カテゴリー: Coverage of Syrian refugees 2023
こちらは、継続して取材を行っている、トルコ南部地域に暮らすシリア難民の取材レポートです。
トルコ・シリア地震 帰国後の取材報告レポート♯1 〜レイハンルの地震被災者キャンプ、ケーンマウラーキャンプ〜
被災したシリア人をめぐる問題
6月に行った地震被災地のトルコ側の取材では、特に地震被害が大きかったトルコ南部のハタイ県を訪ねました。



(写真はいずれも、ハタイ県の県都アンタキヤにて撮影。高層マンションや家屋の多くが倒壊し、甚大な地震被害があった)
ハタイ県などトルコ南部には、2013年頃から多くのシリア人が難民として暮らしており、今回の地震でも多くが被災しました。こうしたシリア人被災者への対応が、現地では大きな問題になっています。
トルコでは、コロナ後の物価上昇を受け、大量に流入したシリア難民への不満が高まっており、難民をめぐる処遇が今年5月に行われた大統領選でも大きな争点にもなりました。
こうしたコロナ後に拡大した「反シリア人感情」が、現地のシリア人地震被災者への対応にも大きな影響を与えているようです。
例えばハタイ県では、(トイレやシャワー、台所などが付属した)コンテナハウスからなる公営避難所に入所できるのはトルコ人のみで、シリア人は入所できず、支援に大きな格差が生まれています。

(ハタイ県の公営被災者キャンプ。トルコ人のみ入所可能だ)
シリア人は自分でテントや生活用品を用意し、自分で空いているキャンプを探して入所しなければならず、法によって守られることのない立場の弱さが、地震後、特に表面化しています。
地震被災者のシリア人キャンプ、ケーンマウラーキャンプ
こうしたなかで訪ねたのが、ハタイ県レイハンルに造られた地震被災者キャンプ、ケーンマウラーキャンプです。入所しているのは全員がシリア人で、約70張りのテントに250人ほどが暮らしていました。
そのほとんどが、被害が大きかった県都アンタキヤからやってきた人々です。暮らしていた家が倒壊したり、家族を失くした人もとても多く、大怪我をして療養している人もいました。また、地震の影響を受けなかったものの、トルコ人家主によって貸家を追い出され(代わりに被災した親族を入居させた)、避難している人々もいました。
(シリア国境の街レイハンル。郊外の山の中腹に、国境のコンクリート壁が見える。その麓にケーンマウラーキャンプがある)

(ケーンマウラーキャンプ入口。郊外の空き地をレイハンル市から借りあげ、被災者キャンプを作った)

(NGOからパンが配布され、喜ぶ子供たち。このキャンプでは毎日パンが配布される。ときどき水や食料も配布されるとのこと)

(キャンプでサッカーをして遊ぶ子供たち)
キャンプを設立したのはトルコ人とシリア人の二人のオーナーで、行き場がなく路頭に迷っているシリア人被災者のため、地震から約一カ月後に、市から土地を借り、このキャンプを建設しました。
入所者は、テントや寝具などの生活用品を持ち込む必要があるものの、電気や水道、トイレ、24時間お湯の出るシャワー、洗濯機、台所などを使うことができます(ただしトイレやシャワー、洗濯機など数が少なく不便である)。


(入所者が暮らすテントの内部の様子。このテントに2家族が暮らしている)

(食器の洗い場)

(洗濯機が置かれたテント。250人の入所者に対し、洗濯機は3台のみ)
テントの学校
キャンプの一画に、テント製の学校がありました。中に入ると、机や椅子、ホワイトボードが並べられ、平日の午前中、6〜12歳ほどの子供たちがここで勉強をします。
授業中はテント内が高温となり大変暑く、子供たちがじっと座っているだけでも大変です。毎日学校に来るのは20〜30人ほど。学校の教師は二人おり、彼らもここに暮らす地震被災者です。


(英語の授業の様子。トルコの小学校では英語を学ばないが、シリアでは必須だったらしい)
教師の一人、モナ先生による英語の授業を見せてもらいました。もともとシリア中部のハマで小学校教師だったモナ先生は、トルコに来てからは10年近く専業主婦でしたが、地震後、子供たちに教育の機会を作りたいと、ボランティアで教壇に立っています。
「被災したシリア人の子供たちには教育の場がありません。学ぶ場が無くならないよう、私ができることで彼らを助けたい」。モナ先生はそう話します。
突然学校に現れた私たちに、子供たちは驚き、喜んだりでガヤガヤし、授業どころではなくなりました。英語の授業中だったため、英語で自己紹介をし、二人の息子たちと一緒に授業を受けることになりました。
キャンプの子供たち
キャンプに暮らす子供たちのなかには、地震で家や家族の誰かを失った子供もいましたが、そうした悲惨な境遇や悲しみをあまり感じさせない表情の豊かさがありました(このことについて、私はもう少し自分の頭の中で考えたいと思っています)。子供たちはみな好奇心が強く、先生の話をあまり聞かず、打たれ強く、天真爛漫でした。
テントの学校が蒸し暑く、じっと座っているのが困難なため、子供たちは授業中、20分おきに水を飲みに自分のテントに戻ります。しかしそのまま学校に戻らず、遊びに出ていく子供も。



(キャンプで輪になり遊ぶ子供たち)
キャンプに暮らす子供たちの楽しみは、組み立て途中のテントの骨組みにぶら下がり、鉄棒をすることや、テントの上に登って跳ねること。落ちれば大怪我をしますが、「危ないからやめなさい」とは誰も言いません。子供は危ないこともたくさん経験し、その危なさを自分で学ぶことが求められているようです。

(建てている途中のテントで、骨組みにぶら下がって遊ぶ子供たち)
一方、子供たちのコミュニティでは、大きな子が小さな子をしっかりと見守ります。小さな子を、近所の年上の子が抱っこしていたり、一緒に連れて遊んでいたり、というのが当たり前の光景です。こうした子供たちの世界に大人は必要以上に干渉せず、子供たちはある意味独立した存在です。





(テントの上に登りたい次男サラーム。手を伸ばし、お兄ちゃんたちに引っ張り上げてもらった)
私たちは長男のサーメル(7歳)と次男のサラーム(5歳)とともに、このキャンプで一週間テント生活を送りました。息子たちはその間、キャンプの子供たちと一緒に時間を過ごしました。

(キャンプで寝泊まりしたテント。(株)モンベル様からご提供いただいた)

(私たちの小さなテントは子供たちに大人気。毎日たくさんの子供たちが訪れ、エアマットの上で飛んだりはねたり大騒ぎ)
朝6時半、太陽の日差しでテント内が高温になり、自然に目が覚めます。暑くて寝ていられません。息子たちは私がまだ寝ているうちに外に出て行き、そのまま何時間も戻ってきません。探しに行くと、子供たちキャンプ内をゾロゾロと集団になって遊び歩き、かけっこ、鬼ごっこなど、自由に遊んでいます。
キャンプ内には車やバイクがあまり入ってこないので、交通事故に遭う危険もなく、みんな顔見知りのため、親たちも安心して子供たちを遊ばせます。


(仲の良い友だちと一緒のサーメルとサラーム)


(洗い場で、水のかけ合いっこをして喜ぶ子供たち。びしょ濡れになっても、日差しが強いので服がすぐ乾く)
被災者たちの行く先は
250人ほどが暮らすこのキャンプでは、台所の洗い場が2台のみ、洗濯機が3台のみとのことで、特に洗濯の順番をめぐり、いつもいさかいが起きていました。
そこで皆様から集めさせていただいた地震被災者支援金から、台所の洗い場を2台、洗濯機を2台、寄付させていただきました。
また子供たちの学校があまりに暑く、授業を集中して受けられない状況だと聞き、学校にエアコン1台を寄付させていただきました(学校には翌日からエアコンがつけられ、今度はエアコンの風が吹く最前列に子供たちがぎゅうぎゅう詰めになってケンカになっていましたが、以前より快適に、子供たちが勉強できる場になったと聞きました)。
ほか、暑さが大変厳しいなか、扇風機もない家族が多かったため、生活支援として扇風機を20台ほど寄付させていただきました。
キャンプを離れる最終日、学校で子供たちと鶴を折りました。みんなかなり苦労していましたが、一所懸命に参加し、全員が鶴を折って持ち帰りました。みんなで折った色とりどりの鶴に、今後、この被災地の子供たちがより良い暮らしへと向かうように祈るばかりでした。


(学校で、子供たちと鶴を折った)
ケーンマウラーキャンプに暮らすシリア人被災者たちの多くが、レイハンルに新たに貸家を借りて住みたいと希望しています。しかし、住宅需要が高まっているレイハンルでは、貸家の家賃が地震後に3〜5倍に値上がりしていることや、空き家自体がほとんどなく、家を見つけるのは大変困難です。
地震でほとんど全てを失ったキャンプの被災者たちにとり、この先の見通しが全く立たないまま、厳しい夏の日差しだけが容赦なく降り注いでいます。
7月5日、日本に帰国して一週間ほどの私に、衝撃的な知らせが届きました。ケーンマウラーキャンプの周辺住民(トルコ人)が、キャンプからの騒音がうるさいとのことで警察に被害届を提出し、市からキャンプの閉鎖を命じられたとの知らせでした。入所者は3日以内に退去しなければならず、キャンプ内は大混乱中だというのです。
背景にはトルコ人住民の、シリア人への排斥感情が少なからずあるようです。行く宛のない地震被災者の避難所が、「騒音」という理由で一方的に閉じられてしまう事態に、改めてシリア人をめぐる問題の難しさを感じさせられました。






*有料会員様限定オーディオプログラム
「ケーンマウラーキャンプ 裏話」
こちらは、有料会員様限定の裏話です。一週間のキャンプ生活で考えたことなど、以下の内容をオーディオにてお話いたします。
1 ケーンマウラーキャンプでの取材の思い出。経緯と注意点、生活の感想。
2 イスラム文化のキャンプ生活の厳しさ
3 キャンプ閉鎖に至った事件
〈視聴はこちらより〉
あっという間に取材の日々が流れ、帰国してしまいました!(2023年7月5日)
6月中旬に取材の様子を投稿してから、その後の取材の経過を更新できないまま、6月末に帰国日を迎えてしまいました!涙
この取材では、現地から皆様に状況をレポートするのを楽しみにしていました。しかし取材の半ば頃から、だんだんと記事を更新する余裕がなくなってしまいました。
体調を崩しがちとなったことや(腹痛が続いた)、自由に動き回る子供たちのパワフルさにすっかりくたびれてしまい、とにかく日々、人に会い、話を聞き写真撮るという、やるべきことを続行するだけでいっぱいいっぱいになってしまいました。現地からコンスタントに、取材の様子をご紹介できなかったことが本当に残念です。
子供たちを元気に日本に連れ帰らねば、という責任感でトルコでは動いていましたが、帰国してからはどっと疲れが押し寄せ、数日間グッタリしました。このところ、ようやく回復してきたところです。

(シリア国境に程近いハタイ県レイハンルのケーンマウラーキャンプにて、テントに寝泊まりしながら取材。二人の子供たちは現地の子供たちと毎日倒れるまで走って遊んだ)
取材中は、地震被災者のキャンプで寝泊まりし、被災者の方々からお話を聞いたりと、忘れられない印象的なエピソードがいくつもありました。現地からのレポートができませんでしたが、帰国したからこそじっくりと、こうした取材中のエピソードをご紹介できたらと思います。
さて、帰国してホッとしましたが、これからが正念場です。報道が少なくなってきた地震被災地の現状について、多くの方々に引き続き関心を持っていただきたく、雑誌や新聞などに寄稿させていただく予定です。
本日はひとまず帰国のご連絡でした。更新がないことで皆様にもご心配をおかけしたかと思います。申し訳ありませんでした。

