(こちらの記事は、最後の<裏話>まで、一般の方にも公開しています)

2月6日に発生したトルコ・シリア大地震の支援金について、本当にたくさんの方々から温かいご支援をいただきました。3月17日現在までにいただいたご支援の総額は、¥5,185,394です。現在、そのほとんどを現地に送付中で、¥2,884,000分は、配布が完了しています。そのほかは配布中です。

これらの支援は被災地のトルコ側とシリア側に折半してお送りしました。シリア側では被災地が政治によって分断され、国際支援が入りにくい状況ですが、シリア在住の二人の兄が支援金配布に協力してくれました。

シリア、パルミラ出身の私の夫は16人兄弟の末っ子で、上には11人の兄がいます。夫の家族のほとんどがトルコ南部に難民として暮らしていますが、シリアには二人の兄とその家族が残っています。一人はトルコ軍が占領するアレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄、もう一人はクルド勢力統治下のラッカ県ラッカに暮らすバーセル兄です。

(中央で下を向いているのがアブドュルラティーフ兄。2009年、パルミラの自宅にて。小松撮影)

アレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄は、内戦以前はパルミラで家屋の不動産業を営んでおり、性格も真面目で真っ直ぐ。兄弟の中でもかなり硬派(兄弟は全員硬派でしたが)な人物でした。道で見かけた女性に四年間片思いした末に結婚したというエピソードも。2016年以降、家族のほとんどがトルコに逃れていきましたが、アブドュルラティーフ兄はシリアから出ることをせず、トルコ側にシリアの食料品の輸出の商売をすることで生活を維持しています。兄が販売するシリア産のオリーブオイルやザクロの濃縮液、ナスの油漬けなどは、トルコで難民になったシリア人の間でもかなり需要があるらしく、商売はうまくいっているようです。

(バイクに乗り、沙漠へラクダの放牧に向かうバーセル兄。2009年、パルミラにて。小松撮影)

(ラクダの放牧中、昼食を食べながらふざける男たち。左側がバーセル。右端のサーメル兄が、友人のハーレッドの顔に、豆のディップをつけ始めた。サーメル兄もハーレッドも2012年に民主化デモに参加して逮捕され、今も行方が知れない。2009年、パルミラにて。小松撮影)

バーセル兄は、パルミラで家業にしていたラクダの放牧の仕事を、今も続けている唯一の兄です。暮らしているのはクルド勢力統治下のラッカ県ラッカ。かつてはイスラム過激派ISの首都となり、ISによる恐怖政治が行われていた地ですが、現在はクルド人の統治下、比較的安定した状況とのことです。

今回、その二人が、皆さまからの支援金をシリア北部および北西部の被災者へ配布しました。以下、そのレポートになります。

バーセル兄からの現地レポート

(3月15日に電話取材をした内容です。バーセル兄は被災地に支援を届けてラッカに帰ってきてから、しばらく沙漠にラクダの放牧に出ており連絡が取れず、お話を聞くのが遅くなりました)

・・・簡単に自己紹介をしてください

私は普段、シリアのラッカ県ラッカに妻や子供たちと暮らしています。仕事はラクダの飼育・放牧業です。ラッカは現在、クルド勢力の統治下にあって政情は比較的安定しています。ここでは地震の被害はありませんでしたが、日本からの支援金を被災地に届けるため、シリア北部のアレッポ県アル・バーブ、北西部イドリブ県に2月末から数日間行ってきました。

・・・支援金を届けた被災地は?

アレッポ県のアル・バーブ、ジェンディレス、アフリンと、イドリブ県のダーナ、サルマダです。

最初に、アレッポ県アル・バーブに向かい、そこに暮らす兄のアブドュルラティーフと合流しました。アル・バーブは地震の被害があまりなかったのですが、被災地から多くの住人がここに避難しています。まず彼らに支援を渡しました。

それからアレッポ県、イドリブ県に行きました。最も被害がひどかったのがアレッポ県のジェンディレスでした。現地では、地域の人々と相談しながら支援金を配布しました。

(左からラッカ、アル・バーブ、ジェンディレス、サルマダ)

(左上の渦状マークが震源地。赤丸は、建物の倒壊被害が激しかった場所。まさにシリア・トルコ国境付近がその被害が大きかったことがわかる)

・・・およそ何家族に支援金を配布できましたか?

