。新しく綺麗だ。その奥の扉を開けると、アブドュルメナムとエブラヒムが二人で暮らしている部屋があった。ドアを開いてまず目に入ったのは、アブドュルメナムの大きな背中だ。彼はイスラムのお祈り中だったので、祈りが終わるのを私たちは静かに待った。その間、兄の背中をまじまじと見つめた。来ているTシャツの皺だらけの様子に、なんとも男だけの生活臭を感じるのであった。

部屋に入るなり目に入った、兄の背中のインパクトは大きかった。

アブドュルメナムとは、トルコ以来、一年ぶりの再会である。挨拶を交わし、互いの無事をねぎらう。

「昨日のアブドッサラーム兄の家の夕食会に来なかったね。風邪をひいて具合が悪いと聞いたけど、大丈夫?」と尋ねると、「実は、具合が悪くはなかったけど、そういう気分じゃなかった」とのこと。イギリスに来て一年と一ヵ月が過ぎ、トルコに残してきた妻や子供たちにも会えず、難民認定の許可が出るかも先行きが分からず、毎日将来のことを考え、不安で気疲れているとのこと。自分の家族が側にいないのに、イギリスでみんなで集まって賑やかに夕食を楽しむなんて、気が進まない、というのが本音のようだった。ただ、アブドッサラーム兄やその妻を傷つけないように「風邪をひいた」と話したとのこと。

アブドュルメナム兄の弟である私の夫ラドワンからのお土産を渡す。¥2900で買ったユニクロのセーターである。寒くなってきたから、ジャケットやセーターを日本からお土産にしてほしいとの要望があり、夫が用意したものだ。

イギリスでは、「不法移民」の難民認定の結果が出るまでの平均期間は15カ月。アブドュルメナムは現在、申請してから13カ月が経過。ヨーロッパ諸国の中でもイギリスでは、急増する「不法移民」への厳しい処遇を打ち出し始めており、今後やってくる「不法移民」に対して、ルワンダに送還する計画も審議されている。こうした動きをアブドュルメナムもインターネットの報道から知っており、自分に難民認定が下りないのではないか、トルコへと送還されるのではないかと不安な日々だという。何よりトルコに残した妻や三人の子供たちと長く離れており、それが大変辛いとのこと。また、イギリスの曇りがち、雨がちのしっとりした気候も、シリア中部の砂漠気候で生まれ育ったアブドュルメナムにとっては疲労する一因とのことだった。

「毎日、今後のことを考え続けてすごく疲れている。考えすぎて、髪の毛がほとんど抜けてしまった」と話し、帽子をとって頭部を見せるアブドュルメナム。

確かに、頭頂部はほとんど髪の毛がなくなっていた。ヨーロッパへの移動の旅の厳しさに加え、難民申請中のこの生活でも大きな疲労とストレスにさらされ続けたのだろう。

「髪の毛が抜けてしまった」と繰り返すアブドュルメナムに、こんなときは黙っていては良くないと思い、「・・・また生えるよ」と励ました。それでも沈黙が続くので、「その頭、撮ってもいい?」と冗談を言ってカメラを向けると、「ノー」と笑って帽子を被るアブドュルメナム。とにかく頭髪が薄くなったことを気にしているようで、人に会ったり外出する際は、いつも帽子を被っているそうだ。

(*)アブドュルメナムは夫の兄で、15年来の知り合いのため、こういうシビアな会話の際は、ジョークで返すのが家族の文化と理解し、あえてこのような発言をしております。全ての取材対象者にこのような不謹慎な発言をするわけではありません。

それからしばらくぼんやりするアブドュルメナム。2022年8月、ヨーロッパへの移動の旅に出る直前の、希望に満ちて生き生きした彼の表情と全くかけ離れた表情だ。彼が直面している現実の厳しさを知った。アブドュルメナムは無表情でいることが多くなり、目つきもトローンとしているように感じられた。