(主要な取材地であるトルコ南部ハタイ県レイハンル。この街の地震被害はさほど大きくなかったが、被害が大きかったアンタキヤなどから多くの被災者が避難している)
(ここからは裏話です)
トルコ南部のオスマニエ県にて、夫の親族を訪ねました(2023年6月11日)
トルコ側の地震被災地、オスマニエへ
イスタンブールでの取材を終え、トルコ南部のオスマニエ県オスマニエ市にやってきました。高原野菜の産地で農業が盛んなオスマニエは、ほかのトルコの都市よりも物価が安いとされ、多くのシリア難民が暮らしています。私の夫の親族もこの街に2016年以降暮らしていることから毎年訪ねている土地のひとつです。
2月に発生したトルコ・シリア大地震では、このオスマニエが震源地から比較的近く、街の中心部にほど近い高層マンションなどが大きな被害を受け、500人ほどの住人が瓦礫の下敷きになって死亡しました。
この街では、親族やその繋がりから、地震の被害を受けたその後の人々の暮らしを取材しました。
この街では、親族やその繋がりから、地震の被害を受けたその後の人々の暮らしを取材しました。
(地震により倒壊したオスマニエ中心部のマンション跡地。瓦礫はすっかり撤去されている。人間が建てたコンクリートの建物は倒壊したが、地に根を張る木々は倒れることなく緑の葉を揺らしていた)
(倒壊は免れたものの、至る所に亀裂が入ったため、廃墟となったマンション。周囲に立ち入り禁止のテープが貼られていた)
(オスマニエ市街地では、建物に亀裂が入り、無人となったマンションや住居があちこちに散見された。撮影2023年6月8日)
(地震から4カ月、倒壊した建物の瓦礫の撤去が進んでいた)
(エルドアン大統領は、この地震によって住居を失った人々に対し、一年以内に新しい住居を建てて入居させると約束している)
(街の郊外に作られた巨大な公営避難所。仮説住宅が延々と立ち並ぶ。ここに避難しているのはトルコ人のみ)
(地震で家を失い、暮らす家が見つからない人々の多くが、親族を頼って他の街へ移動した。残った人々は、トルコ人なら避難所の仮設住宅に入れるが、シリア人は入れないため、路上の隅や空き地にテントを貼って暮らしている)
地震後、自分たちで家を建てた兄ワーセル
地震前、毎年私が宿泊させてもらっていたのが夫の兄ワーセル一家の家で、オスマニエ市街地のマンションの3階にある貸家でした。
この部屋は、よく風が通る気持ちの良い空間で、窓から眺める山々の眺めが素晴らしく、ベランダでは鳥を飼い、屋上では二匹の陸亀を放し飼いにしていました。私はここに毎年子供たちを連れて泊まり、トルコ取材の基地のひとつとしていました。
しかし地震後、この建物に大きな亀裂が入り、住み続けることができなくなりました。引っ越し先の貸家を探しましたが、多くの住宅が被害を受けたトルコ南部では、住宅需要が高まり、家賃が4倍〜5倍近くに高騰しました。
家賃の値上がりのためなかなか引っ越し先も見つからず、兄の家族はしばらくテント生活を続けた後、別の兄の家の隣に、自分の家を増改築することに。親族中から借金をしてお金を集め、資材を買い、自分たちで家を建てました。

(夫の兄ムハンマドが、3年前から土地を買って建てたオスマニエ郊外の家。牛を飼い、牛乳やヨーグルトを販売して暮らしている。
地震後、家を失った夫の兄ワーセルが、右側部分を増築して家を造った(建物の正面の黒いドアから右側部分)。もともとそこは牛小屋だったが、地震後、牛を外に追い出して家を増築した。牛たちには、代わりにコンクリートブロックを積んで簡易的に牛小屋を作った)
オスマニエにて泊まらせてもらったのが、この新しい兄の家です。コンクリートブロックを積んで自分たちで建てた、と聞き、良かったなあと思いつつ、内心、(地震被害のあった家の多くが耐震基準を満たしていなかったことを考えると)自分たちでまた家を建てて大丈夫なのか、地震が起きたらまた崩れるのではないかとも思ってしまいました。
「また地震が来たら、この家・・・、大丈夫ですか?」とはっきり聞いてしまいましたが、親族曰く、これまでもそうやって自分たちで家を建ててきたし、崩れたらまた建てればいい、との話でした。
それを聞き、故郷を追われてこの10年、彼らはずっとその繰り返しで生きてきたのだと思いました。シリアでの空爆で家を失い、シリアやトルコを点々として住まいを変え続け、大地震でまた家を失い、失ってはまた作り上げて、また失って。
この先何が起きるかわからない。だからこそ、親族からなるコミュニティで共助の関係性をしっかり作っておき、自分たちでできる限りのことをやっておく。それでも壊れたらまた作る。日本の常識では計り知ることのできない悲惨な戦災、自然災害を経験してきた彼らにとり、それが結論であるように感じられました。

(玄関前にて夜風に涼むムハンマド兄(中央)とワーセル兄(前列右)と子供たち。この時点で午後22時。子供たちはまだまだ寝ない。私の二人の子供たちもすっかり現地に馴染み、いとこたちと牛小屋や川や放牧地を走り回っている。トルコに行くたびに、子供たちはワイルドになる)
兄たちの家を、ムスタファ・カービースさんが壁塗り
オスマニエ在住のシリア難民ムスタファ・カービースさんは、私がここ数年取材を続けてきた難民の一人です。オスマニエに着いた翌日、朝起きて家の外に出ると、なんとムスタファ・カービースさんがムハンマド兄の家の玄関前を壁塗りしていました。
私がムスタファ・カービースさんの取材に毎年行くようになり、ムスタファさん一家と交流が生まれ、仕事を頼んだとか。取材を通し、シリア人同士の繋がりも生まれているようで嬉しいことです。

(オスマニエに夜遅く着き、翌朝起きて外に出ると、なんと(長年取材してきた)ムスタファ・カービースさんがムハンマド兄の家を壁塗りしていた!)
被災地では多くの家が地震被害を受けたため、住居建築が急ピッチで進められている。壁塗りの仕事も需要が高まり、地震後は仕事が増えたという。
ムスタファさんは脳腫瘍で苦しんでいましたが、二年前に手術をしてから状況が落ち着いているようです(その際は、ムスタファさんの手術後の生活費がなく生活が困窮するため、生活支援カンパを呼びかけさせていただき、多くの方々にご協力いただきました。ありがとうございました)。それでもシリアでの空爆に巻き込まれて大怪我をした背中と腎臓の古い傷が痛み、現在は週に4日ほど働き、あとは休んでいるとのこと。なんと地震後、7人目の(上の二人の息子は2013年にシリアでの空爆で死亡)赤ちゃんが産まれていました。待望の男の子だそうです。オスマニエにまた戻ってきたら、ムスタファさんの家を訪問させていただくことにしました。

被災地のオスマニエ。夫の親族たちは、突然の地震に戸惑い、経済的な打撃を受けながらも、その波の中で再び生活を作り出し、たくましく生きようとしていました。引き続き、取材を進めていきます。
(2023年6月11日)
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イスタンブールにて、地震被災者のムハンマド・サーレさんを取材しました
日本を出発した翌6月2日、トルコ最大の都市イスタンブールに到着しました。アジアとヨーロッパにまたがり、東西の文化の交流点として栄えてきたこの街で、ある地震被災者の男性を取材しました。
お会いしたのはムハンマド・サーレさん(26)。トルコ・シリア大地震後、イスタンブールで暮らしているシリア人です。
ムハンマドさんはもともとシリアのパルミラ出身で、夫とは古い友人でもあります。シリアが内戦状態になった後、安全を求め、2014年にトルコに逃れました。以来、シリア国境に近いトルコ南部のハタイ県アンタキヤで、母親と弟、兄の家族と暮らしながら、建設作業員として働いていました。
2月6日、トルコ・シリア大地震が発生。ムハンマドさん一家が暮らすアンタキヤは特に地震被害が大きかった街のひとつで、建物の倒壊によって多くの行方不明者、死者が出ました。
地震が発生した日、ムハンマドさんは友人を訪ねてイスタンブールに来ており、トルコ南部で大地震が起き、アンタキヤでも大きな被害があったことを知りました。家族と連絡が取れず、ムハンマドさんはその日のうちに飛行機でアンタキヤへと戻り、家族を探しました。しかしそこで知ったのは、同居する家族全員が、倒壊したマンションの下敷きになっているという現実でした。
地震後、多くの住人が建物の下敷きになったアンタキヤでは、人々を救助するための重機が圧倒的に足りませんでした。ようやく8日後に重機での捜索が行われた時には、ムハンマドさんの家族は全員が亡くなっていました。
アンタキヤ郊外の墓地に家族の遺体を埋葬した後、ムハンマドさんは、ショックから何も手につかなくなりました。被災地にいるのが辛く、友人の助言もあってイスタンブールへと移動しました。
(ムハンマドさんの部屋の壁に写真が飾られていた。写っているのは数年前のムハンマドさん。地震後、彼を励ますために友人が贈ったものだ。)
そこにはシリア人コミュニティがあり、パルミラ出身の友人も多いため、生活の援助を得ることができます。不動産業に関わる友人が無償で部屋を貸してくれ、ムハンマドさんを元気づけるため、友人たちが毎日彼のもとを訪れます。
(「趣味は筋トレ」というムハンマドさん。毎朝起きると必ず筋トレをする。気持ちがスッキリするらしい)
最近になってムハンマドさんは、イスタンブールの海を周遊する観光船の乗組員の仕事を夜間だけ始めました。生活を維持するためです。しかし、これからのことを何も考えることができません。家族や、それまでの生活を突然失った喪失感に、ムハンマドさんは苦しんでいます。大地震から4カ月。被災した人々の苦難は今も続いています。
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▼ 今回の取材が終わる6/25頃まで、地震で被災したシリア難民の生活支援金を集めさせていただいております。
こちらは現地で引き出し、私が直接お渡しさせていただきます。ご協力をよろしくお願いします。
【 地震で被災したシリア難民への支援金 お振込先 】
三井住友銀行
八王子支店
普通
8553199
コマツ ユカ
▼取材活動のカンパを集めさせていただいております。
大変恐縮ですが、私自身も経済的に厳しい活動を続けており、取材カンパを集めさせていただいております。より良い取材活動ができるよう、ご賛同いただける方は、是非ご支援をお願いいたします。
【 小松由佳 取材活動カンパ お振込先 】
三井住友銀行
八王子支店
普通
8495661
コマツ ユカ
以上、よろしくお願いします。
イスタンブールの後は、夫の家族が暮らすトルコ南部オスマニエ県オスマニエへと向かいます。

(取材には子供たちも同行。カメラの画角に入らないよう、子供たちにあっちにこっちに移動してもらいながらなんとか撮影した。ムハンマドさんには子供たちを暖かく見守っていただき、たくさん可愛がってもらった)
(2023年6月5日)
トルコ側の地震被災地へ、取材に出発しました!(2023年6月3日)

6月1日、トルコ・シリア大地震のトルコ側の被災地の取材のため、成田空港を出発しました。今回の取材期間は約一ヵ月です。
トルコ側の被災地には、夫の親族や知人がシリア難民として暮らしており、多くが被災。地震後、生活状況が一変しました。倒壊した建物の下敷きになり亡くなった知人、トルコ人による差別や物価の高騰に疲労し、より生活費がかからいシリアへと移動した知人もいます。こうした人々のこの4カ月間を、丁寧に取材する予定です。
折りしも5月28日には、トルコ大統領選の決戦投票が行われ、20年の長期政権を維持するエルドアン大統領の続投が決まりました。
対した野党6党の統一候補クルチダルオール氏とは接戦で、最後までどちらが勝利するか分からない選挙戦でした。大きな争点となったのは、トルコに大量に流入したシリア難民をめぐる処遇です。シリア難民のシリア帰還政策実施は必要だという主張は両者に共通しているものの、クルチダルオール氏はより強硬手段を提起していたことから、もしエルドアン氏が勝利しなければ、多くのシリア難民は強制的にシリアに帰されるかもしれない、という局面でもありました。
今回、エルドアン大統領の続投が決まり、シリア難民として現地に暮らす親族や知人たちから、「とりあえずはホッとした」という声を聞いています。
しかし国内では、難民への排斥感情がかつてないほど高まり、通貨安や高インフレで経済の混乱が続いています。トルコ社会の最底辺層であるシリア難民の立場は決して穏やかではありません。
こうしたコロナ禍、大地震、そして大統領選を経た彼らの現在を、一人一人のエピソードを綴ることで発信していきます。
また、地震によって被災したシリア難民への生活支援金を2月から集めさせていただき、皆様からのたくさんのご支援を現地に送金してきました。今回は、手元にある¥722.000(2023年6月2日現在)を持参し、私が直接、被災した方々に受け渡しいたします。皆様の暖かいお気持ちをありがとうございました。
もしまだ、地震で被災したシリア難民への支援を送りたいと思われる方がいらっしゃいましたら、現地でも支援金をATMで引き出してお渡しできます。以下にお振込先を書いておきます。
【地震で被災したシリア難民への支援金 お振込先 】
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八王子支店
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8553199
コマツ ユカ
また今回の取材は、地震発生からあまり時を経ず、被災地を取材したく計画しました。本来は2月の地震発生後、すぐに現地へと赴きたかったのですが、取材費捻出と子供たちの保育園、小学校の準備があり、タイミングが整いませんでした(そのため、地震後は被災地への支援金集めに奔走することで、これが今の自分の役割だと考えました)。今回、なんとか現地への取材に出ることができ、多くの皆様に活動を支えていただいていることに感謝をしつつ、その分しっかりと取材をしたいと気持ちで身を引き締めております。
とにかく現場に立つこと。人に出会い、見て、感じて、考えること。そして一枚一枚、写真を撮ることを努力します。では行ってきます!

