11月28日開催 「オンライン取材報告会 2022」の視聴はこちらより

11月28日の20時より、「小松由佳 オンライン取材報告会 2022 」を行わせていただきました。報告会を録画しましたので、ぜひ以下よりご視聴ください。

「 小松由佳 オンライン取材報告会 2022 」について

2022年7月から3ヶ月をかけ、トルコ南部に暮らすシリア難民の取材を行いました。トルコでは、670万人近いシリア難民のうち380万人が暮らしています。今年も6歳と3歳の子供たちを連れ、現地へと向かいました。そこで目にしたのは、コロナ後の難民生活の深刻な変化でした。今、難民たちがどのような状況に置かれているのかを、お話しします。

また今回は、11年ぶりにシリアに向かい、(シリア難民の一人である)夫の故郷パルミラに入りました。空爆で破壊された街で目にしたもの、考えたことなどを写真を交えてお話ししたいと思います。

年々、シリア難民の報道は少なくなっておりますが、今も多くの難民たちが苦境の中を生きています。少しでもシリア情勢や難民の状況に、多くの方が関心を抱いてくださるよう、今後も取材と発表を続けていきたいと思います。

報告の主なテーマ

・シリア難民への反発が強まるトルコ社会

・欧州を目指すシリア難民

・シリア、パルミラの今

・シリア人の結婚文化

小松由佳プロフィール

1982年秋田県生まれ。ドキュメンタリーフォトグラファー。高校在学中から登山に魅せられ、国内外の山を登る。2006年、“世界で最も困難な山”と称される世界第2の高峰K2(8611m / パキスタン)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞(2006年)。

次第に風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2008年よりシリアを撮影。2011年からのシリア内戦では人々の境遇の変化を目撃、シリア内戦・難民の取材を始める。

著書に「人間の土地へ」(集英社インターナショナル/2021年9月)。2021年、山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。シリア人の夫と二人の子供と東京都八王子市在住。公益社団法人日本写真家協会会員。

視聴URLはこちらより

*注意点*

恐縮ですが、こちらは第三者への譲渡や、インターネット上での公開を禁止しております。ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

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11月26日、亜細亜大学様での取材報告会が終わりました 〜反省と裏話〜

11月26日開催の亜細亜(アジア)大学様での取材報告会が終わりました。当日は、学生を含め、さまざまな層の方々に聞いていただきました。ご来場された皆様、どうもありがとうございました。

ナジーブさん(左)と私。真ん中にいるのはナジーブさん長男のライアン君。

亜細亜大学へ

当日は気持ち良い秋晴れのなか、武蔵境駅から徒歩15分ほどの亜細亜大学へ。会場は大学ならではの、200人が聴講できる教室でした。なんと言ってもスクリーンの大きさが素晴らしく、写真が大迫力で見ていただけそうです!

イベントは15時から。一時間前の14時には、司会の岡崎弘樹先生(中東政治の研究者)とコメンテーターのナジーブ・エルカシュさん(シリア人ジャーナリスト)と打ち合わせ予定でしたが、コメンテーターのナジーブさんの姿が見えず。岡崎先生が電話すると、なんと「まだ千葉!!!」とのことで、岡崎先生も、「もう〜、ナジー、頼むよ〜」とツッコミを入れておりました。

ナジーブさんは普段、アルジャジーラなどと契約し、日本など東アジア地域のニュースをアラブ系メディアに配信しているジャーナリストです。2日前にバンコクから10日ぶりに帰国したばかりで、お疲れの様子。

この日、ナジーブさんは子供の預かりを急遽しなければいけなくなったようで、子供を連れてくることがなかなかうまくいかずに遅れているとのこと。それは大変です!私自身も、突然の子供の体調不良など、こうした子供の預かり先をめぐる問題にたびたび苦労してきたので他人事とは思えず心配しました。

そのうちイベント開始時間へ。ナジーブさんは、イベントが終わるまではなんとか来るだろうということで、それもまた、アラビックタイムの文化(時間にとらわれずゆったり過ごす)を体現されているかのようで、貴重なご来場タイミングだと思いつつ、お話を始める時間となりました。

ナジーブさんの子供たちと岡崎先生の子供たち。我が息子たちは連れられず。

反省点

結果、20日の関野さんとの対談報告会の時よりも、より情勢やシリア難民の現実などに特化した専門性の高いお話をする予定だったのですが、結果的に、あまり変わらないお話となってしまいました。

また、お話ししたい気持ちが先行して話がとても伸びてしまい、申し訳ないことになりました。結果、私は話が伸びすぎ、ナジーブさんは遅れ、司会の岡崎先生に大変に申し訳ないことになってしまいました(岡崎先生、すみません)。

以下、今回の講演会で考えた反省点です。これらを次回以降しっかり生かしたいと思います。

・パソコンの画面ではなく、1秒でも多く、聴講者のほうを見て話すこと。

・座って話すより立って話す。話し手の体がより多く見えていたほうが、聴講者が話に入りやすい。

・一方的にこちらで話し続けるのではなく、聴講者に問いかける。話の内容について考えていただくことで、聴講者がより話に入り込める、共感できる。

・ユーモアを織り込む。真面目な話だけでは、人は聞きづらい。

・五感に伝わる表現を心がける。視覚、聴覚、味覚などが刺激されるような、具体的なエピソードのお話をする。

・一時間以上話すなら休憩をとる。またどんなに長い話でも90分でおさめるようにしたい。

以上、反省も多いですが、じっくりお話をさせていただきました。その後、17時近くになってナジーブさんが子供たちと到着され、質問タイムの後、コメントをいただきました。そのお話が、まさにシリア人からの視点であり、本当に素晴らしいものでした。

以下に、特に心に響いたいくつかのお話を書きたいと思います。

ナジーブさんと次男のライザックくん。アラビア語で「彗星」の意。まだ3歳です!

心に響いたナジーブさんのお話

<ナジーブさんの話より>

・パルミラに残るパルミラ遺跡は、シリア最大の観光地だった。一方でパルミラには、シリア最悪とされる刑務所があった。たくさんの観光客を集めるパルミラ遺跡は表のシリアで、刑務所は裏のシリアだった。パルミラは、その二つが同時に存在する街だった。

・パルミラにあった刑務所では、非人道的な扱いが繰り返されてきた。こういうことをやれるのは人間じゃないと言えるほどの、世界でもシリアにしかないようなひどい拷問が行われてきた。パルミラの刑務所に入っていた人が書いた『巻き貝』という本があるが、それを読むとどんなに酷いことが行われてきたか分かる。例えば、2人がやっと立てるような、呼吸もやっとできるくらいの狭い空間に監禁されて立たせられ続け、座らせないという拷問もあった。どちらか一人が死ぬまで、または死んでも立たせられ続けたり。

・ISとシリア政府は共通点がとても多い。特にメディアを使った印象操作など。ISが2回目にパルミラを占領し、それを再び政府軍が奪還した後、政府はパルミラ遺跡の円形劇場で、ロシアの楽団を呼んでオーケストラ演奏をさせたりした。斬首など恐ろしい刑罰を行うISよりも、オーケストラ演奏などをする政府の支配のほうが、より文化的で優れているのだというプロパガンダではなかったか?

・パルミラは、シリアの中で「見捨てられた街」と言われている。現アサド大統領の故郷ラタキアからも遠いし、ISに攻められたときに、迅速に守られなかった。

・パルミラ遺跡などパルミラの考古学には、イタリアと日本が非常に深く関わってきた。沢山の日本人の考古学者がパルミラで働いた。しかし、パルミラの考古学者ハーレッド・アサド氏がISによって殺害されても、日本のメディアはほぼ反応がなかった。イタリアではもっと大きく取り上げられて、彼の功績が讃えられたのに。

・ISがパルミラの博物館を破壊して遺物を持ち去ったりしたとされるが、それ以前に、その何倍もシリア政府が国外に密輸していた。

・日本の人々には、シリアについてもっと連帯を示してほしい。日本には、(専門家でも)間接的にシリア政府を応援している人がたくさんいて不満を感じる。

                                 以上、ナジーブさんのお話しでした。

ナジーブさんのお話の中でも、「表のシリアと裏のシリア」という言葉にハッとさせられました。

ナジーブさんの長男ライアン君。逆さ吊りに大喜びしていました。

イベント後は、関係者で打ち上げへ。その間も、2人の子供たちをあやし、ご飯を食べさせ、歯磨きさせてお世話をするナジーブさんのイクメンぶりに驚きました。ジャーナリストとして一流のお仕事をされているプロフェッショナルなナジーブさん。お仕事だけでなく、全てにおいて真摯に誠実に、そして前向きに取り組んでいる姿を感じました。

帰りがけ、そのナジーブさんからこんなお話が。非常に考えさせられる、むしろ今後考えていくべき内容だったので、以下に記録として書きたいと思います。

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探検家、人類学者の関野吉晴さんとの対談イベントが終わりました

11月20日のイベント、「地球永住計画 公開講演 〜冒険者たち〜 小松由佳(フォトグラファー)×関野吉晴(探検家・医師)」が無事終わりました。

当日は、多くの方にお越しいただき、満員御礼をいただきました。どうもありがとうございました。こちらのイベントは会場の都合で人数制限がありましたが、26日からオンデマンドで3日間視聴いただけます。オンデマンド視聴のご案内は、公開され次第、ご案内します。

人類学者でもある関野吉晴さんとの対談を楽しみにしていたのですが、後半は現場での経験を一人で話してしまい、関野さんに申し訳ないことになりました。関野さん、すみませんでした。

