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拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル/2021年)が、なんと今年3月の亜細亜大学様の入試問題の「小論文試験」にて使用されました。
こちらは亜細亜大学様の「入学試験問題 過去問題」として今後公開されるとのこと。入試問題に使っていただけたことは、大変光栄な機会でした。それにしても、なんと難しい問題でしょうか。著者の私も(2)はうまく書けそうにありません。
この試験問題は以下よりダウンロードできます。お時間が許す方は、是非解いてみてください。
申請書-5(2023年5月23日)
トルコ・シリア大地震の発生からまもなく4カ月。被災地の報道が少なくなってきました。その後、地震被害に遭った人々がどのように暮らしているのか、なかなか情報が届かなくなり、また皆様からご支援を集めさせていただき、届けさせていただいたことに対して、その後の状況を伝える責任も感じるようになりました。
現地では急速に復興が始まっており、状況があまり変わらないうちに現地を取材したく、この6月に地震被災地のトルコ側へ取材に向かうことにしました。期間は6月1日から6月28日です。
今回も頭を悩ませたのは子連れの問題です。なにしろ長男は小学生になったばかり。本人には申し訳ないのですが、この間の長男のお世話をする人が身近にいないので、今回も取材へ連れることにしました。その分、取材は短期間で行います。そんなわけで、二人の子供を連れ、6月1日から28日まで取材に行ってきます。地震被災地の現状と、主にシリア難民コミュニティでの人々の暮らしの変化を見つめてきます。
取材後は、記事や写真を新聞紙や雑誌などのメディアにて発表させていただけたらと思っています。昨年の長い取材からあまり時が経っていないこともあり、経済的には辛いところですが、世界が動いている現場に立ち続けたいと思います。また取材の様子は、以下のページにてご報告していきます。
「Coverage of Syrian refugees 2023」
https://yukakomatsu.jp/category/coverage-of-syrian-refugees-2023/
以上、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
(2023年5月22日)
今年2月6日に発生したトルコ・シリア大地震では、両国合わせ、5万6千人超の死亡が確認されました。これまで足繁く取材に通ってきたトルコ南部地域が大きな被害を受け、親族や知人も多数被災したことから、私も個人的に緊急支援を集めさせていただきました。
トルコ側、シリア側には夫の親族が難民として暮らしていることから、彼らを窓口に、地震被害を受けたシリア難民の被災者に、支援金を送り、配布させていただきました。2023年5月23日現在まで、総額¥5.185.394を現地に送付させていただくことができました。
こんなにたくさんのご支援を皆様からいただき、被災地したシリアとトルコの現地へと届けさせていただきましたことをお礼申し上げます。皆様のご協力をどうもありがとうございました。
今後も、写真活動を通じ、人と人とを繋げていくことをしていきたいと思います。
また最近でもちらほら地震被災地へのご支援が届き、私の手元には¥569.484(2023年5月22日時点)の支援金が集まっています。
こちらは、今年6月に地震被災地への取材に向かいますので、私が責任を持って被災者に直接お渡しいたします。以上、ご報告させていただきました。
(2023年5月23日)
(こちらの記事は、最後の<裏話>まで、一般の方にも公開しています)
2月6日に発生したトルコ・シリア大地震の支援金について、本当にたくさんの方々から温かいご支援をいただきました。3月17日現在までにいただいたご支援の総額は、¥5,185,394です。現在、そのほとんどを現地に送付中で、¥2,884,000分は、配布が完了しています。そのほかは配布中です。
これらの支援は被災地のトルコ側とシリア側に折半してお送りしました。シリア側では被災地が政治によって分断され、国際支援が入りにくい状況ですが、シリア在住の二人の兄が支援金配布に協力してくれました。
シリア、パルミラ出身の私の夫は16人兄弟の末っ子で、上には11人の兄がいます。夫の家族のほとんどがトルコ南部に難民として暮らしていますが、シリアには二人の兄とその家族が残っています。一人はトルコ軍が占領するアレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄、もう一人はクルド勢力統治下のラッカ県ラッカに暮らすバーセル兄です。