▼取材の詳細を「小松由佳HP 有料会員コンテンツ」にて発信していきます!
(こちらは小松の活動を応援いただくための月額1000円のサイトです。今回の取材の経過や裏話、葛藤などをたくさんの写真を交え、より詳細にご紹介していきます。是非、ご登録のうえ応援をよろしくお願いします)
(2023年6月2日)
6/1〜6/28まで、トルコ側の地震被災地へ取材に向かいます(2023年5月23日)
トルコ・シリア大地震の発生からまもなく4カ月。被災地の報道が少なくなってきました。その後、地震被害に遭った人々がどのように暮らしているのか、なかなか情報が届かなくなり、また皆様からご支援を集めさせていただき、届けさせていただいたことに対して、その後の状況を伝える責任も感じるようになりました。
現地では急速に復興が始まっており、状況があまり変わらないうちに現地を取材したく、この6月に地震被災地のトルコ側へ取材に向かうことにしました。期間は6月1日から6月28日です。
今回も頭を悩ませたのは子連れの問題です。なにしろ長男は小学生になったばかり。本人には申し訳ないのですが、この間の長男のお世話をする人が身近にいないので、今回も取材へ連れることにしました。その分、取材は短期間で行います。そんなわけで、二人の子供を連れ、6月1日から28日まで取材に行ってきます。地震被災地の現状と、主にシリア難民コミュニティでの人々の暮らしの変化を見つめてきます。
取材後は、記事や写真を新聞紙や雑誌などのメディアにて発表させていただけたらと思っています。昨年の長い取材からあまり時が経っていないこともあり、経済的には辛いところですが、世界が動いている現場に立ち続けたいと思います。また取材の様子は、以下のページにてご報告していきます。
「Coverage of Syrian refugees 2023」
https://yukakomatsu.jp/category/coverage-of-syrian-refugees-2023/
以上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
(2023年5月22日)
トルコ・シリア大地震の被災者への緊急支援金送付についてご報告(2023年5月23日)
今年2月6日に発生したトルコ・シリア大地震では、両国合わせ、5万6千人超の死亡が確認されました。これまで足繁く取材に通ってきたトルコ南部地域が大きな被害を受け、親族や知人も多数被災したことから、私も個人的に緊急支援を集めさせていただきました。
トルコ側、シリア側には夫の親族が難民として暮らしていることから、彼らを窓口に、地震被害を受けたシリア難民の被災者に、支援金を送り、配布させていただきました。2023年5月23日現在まで、総額¥5.185.394を現地に送付させていただくことができました。
こんなにたくさんのご支援を皆様からいただき、被災地したシリアとトルコの現地へと届けさせていただきましたことをお礼申し上げます。皆様のご協力をどうもありがとうございました。
今後も、写真活動を通じ、人と人とを繋げていくことをしていきたいと思います。
また最近でもちらほら地震被災地へのご支援が届き、私の手元には¥569.484(2023年5月22日時点)の支援金が集まっています。
こちらは、今年6月に地震被災地への取材に向かいますので、私が責任を持って被災者に直接お渡しいたします。以上、ご報告させていただきました。
(2023年5月23日)
シリア在住の兄たちに地震支援金を配布いただきました 〜バーセル兄による現地レポート〜
(こちらの記事は、最後の<裏話>まで、一般の方にも公開しています)
2月6日に発生したトルコ・シリア大地震の支援金について、本当にたくさんの方々から温かいご支援をいただきました。3月17日現在までにいただいたご支援の総額は、¥5,185,394です。現在、そのほとんどを現地に送付中で、¥2,884,000分は、配布が完了しています。そのほかは配布中です。
これらの支援は被災地のトルコ側とシリア側に折半してお送りしました。シリア側では被災地が政治によって分断され、国際支援が入りにくい状況ですが、シリア在住の二人の兄が支援金配布に協力してくれました。
シリア、パルミラ出身の私の夫は16人兄弟の末っ子で、上には11人の兄がいます。夫の家族のほとんどがトルコ南部に難民として暮らしていますが、シリアには二人の兄とその家族が残っています。一人はトルコ軍が占領するアレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄、もう一人はクルド勢力統治下のラッカ県ラッカに暮らすバーセル兄です。

アレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄は、内戦以前はパルミラで家屋の不動産業を営んでおり、性格も真面目で真っ直ぐ。兄弟の中でもかなり硬派(兄弟は全員硬派でしたが)な人物でした。道で見かけた女性に四年間片思いした末に結婚したというエピソードも。2016年以降、家族のほとんどがトルコに逃れていきましたが、アブドュルラティーフ兄はシリアから出ることをせず、トルコ側にシリアの食料品の輸出の商売をすることで生活を維持しています。兄が販売するシリア産のオリーブオイルやザクロの濃縮液、ナスの油漬けなどは、トルコで難民になったシリア人の間でもかなり需要があるらしく、商売はうまくいっているようです。


バーセル兄は、パルミラで家業にしていたラクダの放牧の仕事を、今も続けている唯一の兄です。暮らしているのはクルド勢力統治下のラッカ県ラッカ。かつてはイスラム過激派ISの首都となり、ISによる恐怖政治が行われていた地ですが、現在はクルド人の統治下、比較的安定した状況とのことです。
今回、その二人が、皆さまからの支援金をシリア北部および北西部の被災者へ配布しました。以下、そのレポートになります。
バーセル兄からの現地レポート
(3月15日に電話取材をした内容です。バーセル兄は被災地に支援を届けてラッカに帰ってきてから、しばらく沙漠にラクダの放牧に出ており連絡が取れず、お話を聞くのが遅くなりました)
・・・簡単に自己紹介をしてください
私は普段、シリアのラッカ県ラッカに妻や子供たちと暮らしています。仕事はラクダの飼育・放牧業です。ラッカは現在、クルド勢力の統治下にあって政情は比較的安定しています。ここでは地震の被害はありませんでしたが、日本からの支援金を被災地に届けるため、シリア北部のアレッポ県アル・バーブ、北西部イドリブ県に2月末から数日間行ってきました。
・・・支援金を届けた被災地は?
アレッポ県のアル・バーブ、ジェンディレス、アフリンと、イドリブ県のダーナ、サルマダです。
最初に、アレッポ県アル・バーブに向かい、そこに暮らす兄のアブドュルラティーフと合流しました。アル・バーブは地震の被害があまりなかったのですが、被災地から多くの住人がここに避難しています。まず彼らに支援を渡しました。
それからアレッポ県、イドリブ県に行きました。最も被害がひどかったのがアレッポ県のジェンディレスでした。現地では、地域の人々と相談しながら支援金を配布しました。


・・・およそ何家族に支援金を配布できましたか?
およそ80家族です。地震で父親や母親などを失くした3人家族から、子供がたくさんいる8人家族まで人数はさまざまですが、およそ80家族、大体450人ほどに支援金を配りました(日本円にして大体¥10000〜¥15000の範囲で配布いただきました)。
・・・シリアでは、配布した支援金はどのような用途に使われますか?
全てが不足しているので、何にでも使われます。ここでは地震で全てを失った人々がたくさんおり、衣類や食料、毛布、暖をとるための燃料費、テントを買うための資金として使われたようです。
・・・被災地ではどのように人々が暮らしていますか?
被災地ではほとんどの住人がテントか、平屋の建物が、建物の軒下部分で生活しています。被災地の多くの建物にヒビが入っていて、住み続けるのが不安ですし、それ以上に地震が再び来ても、建物の下敷きにならないように注意しているのです。
2月6日に起きた地震は、あまりに突然のすごい地震だったので、皆、今も地震を恐れています。多くの子どもたちや女性が、いつ地震が起きるかもしれない恐怖でよく眠れず、食欲が戻らず、トラウマになっています。
私が訪ねた被災地の中で最も悲惨だったのが、クルド人が多く暮らしていたアレッポ県ジェンディレスでした。ここではかなりの建物が倒壊しました。瓦礫の山がえんえんと続く光景を目にして、ここで起きたことが信じられず、目を疑いました。たくさんの死者が出ましたが、まだ遺体の捜索が続いています。重機が少ないので、捜索はまだまだ終わらないでしょう。この街では生き残った人々も怪我人が非常に多く、手足を失くした子どもたち、若者、老人たちをたくさん目にしたことが忘れられません。
ジェンディレスやアフリンなどのアレッポ県の被災地では、みんなテント暮らしでしたが、彼らは人生で初めてのテント暮らしのようで、何から何まで苦労していました。自分たち家族はパルミラの砂漠で生まれ育ったので、幼い時からテント生活を体験していて、テントでの生活の心得もありますが、そうした経験の全くない人々が突然テントで暮らすのは大変なことです。
・・・シリアでは国際支援も入っていましたか?
はい。NGOが人々にテントや食糧を配布しているのを見ました。しかしその量はわずかで、十分な量ではありませんでした。シリア側では、地震の被害の規模に対して、支援は驚くほど少なく、全てが全く足りていません。私はSNSでトルコ側の被災地に大規模な支援が入っている様子をいつも見ていましたが、シリアでは同じではありません。被災地の人々も、そうした状況を嘆いていました。
・・・現地で今も必要とされているものは何ですか?
やはり生活を維持していくためのお金です。地震で家や仕事を失い、これからどうやって暮らしていけばいいか途方に暮れている人々がたくさんいます。地震で手足を失ったりと、重傷を負った人々でさえ、必要な医薬品を買えずにいます。また食糧、燃料などがほとんどの人々にとって常に不足しています。
・・・トルコからシリアへと移動してくるシリア人を目撃しましたか?
はい、たくさん見ました。シリア側では国際支援こそ少ないですが、物価はトルコ側に比べて安く、またここにいるのは同じシリア人なので、同胞として助け合いの精神が強く、トルコにいるよりも暮らしやすいです。ただイドリブ県では空爆の危険もあります。しかしそれ以上に、今、家族の生活を維持できるかどうかが大事です。シリア人はもう、そこまで追い込まれているのです。
・・・追加でシリアの被災地に支援金を送りたいのですが、あなたにまた届けてもらえますか?
光栄な仕事なのですが、次回は難しいかもしれません。今回、自分が暮らすラッカ(クルド勢力統治下)から、アレッポ県(トルコ軍占領下)、イドリブ県(反体制派勢力統治下)と、それぞれの支配地域をまたいで移動するのが本当に大変で、移動のための証明書を作ったり、提示したりとトラブル続きでした。ラッカからアル・バーブもイドリブもそう遠くはないのですが、支配勢力が違い、それぞれ仲がとても悪いので、移動制限が厳しく、私たちに自由はないのです。
・・・移動制限が厳しく、自由がなくともあなたがシリアで暮らし続けるのは何故ですか?
シリアはトルコに比べて生活水準が落ちますが、なんといっても自分が生まれた国で、自分たちの文化で暮らすことができます。ラッカは以前はIS(イスラム過激派組織)の首都になり、恐怖政治のもとで苦労もしましたが、今は情勢は比較的落ち着いています。ただクルド勢力支配下なので、クルド人が優遇されています。まあ、ラクダを飼って、砂漠で放牧をして静かに暮らす分には問題ありませんが。
・・・今回、危険を冒して被災地まで支援金を配布しに行ってもらい、大変助かりました。
どういたしまして。こちらこそ、シリア人のためにたくさんの支援を送ってくれた日本の人々に、どうもありがとうと言いたいです。本当にありがとうございました。
▼上の動画の翻訳文
アブドュルラティーフ兄:こんにちは。私たちはジェンディレスにいて、アブ・ムハンマドさんと一緒です。地震の後、彼の家は倒壊してしまいました。何が起こったのか教えてもらえますか?
アブ・ムハンマド:地震が起きたとき、私たち家族は寝ていましたが、急いで家から出て外に逃げました。朝の4時15分頃のことでした。 私たちが庭に立っていると、家が入っていた建物が倒壊しました。ここに住んでいたアラブ人とクルド人の半分が亡くなってしまいました。どうか神のご慈悲がありますように。
この男性は(アブドュルラティーフ兄のことか)、地震で生き残った人々への支援を持ってきてくれ、分配するように話してくれました。私たちは大変感謝しています。神がその行為に報いてくださいますように。あなたたちのような人々がたくさんいるように祈っています。どうもありがとうございます。
<最後にひとこと>
この地震では、取材で出会ってきたシリア難民のほとんどが被災したため、彼らのためにできることをしたいと支援金集めを始めました。たくさんの方々からご賛同いただき、現在まで¥5,185,394ものご支援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
さらにこの支援金の日本からの送付、現地での受け取り、配布については、日本に暮らすシリア人や、現地のシリア難民の親族や知人に活動を支えていただいています。
シリアではバーセル兄たちが、トラブルに見舞われながら異なる支配勢力間を通過し、イドリブでは空爆の危険もある中、受け渡しに協力してくれました。またトルコ側では、夫の家族12人が、家事や仕事の合間を縫い、支援金の受け取りのために銀行の窓口に並んでくれました(トルコに暮らすシリア難民は、一度に受け取れる額は1ヶ月一人当たり約¥170000までと規制があるため)。また日本に暮らすシリア人の知人が、手数料がかからない国際送金の方法を提案してくれ、その方のアラブ系銀行の口座から、一度ヨルダンの夫の兄の口座を経由して、シリアやトルコに送金するという方法が実現しました。
支援金をお送りくださった皆様、また支援金の受け取りや配布に協力してくださったたくさんのシリア人の親族・知人のご協力により、これらの支援が多くの被災地の家族のもとに届いています。引き続き、この活動を報告していきたいと思います。皆様、どうもありがとうございました。
<ここからは裏話です>
共同通信様に寄稿させていただきました
2月6日に発生したトルコ・シリア大地震から1カ月のタイミングで、共同通信様に記事を書かせていただきました。秋田魁新報様、信濃毎日新聞様など、全国の地方紙に配信され、五月雨式に掲載されたようです。