打ち合わせでお茶をした際、かつて関野さんがグレートジャーニーの旅をされた国々が、その後の戦禍で立ち入れなくなった地域も多く、シリアもそうした地域のひとつだと聞いていました。もっとその当時の話をこちらから質問したらよかった、と反省しきりです。関野さん、ありがとうございました。

また最後の質問タイムでは、「パルミラで破壊された街や、そこに暮らし続けている人々を目にして大きなショックを受けた」と話をしたところ、あるお客様より、質問がありました。

「取材を終えて死生観は変わりましたか?」

死生観も変わったのかもしれないけれど、それ以前に、やはり人生観が変わりました、とお答えしました。取材は、人生経験を積む場となりました。

詳細は、26日以降から3日間限定のこちらのイベントのオンデマンド視聴や、別の会場での取材報告会にて聞いていただきたいです。今週26日には、亜細亜(アジア)大学様にて取材報告会があり、そちらでもお話いたします。

また、今回のイベントは日曜の夕方からということで、いつもながら子供をどうするか問題が勃発。東京都国分寺市の知人に子供たちを預かっていただけることとなり、大変助かりました!預け先は国分寺市恋ヶ窪の「憩い広場びぃだま」のY夫妻。子供たちは、Y夫妻を「びぃだまじいちゃん、びぃだまばあちゃん」と呼んで慕い、いつも可愛がっていただいております。

当日はサツマイモ掘りをさせてもらい、大きな大きなサツマイモがたくさん採れました。最後にピザにのせて食べたとか。Y夫妻、ありがとうございました!

また、こちらの「憩い広場びぃだま」は、一日一組限定でランチを出しており、イベントも開催しています。来年1月14日には私のトークイベントもやらせていただくことになりました。会場は、今年新築したばかりの木の温もり溢れるとても素敵なログハウスです。こちらも是非、ご参加ください(最寄駅は西武線恋ヶ窪駅です)。

以上、たくさんの皆様に活動に関わっていただき、取材報告会の一つ目が終わりました。どうもありがとうございました。さて、取材報告会はあと3回続きます。引き続きよろしくお願いします。

小松由佳

〜以下、今回のイベントの裏話〜(以下は、有料会員の皆様のみご覧いただけます)

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取材報告会のお知らせ(2022年11月22日)

皆様、7月から10月にかけて行ったシリア難民の取材では、たくさんの応援とご理解をいただき、どうもありがとうございました。精神的に疲れを感じるほどに、自分ができうる限りのぎりぎりの深い取材ができました。これから、取材内容をしっかり発表するべく、動き始めています。

取材報告会の開催・企画までに時間をいただきましたが、今月より報告会を行わせていただきます。ぜひご参加いただき、現地の感覚を追体験いただけましたら嬉しいです。実に波乱万丈の取材でした・・・。

大変ありがたいことに、亜細亜大学講師の岡崎弘樹先生や、探検家・人類学者の関野吉晴さんからもお声がけをいただき、複数の会場にて、報告の視点を変え、報告会を何回か行わせていただきます。今のところ、リアル報告会が3回、オンライン報告会が1回の予定です(お声がけいただけたら、もっとやらせていただくかもしれません)。

取材報告の主なテーマは以下になります。

シリア難民への反発が強まるトルコ社会 / 欧州を目指すシリア難民 / シリア、パルミラの今 / シリア人の結婚文化

ぜひご参加ください。

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< 今後の取材報告会 >

①11月20日 19:00〜21:00  「 地球永住計画 公開講演 〜現代の冒険者たち〜 」 

関野吉晴(探検家・人類学者・医師)× 小松由佳(ドキュメンタリーフォトグラファー) 

武蔵野プレイス(東京都・武蔵境駅すぐ)にて  参加費1000円(オンライン視聴の場合)〜1500円(会場にて参加の場合)

グレートジャーニーの探検家でもあり、人類学者の関野吉晴さんとの、対談形式の報告会です。関野さんの人類学者的見地からの、ユーモアあふれるお話が満載の予感です。こちらは会場の都合で、会場にて参加可能な人数が40名限定です。その後、オンライン視聴が可能です。お申し込みサイトは以下より。

・当日払いチケット 1500円
https://www.kokuchpro.com/event/852157af876f20654f44ce2c7da2f2e0/

・前売り特別割引チケット 1000円
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01kkw4hb89q21.html

・オンデマンド収録配信 視聴チケット 1000円(11/26配信)
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01qkyhdrjaq21.html

②11月26日 15:00〜17:00   「 <現地>から考えるシリアの現在 」

亜細亜大学武蔵野キャンパスにて  入場無料・事前登録不要

日本在住のシリア人ジャーナリスト、ナジーブ・エルカッシュ氏がコメンテーター、シリア政治文化が専門の研究者、岡崎弘樹先生が司会を務めます。大学での開催ということもあり、よりシリア情勢の専門的視点に特化した報告会です。ナジーブさんの、シリア人もびっくり冗談満載トークに注目です!事前登録など不要です。

③11月28日 20:00〜22:00  「 小松由佳 オンライン取材報告会 」zoom使用 後日視聴可能

平日の夜となりますが、zoomを使ったオンライン取材報告会です。小松由佳HP有料コンテンツ会員の皆様は無料で参加いただけます。一般の方は、恐縮ながら参加費1000円をいただきます。夕食を食べながら、コーヒーを飲みながら、ご自宅から是非、まったりご参加ください。視聴のお申し込み先は、後ほどお知らせいたします。

④12月11日 「小松由佳 取材報告会 」 時間・会場未定(午後13時頃から16時頃まで、都内にて予定) 

こちらは、日曜日の午後に開催予定のリアル報告会です。小松由佳による、シリア文化体験を織り交ぜた、ざっくばらんな雰囲気の報告会を考えています。シリアのお茶やコーヒーを飲んだり、お菓子を食べたり。取材報告会でもあり、シリア難民の世界観に触れられる時間となるよう企画中です。お申し込み先は、後ほどお知らせいたします。会場を現在探していますので、ご存知の方は、ぜひご紹介ください(プロジェクター・スクリーンの使用、飲食、金銭のやり取りが可能な会場)。参加費は、1500円を考えております。

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以上、どうぞよろしくお願いいたします。会場にて、皆様のご参加をお待ちしております。

ほか、取材報告会についてのお問い合わせは、以下の「コンタクト」よりお願いいたします。

https://yukakomatsu.jp/contact/

取材で経験した三大ショック、その真相・・・(2022年11月11日)

長らく、こちらの有料会員コンテンツの更新ができずにおり申し訳ございません。実は、10月はじめに帰国してから、取材で経験した出来事により、半ば虚脱状態になっておりました。

記事の更新が思うようにできず、皆様にはご迷惑とご心配をおかけしましたことをお詫びいたします。本当にすみませんでした。

今回、取材後に虚脱状態になってしまった背景について、また取材者としての葛藤について、オーディオプログラムにてお話をさせていただきました。

大変マニアックな、そして個人的なお話となりますが、この取材で経験した三大ショック事件、その真相について、ぜひご視聴ください。

今後は、コンスタントな記事の更新を心がけます。皆様、この度はすみませんでした。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

〈オーディオプログラムのご視聴は以下より↓〉

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取材を終え、日本に帰国しました

10月5日、子供たち二人とともに、無事成田空港に到着し、日本に帰ってきました!懐かしの日本に感無量です。

これまで最高気温30度が続くトルコ南部にいたため、すっかり冷え込んだ日本の寒さに驚いています。成田空港を出た瞬間、かすかに野焼きの匂いがし、トルコでは嗅ぐことのないその独特の草の匂いに日本に帰ってきたことを実感しました。

今回の取材では、トルコの情勢変化からヨーロッパを目指して海を渡る難民の動きが顕著であり、実際に親族の数名が旅立つ姿を取材できました。次の投稿で書きますが、その後彼らは1ヶ月ほどをかけてドイツまで徒歩で到達し、すでにドイツで難民申請をしています。トルコ南部に暮らすシリア難民の親族の半数が、来年はそこにいないかもしれないという、まさにその激動を見ることができました。

また11年ぶりに入国したシリアでの取材は、この数年間の夢の一つであり、この取材が実現できたことでひとつの区切りがつきました。なかでも夫や親族の故郷であるパルミラの地に立ち、そこがどうなっているのかをこの目で見ることができました。それは一生忘れられぬ記憶となるでしょう。パルミラでの写真も、少しずつこちらでご紹介していきたいと思います。

この3ヶ月の取材期間は、とにかく長い、長い3ヶ月で、心身ともに疲れ切りました。子供たちもこの長い取材によくぞ付き合ってくれました。子供たちは例年の如く行く先々で大暴れし、現地の子供と輪になって遊び、一気にアラビア語が堪能になり、ますますワイルドになりました。

6歳と3歳の子供を連れた子連れ取材も、写真を撮影する時間よりも(言うことを聞かない)子供を静止する時間が長くなり、あまりの集中できなさから、物理的に撮影が不可能になってきました。そんななか、よく写真を撮ろうとしたと、我ながら感じます。これまで気合いでカメラを手にしておりました。来年からは長男も小学生。これまでのように長い休みは取れなくなります。子連れ取材も、少しずつ変化のときを迎えそうです。

さて、今回の取材では皆様にたくさんの応援やサポートをいただきました。日本円やドルでのカンパや、日焼け止め、色鉛筆などさまざまな応援をいただき、3ヶ月に及ぶ取材を無事終えることができました。皆様には心より感謝しております。本当にどうもありがとうございました。