アレッポ県アル・バーブに暮らすアブドュルラティーフ兄は、内戦以前はパルミラで家屋の不動産業を営んでおり、性格も真面目で真っ直ぐ。兄弟の中でもかなり硬派(兄弟は全員硬派でしたが)な人物でした。道で見かけた女性に四年間片思いした末に結婚したというエピソードも。2016年以降、家族のほとんどがトルコに逃れていきましたが、アブドュルラティーフ兄はシリアから出ることをせず、トルコ側にシリアの食料品の輸出の商売をすることで生活を維持しています。兄が販売するシリア産のオリーブオイルやザクロの濃縮液、ナスの油漬けなどは、トルコで難民になったシリア人の間でもかなり需要があるらしく、商売はうまくいっているようです。
バーセル兄は、パルミラで家業にしていたラクダの放牧の仕事を、今も続けている唯一の兄です。暮らしているのはクルド勢力統治下のラッカ県ラッカ。かつてはイスラム過激派ISの首都となり、ISによる恐怖政治が行われていた地ですが、現在はクルド人の統治下、比較的安定した状況とのことです。
今回、その二人が、皆さまからの支援金をシリア北部および北西部の被災者へ配布しました。以下、そのレポートになります。
(3月15日に電話取材をした内容です。バーセル兄は被災地に支援を届けてラッカに帰ってきてから、しばらく沙漠にラクダの放牧に出ており連絡が取れず、お話を聞くのが遅くなりました)
・・・簡単に自己紹介をしてください
私は普段、シリアのラッカ県ラッカに妻や子供たちと暮らしています。仕事はラクダの飼育・放牧業です。ラッカは現在、クルド勢力の統治下にあって政情は比較的安定しています。ここでは地震の被害はありませんでしたが、日本からの支援金を被災地に届けるため、シリア北部のアレッポ県アル・バーブ、北西部イドリブ県に2月末から数日間行ってきました。
・・・支援金を届けた被災地は?
アレッポ県のアル・バーブ、ジェンディレス、アフリンと、イドリブ県のダーナ、サルマダです。
最初に、アレッポ県アル・バーブに向かい、そこに暮らす兄のアブドュルラティーフと合流しました。アル・バーブは地震の被害があまりなかったのですが、被災地から多くの住人がここに避難しています。まず彼らに支援を渡しました。
それからアレッポ県、イドリブ県に行きました。最も被害がひどかったのがアレッポ県のジェンディレスでした。現地では、地域の人々と相談しながら支援金を配布しました。
・・・およそ何家族に支援金を配布できましたか?
およそ80家族です。地震で父親や母親などを失くした3人家族から、子供がたくさんいる8人家族まで人数はさまざまですが、およそ80家族、大体450人ほどに支援金を配りました(日本円にして大体¥10000〜¥15000の範囲で配布いただきました)。
・・・シリアでは、配布した支援金はどのような用途に使われますか?
全てが不足しているので、何にでも使われます。ここでは地震で全てを失った人々がたくさんおり、衣類や食料、毛布、暖をとるための燃料費、テントを買うための資金として使われたようです。
・・・被災地ではどのように人々が暮らしていますか?
被災地ではほとんどの住人がテントか、平屋の建物が、建物の軒下部分で生活しています。被災地の多くの建物にヒビが入っていて、住み続けるのが不安ですし、それ以上に地震が再び来ても、建物の下敷きにならないように注意しているのです。
2月6日に起きた地震は、あまりに突然のすごい地震だったので、皆、今も地震を恐れています。多くの子どもたちや女性が、いつ地震が起きるかもしれない恐怖でよく眠れず、食欲が戻らず、トラウマになっています。
私が訪ねた被災地の中で最も悲惨だったのが、クルド人が多く暮らしていたアレッポ県ジェンディレスでした。ここではかなりの建物が倒壊しました。瓦礫の山がえんえんと続く光景を目にして、ここで起きたことが信じられず、目を疑いました。たくさんの死者が出ましたが、まだ遺体の捜索が続いています。重機が少ないので、捜索はまだまだ終わらないでしょう。この街では生き残った人々も怪我人が非常に多く、手足を失くした子どもたち、若者、老人たちをたくさん目にしたことが忘れられません。
ジェンディレスやアフリンなどのアレッポ県の被災地では、みんなテント暮らしでしたが、彼らは人生で初めてのテント暮らしのようで、何から何まで苦労していました。自分たち家族はパルミラの砂漠で生まれ育ったので、幼い時からテント生活を体験していて、テントでの生活の心得もありますが、そうした経験の全くない人々が突然テントで暮らすのは大変なことです。
・・・シリアでは国際支援も入っていましたか?
