いま見るべき映画 〜アフガニスタン難民のドキュメンタリー「FLEE(フリー)」〜

6月10日に公開されたアフガニスタン難民のドキュメンタリー映画「FLEE(フリー)」。是非多くの方に見ていただきたい素晴らしい作品だ。

『FLEE(フリー)』 https://transformer.co.jp/m/flee/

本作の英題である“FLEE”とは、危険や災害、追跡者などから(安全な場所へ)逃げるという意味。

難民とはどういった存在なのか。葛藤や苦しみ、恐れ、不安、絶望感などが、登場人物の細やかな心情の変化によって描写され、やがて見る者一人一人が、その感情を追体験する。

特徴的なのは、この映画がアニメーションという手法で描かれていることだ。ドキュメンタリーにしてアニメーション。その理由は、やがて物語の進行とともに明かされていく。

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開ける

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開け、アニメーションでしか描けない世界観へと私たちは没入していく。長編アニメーションとしては初めて、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメ映画賞の3部門にノミネートされた本作は、アニメと実写の境を超越したとも言える画期的な作品なのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【公式サイトより あらすじ】

アフガニスタン難民の青年の秘密をアニメーションで描くドキュメンタリー。子供のときに祖国を離れ、デンマークに亡命した青年が、その過酷な半生を告白する。

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに『パラサイト 半地下の家族』(*)のポン・ジュノ監督も「今年見た映画の中で最も感動した作品」と絶賛している。(*第92回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞。非英語作品の作品賞受賞は史上初)

上映中、私は3回ほど泣いた。困難な道にあって、ときに失望や不安や孤独に押しつぶされ、傷つきながらも、なお生きようとする登場人物の姿に、人間としての強い共感を感じたからだ。

映画をご一緒したのは知人のドキュメンタリー映画監督、杉岡太樹監督(「息子のままで女子になる」https://www.youdecide.jp/)。自らもドキュメンタリーの作り手として、独自の洗練された視点を持っている一人で、いつも刺激と学びをいただいている。上映後は、作品のストーリー性や技術的側面について一緒にお話させていただいた。

杉岡さんとの出会いは一年前。あるインタビュー企画の撮影でお会いした。映画製作をニューヨークで学び、普段はドキュメンタリスト(ドキュメンタリー制作者)として国内を拠点に活動。映画、ショートドキュメンタリーなどを制作されている。特にドキュメンタリーの持つ可能性や社会的役割について強い信念があり、“作品を作ることで、世の中がどう変わるのか。どのような変化を求めて何を伝えるべきなのか”をいつも考えている。表現者としての、そうした杉岡さんの姿勢を私は尊敬している。

その杉岡さんから、「すごくおすすめの映画」と誘われたのがこの作品。アニメーションと聞き、初めこそ「!?」と思ったが、作品を見るうち、アニメーションで描かれた理由を理解した。アニメーションでなければドキュメンタリーとして描けなかったからなのだ。そしてアニメーションであるが故に、実写作品では描ききれない真実をより深く理解する。『FLEE(フリー)』はそうした作品だ。

ここでは私自身の学びの記録として、クリエイティブに感じた杉岡さんのお話や、考えたことを以下に書きたい。

映画のポスターを一見しただけで、作品の視点が語られている

まず映画のポスターについて。「このポスターを見て、この映画を見ようと思った。日本にこのままポスターが来たのが嬉しいですね」と杉岡さんは言った。登場人物一人一人が描かれたこのポスターは、みんなが物語の一つという視点で描かれている。ヨーロッパ発じゃないとこういう視点はなかなかできないとのこと。日本人の感覚でわかりやすいように、日本だけ映画のポスターが違うということがよくあるそうだ。なるほど、ポスター一枚にしても、作品が伝えようとしているものを物語るものなのだ。