<以下、記事全文です>
再び生活奪われたシリア難民
トルコ・シリア大地震から6日で1カ月。死者が5万人を超え、現地では混乱状態が続いている。
トルコには、内戦から逃れてきた360万人以上のシリア難民が暮らし、その数はシリア難民全体の7割弱に及ぶ。大量の難民を、トルコでは比較的寛容な立場で受け入れてきた。
しかしその同情論は近年、コロナ禍で一変した。トルコ政府の経済政策の失敗で物価が上昇。社会の不満がシリア難民に向かった。「シリア人はシリアに帰るべきだ」と排他的風潮が高まっていた。
こうした中で、地震は発生した。シリア人は再び地震が起きる不安におびえている。建物の倒壊を恐れて家に戻れず、路上や空き地、公園、畑などにテントを張り避難している。各国から支援物資が届けられたが、暖を取るための薪や石炭、毛布、テントなどが今も不足しているという。
シリア国境の移動規制が緩和したこともあり、シリアに移動するシリア人も多い。トルコの首都アンカラの非政府組織(NGO)で働いていたムサンナ・アルバクルも、その一人。給与が安い上、アンカラの物価が高騰し、生活は限界に達していた。地震後、家賃が2倍に上がったことが追いうちをかけた。
アンカラやメルシンなどのトルコ南部の大都市では、被災地から親族を頼って移動してくるトルコ人も多く、住居需要が高まっている。既に入居していたシリア人を家主が追い出し、新たに親族を招き入れることも増えた。そのため、地震で直接被災しなかったムサンナのようなシリア人が、法外な家賃を請求され、生活基盤を失うケースが多く報告されている。
また被災後、シリア人はトルコ人と比べ、明確な格差をつけられるようになった。特に支援物資の配給や捜索の場で顕著だ。物資を受け取れずに、避難所を利用できないこともあった。さらに不満のはけ口となり、暴力事件に巻き込まれることも増えた。こうした動きから、ムサンナはシリアへの移動を決めた。
「内戦が続くシリアでは空爆の危険もあります。しかしトルコに比べたら、シリアは私たちにとって楽園です」。ムサンナ一家は現在、国境に近いイドリブ県サルマダの親族の家に身を寄せている。シリアはトルコに比べ物価が安く、住民から差別を受けることもない。何より、誰からも虐げられないという安心感がある。
だが問題もある。シリアでは、国内が政治的に分断され、人道支援すらままならない。地震の被害を受けたシリア北西部イドリブ県でも、反体制派支配地域であるため支援が入りにくい。今回も地震発生から3日後になってようやく支援が入った。トルコ側に比べると圧倒的に支援体制が弱い。
「この地震は、シリアの空爆の恐怖を呼び起こさせました。そして一度シリアで失った生活を、もう一度奪いました」。
状況が落ち着いたら、ムサンナは再びトルコに戻るつもりでいる。生活は困難だが、子供たちのため、選択肢の多い環境に身を置きたいと考えているからだ。
被災地では、住居不足と地震への恐れから、避難生活がしばらく続くだろう。こうした状況下、圧倒的に困窮層が多かったシリア人が、さらに生活苦へと追い込まれていくことが懸念される。シリア人にとって、この地震による被災は、これまで続いてきた終わりの見えない避難生活の延長線上でしかない。
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記事について、ひとこと
記事を寄稿させていただき、大変光栄なことでした。一方で、地震から1カ月が経ち、報道も少なくなり、現地の様子が臨場感をもって伝えられなくなりつつあると感じています。
多くの国際支援が現地に届いていますが、支援の格差やシリア人への排他的風潮が見られ、地震で直接被災しなかったにもかかわらず、家を追い出され、シリアに帰ることを選択するシリア人も少なくないようです。被災地では、今も多くの人々がテントを手に入れられず、倒壊の危険のある建物にやむなく住み続けたり、路上で暮らしています。残念ながらそのほとんどがシリア人で、トルコの公的な支援から排除されているようです。ハタイ県レイハンルに暮らす知人の話では、NPOがテントを配布していたが、列に並ぼうとしたところ、トルコ人の警察や警備員に拒否され、追い払われたとのこと。アンタキヤ、レイハンル、ガジィアンテップなどの複数のシリア人の知人から同じ話を聞いております。大変残念なことです。
記事執筆にあたり話を聞いたシリア人、ムサンナ・アルバクルの話が忘れられません。「シリアでは空爆の危険もあります。しかしトルコに比べたら、シリアは私たちにとって楽園です」。空爆の危険があっても、インフラが非常に不安定でも(電気、ガスなどは1日のうち半分使えれば良いほう)、シリア人故の差別や理不尽な立退などを迫られることのないシリアは、何より安心できる土地だというのです。これまで異郷に生きようと努力してきたシリア人の、深い失望と悲しみを感じるのでした。
「この地震は、一度シリアで失った生活を、もう一度奪いました」というムサンナの言葉からは、延々と続く不安定な避難生活への、疲労感が感じられます。記事の最後に書きましたが、シリア人にとって、この地震による被災は、これまで続いてきた終わりの見えない避難生活の延長線上でしかないのです。
トルコ・シリア大地震 支援金の送金状況・被災した人々の状況(2023年2月22日)
(こちらの記事は、有料会員様以外にも公開しています)
地震発生から16日が経過しました。
こちらのページでは、被災地のひとつトルコ南部ハタイ県、シリア国境の街レイハンルから届いた人々の状況をご報告いたします。
集めさせていただいた支援金が、生活物資の購入などに使われています
被災したシリア難民のために支援金を集めてお送りする活動を行なっており、現在までに、¥2,036,000をトルコ南部とシリア北西部に送金しています。
被災地では依然として厳しい避難生活が続き、暖をとるための物資が不足しています。人々が最も必要としているのは現金です。お送りした支援金は、シリア人ネットワークの中で困窮者に配布いただき(ひと家族につき約¥20000〜¥30000で配布)、生活物資、食糧などの購入に使用されています。
レイハンルにて被災したシリア人の家族より、支援金で購入したものの写真を送っていただきました。

以下は、詳細を説明している動画です。
またこちらのズィヤート一家は支援金で毛布を買い、さらに部屋を借りることができました。それまではモスクや路上での寝泊まりが続き、子供たちにとって非常に寒く厳しかったとのことでした。

ズィヤート一家の食事風景を写真で送ってもらいました。配給でもらったビスケット、水、オレンジやりんごを子供たちが食べています。食事は毎日簡単なものだけ食べており(調理器具などなし)、ラーメンや、茹でたパスタにヨーグルトと塩と油で味付けしたものなどを食べています。



避難生活の状況
ズィヤート一家のように、貸部屋を借りてそこに入った家族もいますが、被災地では多くがテントや路上などで避難を続けています。
レイハンルに暮らす夫の遠い親族、アサド一家(夫の叔母の旦那の家族)は、今も暮らしていたマンションに戻れずテント生活をしています。







当初はこの一つのテントで5家族25人が避難していたが、あまりに狭いので、隣にもうひとつテントを建てた。アサド一家と身を寄せ合っているのは、アンタキヤから逃れてきた親族。地震被害が大きかったアンタキヤでは、自宅があったマンションが倒壊した。




元気そうな顔を見せるアサド一家の80歳のおじいちゃん(写真左)。シリアのパルミラ出身で、長年大工として働いてきた。昨年2022年夏は、このおじいちゃんも取材させてもらった。高齢での寒い避難生活はさぞ体にこたえることだろう。早く暖かな環境で避難生活ができるようになってほしい。私はこのおじいちゃんが経験したこの10年の環境の変化に悲しくなった。暮らしを失い、故郷を失い、トルコでも災害で生活を失いつつある。
アサド一家にはこれから支援金を送付するところですが、支援金を受け取れたら、暖をとるための薪と石炭を買いたいとのこと。また、より頑丈なテントを数張、購入したいとのことです。自宅のあったマンションは倒壊の危険性があり戻れず、仕事もなくなり(写真右のアサド一家のワリードさんは会計士でしたが、この地震で失職しました)、しばらくこのテント生活が続くと一家は考えているようです。