はい。NGOが人々にテントや食糧を配布しているのを見ました。しかしその量はわずかで、十分な量ではありませんでした。シリア側では、地震の被害の規模に対して、支援は驚くほど少なく、全てが全く足りていません。私はSNSでトルコ側の被災地に大規模な支援が入っている様子をいつも見ていましたが、シリアでは同じではありません。被災地の人々も、そうした状況を嘆いていました。
・・・現地で今も必要とされているものは何ですか?
やはり生活を維持していくためのお金です。地震で家や仕事を失い、これからどうやって暮らしていけばいいか途方に暮れている人々がたくさんいます。地震で手足を失ったりと、重傷を負った人々でさえ、必要な医薬品を買えずにいます。また食糧、燃料などがほとんどの人々にとって常に不足しています。
・・・トルコからシリアへと移動してくるシリア人を目撃しましたか?
はい、たくさん見ました。シリア側では国際支援こそ少ないですが、物価はトルコ側に比べて安く、またここにいるのは同じシリア人なので、同胞として助け合いの精神が強く、トルコにいるよりも暮らしやすいです。ただイドリブ県では空爆の危険もあります。しかしそれ以上に、今、家族の生活を維持できるかどうかが大事です。シリア人はもう、そこまで追い込まれているのです。
・・・追加でシリアの被災地に支援金を送りたいのですが、あなたにまた届けてもらえますか?
光栄な仕事なのですが、次回は難しいかもしれません。今回、自分が暮らすラッカ(クルド勢力統治下)から、アレッポ県(トルコ軍占領下)、イドリブ県(反体制派勢力統治下)と、それぞれの支配地域をまたいで移動するのが本当に大変で、移動のための証明書を作ったり、提示したりとトラブル続きでした。ラッカからアル・バーブもイドリブもそう遠くはないのですが、支配勢力が違い、それぞれ仲がとても悪いので、移動制限が厳しく、私たちに自由はないのです。
・・・移動制限が厳しく、自由がなくともあなたがシリアで暮らし続けるのは何故ですか?
シリアはトルコに比べて生活水準が落ちますが、なんといっても自分が生まれた国で、自分たちの文化で暮らすことができます。ラッカは以前はIS(イスラム過激派組織)の首都になり、恐怖政治のもとで苦労もしましたが、今は情勢は比較的落ち着いています。ただクルド勢力支配下なので、クルド人が優遇されています。まあ、ラクダを飼って、砂漠で放牧をして静かに暮らす分には問題ありませんが。
・・・今回、危険を冒して被災地まで支援金を配布しに行ってもらい、大変助かりました。
どういたしまして。こちらこそ、シリア人のためにたくさんの支援を送ってくれた日本の人々に、どうもありがとうと言いたいです。本当にありがとうございました。
▼上の動画の翻訳文
アブドュルラティーフ兄:こんにちは。私たちはジェンディレスにいて、アブ・ムハンマドさんと一緒です。地震の後、彼の家は倒壊してしまいました。何が起こったのか教えてもらえますか?