取材は終わりましたが、これからが本番です。取材内容をたくさんの方にお伝えできるよう、より良い取材の発信を頑張ります。

また先日は、シリア情勢をめぐるラジオ出演の内容をめぐり、現地報道のあり方や報道の姿勢について深く考える良い機会となりました。皆様にもさまざまなアドバイスやご意見をいただき、感謝しております。それにしても、番組の途中ではミサイル発射のニュースが速報で入ったりと慌ただしい雰囲気となりました。考えてみれば、(私たちは割と慣れてしまいましたが)近隣国からミサイルがたびたび飛んでくる日本も、世界的に見てもなかなかない状態であると思います。世界的に情勢が不安定化しつつある今、国防についても考え直す時期に来ているのかもしれません。

取材を出発する直前、ある元新聞記者の方とお会いし、かけていただいた印象的な言葉があります。

「シリア難民のことだけを伝えて終わるのではなく、シリア難民を伝えることで、自分たちのより良い未来や具体的な日常について考えていけるような、そんな取材を心がけなさい」。

この言葉を胸に、これからも取材や発信を続けていきます。日本に帰ってきましたが、これからがますます忙しくなりそうです。

ひとまず、帰国のお知らせでした。皆様、たくさんの暖かい応援をいただき、どうもありがとうございました。是非今後とも、どうぞ宜しくお願いします。

小松由佳

あまりの子連れパニックに空港内での写真が撮れず、空港の外でやっと帰国の記念撮影をした。二週間前に帰国した夫が迎えに来てくれた。子供たちもババ(アラビア語で「お父さん」)に会えて嬉しい時間。

シリア取材後、放心状態になっています。本日9月28日18時半より、ラジオ出演いたします。

本日9月28日放送のNHKラジオ「Nラジ」に、取材先のトルコより生出演いたします。

https://www4.nhk.or.jp/nradi/

私が出演するのは15分ほどですが、現在滞在しているシリア国境の街レイハンルより、シリア難民の置かれた状況についてお話いたします。

シリア取材を終えトルコに戻ってから、やるべき取材をなんとか継続していますが、放心状態が続いています。

テレビやインターネットでは目にしていたものの、自分の目で見たシリアの状況が、ショックそのものだったからです。

シリア政府機関による厳重な情報統制や、激しい空爆によって廃墟と化したパルミラの街。特に、シリア政府に軍事協力を行うロシア軍による空爆の被害は凄まじいものでした。

一般市民を標的にした重大な戦争犯罪が、シリア政府とその協力者であるロシア軍によって行われ、今も続いています。

私は今、トルコ側のシリア国境の街、レイハンルにおります。
トルコ時間の昨日、9月27日11:30頃、レイハンルの街に地鳴りのような衝撃音が響きました。国境をまたいだシリア側、レイハンルにほど近い「カファル・ロースィーン難民キャンプ」にて、ロシア軍による爆撃があったのです。

爆弾が落ちたのは難民キャンプ内の子供たちの学校で、多数の死傷者が確認されています。難民キャンプには軍事組織もありません。ロシア空軍は、ここにいるのが一般人であることを知りながら空爆を行ったのです。

こうした一般人の居住区を故意に狙うロシア空軍による爆撃が、シリア北西部イドリブ県では今も頻発しています。

写真は、ホムスからパルミラに向かう道中に撮影した看板です。シリアとロシア、二人の国家元首が、軍事上、深い協力関係であることを物語っています。

現在、ロシア軍のウクライナでの蛮行がメディアでも連日取り上げられていますが、それは2015年以降、シリアで民間人に対してずっと行われてきたことです。そして今もなお、こうした無差別爆撃の脅威に晒されている多くのシリアの民間人がいることを、もっと多くの人に知っていただき、関心を持っていただきたいと心から思います。

そんなわけで長い話となりましたが、本日、ラジオ出演をさせていただきます。ぜひご視聴ください。また、放送後一週間は聞き逃し配信もされるようなので、改めてご案内させていただきます。

放心状態のまま、あと一週間ほどで帰国です。

不法移民として、ヨーロッパを目指す親族たち

この夏のシリア難民の取材では、海を渡りヨーロッパを目指す難民が周りにも増えてきたことに驚かされました。その波は親族にも。

シリアに向かう直前に取材した親族たちは、(不法入国という手段で)すでに海を渡り、ギリシャに上陸し、イタリア方面へと向かう難民の道をゾロゾロと歩いています。現在ギリシャを通過し、マケドニアのあたりまで。

(トルコ南部オスマニエに小さな商店を経営していた義兄の一人。トルコでは、年々シリア人への排斥感情が高まり、トルコ人に店のガラスを割られたり、万引きされたりなど嫌がらせを受けていた。)

こうした難民の動きについて、取材をしながら私は複雑な思いを抱いていました。しかしシリアで人々の内情を目にしたことで、その考えも変わりました。

彼らが本当に安心して帰られる故郷はすでになく、新たな生活を築こうと努力したトルコでも、差別や難民帰還政策の進行(トルコ政府は、380万人ほどいるシリア難民のうち100万人ほどを半ば強制的にシリア北部に帰還させる計画を進めている)により将来が見通せません。

誰もが、人間としての尊厳をもって生きることを望んでいます。例えそれが非合法的な手段であっても、安全と安定とをより見出せる場所へと、難民たちは向かおうとしているのです。

(店ではアラビア語で表記されたシリア産の食品や生活雑貨を扱い、客層はほとんどシリア人。トルコ人の経営する商店やスーパーよりも安く買い物できる。トルコ人はトルコ人の経営する店に、シリア人はシリア人が経営する店で買い物する傾向があり、売られている商品も異なる。)
(客は店主に声をかけ、棚から品物を取ってもらうスタイル。狭い店でも品揃えを豊富にしていた。)

不法移民として移動していくシリア難民の存在を考えるとき、彼らがシリアで何を経験したかを考えるべきではないでしょうか。シリアでこの11年、何が起きてきたのか。それに対し、国際社会がどう動いてきたのか。

シリアから大量の難民が生まれ、さらにこうした難民たちが不法移民としてヨーロッパを目指し、国際社会として対応に追われる背景には、シリアで繰り返されてきた、非人道的行為を直視してこなかった国際社会の責任もあるのではないでしょうか。

私は、どこもかしこも穴だらけになり、屋根も壁も崩れ去ったコンクリート製のパルミラの家々、廃墟になった街を目にして絶句しました。これだけの凄まじい空爆に、それも自国政府による攻撃に、市民が晒されてきたのかと。

シリアにて、人々が難民となっていったその始まりの土地、「ゼロ地点」に立ったことは、難民の存在について考える上で、深い気づきを与えてくれました。

(アラブ菓子も販売している。シリア人によって作られたパンやヨーグルト、お菓子、漬物、バターなどを売る。)
(客がいないとき、売り物のお菓子を堂々とつまみ食いする(お茶目な?)義兄。しばらくして見ると、お菓子がかなり減っていた。)
(商店の経営は安定しており、収入も平均的なトルコ人以上にあったが、反シリア人感情の高まりと、今後のトルコ政府の(シリア難民への)政策不安から、トルコを離れることを決めた。)

チャンスを待ち続ける〜シリア取材5日目・前半〜

警察に直訴

パルミラのムハンマドたちの家に来て以来、私はシリア警察の監視下に置かれていた。宿泊先の親族の家ではほぼ軟禁状態で、警察に指示を受けた住民が私を監視するという事態が起こっていた。

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「取材中間報告」の不手際のお詫び

昨日9月1日は、「取材中間報告」をズームにてさせていただきましたが、インターネット接続が不安定になり、なんと私が突然zoom上から消えていなくなり、5分後に戻ってくるという大変なことが起きてしまいました。たくさんの方々に参加いただいたのに、本当に申し訳ありません。

zoom接続をしたのはトルコ南部オスマニエのカフェで、事前に一度、ズームの接続の確認をしていたのですが、不十分でした。

インターネット接続が不安定となり、zoom自体が突然消えてしまった後、再びそのページに戻ろうとしましたが、サインインすると、こんな表示が。

「まもなくホストのYuka Komatsu さんから許可されます」

そのホスト(zoom ルームの主催者)が自分なのだけど、ホスト自体がこうしてドロップアウトしてしまったら、入室が許可されず・・・。こうした場合、どうしたら良かったのか考えさせられました。こういうときのために、ホストを一人、日本からお願いすれば良かったかもしれません。とにかくえらい事態で、皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。

その後、zoomにサインインするのではなく、新しいzoomページを開いたところ、突然元のページに繋がり、戻ることができましたが、参加された皆様にとって前代未聞のことだったと思います。

また、写真ページの切り替えにかなり時間がかかってしまったりと、トーク自体もゆるゆるになってしまい、課題が多く、申し訳ないトークイベントになりました。

再度、インターネット接続のより安定したところで自分で報告会をやり直し、録画したものを、後日、有料会員の皆様と、参加いただいた方々にお送りします。内容ももっと深めて整理します。

不手際が多く、本当に申し訳ありませんでした!