およそ80家族です。地震で父親や母親などを失くした3人家族から、子供がたくさんいる8人家族まで人数はさまざまですが、およそ80家族、大体450人ほどに支援金を配りました(日本円にして大体¥10000〜¥15000の範囲で配布いただきました)。

・・・シリアでは、配布した支援金はどのような用途に使われますか?

全てが不足しているので、何にでも使われます。ここでは地震で全てを失った人々がたくさんおり、衣類や食料、毛布、暖をとるための燃料費、テントを買うための資金として使われたようです。

・・・被災地ではどのように人々が暮らしていますか?

被災地ではほとんどの住人がテントか、平屋の建物が、建物の軒下部分で生活しています。被災地の多くの建物にヒビが入っていて、住み続けるのが不安ですし、それ以上に地震が再び来ても、建物の下敷きにならないように注意しているのです。

2月6日に起きた地震は、あまりに突然のすごい地震だったので、皆、今も地震を恐れています。多くの子どもたちや女性が、いつ地震が起きるかもしれない恐怖でよく眠れず、食欲が戻らず、トラウマになっています。

私が訪ねた被災地の中で最も悲惨だったのが、クルド人が多く暮らしていたアレッポ県ジェンディレスでした。ここではかなりの建物が倒壊しました。瓦礫の山がえんえんと続く光景を目にして、ここで起きたことが信じられず、目を疑いました。たくさんの死者が出ましたが、まだ遺体の捜索が続いています。重機が少ないので、捜索はまだまだ終わらないでしょう。この街では生き残った人々も怪我人が非常に多く、手足を失くした子どもたち、若者、老人たちをたくさん目にしたことが忘れられません。

ジェンディレスやアフリンなどのアレッポ県の被災地では、みんなテント暮らしでしたが、彼らは人生で初めてのテント暮らしのようで、何から何まで苦労していました。自分たち家族はパルミラの砂漠で生まれ育ったので、幼い時からテント生活を体験していて、テントでの生活の心得もありますが、そうした経験の全くない人々が突然テントで暮らすのは大変なことです。

(3月1日、アレッポ県ジェンディレスでの捜索活動の様子。アブドュルラティーフ兄が撮影)

・・・シリアでは国際支援も入っていましたか?

はい。NGOが人々にテントや食糧を配布しているのを見ました。しかしその量はわずかで、十分な量ではありませんでした。シリア側では、地震の被害の規模に対して、支援は驚くほど少なく、全てが全く足りていません。私はSNSでトルコ側の被災地に大規模な支援が入っている様子をいつも見ていましたが、シリアでは同じではありません。被災地の人々も、そうした状況を嘆いていました。

・・・現地で今も必要とされているものは何ですか?

やはり生活を維持していくためのお金です。地震で家や仕事を失い、これからどうやって暮らしていけばいいか途方に暮れている人々がたくさんいます。地震で手足を失ったりと、重傷を負った人々でさえ、必要な医薬品を買えずにいます。また食糧、燃料などがほとんどの人々にとって常に不足しています。

・・・トルコからシリアへと移動してくるシリア人を目撃しましたか?

はい、たくさん見ました。シリア側では国際支援こそ少ないですが、物価はトルコ側に比べて安く、またここにいるのは同じシリア人なので、同胞として助け合いの精神が強く、トルコにいるよりも暮らしやすいです。ただイドリブ県では空爆の危険もあります。しかしそれ以上に、今、家族の生活を維持できるかどうかが大事です。シリア人はもう、そこまで追い込まれているのです。

・・・追加でシリアの被災地に支援金を送りたいのですが、あなたにまた届けてもらえますか?