アブ・ムハンマド:地震が起きたとき、私たち家族は寝ていましたが、急いで家から出て外に逃げました。朝の4時15分頃のことでした。 私たちが庭に立っていると、家が入っていた建物が倒壊しました。ここに住んでいたアラブ人とクルド人の半分が亡くなってしまいました。どうか神のご慈悲がありますように。
この男性は(アブドュルラティーフ兄のことか)、地震で生き残った人々への支援を持ってきてくれ、分配するように話してくれました。私たちは大変感謝しています。神がその行為に報いてくださいますように。あなたたちのような人々がたくさんいるように祈っています。どうもありがとうございます。
この地震では、取材で出会ってきたシリア難民のほとんどが被災したため、彼らのためにできることをしたいと支援金集めを始めました。たくさんの方々からご賛同いただき、現在まで¥5,185,394ものご支援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
さらにこの支援金の日本からの送付、現地での受け取り、配布については、日本に暮らすシリア人や、現地のシリア難民の親族や知人に活動を支えていただいています。
シリアではバーセル兄たちが、トラブルに見舞われながら異なる支配勢力間を通過し、イドリブでは空爆の危険もある中、受け渡しに協力してくれました。またトルコ側では、夫の家族12人が、家事や仕事の合間を縫い、支援金の受け取りのために銀行の窓口に並んでくれました(トルコに暮らすシリア難民は、一度に受け取れる額は1ヶ月一人当たり約¥170000までと規制があるため)。また日本に暮らすシリア人の知人が、手数料がかからない国際送金の方法を提案してくれ、その方のアラブ系銀行の口座から、一度ヨルダンの夫の兄の口座を経由して、シリアやトルコに送金するという方法が実現しました。
支援金をお送りくださった皆様、また支援金の受け取りや配布に協力してくださったたくさんのシリア人の親族・知人のご協力により、これらの支援が多くの被災地の家族のもとに届いています。引き続き、この活動を報告していきたいと思います。皆様、どうもありがとうございました。
トルコ・シリア大地震の緊急支援として、集めさせていただいた支援金を、現地在住の信頼できる親族や知人を通し、現地のシリア人ネットワークから配布させていただいています。トルコ側ではシリア人は困窮層が多いこと、またシリア側の北西部イドリブ県は反体制派遅配地域であり国際支援が入りにくい地域であるため、シリア人を対象にピンポイントで必要な支援をお届けしています。以下は現時点までの支援金の送付状況になります。
*どの地域にいくらの支援金が配布されたか、現在集計中です。追ってご報告いたします。
2月15日 送金 ¥515,000 トルコへ
2月17日 送金 ¥507,000 シリアへ
2月21日 送金 ¥507,000 シリアへ
2月22日 送金 ¥507,000 トルコへ
2月27日 送金 ¥338,000 トルコへ
3月7日 送金 ¥510,000 トルコ・シリアへ
●トルコ南部ガズィアンテップ県ガズィアンテップ県ガズィアンテップ・及びその近郊
・16家族87人(人数はおおよその数。倒壊家屋が多く、シリア人はテントが足りていない状況)
( 配布者 ワーセル・アブドュルラティーフ / アブドュルマリク・アサド )
●トルコ南部オスマニエ県オスマニエ
・1家族4人(貸家が被害を受け、失職し困窮している家族への支援)
( 配布者 ワーセル・アブドュルラティーフ )
●トルコ南部ハタイ県アンタキヤ
・6家族28人(人数はおおよその数。市街地では大変被害が大きく復旧の見通しが立たないため、多くの住人が街から移動。シリア人はテントが足りていない模様)
( 配布者 アブドュルラフマン・モヘイミド )
●トルコ南部ハタイ県レイハンル
・21家族147人 (人数はおおよその数。アンタキヤからの避難家族が大変多い。シリア人はテント、薪・石炭・毛布などが足りていない)
( 配布者 アブドュルラフマン・モヘイミド / ムハンマド・サリーム )
●シリア北部アレッポ県ジェンディレス
●シリア北西部イドリブ県イドリブ
・38家族295人(人数はおおよその数。配布者はシリア在住の小松の夫の兄二人。全てが全く足りていないとの報告あり。国際支援があまり入っていない)
( 配布者 バーセル・アブドュルラティーフ / アブドュルラティーフ・アブドュルラティーフ )
支援金の分配については、シリア難民として現地在住の小松の親族や知人が、シリア人ネットワークの繋がりから、困窮した家族を優先に行っています。金額は、その家族の生活状況に応じ、現地の判断に一任しています。