以上、現在の被災者の状況でした。
今後も現地に支援をお届けしつつ、現地と連絡を取り合ってご報告していきたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
(2023年2月22日)
皆様から届いた地震の被災者への生活支援金を、現地にお届けしています(2023年2月20日)
シリア・トルコ両国にまたがる大地震の発生から2週間ほどが経ちましたが、現地ではまだ混乱状態が続き、被災者の多くが厳しい寒さの中、不安定な避難生活を送っています。
さて、被災したシリア難民への生活支援金を募らせていただいてから、大変多くの方々よりご支援をいただきました。19日までにいただいたご支援の総額は、¥2911521です。
こちらを、地震被災者の中でも特に社会的弱者であるトルコ在住のシリア難民層や、また国際支援が届きにくいシリア北西部イドリブ県の被災者へお送りすべく、現地の親族・知人と連絡を取り合いながら動いております。
まずは第一弾として¥1022000を送金し、すでに現地で配布されております。
送金方法は、アラブ系銀行を使った送付を検討しましたが、時間を要すること、手続きが煩雑であることが分かり、送金がスムーズで確実なウェスタン・ユニオンで送金しました。
*当初、地震被害の大きいアンタキヤやレイハンルに直接送金を試みましたが、現地のウェスタン・ユニオン代理店が閉鎖しているため、オスマニエの親族に受け取り手になってもらいました。トルコ国内、またトルコからシリア国内への送金はスムーズに行うことができます。
*送金の受け取りについて、シリア難民の場合、ウェスタン・ユニオンでは一ヶ月に一人約16万円の上限額が決められています。そのため、まずは一人当たり16万円ずつ、以下の6人の親族宛に送付し、以下の金額の受け取りをお願いしました。
*現在、トルコ南部の金融機関が現金の欠乏状態にあるようで、銀行やATMには人々が殺到しているとのこと。送金したお金の受け取りに時間がかかったようです。
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(送付額・受取手・受取額)
支援金第一弾 送付額 ¥1022000(うち送金手数料¥30000)
ワーセル19181TL
ワーセルの妻23150TL
ガーセム23811TL
ムハンマド21564TL
ゲッスン21564TL
ローバ21564TL
受取額 合計 130834TL
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以上の130834TLをさらに以下の地域に送金、現地で分配し、テントや路上で避難生活を送るシリア人被災者の家族に送金しているところです。またこうした送付や受け渡しには、信頼できる親族・知人にそれぞれお願いしています。
<トルコ> 送付額66142TL(送金手数料を引いた¥500000分)
○ガズィアンテップ県ガズィアンテップ市
○ハタイ県アンタキヤ、レイハンル
○メルスィン
<シリア> 送付額64692TL(送金手数料を引いた¥492000分)
○シリア北西部イドリブ県
○シリア北部アレッポ県アフリン市ジェンデレス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シリアへの送金については、シリア北部のラッカ、アレッポ県アル・バーブに住んでいる夫の二人の兄に委託します。
兄たちがシリアのアル・バーブで支援金を受け取り、アレッポ県アフリン市ジェンデレス、さらにイドリブ県まで、直接支援金を持って受け渡しに向かうことになりました。
反体制派支配地域であるシリア北西部イドリブ県は、政治的理由で特に国際支援が入りにくい地域ですが、シリア在住のシリア人だからこそ、現地のネットワークの中で支援金を運ぶことが可能です。
まさに日本、トルコ、シリア間で、親族のネットワークをフル活用した支援金送付の道ができております。
多くの皆様からのご支援に心より感謝しております。いただいた支援は現地に順次お届けしていますのでご安心ください。また後ほど、どこにどれだけ送金し、どういった支援に使われたなどの報告をさせていただきます。
何か質問などございましたら遠慮なくお問合せください。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうもありがとうございます。
小松由佳
(2023年2月20日)
【地震で被災したシリア難民への支援をたくさんいただいております】【トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)】
皆様、こんにちは。このところ、トルコ大地震の被害のことで頭がいっぱいです。現地では、地震後一週間が経過しても、大変厳しい状況にあるようです。
先日は、地震で被災したシリア難民のコミュニティへ、支援金を集めさせていただきたいと呼びかけたところ、すぐにたくさんの方々より反応がありました。
なんと驚くことに、すでに100万円近い支援金が手元に届いております。皆様の温かいお気持ちに、感謝しかございません。どうもありがとうございます。
昨日早速、その一部を、地震被害の大きかったトルコ南部のレイハンル、アンタキヤに送金しました(後ほど、どこにいついくら送金したかの詳細を、ご報告いたします)。
被災地域はシリア難民が多く暮らす地域であり、かつ彼らのほとんどが避難してから10年未満で、トルコ社会でも貧困層として知られています。
トルコ人もシリア人も同様に被災はしていますが、圧倒的多数が正式な国籍を持っていないこともあり、人道支援はどうしてもトルコ人優先となり、シリア人は公的避難所を利用できなかったり、食料や薪(暖をとる)などの配布、病院での治療、さらには行方不明者の捜索現場においても、トルコ人が優先されている現状が見受けられます。
私は個人的に活動しているため、NGOなどが手がける大きな支援ではありませんが、直接繋がっている顔の見える関係性のなかで、助けを必要としている社会的弱者であるシリア人へ、支援をお届けしたいと思います。
また、国際支援が届きにくいと言われている被災地、シリア北西部イドリブ県の反体制派地域にも親族や知人がおりますので、そのネットワークから、今後そちらにも支援をお送りできたらと思います。
今回の被災地域は、2015年以降まさにシリア難民の取材のため足繁く通ってきた地域です。これまで現地に子供を連れて取材に行き、多くの人々に支えられてきました。今度は、被災し苦しい状況にある人々に、少しでもお気持ちを届けるお手伝いができたらと思っています。
被災したシリア難民のご支援にご協力いただきました皆様、本当にどうもありがとうございます。いただいた支援は間違いなく現地にお送りすることをお約束し、支援が人々の生活維持、生活再建に役立てられていくことを祈るばかりです。
▼【トルコ地震で被災したシリア難民の家族・知人に、支援金を集めさせていただきたいと思います】
https://yukakomatsu.jp/category/news/
<お問合せ・ご不明点について>小松由佳(nameless.star.yuka@gmail.com)
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また支援金を集めさせていただく上で、現地の状況について把握を心がけています。
今回、現地の支援がどこまで行き届いているのか、現地でどのような問題が起きて、どのようなことに悩んでいるのかなどを、トルコ南部ハタイ県在住のシリア難民に取材しました。ご覧ください。
(以下は、「小松由佳有料会員コンテンツ」に投稿した記事ですが、多くの方に関心を持っていただきたく一般公開させていただきました)
▼【トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)】
https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。 小松由佳(2023年2月13日)
トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)
(こちらの記事は、有料コンテンツの内容ですが、多くの方に関心を持っていただきたい内容のため、一般公開させていただいております)
6日にトルコ南部で発生した大地震から一週間が経過しました。犠牲者の数は日増しに増えており、最終的に犠牲者の数は五万人近くまでのぼるのではという、国連事務次長の見解も発表されました。
シリアとトルコ、両国にまたがって起きたこの地震では、両国に甚大な被害が報告されています。またトルコ南部では、戦争から逃れてきたシリア難民がかなり被災しています。
地震の被災地域は、まさに私が2015年以降取材を重ねてきた地域であり、親族や知人も被災しているため、現地の状況と合わせてシリア難民の現状をご報告していきたいと思います。
地震の被害が大きかったトルコ南部ハタイ県、県都のアンタキヤやシリア国境のレイハンルでは、多くのシリア難民が避難生活を続けています。
以下、複数の知人に12日にインタビューをした内容となります。

<地震後の支援、生活についてインタビュー(トルコ南部ハタイ県)>
—–現在の生活状況はどうですか?
レイハンルやアンタキヤでは、新築の建物を除き、かなりの建物に大きな亀裂が入ったり、壁や天井が壊れており、そのまま暮らし続けることができない状態です。多くが、倒壊の危険のない親族や知人の家に身を寄せあったり、道路脇の空き地や広場、公園でテントで寝たり、車の荷台で寝ています。とにかく寒くて辛いです。
—–支援は?足りていないものは?
支援機関からの食糧と水の配給はあるが、暖を取るための薪や炭、毛布がとにかく足りません。非常に寒く、寒さから命を落とす人(地震で怪我をしていた)、流産する妊婦も周囲で出ています。
また、トルコ系の支援機関の場合、食糧や水の配給はトルコ人が優先され、シリア人は後回しにされたりもらえないこともあってトラブルになっています。海外の支援機関ではそうした区別はなく、トルコ人もシリア人も平等に配給されています。
一番必要なのは寒さを凌ぐための毛布や、火を焚くための薪や炭です。薪はトルコ人には無料で配布されるがシリア人には配布されず、シリア人は自分で買わなければいけません。しかもすごく高価なのに加え、一回に20キロほどしか売ってもらえず、みんな寒さで震えています。
薪は地震の前は1キロ3トルコリラ(2023年2月13日現在、約24円)でしたが、今は1キロ3ドルほどに値上がりました。トルコ系の支援機関が大量に買い占めて、トルコ人にだけ配布しているのも目にしています。
炭は一袋25キロで地震前は140トルコリラ(約1120円)、今は約300トルコリラ(約2400円)です。
*薪と炭は、通常同時に使う。価格はレイハンル・アンタキヤでの価格。ちなみに地震前のこの地域のトルコ人の平均月収は日本円で約45000円。シリア人の平均月収は約25000〜30000円だった。
——緊急時の支援の場でも、トルコ人とシリア人では、支援に区別があるという話に驚きました。
ここ(被災地)では公然のことです。地震前からシリア人は差別されてきました。地震の後も、病院ではトルコ人の患者が優先されますし、食糧や水、全てに至るまで、シリア人は後回しになります。
病院では、大怪我をしたトルコ人はヘリコプターで別の病院に搬送されたりしますが、それがシリア人の場合、されません。またシリア人の多くは、重症であるにもかかわらず入院が認められず、暖をたけない状態の家に返され、寒さのためにかなり衰弱しています。
アンタキヤでは、被災者のための避難所がつくられましたが、トルコ人のみが利用でき、シリア人は利用できません。公的なサービスも、明確にトルコ人とシリア人を区別しています。
まあ、ここはトルコ人の国なのです。しかし、地震前からシリア人に向けられていた区別が、この災害によってより強くなったと感じます。多くのシリア人はそれについて怒りを感じていますが、どうしようもできません。

——公的な支援を受けられにくいということでしたが、シリア人同士で助け合いはありますか?
はい、シリア人同士で、安全な家があれば親族や知人を受け入れたり、食糧や衣類や毛布などを分けあったりと、助け合っています。我々は助け合うことしかできませんから。アンタキヤにはシリア人の行方不明者がまだたくさんおり、こうした行方不明になっているシリア人の友人の捜索も手伝っています。遺体が見つかれば、現実に打ちひしがれている家族に代わり、埋葬の手伝いも進んでします。皆、自分ができることで助けを必要としている人の役に立とうとしています。
——困っていることはありますか?
トルコ人とトラブルになることが増えてきました。配給でも、トルコ系の支援機関だとシリア人だけもらえなかり、避難場所もシリア人だけ利用できなかったりで、こうした区別からトラブルが起きています。
また私たちも(小松のシリア難民の友人)、アンタキヤで行方不明になっている友人の家族の捜索に行き、建物が倒壊した現場で、重機で掘り起こす作業を依頼しました。しかし埋まっているのがシリア人だと分かると後回しになり、トルコ人の犠牲者の捜索が優先されました。それについて抗議したところ、私の兄はトルコ人の集団に殴られ、鼻の骨を骨折しました。犠牲者がシリア人だと、重機での捜索も後回しになります。ひどいことです。
——今後の生活についてどう考えていますか?
どうすればいいか全く分かりません。この先のことを考える前に、今を乗り切ることで頭がいっぱいで、まだ先のことを落ち着いて考える余裕がありません。住んでいた家は壊れてしまったので家を探さなければいけませんが、十分なお金もなく、仕事もなくなりました。しかもシリア人は移動が制限されているので(トルコではシリア人の大規模な移動を規制するため、難民として登録された県から出るために許可が必要で、自由な移動ができない)、県外に暮らす親族のもとにも行けません。
——コロナ後、難民としての保護を求めてヨーロッパに移動をするシリア人が目立ちました。この災害により、ヨーロッパ移動を希望するシリア人は増えるでしょうか?それともトルコでの生活再建を考えるでしょうか?
正直なところ、本当に望んでトルコに暮らし続けたいシリア人はほとんどいません。地震前からかなりのシリア人がヨーロッパに移動することを希望していました。でもそれは高額なので、現実的にできないというだけです。
実際、これからヨーロッパへ移動するシリア人はもっと増えると思います。お金に余裕がないシリア人は、トルコで生活を続けるしかないでしょう。
—–地震で被災した人々にとり、シリアに帰るという選択肢はありますか?
帰る人も増えると思います。シリアに帰るということは、生活レベル(シリアでは電気、ガスの供給が不安定。教育環境も整っておらず)や将来の可能性(一度シリアに帰ると、トルコに出てくるのは非常に困難になる)をかなり落とさねばならず、ひどい暮らしを続けるということです。だからトルコに逃れた多くの人は、トルコでの生活再建を努力してきました。しかしトルコは物価が非常に高く、暮らしていくのが大変です。さらに地震で家もなくし、仕事もなくなり、トルコ政府にも我々はトルコ人のように守られません。
シリアに帰っても、トルコにいても、生活が厳しいのは同じです。どちらがマシか、という感じです。
それでもシリアに帰ってしまったら、家族でトルコに戻ることはほぼできなくなるので、子供たちの将来のために、私自身はやはりトルコに残って、厳しい生活を続けることを選びます。
——今、どのような支援を必要としていますか?
やはり、寒さが大きな問題です。毛布や薪、炭を買うための支援を最も必要としています。寒くて子供たちが病気になっています。病気になっても、病院は怪我人で溢れていてみてもらえず、薬も買うことができません。シリア人は地震前は、難民のIDがあれば薬代や医療費は無料でしたが、地震の後は薬代も医療費も支払いが必要となりました。
実際、かなりの人が地震で崩れてきた建物によって怪我をしていて、薬や医療品を買わなければいけません。しかしそれらはとても高価で、買うことができずにいます。地震で命が助かった人も、寒さや医療ケアが受けられないことで衰弱しています。本当に、ひどいことが起きています。
(2023年2月12日 インタビュー:
ムハンマド・サリーム(レイハンル))
アブドュルラフマン・メイヤッド(アンタキヤ)
ジャーラッラー・ジャーラッラー(レイハンル)
記録:小松由佳)