アブドュルメナムと私が、シリアスな話をしている間、大音量でテレビ鑑賞するエブラヒムと子供たち。なんと、放映されているのはドラえもん。エブラヒムはこの後、長男を「ノビター」、次男を「ドラエモーン」と呼ぶように。アニメは、言葉の壁や人種、宗教の違いを軽々と飛び越える。その力は素晴らしい。

隣で「ドラえもん」の音声を聞きながら、アブドュルメナムたちがいかにヨーロッパを徒歩で横断し、命からがらイギリスにやってきたかを聞く。ものすごくシリアスな話を聞いているはずが、「ドラえもん」の音声が気になってしょうがなし。ギリシャからフランスまでは二カ月間、ほぼ徒歩で移動し、野宿を続けた。歩くのも、寝るのも、食べるのも、全てが厳しかったという。写真はフランスのカレーの街で、焚き火をしている様子。アブドュルメナムとエブラヒムは、オランダで別れた別の兄と三人で、2022年8月24日から旅を続けた。二人がイギリスに入国したのは11月1日だった。

携帯電話の中に、ヨーロッパ移動の旅の写真を探すアブドュルメナム。

アブドュルメナムは、私のフェイスブックの投稿を読んでおり、ロンドンの信じがたい物価の高さのなかで、私たちが一本10ポンド(約2000円)のシュワルマ(鶏肉などを巻いたアラブ風サンドイッチ)を夕食に3人で分けて食べたことを知っていた。そして「お前たち、ロンドンでシュワルマが高くてまともに食べられなかったんだろう。今日はシュワルマを作るからみんなで食べよう」と、自ら腕を振るってくれることに。自分が精神的に辛いなかで、私たちを喜ばせようとしている兄の温かい心に、胸がじんわり。

台所に立つ兄の顔をまじまじと見ると、この一年の間にずいぶんやつれ、痩せたことを感じた。

シュワルマの中に入れる鶏肉は、二日前からスパイスに漬け込んで準備してくれていたとのこと。

兄のような難民認定を待つ不法移民に、イギリス政府から一週間に一人当たり食費が45ポンド(約¥9000)支給されているとのことだった。一週間で日本円で¥9000ほどと聞けば、そこそこ良いのではと感じるが、イギリスの物価は日本より1.5倍ほど高いので、日本の感覚で言えば、一週間に¥5000〜¥6000くらいか。贅沢はできないが、食べてはいける支給額だ。

この鶏肉を買うため、他の日の食費を節約して準備したようで、ありがたく、申し訳なかった。

「シュワルマ」は、歳を重ねるごとにみんなますます好きになるメニューだよ」と笑顔で語るアブドュルメナム。

しかしイギリスで、アブドュルメナム兄に料理を作ってもらい、それを食べることになるとは全く予想しなかった。通常、アラブの男性はこういうことはしない。家事、特に客人をもてなす料理は全て女性の役割とされるからだ。

イギリスの難民収容施設には部屋ごとに大体台所がついているそうで、アブドュルメナムも、イギリスに来てから食事の用意が必要で、自分で料理をするようになったとのこと。

真剣に料理中。

部屋もトイレも台所も、大変綺麗に掃除して使っていた。台所もピカピカだ。トルコでは掃除も調理も何もしていなかった(全部奥さんがやっていた)のにこの変化はすごい!

スパイスに漬けた鶏肉を炒め、ポテトを油で揚げる。

鶏肉を漬け込んだ残りのスパイスのタレも炒める。これもシュワルマの中に入れると、とても美味しいとのこと。

ポテトフライと炒めた鶏肉を平たいパンの上に乗せ、最後にマヨネーズをたっぷりかける。それを巻いてから、さらにフライパンで表面をこんがり焼けば、シュワルマの出来上がりだ。

難民収容施設、と聞き、タコ部屋のようなところをイメージしていたが、さすが人道的配慮を重んじるイギリスと言えるのか、部屋は設備が整っており快適そうで、不法に入国した人々と言えど、人権を尊重していることが伝わってくるような施設の待遇だった。だが一方で思った。このような施設を用意し、難民認定がおりるまでの平均一年以上もの間、経費を捻出しなければいけないイギリス政府の負担は、相当なものだろうと。

黙々とシュワルマを作るアブドュルメナム。エブラヒムと私の子供たちは、ドラえもん鑑賞中。

ついにシュワルマの出来上がりだ!こげている!