取り急ぎ、お詫びさせていただきます。

小松由佳

子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました

<こちらは前回の続きです>

シリアのアレッポ出身のシリア難民、ムスタファ・カービースさん。2017年にトルコに避難して以来、空爆の後遺症や脳腫瘍の治療で満足に働けない日々が続いていましたが、今年に入って少しずつ体調が安定してきたとのこと。

かつてシリアで壁塗りの職人として働いていた経験を生かし、トルコでも同じ仕事を始めました。今月半ば、その様子を見せていただきました。

トルコでは壁塗りの仕事は「ボーヤ」と呼ばれます。トルコ南部の家屋のほとんどはコンクリートブロックを積み上げて造られ、部屋の壁には石膏が塗られます。

石膏は、湿度や寒暖の差などによって時間が経つとボロボロになります。こうして壁が剥がれ出したら、壁塗りの職人を呼んで塗り直してもらったり、または自分達で壁塗りをします。

この日、ムスタファさんが依頼されたのは、築40年の家の居間の壁塗りです。仕事はまず、壁の状態を確認するところから始まります。穴は空いていないか。剥がれやすいところはないか。そうして、剥がれそうな箇所を削り、表面を滑らかにします。

その後、粉に水を混ぜてよく練り上げたドロドロした石膏を、凸凹している箇所に塗っていきます。

少し乾かしたら、今度は白い塗料をその上に塗ります。トルコ南部では、壁の色は白、薄い黄色や青が多いとのことですが、今日はこの家のオーナーのリクエストで白い色を塗ります。

ムスタファさんに出会って4年。私はムスタファさんの仕事姿を初めて見ました。そして、シリアで壁塗りの職人として働いていたという、その丁寧な手仕事に感動しました。

手の動かし方、足の運び方、塗料の混ぜ方や塗り方にも、無駄がない。まさに職人の仕事でした。そしてムスタファさんが、戻りたいと切望していたこの仕事に戻れたことが、本当によかった!と思うのでした。

かつてシリアでは、10人ほどの弟子を抱え、イラク方面にまで車に乗って仕事に出掛けることもあったというムスタファさん。10代から40年以上この仕事をし、アレッポでも壁塗り職人として知る人ぞ知る存在だったようです。現在は、シリアでの空爆の後遺症や腎臓病、脳腫瘍の術後の痛みなどがまだあり、体調によっては一週間ほど休まなければいけないようですが、壁を塗りながら、「働くことはとても美しいこと」と、にっこりされていました。

「ボーヤ」の仕事は職人の仕事なので、トルコ南部での平均的なシリア難民の収入(日給にして約100〜150トルコリラ。日本円にして約800〜1200円)より高い報酬が得られるとのこと。ムスタファさんによると、4〜6時間ほど働いて、200トルコリラ(2022年8月現在、日本円で約1600円)の報酬をもらえるそうです。

しかし同じ仕事をしても、トルコ人であれば400〜600トルコリラを得られるのに対し、シリア人であるムスタファさんは、支払われる金額は半分以下とのこと。どんなにいい仕事をしても、シリア人ゆえに収入がいつも安価に支払われ、安価な労働者として扱われるのがとても残念とのことでした。

加えて、現在のトルコは昨年と比べて二倍以上の物価高。壁塗りの仕事を一生懸命やっても、6人家族(妻と4人の娘たち)の生活を維持するのは精一杯とのこと。収入は食費と家賃でほぼ消えてしまうそうです。それでもムスタファさんは、こうして再び壁塗りの仕事ができるようになって、本当に嬉しいと話していました。

ムスタファさんの素晴らしいお仕事を見せていただきましたが、こちらも子連れパニック撮影。写真をよく見ると(よく見なくても)子供たちが乱入して、ムスタファさんのお仕事をお手伝い(ご迷惑をおかけしている)している様子がわかります。

長男のサーメルは、ムスタファさんがせっかく綺麗に塗ったところを、塗り直して汚してしまったり、本当にご迷惑をおかけしてハラハラ。とにかく申し訳なかったのですが、仕事を依頼したのが夫の親族だったこともあり、なんとかなりました・・・。

長男のサーメルは、自分も大きくなったらこのお仕事がしたいとのこと。ムスタファさんから、「サーメル、ショゴル ボーヤ、クワイエス(サーメルは「ボーヤ」の仕事が上手だよ)」とお墨付きをもらいました!笑

ムスタファさんの職人仕事に感動した一方で、写真を撮っている時間より、ハラハラしながら子供たちを見守ったり叱ったりする時間の方が長く、あらためて子連れ取材の難しさを実感した一日でした・・・!涙

ムスタファさんが塗料を塗って綺麗にした壁を、目を離した隙に、長男がハケで塗り直して台無しにしてしまった!「アッ・・・!」と凍りつきましたが、ムスタファさんはまるで何も見ていないかのように、黙々と仕事を続けていました・・・。本当に申し訳なかったです。

20分おきにタバコを吸って休憩。
剥がれかけている古い石膏を削ぎ落とし、壁の凹凸を滑らかにする。
粉に水を混ぜて石膏を作る。硬さの加減は、経験上とのこと。

壁塗りを依頼した私の夫の親族の家(借家)。築40年。家賃は月額500トルコリラ(2022年8月現在、日本円にして約4000円。台所の一室を含め、8畳ほどの広さの部屋が4部屋ある)。壁がボロボロ剥がれ落ちるようになり、壁塗りを依頼した。
午前11時、家の前のスペースの木陰にテーブルと椅子を出して、みんなで朝食。一般的にシリア人の朝食時間は10〜11時。
中央左は、粉チーズから作った伝統料理「キシック」に炒めたひき肉を載せたもの。その右側は、ひよこ豆のフライ「ファラーフェル」。その右は、ナスの油漬「マグドュース」。
ムスタファさんの仕事道具を奪い合い、喧嘩する子供たち。その合間に「やれやれ」とタバコを吸うムスタファさん。
石膏を混ぜて喜ぶ次男サラーム。「その手でママのカメラを触らないで〜!」と連呼するしかない状態だ。
ムスタファさんと壁塗りをする次男。ムスタファさん、仕事中にご迷惑をおかけして本当にすみません。
壁から剥がした古い石膏の破片。壁をしばらく塗っていない家では、破片がボロボロ落ちる。そうなると壁の塗り替えどきだ。
タバコを吸って一息つきながら、仕事の確認中。
窓の縁に立つムスタファさんの足。足の指の器用な使い方にも、職人技を感じた。
石膏を塗って壁の凹凸を滑らかに整える。

窓辺で一息。
窓辺で一息ついていたムスタファさんに、長男が乱入。やめなさい!
道具の組み立て方を教えてもらう長男サーメル。だんだんと長男の表情が真剣に。

ムスタファさんは現在、週に四日ほど壁塗りの仕事をしているとのことです。その仕事風景から、生活を再建し、ここに生きていこうとする静かな覚悟のようなものを感じました。これからも、この一家の姿を見つめていきたいと思います。

(2022年8月29日)

オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました

オスマニエにて、4年前より取材しているシリア難民、ムスタファ・カービースさんとその一家を訪ねました。一家はアレッポ出身、2017年に安全を求めてトルコに逃れてきました。

カービース一家は夫婦と4人の娘の6人家族。先祖代々、古代都市として知られるアレッポの中心街で暮らしてきましたが、2012年以降、アレッポでも空爆が激しくなり、2013年の空爆で自宅が倒壊しました。近所の仕立て屋で修行していた10代の息子2人が、空爆で倒壊した建物の下敷きになって亡くなりました。

父親のムスタファさんも空爆で背骨を負傷。家も仕事も失い、アレッポ郊外でテント暮らしをしながら流浪を続けました。困窮し、避難生活の厳しさもあって、ムスタファさんは腎臓病にかかりました。

2017年に運良くトルコ側に越境することができましたが(2016年以降、越境のために密入国業者に高額な費用がかかるようになり越境は困難に。カービース一家は、シリア国内で多くの協力者がお金を集めてくれ、越境が実現した)、ムスタファさんの脳に腫瘍ができていることが分かり、ひどい痛みに苦しむようになりました。

オスマニエの街に来て以来、ムスタファさんは路上の資源物を集めて売る仕事をしてきました。しかし収入は非常にわずかで、国際赤十字協会から難民に支給されるわずかな生活支援金で、一家はなんとか命を繋ぎました。

安全を手にしたものの、唯一の働き手であるムスタファさんが病気で動けなくなっていくと、一家の暮らしは困窮をきわめます。

そうしたなか、2021年4月にオスマニエを訪れ、ムスタファさん一家の暮らしを目にした私は、あるショートドキュメンタリーを作りました。

「#01 ムスタファと小鳥」

https://www.youtube.com/watch?v=WqnD401tI5U&t=2s

シリア難民がどのような重層的な困難さを抱え、何を感じながらどこに向かって生きているのか。それを、ムスタファさんの家族の視点から、多くの方に知っていただきたいと思いました。そして、少しでも生活の再建に役立てていただけたらという思いから、一家への生活カンパも募りました。

その後、皆様からたくさんの温かいお気持ちが集まり、本人の希望で、より効率よく資源物回収ができるためのバイクの購入ヘと繋がりました(皆様、ご協力いただき、どうもありがとうございました)。結果、バイクで資源物を集められるようになったことで、生活はより安定化したとのことです。

その後、脳の腫瘍の摘出手術をするため、ムスタファさんはアンカラの病院に向かいました。手術は無事終わりましたが、しばらくは痛みのために寝たきりに。今年に入ってから、ようやく資源集めの仕事にも復帰しました。

そして今年、一年ぶりにカービース一家を訪ねました。

ムスタファさんたちが暮らす借家に到着すると、子供たちが扉から飛び出してきました。一年の間にみんな背が伸び、すっかり大きくなった子供たち。ムスタファさんも顔色が良く、元気そうです。よかった!