〜最後に、懸念していること〜
シリア難民のインタビューから、現地ではトルコ人が支援現場において優遇され、シリア人は区別を受けていることを聞きました。皆同じく被災しているので、もちろん同じく支援を行うべきではありますが、現地でのやり方、考え方もあるのだと思います。物資が必ずしも十分ではないなか、まずは自国民を優先して守る、というトルコ側の立場も、ある意味理解できるところです。しかし行政がそれを主導してしまうのは、やはり残念でなりません。また、被災後の緊急事態において、こうしたシリア人への区別が露骨に見られることで、ますます両者の対立感情が拡大していくのではないか、それが結果的にシリア人のトルコでの生活再建をよりしにくくしていくのではないかと気になりました。人間が共存するということの、きれいごとだけではない難しさを感じています。
小松由佳
【トルコ地震で被災したシリア難民の家族・知人に、支援金を集めさせていただきたいと思います】
2月6日に発生したトルコ南部からシリア北部にかけての地震では、二万人を超える犠牲者が出ており、今も行方不明者の捜索が続いています。
トルコ南部には多くのシリア難民が暮らしており、夫の親族や知人もこの地にたくさんいることから、2015年以降、シリア難民のコミュニティを取材してきました。
彼らが暮らしていたのはトルコ南部ガズィアンテップ、オスマニエ、アンタキヤ、レイハンルなどで、いずれも被害が大きかった地域です。特に多くの建物が倒壊したアンタキヤでは、親族や友人が亡くなっています。
また無事に避難した人々も、建物の倒壊の危険から家に戻れず、路上や空き地、公園、車などで避難生活を続けています。
もともとトルコ社会の最底辺層として困窮していた彼らが、地震によってさらに厳しい生活に追い込まれており、しかもこうした不安定な生活がしばらく続きそうです。
今後の生活の不安や、寒さ、日々の食糧の確保に苦しむ彼らに、生活支援金を集めてお送りできたらと思っています。
集めさせていただいた支援金は、直接現地の家族、知人に送り、水や食料、暖をとる薪、薬や医療品など、生活維持に必要な物資の購入に使っていただく予定です。
NGOが行うような大規模な緊急支援ではありませんが、手の届く範囲、顔の見える範囲で、「応援しています」の気持ちと共に現地にお送りしたいと思います。
もし賛同いただけましたら、皆様のご協力をどうぞよろしくお願いします。いただいたご支援は、私が責任を持って現地に送付します。
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【 地震で被災したシリア難民への支援金 お振込先 】
三井住友銀行
八王子支店
普通
8553199
コマツ ユカ
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以上、どうぞよろしくお願いします。
小松由佳

(2023年2月11日)
オンラインイベント「シリア難民の子供に教育機会を」のお知らせ

オンラインイベント「シリア難民の子供に教育機会を(令和学校プロジェクト)」12月17日17:00〜
今年、世界の総人口は1億人を超えましたが、難民の総人口も1億人を超えました。世界では今も多くの紛争が続き、多くの難民が厳しい生活を強いられています。
2011年以降内戦状態となったシリアでも多くの難民が生まれ、多くの子どもたちが教育の機会のない状況で成長しています。
現在、シリア難民の子供の支援活動を手がけるNGO、ボンヤーンが、シリア北部に学校を作るための支援を募っており、その関連イベントとして難民の子供たちの教育の問題にフォーカスしたオンラインイベントを開催します。
自らシリア難民として、現場の第一線に立つボンヤーンのスタッフから、リアルな現地報告も聞ける貴重な機会です。小松も後半、現地取材で見た難民の子供の状況などをお話いたします。是非お気軽にご参加ください。
日時:2022年12月17日(土曜日)17:00~19:00
会場:zoomによるオンラインイベント
モデレーター:アルマンスール アフマド氏(Key Message International顧問)
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(スケジュール)
17:00~17:05 開会のあいさつ:岩澤康一氏(Key Message International代表)
17:05~17:40 ムハマド・アディル氏(ボンヤーン、パートナシップ&PRコーディネーター):「令和学校プロジェクト」について
17:40~18:15 ムハマド・ガダーリ氏(ボンヤーン、フィールドオフィサー):シリアの現在の人道状況について
18:15~18:45 小松由佳氏(ドキュメンタリーフォトグラファー) :トルコに生きるシリア難民の子供たち
18:45~18:55 質疑応答
18:55~19:00 閉会のあいさつ:アルマンスール アフマド氏(Key Message International顧問
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参加ご希望の方は、添付ポスターのQRコードより、または以下のアドレスからご登録をお願いします。
NGOボイヤーンの、クラウドファンディングページ:
〜シリア北部に学校を建設するための支援を募集しています〜
NGOボンヤーンについて
「小松由佳 取材報告会 2022」12月11日開催のお知らせ
【 12月11日は、いよいよ最後の取材報告会です 】
11月より何度か取材報告会を行わせていただきましたが、12月11日は最後の取材報告会となります。
「小松由佳 シリア難民 取材報告会2022 」
期日:12月11日 13:30〜15:30
参加費:1000円
会場: 「Cafe Hammock(カフェ・ハンモック)」
(中央線三鷹駅徒歩5分)
会場はハンモックがお楽しみいただけるカフェとのこと。ハンモックにゆらゆら揺られながら報告をお聞きください。また当日は、アラブ菓子やアラブのコーヒー、お茶などをご用意します。アラブ文化を五感で味わいながら、和気あいあいと交流をさせていただきたい忘年会のようなイベントです。
当日の予約なしの参加も可能ですが、人数把握のため、参加ご希望の方は、私宛に直接メッセージをいただけましたらと思います(HPの「コンタクト」より、ご連絡ください)。皆様にとってお忙しいだろう年末間近のイベントとなりますが、是非お誘い合わせのうえご参加ください。以上、どうぞよろしくお願いします。
小松由佳
11月28日開催 「オンライン取材報告会 2022」の視聴はこちらより
11月28日の20時より、「小松由佳 オンライン取材報告会 2022 」を行わせていただきました。報告会を録画しましたので、ぜひ以下よりご視聴ください。
「 小松由佳 オンライン取材報告会 2022 」について
2022年7月から3ヶ月をかけ、トルコ南部に暮らすシリア難民の取材を行いました。トルコでは、670万人近いシリア難民のうち380万人が暮らしています。今年も6歳と3歳の子供たちを連れ、現地へと向かいました。そこで目にしたのは、コロナ後の難民生活の深刻な変化でした。今、難民たちがどのような状況に置かれているのかを、お話しします。
また今回は、11年ぶりにシリアに向かい、(シリア難民の一人である)夫の故郷パルミラに入りました。空爆で破壊された街で目にしたもの、考えたことなどを写真を交えてお話ししたいと思います。
年々、シリア難民の報道は少なくなっておりますが、今も多くの難民たちが苦境の中を生きています。少しでもシリア情勢や難民の状況に、多くの方が関心を抱いてくださるよう、今後も取材と発表を続けていきたいと思います。
報告の主なテーマ
・シリア難民への反発が強まるトルコ社会
・欧州を目指すシリア難民
・シリア、パルミラの今
・シリア人の結婚文化
小松由佳プロフィール
1982年秋田県生まれ。ドキュメンタリーフォトグラファー。高校在学中から登山に魅せられ、国内外の山を登る。2006年、“世界で最も困難な山”と称される世界第2の高峰K2(8611m / パキスタン)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞(2006年)。
次第に風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2008年よりシリアを撮影。2011年からのシリア内戦では人々の境遇の変化を目撃、シリア内戦・難民の取材を始める。
著書に「人間の土地へ」(集英社インターナショナル/2021年9月)。2021年、山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。シリア人の夫と二人の子供と東京都八王子市在住。公益社団法人日本写真家協会会員。
視聴URLはこちらより
*注意点*
恐縮ですが、こちらは第三者への譲渡や、インターネット上での公開を禁止しております。ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
11月26日、亜細亜大学様での取材報告会が終わりました 〜反省と裏話〜
11月26日開催の亜細亜(アジア)大学様での取材報告会が終わりました。当日は、学生を含め、さまざまな層の方々に聞いていただきました。ご来場された皆様、どうもありがとうございました。

亜細亜大学へ
当日は気持ち良い秋晴れのなか、武蔵境駅から徒歩15分ほどの亜細亜大学へ。会場は大学ならではの、200人が聴講できる教室でした。なんと言ってもスクリーンの大きさが素晴らしく、写真が大迫力で見ていただけそうです!
イベントは15時から。一時間前の14時には、司会の岡崎弘樹先生(中東政治の研究者)とコメンテーターのナジーブ・エルカシュさん(シリア人ジャーナリスト)と打ち合わせ予定でしたが、コメンテーターのナジーブさんの姿が見えず。岡崎先生が電話すると、なんと「まだ千葉!!!」とのことで、岡崎先生も、「もう〜、ナジー、頼むよ〜」とツッコミを入れておりました。
ナジーブさんは普段、アルジャジーラなどと契約し、日本など東アジア地域のニュースをアラブ系メディアに配信しているジャーナリストです。2日前にバンコクから10日ぶりに帰国したばかりで、お疲れの様子。
この日、ナジーブさんは子供の預かりを急遽しなければいけなくなったようで、子供を連れてくることがなかなかうまくいかずに遅れているとのこと。それは大変です!私自身も、突然の子供の体調不良など、こうした子供の預かり先をめぐる問題にたびたび苦労してきたので他人事とは思えず心配しました。
そのうちイベント開始時間へ。ナジーブさんは、イベントが終わるまではなんとか来るだろうということで、それもまた、アラビックタイムの文化(時間にとらわれずゆったり過ごす)を体現されているかのようで、貴重なご来場タイミングだと思いつつ、お話を始める時間となりました。

反省点
結果、20日の関野さんとの対談報告会の時よりも、より情勢やシリア難民の現実などに特化した専門性の高いお話をする予定だったのですが、結果的に、あまり変わらないお話となってしまいました。
また、お話ししたい気持ちが先行して話がとても伸びてしまい、申し訳ないことになりました。結果、私は話が伸びすぎ、ナジーブさんは遅れ、司会の岡崎先生に大変に申し訳ないことになってしまいました(岡崎先生、すみません)。
以下、今回の講演会で考えた反省点です。これらを次回以降しっかり生かしたいと思います。
・パソコンの画面ではなく、1秒でも多く、聴講者のほうを見て話すこと。
・座って話すより立って話す。話し手の体がより多く見えていたほうが、聴講者が話に入りやすい。
・一方的にこちらで話し続けるのではなく、聴講者に問いかける。話の内容について考えていただくことで、聴講者がより話に入り込める、共感できる。
・ユーモアを織り込む。真面目な話だけでは、人は聞きづらい。
・五感に伝わる表現を心がける。視覚、聴覚、味覚などが刺激されるような、具体的なエピソードのお話をする。
・一時間以上話すなら休憩をとる。またどんなに長い話でも90分でおさめるようにしたい。
以上、反省も多いですが、じっくりお話をさせていただきました。その後、17時近くになってナジーブさんが子供たちと到着され、質問タイムの後、コメントをいただきました。そのお話が、まさにシリア人からの視点であり、本当に素晴らしいものでした。
以下に、特に心に響いたいくつかのお話を書きたいと思います。