出来上がったシュワルマを前に、満足そうなアブドュルメナム。シリアでは、シュワルマといえばコーラとのことで、コーラも用意してくれていた。

子供たちが食べやすいように、小さく切り分けてくれた。小さな子供を見ると、一年以上会えずにいる自分の3人の子供たちがとても恋しくなるという。

アブドュルメナム兄の特製のシュワルマ。鶏肉にスパイスの味が染み込み、本当に美味しかった。私たちに食べさせたいと思って数日前から準備してくれていた、世界一美味しいシュワルマ。

まぎれもなく、世界一美味しいシュワルマだった。

この難民収容施設でご馳走になったアブドュルメナム兄のシュワルマの美味しさを、私たちは一生忘れないだろう。

ミルトンキーンズから、電車に乗って再びロンドンに戻る。最後に、アブドュルメナムとエブラヒムが暮らす難民収容施設を振り返った。トルコからヨーロッパへの危険で厳しい旅を終えた後も、この国で「不法移民」として続く複雑な状況、兄たちの精神的な疲労を知った一日だった。

ヨーロッパへ渡った後の「不法移民」が、どのような状況に置かれるのか、何を思いながらどのように難民申請期間を過ごし、難民として認定された後には、どのようにこの国で生きていくのか、引き続き取材をしていきたい。

<アブドュルメナム兄に再会して>

・イギリスの、「不法移民」の難民認定にかかる平均期間は15カ月。より申請者が多いドイツよりも、期間が長い。

・兄がトルコを出発した一年前とは、表情も精神的状態も非常に異なっていた。希望が見出せず、常に不安であり、家族と離れている期間が長く、精神的に参っていることが感じられた。

・同じ難民収容施設にはシリア人はおらず、スーダン人などアフリカから渡ってきた人々や、アフガニスタン人やパキスタン人などが多いとのこと。

(2023年1月5日)

新年、あけましておめでとうございます

皆様、あけましておめでとうございます。2024年がやってきました。私はこの新年を、イギリス南東部、ドーバー海峡を臨む港町ドーバーにて迎えました。新年を取材地で迎えられる幸せ。取材に連れている二人の子供たちも毎日元気いっぱいです。

昨年2023年は、振り返るととても愛しい一年でした。

年始めから長く胃腸の状態が悪く、深刻な病気の一歩手前であることがわかり、40歳を過ぎて、体が変化していることを知りました。もっと自分を大切に、食べることや生活すること、生きることについても、以前よりもずっと、自分をいたわって過ごすことを心がけるようになりました。

2月にはトルコ・シリア大地震が発生し、これまで足繁く取材で通ってきたトルコ南部地域に大きな被害があり、多くの親族や知人が被災しました。小さな子供がいるため、すぐに現地に取材に入ることが出来ませんでしたが、その分日本からできることをやろうと、皆さまに募金を募り、現地の親族のネットワーク(私の夫はシリア難民の一人で、夫の家族がトルコ南部に暮らしています)から、被災したシリア難民の家族に送金、配布させていただきました。その額はあわせて約580万円にも及びました。シリア北部の反体制派支配地域にも夫の兄たちが暮らしているため、トルコ側だけでなく、国際支援が入りにくいシリア側にも、兄たちを通じて皆様からの支援をお届けできたことがとても嬉しいことでした。多くの被災者たちが、大変な状況のなか、日本人からの支援を受けたことを心に留めることでしょう。