アニメーションで描かれる、ドキュメンタリーという手法

そしてなんと言っても、アニメーションでドキュメンタリーを描くという手法の斬新さが、この映画の第一の特徴だ。アニメーションは、写真のなかの男性がウィンクしたり、現実に起きていないことを起こし、人の心を再現できる。ただそれを生かすためには、「抑制されたドキュメンタリーのカメラワーク」を使う必要がある。つまり、もっとできるのにやらず、本物のドキュメンタリーのような視点から撮影する。そうやってアニメーションはリアルに近づけることができる。その上でアニメーション独自の空想が時々登場すると、見る側はイマジネーションの世界に飛躍しながら、現実に近づけるのだ。その方法に、杉岡さんも驚いたという。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

義父ガーセムが残したものに生かされて〜その死から一年〜

パルミラに生きたガーセム

2022年5月31日、義父のガーセムが86歳でこの世を去ってから一年が経った。夫の父親であるガーセムは、厳しくて暖かく、威厳のあるアラブのお父さんだった。ガーセムを思い浮かべると様々な思い出がよみがえるが、その多くが、内戦前のシリアで忙しく働いていた頃の生き生きとしたガーセムの姿だ。

私は彼を通して、シリアの砂漠で生きる人間の精神、砂漠の世界観を学んだ。全ての砂漠は異なっていること、砂粒の大きさや色、形、そこに生える草の種類で砂漠を見分け、先祖代々、砂漠に名をつけて識別してきたこと。第一次世界大戦後にシリアの国境ができるまで、自由にイラクやサウジアラビア方面のオアシスへ砂漠を旅してきたこと。砂漠が閉ざされた空間ではなく、むしろ自分たちを違う世界へと導く「開かれた世界」なのだと教えてくれたのも、ガーセムだった。

左端がガーセム。パルミラにて。2009年。

2020年に上梓させていただいた拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル)では、前半部分にガーセムが登場する。内戦前のシリアの暮らしとして、シリア中部パルミラに暮らす一家の話を書いたが、それがガーセム率いるアブドュルラティーフ一家であり、まさにガーセムがいなければ知ることのできない世界であった。

『人間の土地へ』では、ガーセムをこう紹介している。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

「勤勉で実直、一代で身を立て、大家族を養ってきたガーセムは、一家の大黒柱として尊敬されている。がっしりとした体格にこの頃はいくらか脂肪がついてきたが、風貌は依然として威厳に満ちている。ガーセムがいるだけで、その場にピリリとした緊張感が生まれ、すでに50を回った彼の息子から小さな孫までもガーセムの機嫌を伺うのだ。冗談好きで陽気な一面もあるが、曲がったことが大嫌いで、こうと決めたらひたすらその道をゆく。特に善悪についての子供への教育に厳しく、いつも片手に杖を携えて睨みをきかせるために恐れられていた。」

                ―――(『人間の土地へ』「ガーセムとサーミヤ ある夫婦の物語」より

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

内戦前のパルミラにて、ラクダに与えるエサを運ぶ仕事の合間に。中央がガーセム。右端の男性ソフィアンは、イスラム過激派ISの戦闘員になっていった(彼の物語も『人間の土地へ』に登場する)。

ラクダの放牧中、メッカに向かってイスラムの祈りを捧げる。一家は100頭近いラクダを砂漠で放牧していた。

内戦前のシリアでガーセムと過ごしたのは、2008〜2011年の4年間だ。ガーセムは当時70歳ほど。大柄でがっしりとした体躯で、いつも片手に杖を持っていた。その杖は、歩くためのものというより、学校に行かずに遊んでいる孫を見かけると叩くための杖だった(私も冗談で時々叩かれた)。ガーセムが現れると、その場の空気が引き締まるような独特の存在感があり、その足はいつも裸足にサンダルばき。足の裏はゾウのように硬い皮膚に覆われてひび割れ、中に土が挟まっていた。その手もやはり大きく厚く、水で洗っても手に染み込んだ土はとれなかった。土地とともに働いてきた長い年月を感じさせる手足だった。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