心に響いたナジーブさんのお話
<ナジーブさんの話より>
・パルミラに残るパルミラ遺跡は、シリア最大の観光地だった。一方でパルミラには、シリア最悪とされる刑務所があった。たくさんの観光客を集めるパルミラ遺跡は表のシリアで、刑務所は裏のシリアだった。パルミラは、その二つが同時に存在する街だった。
・パルミラにあった刑務所では、非人道的な扱いが繰り返されてきた。こういうことをやれるのは人間じゃないと言えるほどの、世界でもシリアにしかないようなひどい拷問が行われてきた。パルミラの刑務所に入っていた人が書いた『巻き貝』という本があるが、それを読むとどんなに酷いことが行われてきたか分かる。例えば、2人がやっと立てるような、呼吸もやっとできるくらいの狭い空間に監禁されて立たせられ続け、座らせないという拷問もあった。どちらか一人が死ぬまで、または死んでも立たせられ続けたり。
・ISとシリア政府は共通点がとても多い。特にメディアを使った印象操作など。ISが2回目にパルミラを占領し、それを再び政府軍が奪還した後、政府はパルミラ遺跡の円形劇場で、ロシアの楽団を呼んでオーケストラ演奏をさせたりした。斬首など恐ろしい刑罰を行うISよりも、オーケストラ演奏などをする政府の支配のほうが、より文化的で優れているのだというプロパガンダではなかったか?
・パルミラは、シリアの中で「見捨てられた街」と言われている。現アサド大統領の故郷ラタキアからも遠いし、ISに攻められたときに、迅速に守られなかった。
・パルミラ遺跡などパルミラの考古学には、イタリアと日本が非常に深く関わってきた。沢山の日本人の考古学者がパルミラで働いた。しかし、パルミラの考古学者ハーレッド・アサド氏がISによって殺害されても、日本のメディアはほぼ反応がなかった。イタリアではもっと大きく取り上げられて、彼の功績が讃えられたのに。
・ISがパルミラの博物館を破壊して遺物を持ち去ったりしたとされるが、それ以前に、その何倍もシリア政府が国外に密輸していた。
・日本の人々には、シリアについてもっと連帯を示してほしい。日本には、(専門家でも)間接的にシリア政府を応援している人がたくさんいて不満を感じる。
以上、ナジーブさんのお話しでした。
ナジーブさんのお話の中でも、「表のシリアと裏のシリア」という言葉にハッとさせられました。

イベント後は、関係者で打ち上げへ。その間も、2人の子供たちをあやし、ご飯を食べさせ、歯磨きさせてお世話をするナジーブさんのイクメンぶりに驚きました。ジャーナリストとして一流のお仕事をされているプロフェッショナルなナジーブさん。お仕事だけでなく、全てにおいて真摯に誠実に、そして前向きに取り組んでいる姿を感じました。
帰りがけ、そのナジーブさんからこんなお話が。非常に考えさせられる、むしろ今後考えていくべき内容だったので、以下に記録として書きたいと思います。
「小松由佳 オンライン取材報告会」11月28日 20時開催 の参加申込先について
こちらはzoomを使ったオンライン取材報告会です。
小松由佳HP有料コンテンツ会員の皆様、取材前にサポートをいただきました皆様、困窮されている方々は無料で参加いただけます。一般の方は、恐縮ながら参加費1000円をいただきます。ご自宅から是非、まったりご参加ください。視聴のお申し込み先は以下となります(HP有料コンテンツ会員の皆様はお申し込み不要です)。
https://peatix.com/event/3426889/view?k=ef67876df8674a8f7f070d0a9ce272deff91d9fd
お知らせが大変遅くなってしまい申し訳ありません。どうぞよろしくお願いいたします。またこちらは録画しますので後日視聴も可能です。ご希望の方は、HPの「コンタクト」より、その旨をご連絡ください。
探検家、人類学者の関野吉晴さんとの対談イベントが終わりました
11月20日のイベント、「地球永住計画 公開講演 〜冒険者たち〜 小松由佳(フォトグラファー)×関野吉晴(探検家・医師)」が無事終わりました。
当日は、多くの方にお越しいただき、満員御礼をいただきました。どうもありがとうございました。こちらのイベントは会場の都合で人数制限がありましたが、26日からオンデマンドで3日間視聴いただけます。オンデマンド視聴のご案内は、公開され次第、ご案内します。
人類学者でもある関野吉晴さんとの対談を楽しみにしていたのですが、後半は現場での経験を一人で話してしまい、関野さんに申し訳ないことになりました。関野さん、すみませんでした。

打ち合わせでお茶をした際、かつて関野さんがグレートジャーニーの旅をされた国々が、その後の戦禍で立ち入れなくなった地域も多く、シリアもそうした地域のひとつだと聞いていました。もっとその当時の話をこちらから質問したらよかった、と反省しきりです。関野さん、ありがとうございました。
また最後の質問タイムでは、「パルミラで破壊された街や、そこに暮らし続けている人々を目にして大きなショックを受けた」と話をしたところ、あるお客様より、質問がありました。
「取材を終えて死生観は変わりましたか?」
死生観も変わったのかもしれないけれど、それ以前に、やはり人生観が変わりました、とお答えしました。取材は、人生経験を積む場となりました。
詳細は、26日以降から3日間限定のこちらのイベントのオンデマンド視聴や、別の会場での取材報告会にて聞いていただきたいです。今週26日には、亜細亜(アジア)大学様にて取材報告会があり、そちらでもお話いたします。
また、今回のイベントは日曜の夕方からということで、いつもながら子供をどうするか問題が勃発。東京都国分寺市の知人に子供たちを預かっていただけることとなり、大変助かりました!預け先は国分寺市恋ヶ窪の「憩い広場びぃだま」のY夫妻。子供たちは、Y夫妻を「びぃだまじいちゃん、びぃだまばあちゃん」と呼んで慕い、いつも可愛がっていただいております。
当日はサツマイモ掘りをさせてもらい、大きな大きなサツマイモがたくさん採れました。最後にピザにのせて食べたとか。Y夫妻、ありがとうございました!





また、こちらの「憩い広場びぃだま」は、一日一組限定でランチを出しており、イベントも開催しています。来年1月14日には私のトークイベントもやらせていただくことになりました。会場は、今年新築したばかりの木の温もり溢れるとても素敵なログハウスです。こちらも是非、ご参加ください(最寄駅は西武線恋ヶ窪駅です)。
以上、たくさんの皆様に活動に関わっていただき、取材報告会の一つ目が終わりました。どうもありがとうございました。さて、取材報告会はあと3回続きます。引き続きよろしくお願いします。
小松由佳


〜以下、今回のイベントの裏話〜(以下は、有料会員の皆様のみご覧いただけます)
取材報告会のお知らせ(2022年11月22日)
皆様、7月から10月にかけて行ったシリア難民の取材では、たくさんの応援とご理解をいただき、どうもありがとうございました。精神的に疲れを感じるほどに、自分ができうる限りのぎりぎりの深い取材ができました。これから、取材内容をしっかり発表するべく、動き始めています。
取材報告会の開催・企画までに時間をいただきましたが、今月より報告会を行わせていただきます。ぜひご参加いただき、現地の感覚を追体験いただけましたら嬉しいです。実に波乱万丈の取材でした・・・。
大変ありがたいことに、亜細亜大学講師の岡崎弘樹先生や、探検家・人類学者の関野吉晴さんからもお声がけをいただき、複数の会場にて、報告の視点を変え、報告会を何回か行わせていただきます。今のところ、リアル報告会が3回、オンライン報告会が1回の予定です(お声がけいただけたら、もっとやらせていただくかもしれません)。
取材報告の主なテーマは以下になります。
シリア難民への反発が強まるトルコ社会 / 欧州を目指すシリア難民 / シリア、パルミラの今 / シリア人の結婚文化
ぜひご参加ください。
**************************************************
< 今後の取材報告会 >
①11月20日 19:00〜21:00 「 地球永住計画 公開講演 〜現代の冒険者たち〜 」
関野吉晴(探検家・人類学者・医師)× 小松由佳(ドキュメンタリーフォトグラファー)
武蔵野プレイス(東京都・武蔵境駅すぐ)にて 参加費1000円(オンライン視聴の場合)〜1500円(会場にて参加の場合)
グレートジャーニーの探検家でもあり、人類学者の関野吉晴さんとの、対談形式の報告会です。関野さんの人類学者的見地からの、ユーモアあふれるお話が満載の予感です。こちらは会場の都合で、会場にて参加可能な人数が40名限定です。その後、オンライン視聴が可能です。お申し込みサイトは以下より。
・当日払いチケット 1500円
https://www.kokuchpro.com/event/852157af876f20654f44ce2c7da2f2e0/
・前売り特別割引チケット 1000円
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01kkw4hb89q21.html
・オンデマンド収録配信 視聴チケット 1000円(11/26配信)
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01qkyhdrjaq21.html
②11月26日 15:00〜17:00 「 <現地>から考えるシリアの現在 」
亜細亜大学武蔵野キャンパスにて 入場無料・事前登録不要
日本在住のシリア人ジャーナリスト、ナジーブ・エルカッシュ氏がコメンテーター、シリア政治文化が専門の研究者、岡崎弘樹先生が司会を務めます。大学での開催ということもあり、よりシリア情勢の専門的視点に特化した報告会です。ナジーブさんの、シリア人もびっくり冗談満載トークに注目です!事前登録など不要です。

③11月28日 20:00〜22:00 「 小松由佳 オンライン取材報告会 」zoom使用 後日視聴可能
平日の夜となりますが、zoomを使ったオンライン取材報告会です。小松由佳HP有料コンテンツ会員の皆様は無料で参加いただけます。一般の方は、恐縮ながら参加費1000円をいただきます。夕食を食べながら、コーヒーを飲みながら、ご自宅から是非、まったりご参加ください。視聴のお申し込み先は、後ほどお知らせいたします。
④12月11日 「小松由佳 取材報告会 」 時間・会場未定(午後13時頃から16時頃まで、都内にて予定)
こちらは、日曜日の午後に開催予定のリアル報告会です。小松由佳による、シリア文化体験を織り交ぜた、ざっくばらんな雰囲気の報告会を考えています。シリアのお茶やコーヒーを飲んだり、お菓子を食べたり。取材報告会でもあり、シリア難民の世界観に触れられる時間となるよう企画中です。お申し込み先は、後ほどお知らせいたします。会場を現在探していますので、ご存知の方は、ぜひご紹介ください(プロジェクター・スクリーンの使用、飲食、金銭のやり取りが可能な会場)。参加費は、1500円を考えております。
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以上、どうぞよろしくお願いいたします。会場にて、皆様のご参加をお待ちしております。
ほか、取材報告会についてのお問い合わせは、以下の「コンタクト」よりお願いいたします。
取材を終え、日本に帰国しました
10月5日、子供たち二人とともに、無事成田空港に到着し、日本に帰ってきました!懐かしの日本に感無量です。
これまで最高気温30度が続くトルコ南部にいたため、すっかり冷え込んだ日本の寒さに驚いています。成田空港を出た瞬間、かすかに野焼きの匂いがし、トルコでは嗅ぐことのないその独特の草の匂いに日本に帰ってきたことを実感しました。
今回の取材では、トルコの情勢変化からヨーロッパを目指して海を渡る難民の動きが顕著であり、実際に親族の数名が旅立つ姿を取材できました。次の投稿で書きますが、その後彼らは1ヶ月ほどをかけてドイツまで徒歩で到達し、すでにドイツで難民申請をしています。トルコ南部に暮らすシリア難民の親族の半数が、来年はそこにいないかもしれないという、まさにその激動を見ることができました。
また11年ぶりに入国したシリアでの取材は、この数年間の夢の一つであり、この取材が実現できたことでひとつの区切りがつきました。なかでも夫や親族の故郷であるパルミラの地に立ち、そこがどうなっているのかをこの目で見ることができました。それは一生忘れられぬ記憶となるでしょう。パルミラでの写真も、少しずつこちらでご紹介していきたいと思います。
この3ヶ月の取材期間は、とにかく長い、長い3ヶ月で、心身ともに疲れ切りました。子供たちもこの長い取材によくぞ付き合ってくれました。子供たちは例年の如く行く先々で大暴れし、現地の子供と輪になって遊び、一気にアラビア語が堪能になり、ますますワイルドになりました。
6歳と3歳の子供を連れた子連れ取材も、写真を撮影する時間よりも(言うことを聞かない)子供を静止する時間が長くなり、あまりの集中できなさから、物理的に撮影が不可能になってきました。そんななか、よく写真を撮ろうとしたと、我ながら感じます。これまで気合いでカメラを手にしておりました。来年からは長男も小学生。これまでのように長い休みは取れなくなります。子連れ取材も、少しずつ変化のときを迎えそうです。
さて、今回の取材では皆様にたくさんの応援やサポートをいただきました。日本円やドルでのカンパや、日焼け止め、色鉛筆などさまざまな応援をいただき、3ヶ月に及ぶ取材を無事終えることができました。皆様には心より感謝しております。本当にどうもありがとうございました。
取材は終わりましたが、これからが本番です。取材内容をたくさんの方にお伝えできるよう、より良い取材の発信を頑張ります。
また先日は、シリア情勢をめぐるラジオ出演の内容をめぐり、現地報道のあり方や報道の姿勢について深く考える良い機会となりました。皆様にもさまざまなアドバイスやご意見をいただき、感謝しております。それにしても、番組の途中ではミサイル発射のニュースが速報で入ったりと慌ただしい雰囲気となりました。考えてみれば、(私たちは割と慣れてしまいましたが)近隣国からミサイルがたびたび飛んでくる日本も、世界的に見てもなかなかない状態であると思います。世界的に情勢が不安定化しつつある今、国防についても考え直す時期に来ているのかもしれません。
取材を出発する直前、ある元新聞記者の方とお会いし、かけていただいた印象的な言葉があります。
「シリア難民のことだけを伝えて終わるのではなく、シリア難民を伝えることで、自分たちのより良い未来や具体的な日常について考えていけるような、そんな取材を心がけなさい」。
この言葉を胸に、これからも取材や発信を続けていきます。日本に帰ってきましたが、これからがますます忙しくなりそうです。
ひとまず、帰国のお知らせでした。皆様、たくさんの暖かい応援をいただき、どうもありがとうございました。是非今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
小松由佳