4月、5月は、所属している「日本写真家協会」からの派遣事業で、専修大学にて、「フォトジャーナリズム論」の講義を6回連続でやらせていただきました。何故写真なのか、一瞬を切り取るとはどういうことか、取材現場での事件や葛藤や覚悟など、まだまだ未熟ではありますが、学生たちに「写真で伝える」ということを毎回、心を込めて講義しました。講義後のリアクションペーパー(講義内容をレポートしてもらうもの)からは、学生たちの熱意が伝わり、大変素晴らしい機会でした。私はまだ、誰かに教えられる域には達していないと感じていますが、それでも、「経験を伝えていく」という機会を、今後も是非いただけたらと願うようになりました。普段はフリーランスフォトグラファーとして一匹狼の私ですので、誰かと共に、なにか芯のある文化をクリエイトしていくことを考えるようになりました。このような機会をいただいた日本写真家協会様、専修大学様に感謝の気持ちでいっぱいです。

その後、6月に入り、トルコ・シリア地震の被災地の取材にようやく入ることができました。小学生になったばかりの7歳の長男と5歳の次男を連れ(子連れ取材をするのは、ほかに預けられる人がいないから)、地震で甚大な被害を受けたハタイ県のシリア人専用の被災者キャンプで、私たちもテント生活をしながら取材をしました。地震報道が下火になり、次第に被災者への支援が少なくなっているなかで、家族や家をを失った多くの被災者たちが、癒えない心の傷を抱えながら、先行きの不安のなかで生きている姿を取材しました。最も印象的だったのは、地震で亡くなった被災者の墓場で、何時間も座り込んで涙を流していたあるシリア人男性の姿でした。男性はシリア中部のハマから逃れてきたシリア難民で、トルコでは10年をかけて安定した暮らしを築きましたが、地震でハタイ県アンタキヤのマンションが倒壊し、20歳前後だった3人の娘を全員失いました。「空爆の絶えないシリアからトルコに逃れてきたのは、娘たちの安全のため。しかしそのトルコで地震が起き、娘たちを死なせてしまった」。男性は娘たちの墓に毎日来ては、傍らに座り、彼女たちに語りかけているそうです。そこに深い愛と深い悲しみを思いました。シリアで生活を失い、避難先のトルコで再び生活を失ったばかりか、愛する娘たちを失った男性。周囲が暗くなりかけてもなお、娘の墓の傍らに座り続けていた、その後姿が、強い記憶として胸に残りました。不条理や悲しみのなかで、人々はいかに生きていくのか。故郷を失った人々の苦難について、フォトグラファーとしていかに彼らに寄り添い、記録をしていけるのか。大変考えさせられました。そしてその道をしっかり歩んで行こうと、思いを心に刻みました。

帰国してからは、被災地取材について、新聞記事や雑誌などに寄稿させていただく機会をたくさんいただき、多くの方に被災者の現状を知っていただけたことに、やりがいを感じました。

しかしその後、帰国した長男に問題が起きました。シリア人被災者の難民キャンプでは、子供たちがほぼ学校に行かずに毎日キャンプのなかで遊んでいた姿を見ており、「学校に行かなくても大人になれるのに、どうして毎日学校に行かなければいけないのか。あの子たち(被災したシリア難民の子供たち)はみんな学校に行っていなかった!」と長男なりの持論を展開し、学校ストライキに。登校しても机にじっと座っていることができない期間が続き、本人にも先生にも申し訳ないことになってしまいました。

世界は動いている。いつ、何が起きるかわからない。世界が動いていくのだから、現場に立ち続けなければいけない。そんな思いでおりましたが、フォトグラファーである前に、私は母親なのです。二人の子供たちを何より優先しなければ、と当たり前のことをしっかり考える機会になりました。今後は、子供たちにもそれぞれ、日本での社会生活があることを尊重し、小学生の長男の学校の長い休みに合わせて取材に出ることにしました。フォトグラファーとして現場に立つことと、母親としての責任のなかで、もがく日々です。