ムスタファさんは、借家の屋上へと私たちを案内してくれました。そこには年月を経た立派なブドウ棚があり、黄緑色のブドウがたわわに実っていました。ムスタファさんは台の上に乗り、私たちのために、熟れたブドウをもいでくれました。ブドウ棚の下の木陰で、しばし憩いの時間。そのブドウの粒の甘かったこと!木漏れ日の美しかったこと!

みんなが元気で、一年ぶりの再会の喜びを噛みしめた、美しい時間でした。

「大きくなったね」。私の二人の子供たち、サーメルとサラームも、ムスタファさんにたくさん可愛がってもらい、バイクに乗せてもらってアイスクリームを買いに連れて行ってもらいました。

屋上のブドウ棚の下で。日差しが強いトルコ南部では、立派なブドウの木が至る所にある。この時期、ブドウやイチジク、スイカやモモなどの多種多様な果物を、人々はお腹いっぱい食べることができる。日本では考えられないくらい果実が豊富だ。
熟れたブドウをもいでくれるムスタファさん。涼しい風が吹く屋上は、家族の憩いの空間として使われる。暑いこの時期、屋上で眠る家族も珍しくない。
屋上へと案内してくれるムスタファさんと3歳のハラちゃん。
アイスクリームを買いに連れていってもらう。トルコ南部では車は非常に高価。人々の一般的な移動手段は、電動バイクか、ガソリンのバイクだ。6~8人ほど乗ることも珍しくない。
商店へ、行ってらっしゃい。

昨年、小鳥の繁殖で副収入を得ていたムスタファさん。今年訪ねると、そこに小鳥の姿はなかった。術後の療養中、世話が大変だったようで売ってしまったとのこと。代わりにあったのは子供たちの自転車だ(盗まれないよう家の中に入れてある)。一家の経済状態が良くなってきたことを感じた。

今年も皆で記念撮影。私の子供たちがじっとしていられず、年々撮影がパニックに。ムスタファさんも困り顔。なんとかならないものか・・・。

現在ムスタファさんは、資源物集めの仕事に加え、シリアで職人として働いていた内装工(壁塗り)の仕事も始めたそう。多い時には、週に4日働くこともあるそうです。シリアでのかつての仕事に戻り始めたと聞き、なんとも言えぬ温かいものが込み上げました。難民としての苦難の日々のなかでも、少しずつ生活が再建されています。

ムスタファさんを取材して今年で4年目。年々、一家の暮らしに余裕が生まれ、経済状態が改善され、何よりも子供たちの表情が生き生きしていくのを感じ(4年前、一家の子供たちはシリアでの悲惨な避難生活の経験から、笑うことがなかった)、本当に嬉しい限りです。

ムスタファさんの壁塗りの仕事は、トルコでは「ボーヤ」と呼ばれます。この「ボーヤ」の仕事を見せてもらうことになりました。

続きは次回、お楽しみに!

(2022年8月26日)

2022年8月のテレビ出演のお知らせ  

NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」2022年8月28日午前5時放送

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/E2JRQNVRR2/

NHKの番組のなかでも最も硬派な番組だとされる「こころの時代〜宗教・人生〜」に取材いただき、私の活動について取り上げていただきました。

「その人自身の言葉を、ここまで丁寧に扱う番組はほかにありません」と、担当ディレクターから聞いております。インタビューは、トルコ取材の出発直前に、都内にてじっくりと行なわれました。

私の活動や思いを番組としてご紹介いただき、大変光栄です。とても嬉しかったのは、担当ディレクターのKさんが、私の故郷の撮影のため初めて秋田を訪れ、秋田市郊外の懐かしい故郷の山々、田んぼの風景を写真で送ってくださったこと。

その時はトルコにおり、まさに体調不良の真っ最中でしたが、故郷の山に見守られているような、清々しい気持ちになりました。

番組の放送時間はなんと28日午前5時ですが、録画してぜひご覧ください。

9/1からは一週間、NHKのサイトから見逃し配信として、インターネット上でも視聴できるようです。

子連れパニック取材中です

子連れパニック取材になっています!

久しぶりの投稿となってしまいましたが、元気にシリア難民の取材を続けております。

トルコ南部のうだるような暑さ、暑さから来る毎夜の眠りの浅さに加え、このところ次男が赤ちゃん返りし、毎晩「バーバ(お父さん)が恋しい、会いたい・・・」と泣き止まず、夜も眠れず・・・!涙

疲れと食事の違いから来るカルシウム不足からか、ビスケットを食べたら私の歯が2本、突然欠けました・・・!涙

取材も、想定していたけれどやはりパニック取材。ここぞという撮影のタイミングで、子供たちが被写体に乱入したり、オシッコを漏らしたり、取っ組み合いのケンカをして被写体の家族に怒られたりと、てんやわんや。

3歳と6歳の子供を連れながらの取材は、「大変」という領域を超え、もはや、いかに不可能を可能にしていくかという、未知への挑戦の領域に入っております・・・。

この10日ほどは、あるプロジェクトのため、トルコ・シリア国境のレイハンルに行ってきました。

レイハンルでは、2015年以来取材を続けているジャーラッラー・ジャーラッラーさんにお会いしてきました。今年に入っての大変な物価高で、生活に苦労されている様子。詳細は後ほどまたご報告します。

写真は取材後の記念撮影。子供たちがじっとできず、記念撮影を撮るのも一苦労。取材中は、ジャーラッラーさんの二人の子供と私の二人の子供が家の中を走りまわって大暴れ。子供たちの叫び声が響くなかでの、てんやわんやの取材でした。

オスマニエ、レイハンルでの取材の様子を、まもなく更新していきます。パニック取材はまだまだ続きます・・・。

ジャーラッラー・ジャーラッラーさんは、シリアのパルミラ出身。2015年にパルミラにISが侵攻した際、IS兵士から電気ショックの拷問を受け、脳にダメージを負い、歩行が困難になりました。その後、トルコにて電気ショックの事故に遭い、胸から下の感覚がない状態が続いています。理学療法のリハビリを受けて手足の感覚が少しずつ戻っていましたが、コロナ禍によるリハビリの中止により、再び感覚が無くなっているとのこと。レイハンルでは、症状を改善するための検査や効果的な治療を受けることができず、生活が困窮しているなかで日々を過ごしています。ユニセフによる障害者枠でのヨーロッパ渡航、治療・リハビリを希望していますが、5年前から申請しているものの、申請者は膨大な数にのぼり、難しい状況です。このレイハンルで暮らし続けることに不安を抱いている日々です。

(2022年8月22日)

ヨーロッパを目指すシリア難民 〜取材で感じたモヤモヤと裏話〜

先日、ショートドキュメンタリー「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1 」(https://youtu.be/duDgO191sEI)を制作しました。ヨーロッパでの生活を目指し、密航に向かうシリア難民を取材したものです。

今回は、その取材をしながら考えたこと、感じたことをオーディオプログラムにてお話しました。ヨーロッパを目指すシリア難民の動向に驚きつつも、正直なところ、ちょっとした違和感も感じています。それは、ヨーロッパを目指すシリア難民のほとんどが難民として富裕層であること、生活水準の向上を目指してヨーロッパへ密航していくというあり方についてです。現場で目にし、感じたモヤモヤを語ります。

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「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1」を制作しました!

いま、トルコに暮らすシリア難民には、昨年までとは違う大きな動きが起きています。

先日の投稿でご紹介しましたが、急激な物価高、反シリア人感情の高まり、トルコ政府によるシリア人帰還政策進行の動きなどにより、低所得労働者としてなんとか生活を維持してきたシリア難民の多くが、トルコでの生活を諦め、ヨーロッパへと密航しようとしています。

すでに私の親族の中でも、この1ヶ月で数人が旅立ちました(いずれもギリシャやトルコの海上保安警察に捕まり、トルコへと送還されましたが、成功するまでトライし続けるとのことでイスタンブールに滞在しています)。
飲水が入手できず、船や歩きの移動の途中で熱中症のため死亡したシリア人の話も聞いています。それでもリスクを覚悟しながら、人々はヨーロッパを目指します。

こうしたシリア難民の姿を、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思い、どういった表現法が良いのか考えました。結果、写真表現より情報量の多い動画という手段で表現を試みることにしました。

写真表現はその瞬間を切り取ることで、見る側に想像力をかきたて、それぞれが時間をかけてイメージを醸造するという手段です。一方、動画表現は、流れている時間をそのまま示すことで、より具体的で明確なテーマを見る側が感じることができます。

私はフォトグラファーとして写真の力の素晴らしさに魅せられ、それを信じていますが、写真表現だからできることと、動画表現だからできることがあるように思うのです。

そしてフォトグラファーだから写真表現だけにこだわるのではなく、伝えていくためには、(活動のベースは写真表現ですが)さまざまな方法を試みたいと思っています。今回はシリア難民をめぐる流動的で劇的な状況をより身近に、感覚的に感じていただけるよう、動画として彼らの姿を切り取ってみようと思いました。

そこでまず制作したのが、ショートドキュメンタリー「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」です。徹夜気味になりながら作りました!