シリア取材後、放心状態になっています。本日9月28日18時半より、ラジオ出演いたします。
本日9月28日放送のNHKラジオ「Nラジ」に、取材先のトルコより生出演いたします。
私が出演するのは15分ほどですが、現在滞在しているシリア国境の街レイハンルより、シリア難民の置かれた状況についてお話いたします。
シリア取材を終えトルコに戻ってから、やるべき取材をなんとか継続していますが、放心状態が続いています。
テレビやインターネットでは目にしていたものの、自分の目で見たシリアの状況が、ショックそのものだったからです。
シリア政府機関による厳重な情報統制や、激しい空爆によって廃墟と化したパルミラの街。特に、シリア政府に軍事協力を行うロシア軍による空爆の被害は凄まじいものでした。
一般市民を標的にした重大な戦争犯罪が、シリア政府とその協力者であるロシア軍によって行われ、今も続いています。
私は今、トルコ側のシリア国境の街、レイハンルにおります。
トルコ時間の昨日、9月27日11:30頃、レイハンルの街に地鳴りのような衝撃音が響きました。国境をまたいだシリア側、レイハンルにほど近い「カファル・ロースィーン難民キャンプ」にて、ロシア軍による爆撃があったのです。
爆弾が落ちたのは難民キャンプ内の子供たちの学校で、多数の死傷者が確認されています。難民キャンプには軍事組織もありません。ロシア空軍は、ここにいるのが一般人であることを知りながら空爆を行ったのです。
こうした一般人の居住区を故意に狙うロシア空軍による爆撃が、シリア北西部イドリブ県では今も頻発しています。
写真は、ホムスからパルミラに向かう道中に撮影した看板です。シリアとロシア、二人の国家元首が、軍事上、深い協力関係であることを物語っています。

現在、ロシア軍のウクライナでの蛮行がメディアでも連日取り上げられていますが、それは2015年以降、シリアで民間人に対してずっと行われてきたことです。そして今もなお、こうした無差別爆撃の脅威に晒されている多くのシリアの民間人がいることを、もっと多くの人に知っていただき、関心を持っていただきたいと心から思います。
そんなわけで長い話となりましたが、本日、ラジオ出演をさせていただきます。ぜひご視聴ください。また、放送後一週間は聞き逃し配信もされるようなので、改めてご案内させていただきます。
放心状態のまま、あと一週間ほどで帰国です。
不法移民として、ヨーロッパを目指す親族たち
この夏のシリア難民の取材では、海を渡りヨーロッパを目指す難民が周りにも増えてきたことに驚かされました。その波は親族にも。
シリアに向かう直前に取材した親族たちは、(不法入国という手段で)すでに海を渡り、ギリシャに上陸し、イタリア方面へと向かう難民の道をゾロゾロと歩いています。現在ギリシャを通過し、マケドニアのあたりまで。

こうした難民の動きについて、取材をしながら私は複雑な思いを抱いていました。しかしシリアで人々の内情を目にしたことで、その考えも変わりました。
彼らが本当に安心して帰られる故郷はすでになく、新たな生活を築こうと努力したトルコでも、差別や難民帰還政策の進行(トルコ政府は、380万人ほどいるシリア難民のうち100万人ほどを半ば強制的にシリア北部に帰還させる計画を進めている)により将来が見通せません。
誰もが、人間としての尊厳をもって生きることを望んでいます。例えそれが非合法的な手段であっても、安全と安定とをより見出せる場所へと、難民たちは向かおうとしているのです。


不法移民として移動していくシリア難民の存在を考えるとき、彼らがシリアで何を経験したかを考えるべきではないでしょうか。シリアでこの11年、何が起きてきたのか。それに対し、国際社会がどう動いてきたのか。
シリアから大量の難民が生まれ、さらにこうした難民たちが不法移民としてヨーロッパを目指し、国際社会として対応に追われる背景には、シリアで繰り返されてきた、非人道的行為を直視してこなかった国際社会の責任もあるのではないでしょうか。
私は、どこもかしこも穴だらけになり、屋根も壁も崩れ去ったコンクリート製のパルミラの家々、廃墟になった街を目にして絶句しました。これだけの凄まじい空爆に、それも自国政府による攻撃に、市民が晒されてきたのかと。
シリアにて、人々が難民となっていったその始まりの土地、「ゼロ地点」に立ったことは、難民の存在について考える上で、深い気づきを与えてくれました。



シリア取材より、無事に帰ってきました
今月初めより、取材のためにシリアに入っていましたが、無事に戻ってまいりました。
2011年以降内戦状態となったシリアでは、現在も北西部で戦闘が続くほか、北部をトルコ軍やクルド人勢力が占領し、国内情勢はまだまだ不安定です。物価は内戦前の10〜15倍に跳ね上がり、国内の多くの地域では電気や水道の供給が一日の半分ほど。インフラの不安定ななかを、多くが困窮しながら生活しています。

今回、リスクを考えて二人の幼い子供たちをトルコ南部の親族のもとに残し、単独でシリアに入りました。
取材の最大の目的は、夫のルーツであるシリア中部のパルミラにて、難民となった人々のかつての家を撮影することでした。
パルミラは、シリア砂漠のオアシスの街として、古代から交易の要衝として栄えてきました。最近では街の郊外に残る世界遺産パルミラ遺跡が知られ、多くの観光客も集めていましたが、2015年〜2016年の過激派組織ISによる占領と、その後のシリア空軍の空爆により市街地の8割が破壊され、ほとんどの住民が街を去りました。
7月半ばから行なっているトルコでの取材では、こうしたパルミラ出身のシリア難民に故郷の記憶を語ってもらい、写真を撮りました。
その後私もパルミラに向かい、人々の記憶を取材することで、彼らの現在とルーツとをひとつの線で繋ぎ、難民とはどういう存在であるか、記憶という側面から浮き上がらせらたいと思っています。

周囲を砂漠に囲まれたパルミラは、軍事の要衝として、現在、政府軍、ロシア軍、イラン軍が駐屯しています。特にパルミラの市街地のほとんどが破壊されたことから、パルミラ遺跡以外の市街地への立ち入りは基本的に許可されず、パルミラでの取材は、常に政治部門の警察が同行するという大変に困難なものでした。
撮影は決して満足のいくものではありませんでしたが、昨年他界した夫の父ガーセムの家を目にすることができ、パルミラを体全身で感じてきました。そして何よりも、シビアな体験ではありましたが、一観光客として観光地を訪れたのではない、シリアの実情を経験をすることができました。

多くの皆様にご心配をいただき、気にかけてくださり、どうもありがとうございました。
ここに元気に帰ってきたことをご報告させていただきます。
現在は、トルコ南部のオスマニエにて、子供たちと過ごしています。
取材の間、脳裏から離れなかったのは、子供たちの存在でした。
「あのフニャフニャした、柔らかい小さな手を、早く握りたい」。そう毎夜思い続けたシリアでの日々。やはりほんとうの幸せは、遠くにではなく、ごく近くにこそあるのだと実感しました。
シリア取材の詳細は、追ってまたご紹介したいと思います。
また、シリア取材の詳細なレポートは、私の「HP有料会員コンテンツ」(月額1000円)にて見ていただくことができます。
https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/
シリアでは、一言では語れないさまざまなシビアな経験をし、シリアの実情を知っていただける内容となっています。是非購読ください。

マル秘取材プロジェクトへ行ってきます!

この数年温めてきた、ちょっとしたマル秘取材プロジェクトに、まもなく出発します。インターネットが繋がりにくく、情報発信が危険な地域のため、しばらくfacebookの更新をお休みします。
長男が生まれ、一歳になった2017年以降、子連れパニック取材を続けてきましたが、ここ数年で初めての単独取材です。何年もかけてこの機会が整ったこと、さまざまなめぐり合わせに感謝しております。
誰もが閲覧できるこちらの取材報告ページでは、詳細は取材後のご報告とさせていただき、私の「HP有料会員コンテンツ」にて、現場からの取材メモや経過を、可能な限りご紹介する予定です。
よろしければ是非ご登録いただき、体験の共有と活動の応援をいただけますと嬉しいです。



インターネットが不安定で、zoomホストの私がドロップアウトしてしまった先日の「取材中間報告」も、いまコツコツと収録中。まもなく完成しますので、もう少々お待ちください。
いつも皆様に応援をいただき、心より感謝しております。どうもありがとうございます。
▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)
https://yukakomatsu.jp/membership-join/
こちらは活動を応援いただくためのサイトです。より良い写真活動ができるよう、応援をどうぞよろしくお願いいたします。


(2022年9月5日)
「取材中間報告」の不手際のお詫び

昨日9月1日は、「取材中間報告」をズームにてさせていただきましたが、インターネット接続が不安定になり、なんと私が突然zoom上から消えていなくなり、5分後に戻ってくるという大変なことが起きてしまいました。たくさんの方々に参加いただいたのに、本当に申し訳ありません。
zoom接続をしたのはトルコ南部オスマニエのカフェで、事前に一度、ズームの接続の確認をしていたのですが、不十分でした。
インターネット接続が不安定となり、zoom自体が突然消えてしまった後、再びそのページに戻ろうとしましたが、サインインすると、こんな表示が。
「まもなくホストのYuka Komatsu さんから許可されます」
そのホスト(zoom ルームの主催者)が自分なのだけど、ホスト自体がこうしてドロップアウトしてしまったら、入室が許可されず・・・。こうした場合、どうしたら良かったのか考えさせられました。こういうときのために、ホストを一人、日本からお願いすれば良かったかもしれません。とにかくえらい事態で、皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。
その後、zoomにサインインするのではなく、新しいzoomページを開いたところ、突然元のページに繋がり、戻ることができましたが、参加された皆様にとって前代未聞のことだったと思います。
また、写真ページの切り替えにかなり時間がかかってしまったりと、トーク自体もゆるゆるになってしまい、課題が多く、申し訳ないトークイベントになりました。
再度、インターネット接続のより安定したところで自分で報告会をやり直し、録画したものを、後日、有料会員の皆様と、参加いただいた方々にお送りします。内容ももっと深めて整理します。
不手際が多く、本当に申し訳ありませんでした!
取り急ぎ、お詫びさせていただきます。
小松由佳