夏過ぎからは、原稿の執筆のお仕事をコンスタントにいただき、大変ありがたいことでした。おかげさまで、2022年まで生活費が厳しくなる度に頑張ったウーバーイーツの自転車の配達員の仕事もやらなくとも生活が回るようになり、充足感を感じました。同時に、もっと写真でストーリーを伝えるお仕事をしたいという気持ちも高まりました。

秋からは、夫がトルコ南部の親族に訪問したことで、しばらく夫のいない期間を満喫。普段、アラブ料理しか食べられない夫のために、手間ひまかかるアラブ料理を作り続けていたことに大変疲労していたという事実にも気づき(気付くのが遅すぎた!)、自分のためにも、そして自分につながる子供たちのためにも、無理をしないことを自分に宣誓。家族のために愛情のこもった料理を作りたいのはやまやまだけれど、生活するには働かねばならず、子供の面倒も見なければならず、洗濯物も洗って干さねばならず、料理だけに時間をかけられないのです。生きるために、家族の平和のために何が大事で、何を削ぎ落としていかなければいけないのかを真剣に考えた秋でした(考えるのが遅すぎた!)。

また秋に、海外向けに発信されるNHKワールドの「Direct Talk 」という番組に出演させていただき、私の写真活動を取り上げていただきました。自分としては、まだまだ納得できる境地には達しておらず、やるべきことが多々ありますが、自分自身を振り返り、内省し、次のステップを具体化するための大変嬉しい機会となりました。

▼ NHKワールド「Direct Talk 」に出演しました

▼小松由佳 出演回    https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/video/2105055/

12月に入り、月末からイギリスへ、シリア難民の取材に向かうことに決めました。昨年夏に、トルコ南部から夫の兄や甥たちがヨーロッパへ、難民保護を求め「不法移民」として移動しており、その後、彼らがどのような状況にあるかを取材するためです。しかし問題は、取材費です。経済的に綱渡り生活を送る我が家にとり、物価の高いイギリスへ取材に出るのはかなり敷居が高く、直前まで悩みました。しかし、やはり世界は動いている。そして子供の学校の冬休みに合わせて、子供にもあまり負担がない形で行ける機会が今あるのです。

実は私は以前、ヒマラヤに登っていた時期があったのですが、そこで学んだことのひとつに「チャンスをいかに掴むか」というものがありました。タイミングが整うチャンスはそうそうめぐってこない。だからこそ、いつでもチャンスを掴めるように準備をしておき、チャンスがめぐってきたら、手を伸ばしてパッと掴むというその大切さ。チャンスは自分で生み出すものでもありますが、ヒマラヤのような大自然の中に身を置いたことで、変化し続ける環境のなかで、タイミングを見図り、判断していくことを学んだのです。

その嗅覚が働きました。兄や甥たちが、「不法移民」としてイギリスに入国して一年と一ヵ月が過ぎた今、彼らがどのような状況で過ごしているのかをしっかり取材し、記録したいと思ったのです。問題は取材費です。しかしお気に入りの中古カメラやレンズをいくつか売り、金策をし、なんとか捻出しました。本当にやろうと思えば、なんとかできるものです。

本当に今やりたいこと、本当に今やらなければいけないことは、今やる。それが私の信念です。今、どんなに状況が厳しくとも、やがて時が経てば、やってきたことに価値が生まれていく。そんな活動をしたいです。

2024年は、もっともっと写真を撮ります。もっと歩き回り、人に会い、思考し、激動のこの世界のなかで、写真で何を伝えていけるのか、真剣に模索します。

今、イギリスでは朝の5時50分。傍では二人の子供たちがすごい寝ぞうでスヤスヤ眠っています。二人の寝顔を見ながら私は思います。今年も撮ろう、歩こう、たくさん愛そう、と。

2024年が、皆様にとって愛と安らぎにあふれる一年となりますように。いつも、この有料会員コンテンツの会員様として、活動の応援をいただいていますことに心より感謝しております。いつもありがとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いします。