対談シリーズ「今日もいい天気!」を始めました。1回目の対談「世界をホッとさせる一杯を」と裏話。

私は日頃から、人に会い、同じ空間でお話することをとても大切にしています。そしてできたら、直接お会いするようにしています。人に会い、言葉を交わすことで、初めてその人となりが見えてくる。そう教えてくださったのは、知人の新聞記者でした。

現代では電話やメール、zoom取材でも、連絡を取ったり話を聞くことはできるけれど、その人のまとう「空気感」や声の調子、微細な表情や仕草から感じる性格や品格は、直接会わなければ分からないものだと、その方に教えていただきました。そして、そうした語られる言葉ではない部分にこそ、その人の真実が宿っているのだと。10年経っても忘れられない言葉です。

私自身も、写真家として、目に見えないその人の雰囲気を心で感じ取ることをいつも心がけています。そしてこうした、目に見えないものを写真に写すことを心がけています。そうした意味で、人と直接会うことは、大きなインスピレーションを与えてくれます。

とは言っても、お会いしたい方となかなか直接会えないことも多く、そんな時は電話やzoomなどでお会いし、その方の声を直に聞きたいと思っています。最近、意識して様々な分野の方からお話をお聞きするようにしていましたが、人とお会いして感じたことや学びを、シェアしていくのはどうだろうか、多くの方と学びを共有できるのではないかと思い、オーディオプログラム(ラジオのような感じです)での対談シリーズを始めることにしました。

その名も、

「フォトグラファー小松由佳の対談シリーズ「今日もいい天気!」

です!

様々な分野でその道を果敢に歩いていらっしゃる方々からお話をお聞きし、学びを共有するためのオーディオプログラムです。

第一回目は、トルコ南部でのピスタチオのコーヒー(ブラウンピスタチオ・ラテ)の製造・販売を通し、シリア難民の自立支援活動を行う「Fease(フェアーズ)」代表 のキクチタイキさんよりお話を伺いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「フォトグラファー小松由佳の対談シリーズ「今日もいい天気!」  ♯ 1 キクチタイキさん × 小松由佳   (2022年5月21日配信)

▼「世界をホッとさせる一杯を」〜ピスタチオのコーヒーでシリア難民支援〜 

(オーディオプログラムは以下よりご視聴ください)

https://stand.fm/episodes/628868543e849b0006cc3764?fbclid=IwAR2U2qqG3bheko8UoBDMjz32JNw0KLFRvuLK-BIBU-ExWgQU10KhucsoV50
https://stand.fm/episodes/628868543e849b0006cc3764?fbclid=IwAR2U2qqG3bheko8UoBDMjz32JNw0KLFRvuLK-BIBU-ExWgQU10KhucsoV50

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キクチさんのモットーは、「世界をホッとさせる一杯を」。

事業を通したシリア難民の雇用や教育の支援だけでなく、商品を製造する人、受け取る人がそれぞれに幸せを感じられる商品を目指しているそうです。 現在のシリア難民の状況や、彼らが抱える課題も交え、活動について伺いました。

「ブラウンピスタチオ・ラテ」は、この秋に商品化を目指しており、私たちがそれを購入することで、シリア難民の雇用創出につながります。キクチさんは「ブラウンピスタチオ・ラテ」を商品化するためのクラウドファウンディングを最近まで行われておりましたが、

https://camp-fire.jp/projects/view/548924…

引き続き、今も事業のサポートをいただける方々を募集しているそうです。シリア難民の自立支援を目指すキクチさんの活動へのご支援を、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

▼「Fease(フェアーズ)」への活動支援はこちらより

Paypay銀行

はやぶさ支店 003

口座番号:2283658

キクチタイキ 

▼また、2022年6月30日までに¥2000以上のご支援をいただいた方には、「ブラウンピスタチオ・ラテ」を郵送くださるそうです。日本ではなかなか入手できず、大変貴重です!