現地で人々に最も必要とされているのがテントです。トルコ側では、公的な支援が受けられず、今も路上で暮らすシリア人の家族がいます。テントの購入費はひと家族あたり日本円で約35000〜40000円ほど(地域により購入可能金額に差があり)かかり、多くが困窮世帯のシリア人にとり、自力での購入は非常に難しい状態です。支援金はテントの購入費として、また暖をとるための薪・石炭や毛布、食料など、生活維持をするための支援金として使っていただいています。
〜現地への支援金送付・配布は現在も進行中です。現地からの写真やレポートも、まもなくご報告させていただきます〜
2月6日に発生したトルコ・シリア大地震から1カ月のタイミングで、共同通信様に記事を書かせていただきました。秋田魁新報様、信濃毎日新聞様など、全国の地方紙に配信され、五月雨式に掲載されたようです。
<以下、記事全文です>
トルコ・シリア大地震から6日で1カ月。死者が5万人を超え、現地では混乱状態が続いている。
トルコには、内戦から逃れてきた360万人以上のシリア難民が暮らし、その数はシリア難民全体の7割弱に及ぶ。大量の難民を、トルコでは比較的寛容な立場で受け入れてきた。
しかしその同情論は近年、コロナ禍で一変した。トルコ政府の経済政策の失敗で物価が上昇。社会の不満がシリア難民に向かった。「シリア人はシリアに帰るべきだ」と排他的風潮が高まっていた。
こうした中で、地震は発生した。シリア人は再び地震が起きる不安におびえている。建物の倒壊を恐れて家に戻れず、路上や空き地、公園、畑などにテントを張り避難している。各国から支援物資が届けられたが、暖を取るための薪や石炭、毛布、テントなどが今も不足しているという。
シリア国境の移動規制が緩和したこともあり、シリアに移動するシリア人も多い。トルコの首都アンカラの非政府組織(NGO)で働いていたムサンナ・アルバクルも、その一人。給与が安い上、アンカラの物価が高騰し、生活は限界に達していた。地震後、家賃が2倍に上がったことが追いうちをかけた。
アンカラやメルシンなどのトルコ南部の大都市では、被災地から親族を頼って移動してくるトルコ人も多く、住居需要が高まっている。既に入居していたシリア人を家主が追い出し、新たに親族を招き入れることも増えた。そのため、地震で直接被災しなかったムサンナのようなシリア人が、法外な家賃を請求され、生活基盤を失うケースが多く報告されている。
また被災後、シリア人はトルコ人と比べ、明確な格差をつけられるようになった。特に支援物資の配給や捜索の場で顕著だ。物資を受け取れずに、避難所を利用できないこともあった。さらに不満のはけ口となり、暴力事件に巻き込まれることも増えた。こうした動きから、ムサンナはシリアへの移動を決めた。
「内戦が続くシリアでは空爆の危険もあります。しかしトルコに比べたら、シリアは私たちにとって楽園です」。ムサンナ一家は現在、国境に近いイドリブ県サルマダの親族の家に身を寄せている。シリアはトルコに比べ物価が安く、住民から差別を受けることもない。何より、誰からも虐げられないという安心感がある。
だが問題もある。シリアでは、国内が政治的に分断され、人道支援すらままならない。地震の被害を受けたシリア北西部イドリブ県でも、反体制派支配地域であるため支援が入りにくい。今回も地震発生から3日後になってようやく支援が入った。トルコ側に比べると圧倒的に支援体制が弱い。
「この地震は、シリアの空爆の恐怖を呼び起こさせました。そして一度シリアで失った生活を、もう一度奪いました」。
状況が落ち着いたら、ムサンナは再びトルコに戻るつもりでいる。生活は困難だが、子供たちのため、選択肢の多い環境に身を置きたいと考えているからだ。
被災地では、住居不足と地震への恐れから、避難生活がしばらく続くだろう。こうした状況下、圧倒的に困窮層が多かったシリア人が、さらに生活苦へと追い込まれていくことが懸念される。シリア人にとって、この地震による被災は、これまで続いてきた終わりの見えない避難生活の延長線上でしかない。
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記事を寄稿させていただき、大変光栄なことでした。一方で、地震から1カ月が経ち、報道も少なくなり、現地の様子が臨場感をもって伝えられなくなりつつあると感じています。