こちらは「海をわたるシリア難民」というシリーズで、何回かに分けてご紹介したいと思います。動画制作を始めたばかりで技術的に未熟ですが、経験を積み、表現を磨きたく思います。

今、シリア難民に何が起きているのか。彼らが何を思いながら、難民としてそこに生きているのか。動画から、それぞれに何かを感じ取っていただきたく思います。

シリーズの1回目は、2日後にヨーロッパ密航へと出発するシリア難民のインタビューです。

出発が近く忙しいとのことで、インタビューに許された時間は一時間のみ。緊張しながらの取材でした。

「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」
https://youtu.be/duDgO191sEI

また、こちらの動画や制作についての裏話を、まもなくこちらの「HP有料コンテンツ」にてご紹介します。シリア難民の抱えるさまざまな問題などを、シェアさせていただけたらと思います。

(2022年8月11日)

今年も8月6日と8月9日を迎えて

20世紀ジャーナリズムの最も重要な一冊とされる本がある。米国のジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』だ。

1945年8月6日、広島に、そして8月9日、長崎に原爆が投下された。米国では、戦争の勝利に人々が熱狂するも、原爆が市民の上に落とされたことや、そこで何が起きているのかを全く知らされることはなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。

こうしたなかにあって第二次世界大戦の激戦地を取材してきたジョン・ハーシーは、極秘にヒロシマを取材。さらに米国政府や軍部の検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌においてヒロシマの惨状を被爆者の視点から明らかにする。その内容に人々は驚愕し、原爆による人体への被害について初めて認識されていった。

 2021年に集英社から発刊された『ヒロシマを暴いた男』は、このジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』が、どのように生まれたのかを描いている。ヒロシマの真実を伝えることで、核兵器使用の実態を世界に問うた、米国人ジャーナリストの戦いの記録であり、私たち日本人が知らないヒロシマをめぐる物語だ。

以下は、2021年10月に信濃毎日新聞様に掲載いただいた書評です。今年も原爆の日を迎え、昨年執筆した『ヒロシマを暴いた男』の書評を読み返し、ここにご紹介させていただきたいと思います。

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『ヒロシマを暴いた男』(レスリー・M・M・ブルーム / 集英社)

( 2021年10月信濃毎日新聞様 書評 執筆:小松由佳 ) 

1ページ目にあるのは原爆投下直後の広島の写真だ。そして次のページには、日本の降伏を祝い、熱狂する200万人の米国市民の写真がある。ほぼ時を同じくして撮られた、対照的なふたつの国の光景から本書は始まる。

 1945年8月6日、初めて戦争で使われた核兵器として、原子爆弾が広島に投下された。街は焼け野原となり、その年の暮れまでに推定28万人が死亡。生き残った人々も、長期にわたる深刻な放射線被害に苦しんだ。

しかし、それらの被害について米国では報じられず、人々は知る機会がなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。皆戦争に疲弊し、世論調査では回答者の85%が原爆の使用を是認していた。

そうした風潮の米国にあって、ジャーナリストのジョン・ハーシーは広島を取材する。

人間は敵の人間性を見失った結果、残虐行為に走る―というのが、太平洋戦争など第二次世界大戦の激戦地を取材してきたハーシーの教訓だった。そのため彼は、従来のような建物の被害や数字からではなく、6人の被爆者の視点から、被爆の経験や治癒しない傷、貧困や放射線後遺症に苦しむ姿を描いた。

その記事は、軍やGHQの隠蔽、検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌において「ヒロシマ」という記事で発表される。それは原爆の日本人犠牲者たちを「普通の人間」として描いた最初の記事であり、その内容に人々は驚愕し、共感を呼び覚まされた。

以来「ヒロシマ」は、ジャーナリズムの重要な一冊として世界中で読まれてきた。

晩年、ハーシーは述べている。「1945年以来、世界を原子爆弾から安全に守ってきたのは広島で起きたことの記憶だった」。

原爆投下から76年。地球上では核保有が進み、核の脅威はむしろ増すばかりだ。我々は、「記憶」という財産を未来に伝えることができるだろうか。

ハーシーが暴こうとしたものは、今日も私たちのすぐ近くに存在している。

ヒロシマとナガサキの記憶をはじめ、先人たちが歴史を検証し、語り継いでくださったおかげで、私たちは戦争の惨禍や核兵器の恐ろしさについて学び、次の世代へとつなげることができます。

歴史を検証し、語り継ぐこと。微力ながら、いつも意識をしていたいと思います。

ヨーロッパを目指すシリア難民

今日、取材先のトルコ南部オスマニエにて、甥っ子とこんな冗談を言い合いました。

「5年後、オスマニエに住むアブドュルラティーフ一家の半分近くがヨーロッパに行っているかも。10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」

半分は冗談だけど、まんざら冗談でもありません。
今やそれは、本当に彼らがそうありたいと願っていることなのです。

(シリア難民の生活スタイルは、11時頃に簡単な朝食(ファトュール)を食べ、16時頃に一日のうちで最も豪華な食事である昼食(ガダー)を食べ、夕食(アシャー)は20〜22時頃に、果物などの軽食を食べます。写真は夕食。スイカはトルコでは大変安く、どこの家でも大量に食べます。ブドウやイチヂクなども安価に大量に出回ります)

悪化し続けるシリア難民の境遇

今年トルコに来た私は、彼らの置かれている状況がこんなにも変わりつつあることに本当に驚きました。

少なくともトルコ南部のオスマニエの状況ですが、シリア難民のコミュニティのうち、かなりの人々が、トルコでの生活を諦めつつあり、ヨーロッパへの密航を実際に実行に移しています。

私の夫の親族だけでも、二週間前に密航した兄が一人、さらに今月中に密航する予定の親族が五人近くいます(先に一家の男性が一人で海を渡り、後から家族を呼び寄せる)。
今、彼らの気持ちはトルコにではなく、完全に海を渡った先のヨーロッパに向いているのです。そこでは、難民として保護を受けて生活を再建できる可能性があるからです。

コロナ流行直前の2年前(2019年11月〜2020年1月まで)、トルコで取材をした際の彼らは、ここに根を張り、安定した暮らしを実現することに希望を見出していました。言葉や民族の違いも、トルコ人からの差別もありましたが、それでもシリアと陸続きで、シリアの文化の匂いを多少感じるこの地で、新たな日常を築きたいと語っていました。

(郊外に建てたアブドュルラティーフ一家のムハンマド兄の家。周囲では牛を飼っている。ニワトリも放し飼い)

ところが、その後のコロナ禍と、トルコの経済政策の失敗で(一年間で物価が二倍近く高騰)、シリア難民の置かれた状況はますます悪化していきました。

彼らにとってトルコに暮らすということは、物価高騰の中での貧困と、日々の差別と、労働条件や権利などのトルコ人との完全な区別の中で生きるということ。さらに来年の大統領選の結果次第では、シリア人に対して強硬な帰還政策が取られる可能性があります。先行きは不安ばかりです。

私の目には彼らが、シリア難民としてトルコ社会での複雑さと困難さに向き合い、苦労を重ねることに疲労感とあきらめを募らせているように感じられます。彼らはギブアップしつつあります。

(草地で憩う子供たち。次男がごねて暴れている!)

三つの選択肢

実際、トルコ南部に暮らすシリア難民には選択肢が三つしかありません。

一つ目の選択肢は、シリアに帰ること。そこには電気や水道もほとんどなく(電気、水道ともに平均して一日1〜2時間のみ)、子供たちは教育を受ける場もほとんどありません。人々は飢え、寒さや暑さに苦しみながら、命を繋ぐための最低限の暮らしを送るしかありません。

二つ目の選択肢は、このままトルコに留まり、貧困やトルコ社会からの区別、差別に耐えながら、模索を続けることです。自分たちの世代はもちろん、子供たちの世代も同じ問題に直面することになるでしょう。

そして三つ目の選択肢は、密航という(命を失うかも知れない)リスクを負い、大金をかけ(密航業者に支払う額は、2022年8月現在で一人約5000〜6000ユーロ)、ヨーロッパに渡って難民としての保護を受けることです。そこでは自立のためのプログラムが整備され、職業も紹介してもらい、安定した生活に向かうためのプロセスが保証されています。

どの選択肢が、最も未来に光を感じるでしょうか。皆さんだったらどうするでしょうか。
私が同じ立場だったら、三番目を選ぶでしょう。
人間は、希望に向かって生きている存在、誰もが明るい方向を目指していきたいのです。

この11年間のシリアでの戦乱で、離散と避難を繰り返してきた人々にとり、希望をもって選び取ろうとしている唯一とも言える選択肢が、「ヨーロッパへの密航」なのです。

(隣に住むシリア難民の男性に、馬に乗せてもらう長男。馬で野をかけ放題だ!地方出身のシリア人の男性は、普通に馬に乗れる人が多い。)

こうして、ヨーロッパへと一人、また一人と出発しようとするシリア難民の親族のなかに、私は滞在しています。まさに今、時代が流れていることを肌で感じ、シリア難民の歴史の一端を目の当たりにしています。

「10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」。

だから冒頭で書いたその冗談は、あながち冗談ではないのです。
なぜならそれは、すでに彼らの新しい夢になりつつあり、現実に身近な人々が、海を渡り始めています。

人間としての尊厳を求めて

私はそうした彼らの姿に驚き、ショックを受け、そして寂しさを感じています。シリアが内戦状態になる2011年以前、砂漠でラクダを放牧して生きていた彼らの暮らしがどんなに生き生きしていたか。その頃の彼らの姿が、今も胸に宝石のように光っています。

一方で、シリアから隣国トルコへ逃れた彼らが、シリア国境に近い土地で暮らし、いつでも故郷に帰れるよう留まっていることを、私は心のどこかで勝手に期待していたのかもしれません。