その場合、以下のキクチさんのメールアドレス宛に、お名前と送り先ご住所をお送りください。

(キクチタイキ メールアドレス) kikuchi4940@gmail.com

また、キクチさんのfacebookでも、是非繋がっていただけましたらと思います。

(キクチタイキ facebook)

https://www.facebook.com/taiki.kikuchi.14(こちらより検索ください→「菊地泰基」Taiki Kikuchi)

皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<キクチさんとの対談での裏話>

今回、1回目の対談シリーズとして「Fease(フェアーズ)」代表 のキクチさんからお話をお聞きした背景には、シリア難民を知っていただくことも大切だけれど、シリア難民の支援に関わる日本人のことも知っていただき、応援いただきたいと思ったからです。

こうした人々の存在を知り、サポートをすることで、巡り巡ってシリア難民の暮らしが改善することにも繋がります。これからも、シリア難民の取材と並行し、難民と共に歩いている人々の姿を紹介していきたいと思います。

ところで、有料会員の皆様に対し、キクチさんより普段なかなか語れない裏話をお聞きしました。テーマは「挫折」です。異国で、事業を一から始めたキクチさんが、どんな挫折を経験し、どんな言葉から立ち直っていったのか。以下は、キクチさんにお聞きしたお話を、私が書き起こしました。

▼「本音をぶつけ合った日」ーーーキクチさんのお話より

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

この夏のシリア難民の取材 裏話その1 〜例年にはない挑戦について〜

私は2012年から、シリア難民の取材を行なってきました。シリア内戦から10年以上が経過しましたが、難民の状況は改善されず、さらにコロナ禍やウクライナ侵攻により、報道も少なくなってきました。

シリア難民の他にも、世界を見渡せば、ミャンマーやアフガニスタン、パレスチナやシリアなど、紛争に巻き込まれ、苦境の中に生きている多くの人々がいます。

私はこうした人々の存在について、まずは知っていただき、関心を持ち続けていただくことが大切だと思っています。そのきっかけになるよう、シリア難民を取材し、一人一人のエピソードから、彼らの今を伝えていくことを続けたいと思います。

今年も7月から9月まで、シリア難民の取材に向かいます。実は今回、例年とは異なる大きな試みがあります。それは私にとって大きな挑戦であり、今年は難しくても、今後、いつかは実現したいと願う挑戦です。

その企画に至った背景などの裏事情を、オーディオプログラムにてお話いたします。30分ほどのプログラムです。以下より、どうぞご視聴ください。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

念願の京都国際写真祭、キョウトグラフィーへ

京都を舞台に年に一度開催される国際的な写真祭があります。その名も「KYOTOGRAPHIE (キョウトグラフィー) 京都国際写真祭」。今年は4月9日から5月8日にかけて開催されました。この期間、京都市街地の数多のギャラリーで、素晴らしい写真展示やイベントが行われます。このキョウトグラフィーに、ついに先月末、訪れることができました。

*KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭 https://www.kyotographie.jp

*開催要項より                                「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」は、世界屈指の文化都市・京都を舞台に開催される、日本でも数少ない国際的な写真祭です。一千年の長きにわたって伝統を守りながら、その一方で先端文化の発信地でもあり続けてきた京都。その京都がもっとも美しいといわれる春に開催されます。日本および海外の重要作品や貴重な写真コレクションを、趣のある歴史的建造物やモダンな近現代建築の空間に展開し、ときに伝統工芸職人や最先端テクノロジーとのコラボレーションも実現するなど、京都ならではの特徴ある写真祭を目指します。

キョウトグラフィーは、日本では数少ない国際写真祭です。毎年行きたくてたまらなかったのですが、6年前に長男を出産して以来、サバイバル育児生活が続き、なかなか訪問できずにおりました。

ところが今回、子供たちを泊まりで預かってくださる知人が現れたことで、ようやく念願が叶いました。六年ぶりに夜行バスに乗り、六年ぶりに子供から離れて二泊三日の一人旅。一人で長時間を自由に過ごす感覚を、数年ぶりに味わいました。やはり、一人じっくり考えたり感じたりする時間は、創作活動にとって必要ですね。