光栄な仕事なのですが、次回は難しいかもしれません。今回、自分が暮らすラッカ(クルド勢力統治下)から、アレッポ県(トルコ軍占領下)、イドリブ県(反体制派勢力統治下)と、それぞれの支配地域をまたいで移動するのが本当に大変で、移動のための証明書を作ったり、提示したりとトラブル続きでした。ラッカからアル・バーブもイドリブもそう遠くはないのですが、支配勢力が違い、それぞれ仲がとても悪いので、移動制限が厳しく、私たちに自由はないのです。

・・・移動制限が厳しく、自由がなくともあなたがシリアで暮らし続けるのは何故ですか?

シリアはトルコに比べて生活水準が落ちますが、なんといっても自分が生まれた国で、自分たちの文化で暮らすことができます。ラッカは以前はIS(イスラム過激派組織)の首都になり、恐怖政治のもとで苦労もしましたが、今は情勢は比較的落ち着いています。ただクルド勢力支配下なので、クルド人が優遇されています。まあ、ラクダを飼って、砂漠で放牧をして静かに暮らす分には問題ありませんが。

・・・今回、危険を冒して被災地まで支援金を配布しに行ってもらい、大変助かりました。

どういたしまして。こちらこそ、シリア人のためにたくさんの支援を送ってくれた日本の人々に、どうもありがとうと言いたいです。本当にありがとうございました。

(支援金を配布した男性と周囲の様子。3月1日、アレッポ県ジェンディレスにて、アブドュルラティーフ兄が撮影)

▼上の動画の翻訳文

アブドュルラティーフ兄:こんにちは。私たちはジェンディレスにいて、アブ・ムハンマドさんと一緒です。地震の後、彼の家は倒壊してしまいました。何が起こったのか教えてもらえますか?

アブ・ムハンマド:地震が起きたとき、私たち家族は寝ていましたが、急いで家から出て外に逃げました。朝の4時15分頃のことでした。 私たちが庭に立っていると、家が入っていた建物が倒壊しました。ここに住んでいたアラブ人とクルド人の半分が亡くなってしまいました。どうか神のご慈悲がありますように。

この男性は(アブドュルラティーフ兄のことか)、地震で生き残った人々への支援を持ってきてくれ、分配するように話してくれました。私たちは大変感謝しています。神がその行為に報いてくださいますように。あなたたちのような人々がたくさんいるように祈っています。どうもありがとうございます。

<最後にひとこと>

この地震では、取材で出会ってきたシリア難民のほとんどが被災したため、彼らのためにできることをしたいと支援金集めを始めました。たくさんの方々からご賛同いただき、現在まで¥5,185,394ものご支援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

さらにこの支援金の日本からの送付、現地での受け取り、配布については、日本に暮らすシリア人や、現地のシリア難民の親族や知人に活動を支えていただいています。

シリアではバーセル兄たちが、トラブルに見舞われながら異なる支配勢力間を通過し、イドリブでは空爆の危険もある中、受け渡しに協力してくれました。またトルコ側では、夫の家族12人が、家事や仕事の合間を縫い、支援金の受け取りのために銀行の窓口に並んでくれました(トルコに暮らすシリア難民は、一度に受け取れる額は1ヶ月一人当たり約¥170000までと規制があるため)。また日本に暮らすシリア人の知人が、手数料がかからない国際送金の方法を提案してくれ、その方のアラブ系銀行の口座から、一度ヨルダンの夫の兄の口座を経由して、シリアやトルコに送金するという方法が実現しました。

支援金をお送りくださった皆様、また支援金の受け取りや配布に協力してくださったたくさんのシリア人の親族・知人のご協力により、これらの支援が多くの被災地の家族のもとに届いています。引き続き、この活動を報告していきたいと思います。皆様、どうもありがとうございました。

<ここからは裏話です>

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