多くの国際支援が現地に届いていますが、支援の格差やシリア人への排他的風潮が見られ、地震で直接被災しなかったにもかかわらず、家を追い出され、シリアに帰ることを選択するシリア人も少なくないようです。被災地では、今も多くの人々がテントを手に入れられず、倒壊の危険のある建物にやむなく住み続けたり、路上で暮らしています。残念ながらそのほとんどがシリア人で、トルコの公的な支援から排除されているようです。ハタイ県レイハンルに暮らす知人の話では、NPOがテントを配布していたが、列に並ぼうとしたところ、トルコ人の警察や警備員に拒否され、追い払われたとのこと。アンタキヤ、レイハンル、ガジィアンテップなどの複数のシリア人の知人から同じ話を聞いております。大変残念なことです。
記事執筆にあたり話を聞いたシリア人、ムサンナ・アルバクルの話が忘れられません。「シリアでは空爆の危険もあります。しかしトルコに比べたら、シリアは私たちにとって楽園です」。空爆の危険があっても、インフラが非常に不安定でも(電気、ガスなどは1日のうち半分使えれば良いほう)、シリア人故の差別や理不尽な立退などを迫られることのないシリアは、何より安心できる土地だというのです。これまで異郷に生きようと努力してきたシリア人の、深い失望と悲しみを感じるのでした。
「この地震は、一度シリアで失った生活を、もう一度奪いました」というムサンナの言葉からは、延々と続く不安定な避難生活への、疲労感が感じられます。記事の最後に書きましたが、シリア人にとって、この地震による被災は、これまで続いてきた終わりの見えない避難生活の延長線上でしかないのです。
(こちらの記事は、シリア情勢を包括的に理解する上で大変学びのある記事のため、有料会員様以外にも公開させていただきます)
現シリア・アサド政権とは? / シリア国内支援が難しいのは何故か / 北西部の反体制派地域をめぐる支援の実情 / シリア問題を理解するための前提
少し前のことですが、2月23日に、シリア支援を手がけるNPO法人「Stand with Syria Japan(SSJ ・エスエスジェー)」様主催のオンラインイベント、『緊急セミナー「シリア危機を再考察する-アサド政権の残虐性に迫る-」』に参加しました。
イベントでは、シリアのアサド政権の戦争犯罪問題を専門とするジャーナリスト、黒井文太郎氏より、アサド政権の市民に対する弾圧の歴史、人道支援の実情についてスピーチがありました。大変勉強になる内容でしたので、ご紹介させていただきます。
▼イベントの主催団体、「Stand with Syria Japan(SSJ )」について
▼このイベントについて(2月23日に開催終了)
シリア国内及びシリア難民の支援を行うNPOは数多くありますが、こちらのSSJ(エスエスジェー)様の特徴は、アサド政権の戦争犯罪を明確に非難し、反体制側の立場から、国際平和実現のための取り組みを積極的に行なっている点です。
まずイベントの冒頭で、SSJ理事長の山田一竹氏より、以下のお話がありました。
○ シリア危機は「内戦」ではなく「人道危機」。国際平和の基盤を守るための戦いとして、シリアの民主化を応援している。
○ SSJでは、非政権支配地域アレッポに拠点を構え、シリア北西部で教育支援・人道支援をおこなっている。
その後、黒井文太郎氏によるスピーチがありました。黒井文太郎氏は軍事・諜報などを専門とするジャーナリスト。講談社にてフライデーの編集に携わった後、ニューヨークを拠点にジャーナリストとして活動、その後モスクワやカイロを拠点に戦場カメラマンとして活動されています。元妻がシリア人で、シリアの実情に大変詳しい一人です。以下、黒井氏のスピーチの内容です。
▼黒井文太郎氏 https://ja.wikipedia.org/wiki/黒井文太郎
グラフ1
こちらはイギリスに拠点を置くNGO「シリア人権監視団」によるもの。
この12年間のシリアでの紛争の者数は最低でも60万人ということなので、実際には60万人以上の人々が亡くなっているだろう。この60万人のうち、民間人が少なくとも23万人殺害されている。その加害者は第一がアサド政権とイランの配下のグループで、全体の87パーセントを占めている。その次が空爆を数多く行ってきたロシアで3.03パーセント。その次がISで2.21パーセント。圧倒的にアサド政権が人々を殺害している。
グラフ2
こうした逮捕や行方不明状態は、圧倒的に政権側によって行われた。政権によるものが87.60パーセント、135,253人に及ぶ。
グラフ3
不法に拘束をされて今も獄中にいる人のグラフ。アサド政権によるものが、全体の85.51%と圧倒的に多い。アサド政権、その次がISと続く。
グラフ4
捕まってから拷問を受け殺害された人の数、少なくとも14475人。加害したのはアサド政権が圧倒的に多い98.49%。その次がクルド、反体制派、ISと続く。