京都では丸二日間、街中をレンタルサイクルで走り回り、写真の世界に浸りました。寝ても覚めても写真だらけのなんと贅沢な時間だったことでしょう。ここでは、目にした中でも特に印象に残り、心の奥深くにビビビッときた展示についてご紹介したいと思います。

キョウトグラフィーで、心が震えた展示の数々

私にとって「心の琴線に触れる写真」とは、写真自らが物語る写真です。その写真に反映される時代性や、写真家独自の視点、そして感性に訴えかける「何か」(→言葉にできないもの)があるか。私たちが生きているのがどういった世界なのか。そうしたことを感じさせ、考えさせる写真が、素晴らしい写真だと思っています。

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

「呼ばわり山」の夜道の事件

2022年3月のある日、春風に誘われた。山に行こう。

早速おにぎりを握り、ザックにお菓子を詰め、3歳と5歳の二人の子供を連れて郊外へ。目指すは東京都八王子市のはずれにある今熊山(いまくまやま)。標高505メートルの今熊山は、八王子では知られた低山で、かつては「呼ばわり山」として、失踪した人を呼び寄せる霊山として崇められていた。江戸期、多くの参拝客を集め、関東一帯から人々が訪れたとされる。

登山口にて。今熊神社の階段を登り、今熊神社奥宮のある山頂へ。

今も昔も、人は様々な事情から行方が分からなくなることがある。こうした人々の無事を祈り、再会を願って登られた山なのだ。情報網や連絡手段が発達していなかった時代、人との出会いや別れは、現代よりもっと直接的で、深い意味があったろう。

登山口からしばらくは、なだらかな道が続く。

コースタイムでは、登山口から今熊山山頂まで一時間ほどの道のりだ。なだらかで良く踏まれた道を辿り、景色を楽しみつつ山頂を目指した。子供たちはどんぐりや松ぼっくりを拾い、鳥のさえずりに耳を傾け、飛んだり跳ねたり自由に自然を吸収した。やがて山頂に近づくにつれ、苔むした石灯籠やお地蔵さん、朽ちかけた石碑が道端に点在し、古の参拝者たちの面影が偲ばれた。

崩れ、倒れた石碑が点在している。こうした石を、背に担いで登ってきただろう古の人々が偲ばれる。
山頂近くの参拝路にて。「呼ばわり山」として参拝客を集めたかつての雰囲気をとどめる。

20代前半、狂ったように山に足繁く通った時期があった。だが人生の変化は驚くべきもので、その後私は、草原や沙漠のなどの、それぞれの風土に根ざした人間の営みに魅せられ、次第に登山から足が離れていった。さらに長男を出産してからのこの6年は、とにかく運動不足を重ねた。いつかまた、山の世界に戻りたいと心に願いながら。そうして最近になり、子供たちがだいぶ歩けるようになったタイミングで、ようやく山の静謐の世界を子供たちと共有する準備が整ったと感じるようになった。こうして私は今熊山を歩いている。

山頂からひとつ下のピーク、「今熊山 逍遥所(しょうようじょ)」からの眺め。ここは山頂を仰ぎ見る場所。山腹には発電所があり、付近には送電線が張り巡らされている。

石段を登ったその先に、立派な今熊神社奥宮があった。山頂だ。信仰の山として賑わった往時をしのびつつ、広い山頂で子供たちとおにぎりを食べる。帰路は、武蔵五日市駅方向へと下山することにした。

山頂に到着し、喜びの雄叫びをあげる子供たち。ここで登山は終わったと考えていたようだ。

ここで想定内の事態が起きた。「もう歩かない」と子供たちがストライキを起こしたのだ。どうやら、山頂に着けば登山が終わりだと思っていたらしい。普段、高尾山(東京都)でリフトやケーブルカーで下山することが多かったためか、それが登山だと思っていたようだ。本当の登山は、自分の足で安全なところまで降りるものだと力説したが、子供たちは愕然として座り込んでしまった。必死の説得もお菓子大作戦も効果なく、時間は流れた。仕方なく次男をおんぶして下山をしたが、そのうち日が暮れてしまった。人里から離れているから、本当の真っ暗がやってきた。