しかし彼らは、今やシリアというルーツから遠く離れようとしています。海を渡り、より良い暮らしを送ることができるだろう土地へ・・・。

その彼らの姿を、私は一生をかけて見つめたいと、本心から思いました(これはきっと、イラクのオアシスにルーツを持つというアブドュルラティーフ一家にとり、「フン族の大移動」ならぬ、「アブドュルラティーフ一家の大移動」とも言える、一家の血脈的大事件なのです)。

現在夜中の3時。開けっぱなしの窓から外を見ると(全くと言っていいほど蚊がいないので、網戸はなくどこの家も開けっぱなし。しかし巨大女王アリなどがどんどん入ってくる)、赤やオレンジや白の、街の光がきれいに見えます。そのひとつひとつの光に、無数の人間の人生を重ねました。

人生を変えるため、身ひとつで見知らぬ彼方へと向かう親族たち。彼らを目の当たりにし、人は、「人間としての尊厳を抱いて生きていると感じられる場所」へ、どこまでも旅をし続けるのだと思いました。

(アブドュルラティーフ一家もパルミラでは馬を飼っていて、子供たちや男性は馬に乗っていた。夫の甥である写真の男性は、5歳から乗馬したとのこと)

歴史の一端を見つめる

街の光の中に、昨年この土地で亡くなった夫の父のガーセムを思い起こしました。物価高騰や反シリア人感情の悪化などの問題があるにしろ、間違いなく、一家の大黒柱であり、ゴットファーザーだったガーセムが昨年86歳で亡くなったことが、こうしたヨーロッパ大量密航の引き金になったのでしょう。トルコでの生活苦や密航への誘惑から一家を繋ぎ止めていたのは、ラクダの放牧業を営んで大家族を作り上げたガーセムの存在だったのです。

アブドュルラティーフ一家の旅は、まだまだ続いていくのです。そしてシリア難民の取材にやってきた私は、なんと次々に旅立つ彼らを見送る立場としてここにいます。もう、ゲロゲロ事件を起こしている場合ではないと本気で思いました。ここで起きていることを、歴史の一端を、目を見開いてしっかりと見つめてきます。

一人、しんみりして涙が出そうです。こんな日はハーゲンダッツの抹茶アイスが食べたい・・・。なんという取材の日々でしょう・・・。

(この家では牛を飼い、絞ったミルクを火にかけてヨーグルトを作っている。一家の収入源だ)

シリア難民の、海を渡るという選択

トルコにシリア難民の取材に来て半月が経ちました。

2022年夏、シリア難民が直面しているさまざまな問題と、「ヨーロッパ密航」の選択について、20分ほどのオーディオプログラムとしてお話ししました。

シリア難民の置かれた厳しい状況を理解しながらも、彼らの選択のあり方への葛藤も、公には語りにくい私見を語りました。表現者としては、多角的な視点をもって皆様にお伝えすることを大切にしていますが、個人としての思いを語ります。

<オーディオプログラムは、以下のURLよりご視聴ください>

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トルコでのコロナの影響は?

日本では爆発的に新型コロナの感染者が増えているとのこと。トルコではコロナはどうなっているの?と質問されることが多かったので、ご紹介したいと思います。

7月半ばの渡航時、飛行機乗り換えのアブダビやイスタンブールの空港では、すでに人々の半分ほどがノーマスクでした。

さらにトルコ南部に来ると、街中でも、公共の施設内でも、ほとんど誰もマスクをしていません。

オスマニエ郊外の道端で、ビー玉遊びをするシリア人の子供たち。トルコでは子供に人気の遊びだという。
ビー玉をペットボトルに入れ、大事に持ち歩いていた少年。

驚くべきは、先日、感染症にかかってオスマニエの総合病院に行きましたが、医師や看護師などの医療従事者までもがノーマスクか、口マスク(口だけマスクをして鼻にはマスクをかけていない)が圧倒的。診療に来ている患者も、ほとんど誰もマスクをしていません。

トルコでも、コロナの感染者は一定数いると思いますが、もうあまりコロナを気にしてはいないようです。その大きな理由が、自粛に疲れたことと、コロナ対策の失敗による経済の疲弊が深刻であることが挙げられるようです。

コロナ全盛期の昨年4〜6月、例年通りトルコで取材を行い、コロナ禍のトルコを体験しました。その頃はイスラム教徒の断食月ラマダンもあって感染の爆発が懸念され、厳しいロックダウンが行われていました。

例えば、外出時には必ずマスクをしなければならず、土日の外出、夜20時以降の外出も禁止で、違反すると月収に相当するほどの高額な罰金が課せられました(しかし実際人々は、家の中では不特定多数がいてもノーマスク。また土日や夜も、警察のいない道からぞろぞろと建物の影に隠れながら移動し、親族訪問をしていました)。

こうしたなか、コロナ禍で多くのビジネスが破綻し、失業率が非常に高まっていきました。そして9〜12月にかけて、4回にわたるトルコリラの「利下げ」が中央銀行によって行われ、トルコリラは大暴落。物価が昨年と比べて2倍ほどに値上がりしました。

コロナ対策は失敗したとされ、人々はコロナの自粛生活に飽き飽きしているようです。そしてコロナ以上に、上昇した物価の中でどう生活を維持していくかが、人々にとってはるかに大問題なのです。

というわけで、トルコではもはや、コロナを気にする人はあまりいないように感じられます。道路脇のチャイハネ(喫茶店)でも、杖を手にしたお年寄りたちが、ツバを飛ばしあってトランプゲームやおしゃべりに興じています。

お気に入りの青いビー玉を見せてくれる少年。
ビー玉遊びに興じるシリア人の子供(と乱入する私の子供たち)。子連れ取材の苦労の一つは、子供が被写体と仲良くなり、どうしても写真に写り込んでしまうことだ。

実際、私たちもコロナをめぐってこんなことがありました。先日、感染症にかかってゲロゲロ事件が起き、長男が病院で検便をしました。

その結果、腸から「コロナの友だち」のウィルスが見つかったそうで、ちょっとした騒ぎに(医師は「Friend of Corona」が見つかったと話し、そのときだけ、私たちの前でマスクをつけ、私たちが部屋から出るとすぐにマスクを外しました!涙)。

急遽、PCR検査を受けることになりました。その頃体調が悪かった長男が代表して受けたのですが、内心私は気が気ではなかったのです。
親族は頻繁に交流し合う大家族。泊まらせてもらっている夫の兄の家族はもちろん、オスマニエに暮らす親族100人近くが全員感染という大変な事態になるかもしれない。中には高齢者もいるし、どうしよう・・・。

不安を夫の兄に話したところ、「問題ないよ。一緒にコロナを広げていこう」と、冗談とも本気ともとれぬことを真顔で言われ、なんとも反応に苦慮したということがありました。そしてこれが、シリア人がどんなときにも大事にする「ユーモアのセンス」(アラビア語で「ノクタ」と呼ばれる。「冗談」を指す)なのだと後から思いました。

親族も、私たちがコロナかもしれないという事態に戸惑ったはずです。しかし、〝とりあえず今は笑い飛ばして気にしない〟、というのがいかにも彼ららしいなと思いました。起きていないことをくよくよ考えてもしょうがないのです。

シリア人の家族を持って日々感じるのは、彼らは計画性を持って何かをすることがあまりない一方で、何かが起きる前から物事を不安に考えたりすることもないこと。ことが起きてから、その時に考えればいいと捉えているようです。過去でも未来でもなく、常に今を生きている人々なのです。

その後、PCR検査の結果が4日後に出て(非常に時間がかかる)陰性とわかりホッとしました。

コンクリートブロックを積んで建てられているオスマニエの家。多くの家には庭があり、イチジクやザクロ、オリーブの木々が生えている。

現在はコロナのほか、サル痘などの感染が広がりつつありますが、私たちにとってこのトルコ南部で最も警戒しなければいけないのは、やはり先日かかってしまったような食物から来る感染症です。一週間繰り返した下痢と嘔吐は、近年経験したことのない大変な事態でした。

引き続き、体調管理に努めながら取材を続けます。

7月終わり、陽が落ちるのは20時頃。その頃から涼しくなるため、人々はベランダや屋上で涼んだり、親族や知人の家に訪問へ行ったりと、ゆったりした夜を過ごす。子供たちが24時近くまで路上でサッカーをしていることも。

トルコで今、シリア難民が直面していること

トルコに来てから感染症にかかってダウンしていましたが、ようやく回復してきました。療養中は、シリア難民の一人である夫の兄ワーセルの家でお世話になりました。シリア難民のコミュニティの中にいると、枕元でも、日々彼らの身に起きているさまざまな情報が入ってきます。

トルコでは、なんとこの一年間で物価が2倍に高騰

例えば、昨年と比べてトルコの物価がいかに高騰したか、深刻な危機感を現地の人々から感じています。

トルコでは、昨年9月から12月にかけて中央銀行が4回の「利下げ」を強行に実施したため、トルコの通貨リラが大暴落(昨年12月の物価上昇率は36%)。トルコリラは、一年でなんと半分以下にまで下がり、インフレが止まらない状況に国内各地で抗議運動が起きています。こうしたなか、トルコ社会の最底辺で生きているシリア難民の生活苦も限界に達しつつあります。

(*リラ暴落を受け、トルコ人労働者には給与の値上げがされたが、ほとんどのシリア人には行われていない)