▼現在、イギリスにて、「不法移民」としてトルコから海を渡っていったシリア難民の親族が、どのような状況にあるかを取材中です。大変恐縮ではありますが、取材カンパも募集しています。どうぞご無理なく、よろしくお願いします。

(小松由佳 取材カンパ お振込先)

三井住友銀行 八王子支店 普通 8495661 コマツユカ

以上、大変な長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(追記)

この文を書き終えた今、能登半島沖で強い地震が発生し、津波警報が出たことを知りました。元旦の日の災害に心を痛めつつ、地元の方々の被害がありませんよう、お祈りしています。

国外に向けて発信されるNHKワールドの番組「Direct Talk」にて、取材活動を取り上げていただきました。2023年6月に行った、トルコ南部の地震被災地取材について。写真は、シリア人の被災者キャンプでの親子。

NHKワールドの番組「Direct Talk」の一コマ。墓場に座り、地震で亡くなった娘たちを偲ぶシリア人の男性。これまでシリア難民の取材をしてきたなかでも、最も忘れられないシーンのひとつだった。

6月の地震被災地の取材中の光景。被災者キャンプ、ケーンマウラーキャンプにてテント生活をしながら取材した。テントの中にいつもたくさんの子供たちがいっぱい入って、跳ねて遊んでいたことが良い思い出だ。

多くの建物が倒壊したトルコ南東部ハタイ県の県都アンタキヤの建物倒壊地。このような光景が街中にえんえんと続いていた。取材に入ったのは地震から4ヵ月、まだ行方不明者の捜索も続いていた。

アンタキヤにて。倒壊した建物の跡地から、台所にあった食材の種が発芽して、トマトやキュウリが育っていた。ひまわりの群生地も。国破れて山河あり。人間の生活は失われても、植物は茂り、生き物の営みは続いていく。

取材中、滞在したケーンマウラーキャンプにて、ここに暮らすシリア人被災者の子供たちと。私の二人の子供たちも一緒になって毎日遊んだ。私の長男と次男がどこにいるか、お分かりになるだろうか。

取材中の一コマ。子供たちは、シリア難民の取材に同行しながら、自らのルーツのひとつを感じとってほしいと、母は願う。

取材前に寄稿させていただいたトルコ・シリア地震の記事。

取材後、寄稿させていただいたトルコ・シリア地震の記事。「トルコ・シリア大地震 被災者たちは今 〜重なる苦難〜」。地震後、被災者たちがどのように今を生きているのか、それぞれのストーリーを伝えることを心がけた。信濃毎日新聞様にて。

こちらも信濃毎日新聞様に寄稿させていただいた記事。地震で娘を失った、あるシリア人家族に焦点を当てた。取材では、倒壊したままの彼らの家も見せていただき、地震の被害の大きさに言葉が出なかった。

地震被災地の取材から帰国した成田空港にて。夫が迎えにきてくれた。

ズッキーニやナスの中身をくり抜き、ご飯とひき肉を炒めたものを詰め、トマトソースで煮込むアラブ料理のマフシー。アラブ料理は食べる分にはとても美味しいが、作るのは手間暇がかかる。これを日本で毎日作るのは、経済的にも肉体的にも大変だ。今後は無理をしないと決めた2023年。

日本写真家協会からの派遣事業で、専修大学のフォトジャーナリズム論にて6回講義。写真を撮るということはどういうことかを突き詰めて共に考えていく、という試みをした。

NHKワールドの番組「Direct Talk」にて、座右の銘を紹介したシーン。「名のない星の輝きに目をこらす」が私の信条。

日本では、自転車でどこまで行く日々。今年も車の免許が取れなかった。来年こそ、免許を取るのだ!

2023年12月、イギリス取材へ出発!一歳から取材に同行した長男は、7歳になった。

ロンドンにて。子連れ取材がいつまで続けられるものやら。いつでも今できることを、懸命に続けていくしかない。私の後に、私の道ができるのだ!

(2024年1月1日)