山で陽が暮れ、心細くなる・・・、というのは嘘で、心の中で、私の中の野生が目覚める。「よし、こうでなくっちゃ」と思う。実は、この登山の本当の計画はここから始まるのだった。それは夜の山を歩くことだった。

次第に視界が利かなくなっていくなかで、不安な表情を見せる子供たちの前に私は立ちはだかった。そしてザックから、ホームセンターで買ったピカピカのヘッドランプを、ドラえもんのような心境で取り出した。

「ヘッドランプ〜」。子供たちは大喜びし、ヘッドランプをつけて夜道を歩いた。

通常なら、明るいうちに行動し、夜が来る前に山を下りるのが良いとされる。だが、普通じゃない登山もしたい。あえて夜の山を歩き、山の夜の静けさや、暗がりの深さを感じてみたい(付き合わされた子供たちにはかわいそうだが)。夜が足元にゆっくりと忍び寄り、全てが深い黒に沈んでいくあの感覚を、最後に味わったのは一体いつのことだろう。

やがて、あたりに夜の静寂が広がった。私たちは夜とひとつになっていく。子供たちは、暗闇への不安を口にした。「オバケ出ちゃったらどうしたらいいの」「ヘビが出たら死んじゃう」。小さい子供も大人も、視界がきかない暗いところが怖い。見えないもののなかに潜む、リスクへの本能的な不安があるからだ。だが、その恐れと同時に存在するだろう、 “未知”への好奇心こそが、人間を人間たらしめているのではないだろうか。

夜の茂みに、生き物の世界がある。「ガサガサ」と何かが動く微かな音がする。そのたび、私たちは立ち止まって耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ました。その正体を全身で感じ取ろうと、危険がないか判断しようとする。安全と快適さとが前提にある街の暮らしでは感じ得ない、生き物としての野生を、自分たちの内面に感じる瞬間だ。

やがて疲れと不安から、子供たちが深刻な表情を見せた。励ましの言葉ももうきかない。こういうときは雰囲気を変えるに限る。場の空気を和ませるため、私は必殺技を繰り出した。

「ブッ!・・・」。夜の暗い山道に、大音量で屁が放たれる。その後の一瞬の静寂、そして子供たちの大笑い。それまで私たちと共にあった “暗闇こわいこわい” は、一瞬にしてどこかへ消えてしまった。一発の屁の、なんたる威力だろうか。人間は、かくもユーモアの力で、恐れや不安を払拭できるのだ。

そのうち登山道が終わり、私たち「ヘッドランプ登山隊」は、集落へと降り立った。すでに時計は夜8時を回り、街灯が仄かに道を照らしているだけで、人ひとり外を歩いていない。駅へと続く大きな橋を渡り、やがて目的地の武蔵五日市駅に到着した。「ああ、これでおうちに帰れる」と長男がひとこと。

自然が内包する未知に触れ、自身の野生に向き合った一日。子供たちとの初めての、本当の登山。その後、「呼ばわり山」の夜道で豪快に放たれた屁の凄みは、今も小松家で語り継がれている。

<完>                

(2022年4月28日)

ウクライナ侵攻を、どう捉えていくべきか〜ロシア通のF氏より、お話をお聞きした〜

2月24日、ウクライナ侵攻が始まって以来、世界の目はウクライナに注がれ、現地からは次々と惨状が伝えられている。あまりに短期間に引き起こされた戦争の悲劇に落ち着くことができず、今も進行する人道危機をどう捉えたらいいのか、私も非常に悩んでしまった。

報道の場では、様々な識者がこの戦争を語っているが、もっと直接、その背後にある歴史や文化から、話を聞きたいと思った。そこで、3月末、知人である北海道新聞の前編集委員、F氏とお会いした。