(シリア人が主食とする薄いパン「ホブス」は、昨年の今頃は、8枚入りで2.5リラ(約18円)。現在は6枚入りで4.5リラ(約36円)に値上がり)

(卵は昨年30個で16リラ(約130円)。今年は48リラ(約400円)に値上がり)

(ヨーグルト4キロで昨年は4.5リラ(約33円)、今年は12リラ(約110円)に値上がり)

トルコ人による反シリア人感情も高まっている

また、こうした物価高騰や失業率増加のなかで、トルコ人による反シリア人感情が高まっています。シリア人への差別や攻撃も増加しており、シリア人を見れば、「シリア人はシリアに帰れ」とおもむろに言われることも増えたとのことを親族から聞きました。

イスタンブールやガズィアンテップ、イズミルなどの大都市では、差別を受けたシリア人とトルコ人との衝突により、死者が出る事件もたびたび起きています。滞在しているオスマニエの親族の家の前でも、つい数日前、シリア人の子供がトルコ人の子供に恐喝を受け、ナイフで切りつけられて怪我をする事件が起きました。周りのトルコ人の大人たちはそれを止めなかったとのこと。

(夫の兄がオスマニエで営む小さな商店では、シリア人への嫌がらせとして、店が焼き討ちにあったり、ガラスを割られたりする事件が起きた)

親族によれば、学校でもシリア人の子供がトルコ人の子供に嫌がらせを受けたり、差別される機会が増えてきたとのことです。

2023年のトルコ大統領選の結果によっては、シリア難民の状況はますます厳しいものになりそう

こうしたなか、来年は現エルドアン大統領の再選をかけた大統領選挙が控えています。

高インフレでエルドアン大統領の支持率が低迷しているのを受け、野党は6党で共闘し、約20年ぶりの政権交代を目指しています。

これまでシリア難民の受け入れに比較的寛容な立場をとってきたエルドアン大統領ですが、庶民の生活が圧迫されているトルコでは、400万人超のシリア難民を受け入れ続けることへ不満が噴出しています。こうした不満に応える形で、エルドアン大統領は今年5月、100万人のシリア難民を(現在トルコに暮らすシリア難民の四分の一)母国に帰還させる計画を公表しました。現在、シリア北部のトルコ占領地に、住宅やインフラ建設を進めています。

しかしエルドアン大統領の支持率は大幅に下落したままで、来年の大統領選で負けるかもしれないという見方もトルコでは有力です(報道では、勝率は五分五分とのこと)。

仮にエルドアン大統領が選挙で負ければ、新しい大統領になるだろう野党の候補者は、シリア難民の帰還政策をより強硬に押し進めるとされており、シリア人の苦境はますます加速していきそうです。

「もしエルドアンが負けたら、自分たちは一秒もトルコにいられなくなる」。夫の兄ワーセルはそう話し、不安を隠せない様子です。

(物価の上昇から、シリア人の多くが食費を極端に切り詰めている。こちらは親族の家のある日の昼食。炊き込みご飯と豆のスープ「アダス」。肉は高いので、特別な時だけしか食べない)

シリア難民にとり、トルコはシリアと言葉や民族も違い、職に就くのも困難で、シリアより2倍近く物価が高い国です。もともと困難な状況下でなんとか生活を維持してきたのですが、一昨年からのコロナ禍による不況、さらに昨年からの物価の高騰が続き、差別も増えたうえ、政策上でもシリア人の帰還が進められるとなると、ますます追い詰められていくことになります。

追い詰められるシリア人の、最後の選択肢

こうした流れを受け、多くのシリア人はこの先もトルコに暮らすことに希望を持てず、先手を打ち始めています。その一つの形が、ヨーロッパへ渡るという選択です。

イタリアやドイツ、スウェーデン、オランダ、イギリス、スイスなどのヨーロッパ諸国では、国境までたどり着いて「難民」として登録されれば、生活の保証と自立に向けたプログラムを受けることができます。こうした国々では、難民という立場の権利から、将来的に家族を呼び寄せて、安定した生活を送れる可能性が高いのです。

多くのシリア難民にとって「ヨーロッパへ渡る」ということは、密入国業者の手を借り、不法に海を渡ることを指します。

それはまず、安全面で非常にリスクが高い行為です。また密入国にかかる費用は信じられないほど高額です。それでも、行き場がなくなったシリア人は、海の向こうに希望を見出して、不法にヨーロッパを目指すのです。

こうした動きは、最近になって激増しており、私の親族の中でも起きています。

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ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。

(作ってもらった自家製マヨネーズを茹でジャガイモに混ぜて、喜ぶ子供たち。4日間のジャガイモと塩だけの食事の後で、マヨネーズがこんなに美味しい食べ物だと強烈に実感)

トルコに来ていきなり親子三人ともにお腹を壊し、ほぼ寝たきりになっている日々。この5日間はほとんど、お腹と家計に優しい「茹でジャガイモ」だけを食べ続けています。こんなにジャガイモばかり食べ続けたことはなかった、というくらいジャガイモだらけです。

塩をふった「茹でジャガイモ」だけの食事にも飽きが出てきたところで、泊めてもらっている家(夫のお兄さんの家)のお母さんが、ジャガイモにつけ合わせるマヨネーズを作ってくれました。

(左が自家製マヨネーズ。茹でジャガイモを潰して混ぜると、これだけで素晴らしいご馳走だ!)

シリアでは、マヨネーズは買うものではなく、自分の家で作るもの。このマヨネーズが、ニンニクが効いていてとても美味しいのです。レシピをご紹介します。

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【シリア風自家製マヨネーズのレシピ】

〈材料〉
・卵白2つ分
・ニンニク1〜2かけら(お好みの量で)
・塩ひとつまみ
・サラダ油(卵白の量の半分くらい、お好みの量で)

〈作り方〉
全部をミキサーにかけて混ぜるだけ。あら簡単!できたマヨネーズは冷蔵庫に入れて、早めに食べましょう。

日本で一般的なマヨネーズは卵黄を使って作られるようですが、シリアのマヨネーズは卵白が主役の白いマヨネーズなのです。ニンニクが効いており、鶏肉のローストや、フライドポテトによく合います。是非お試しあれ!

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(食欲も少しだけ回復してきた)

ところで本題の体調ですが、私と次男が回復してきたものの、長男がなかなかよくならず、ひどい下痢と嘔吐が続いています。

長男は病院で処方された薬を飲んだところ、全身に赤い発疹ができました。翌日その病院に行って相談したところ、薬によるアレルギー反応と言われ、特定の薬を抜くように指示されて抗アレルギー薬を注射、発疹が引きました。

ところが翌日、再びひどい発疹が全身に。病院に行くと、抗アレルギー薬を注射され、新しい薬を処方されました。ところが翌日になると、さらに薬アレルギーと思われる赤い発疹が。長男の体は腫れ上がりました。

この病院は薬のアレルギー反応にあまり注意を払わないようだったので、別の病院へ。事情を話したところ、そこでも抗アレルギー薬の注射と、全く別の薬の処方をされました。

ところが翌日、なんとまた、長男にまた赤い発疹ができ、熱も上がりました。

新しい薬の処方と、アレルギー反応と、抗アレルギー薬の注射。同じことが3回も繰り返され、長男の体は点滴と抗アレルギー薬の注射の連続でダメージ大。赤い発疹がなぜ出たのか、何のアレルギーなのかを知りたいのですが、医師たちは薬をどんどん変えて新しいものを出すだけで、長男に処方された薬は、最初の病院のものを含めると11種類にも及び、その診療のあり方に疑問を感じ始めました。

長男にとっては、下痢よりも、薬によるアレルギー反応のほうがむしろ重篤で、処方された薬を飲めば飲むほど体調が悪くなって、衰弱していきました。

そこで考えた末に、処方された薬の服用を全てやめることにしました。日本から持ってきた最低限の薬(腸の薬ビオスリー)と、自家製ポカリスエットを飲んで水分補給し、ゆっくり休むよう、計画を切り替えようと考えています。
以下、その判断について(かなりマニアックです)。

・検便の結果、長男の腸の中でウィルス感染があると分かっており、ウィルスの場合、抗生物質は効かない。よって抗生物質の服用はなし。

・処方された薬について知人の元看護師に問い合わせし、以下が分かった。感染による下痢には勧められていない2種類の薬、吐き気止め「メタパミド」と下痢止め「トリブダット」が処方されていた。通常は、感染からの下痢は菌を出す方がいいと考えられ、理由なく下痢を止めることはされない。飲まない方が良し。
また、高熱がある時は服用不可と説明書に書いてある下痢止め「Gisflor」が処方されている。さらに抗ヒスタミン(アレルギー薬)「Deloday」は、12歳以下の子供への使用の安全性が確立されていない。服用が不安。

・たび重なる薬のアレルギー反応と、抗アレルギー薬注射への体への負担を、医師があまり丁寧に考えていない。また同じアレルギー反応が起こることへの不安が大きい。

医療について、土地が変わればそのあり方も随分変わるものだと実感しつつ、自分たちの命を守る責任は、最後は自分たちにあるのだとしみじみ。

(泊めてもらっている親族の家の窓から、オスマニエ市街地を眺める。シルクロードの時代から栄えた歴史ある街で、周囲を山に囲まれている。朝夕は、鳩の群れが飛び交う)

そんなわけで、医療の手を一旦離れることにしました。そしてジャガイモ生活はまだ続きます。早く取材に出たいと思う毎日です・・・!涙

(食事の時間は、楽しいひととき)

(2022年7月23日)