 F氏は大学時代よりロシア語を学び、ロシアでの留学を経て北海道新聞に就職。以来、記者、編集委員としてロシアの政情を見つめてきた。 約30年勤めた新聞社を退職し、関東に移る矢先にウクライナ侵攻が始まった。北海道新聞社は、特にロシアとの関係が深い新聞社だ。そこで編集委員をされていたF氏が、このウクライナ侵攻をどう捉えているのか。お話をお聞きしたく、北海道から越したばかりのF氏にお会いした。話の内容が非常に勉強になったため、自分自身の記録と、情報の共有のために、以下にまとめることにした。

<以下、F氏のお話より>

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウクライナ侵攻は、政治問題である前に人道危機だ

 ▼ウクライナ侵攻は、政治問題である前に人道危機だ。子供やお年寄りまでもが巻き込まれている。すでに400万人近い難民が発生したが (3月下旬の段階)、「(ロシアに)降伏すればいい」というのは、力でねじふせるロシアの論理に加担することになってしまう。 

攻撃は軍事施設に限定するというロシアの公式説明に反し、住宅や病院、学校が破壊され、民間人が多数犠牲になっている。これは人道危機であるという観点から、何ができるか考えなければいけないのではないか。

▼ソ連崩壊とともに独立したウクライナはまだ若く、内政には不安定な側面があった。さらに西と東では、言語や歴史認識に大きな違いがある。西ウクライナは、民族意識やウクライナの独自性についての意識が強く、ウクライナ語話者が多い。一方で、ソ連を代表する重工業地帯だったドンバス地方など、東部にはロシアからの移住者が多く、ロシア語話者の住民が多い。大統領選では、親欧州と親ロシアの候補が拮抗し、地域で支持が分かれる経過があった。

▼プーチンはウクライナに侵攻したら、住民に歓迎されると本当に思っていたかもしれない。ロシアの傲慢ではあるが、首尾よくクリミアが併合できたことでプーチンには錯覚が生まれたのではないか。 あのとき国際社会は、もっと厳しくロシアを制裁すべきだった。ロシアも国際法の住人なのだから。

ただ、一方で帝政ロシア時代から保養地として名高く、黒海艦隊もあるクリミアでは、ウクライナ独立後、自分たちはなぜウクライナの一部なのか、という戸惑いがなかったわけでもない。ロシアの生活レベルは相対的に高く、ロシアへの帰属を望む住民もいたかもしれない。クリミアや東部のロシア語話者の住民には、反ロシアの民族主義的主張には違和感を持つ人も少なくなかったと思う。

本当の平和は、相手を尊重するところからしか生まれない

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

オンラインイベント「見えない入管問題を考える〜収容者の家族として〜」(2022年3月30日開催分)

3月30日、入管問題をテーマとしたオンラインイベントを行いました。

前回、映画「牛久」を見て考えたことをオーディオプログラムとしてあげさせていただきましたが、今回のイベントは、「入管問題」をテーマに、その続きとなります。

イベントでは、ガーナ人の配偶者が牛久(茨城県牛久市)の入管施設に2年3ヶ月にわたって収容されたカタクリ子さん(偽名・入管収容者 妻の会会員)をお招きし、お話いただきました。

驚いたのは、旦那さんがあまりに突然に収容となったことや、その後の家族の生活も、さらには精神状態も、次第に追い込まれていったこと。また「入管収容者の家族」として、区別や差別を受けてきたこと。

法治国家として、在留資格に問題がある外国籍の方々を法的に取り締まることは当然のことですが、問題は処遇です。収容期間を示されることなく、収容者の自由を心身ともに奪い、大きな負担を家族にも強いる入管施設の現状は、やはりどこか構造上の問題があるのではないかと感じました。第三者による監視や運営などがあれば、まだ風通しが良くなるのかもしれません。

いずれ、「世論の高まりが入管問題を変えていくはず」とカタクリ子さんが言われたように、私たちが関心を持ち続けることが大切だと思いました。

当事者から具体的なお話をお聞きできた貴重な時間でした。

◀︎イベントの収録動画はこちらより(有料会員様限定の動画です)

このコンテンツを閲覧するにはログインが必要です。お願い . あなたは会員ですか ? 会員について