戦争なので、戦闘員同士は殺害しあっているが、民間人を巻き添えにする確率、また民間人を捕まえて殺害する確率は、アサド政権が圧倒的。ISも相当民間人を殺害しているが、アサド政権の比ではない。アサド政権が現地で支持されている、されていないという数字がよく出るが、現地の人々は政権の残虐さを間近で感じている。本当のことは人々は言えない。
震災の支援を阻害する要因とは何か。6日に地震が起きてから、シリアに対し、各国から支援の申し出があった。しかしシリア国内は勢力によって政治的に分かれており、反体制派の武装勢力とアサド政権軍が睨み合っているので、その境界線は入れない。北側のトルコから国境を越えて反体制派の支配地域に入れるが、その道が今回ほとんど機能しなかった。
理由としては、トルコが被災地になり、支援のルートが止まってしまったこと。さらに政治的理由もある。シリア北西部の反体制派支配地域は、政治的に、外国からの支援が自由に入れないエリア。
紛争地帯なので国連が仕切ってはいるが、アサド政権は自分たちの国土だと主張している。そのためアサド政権からすると、そこにいる武装勢力は不法なテロリストということなので、物資の輸送を止めるようにとアサド政権側は主張する。
これに関して国連本部は、国連安保理で決める方針だが、国連安保理の一国であるロシアはアサド政権の後ろ盾として影響力を持っていて、「不法なところを自由に開くのはいかん」と圧力をかけて、制限しようとしている。国連本部でそう決まると、国連の下にあるさまざまな支援機関もそれに縛られる。結局、ロシアの意向がどうしても入ってきてしまう。こうして、シリア北西部の反体制派支配地域は、本来ならば国境を開けたくないが、人道支援なら少しだけ入れましょうというのが現実。国連の、ロシアへの忖度がある。
(こちらの記事は、有料会員様以外にも公開しています)
地震発生から16日が経過しました。
こちらのページでは、被災地のひとつトルコ南部ハタイ県、シリア国境の街レイハンルから届いた人々の状況をご報告いたします。
被災したシリア難民のために支援金を集めてお送りする活動を行なっており、現在までに、¥2,036,000をトルコ南部とシリア北西部に送金しています。
被災地では依然として厳しい避難生活が続き、暖をとるための物資が不足しています。人々が最も必要としているのは現金です。お送りした支援金は、シリア人ネットワークの中で困窮者に配布いただき(ひと家族につき約¥20000〜¥30000で配布)、生活物資、食糧などの購入に使用されています。
レイハンルにて被災したシリア人の家族より、支援金で購入したものの写真を送っていただきました。
以下は、詳細を説明している動画です。
またこちらのズィヤート一家は支援金で毛布を買い、さらに部屋を借りることができました。それまではモスクや路上での寝泊まりが続き、子供たちにとって非常に寒く厳しかったとのことでした。
ズィヤート一家の食事風景を写真で送ってもらいました。配給でもらったビスケット、水、オレンジやりんごを子供たちが食べています。食事は毎日簡単なものだけ食べており(調理器具などなし)、ラーメンや、茹でたパスタにヨーグルトと塩と油で味付けしたものなどを食べています。
ズィヤート一家のように、貸部屋を借りてそこに入った家族もいますが、被災地では多くがテントや路上などで避難を続けています。
レイハンルに暮らす夫の遠い親族、アサド一家(夫の叔母の旦那の家族)は、今も暮らしていたマンションに戻れずテント生活をしています。
当初はこの一つのテントで5家族25人が避難していたが、あまりに狭いので、隣にもうひとつテントを建てた。アサド一家と身を寄せ合っているのは、アンタキヤから逃れてきた親族。地震被害が大きかったアンタキヤでは、自宅があったマンションが倒壊した。
元気そうな顔を見せるアサド一家の80歳のおじいちゃん(写真左)。シリアのパルミラ出身で、長年大工として働いてきた。昨年2022年夏は、このおじいちゃんも取材させてもらった。高齢での寒い避難生活はさぞ体にこたえることだろう。早く暖かな環境で避難生活ができるようになってほしい。私はこのおじいちゃんが経験したこの10年の環境の変化に悲しくなった。暮らしを失い、故郷を失い、トルコでも災害で生活を失いつつある。
アサド一家にはこれから支援金を送付するところですが、支援金を受け取れたら、暖をとるための薪と石炭を買いたいとのこと。また、より頑丈なテントを数張、購入したいとのことです。自宅のあったマンションは倒壊の危険性があり戻れず、仕事もなくなり(写真右のアサド一家のワリードさんは会計士でしたが、この地震で失職しました)、しばらくこのテント生活が続くと一家は考えているようです。
以上、現在の被災者の状況でした。
今後も現地に支援をお届けしつつ、現地と連絡を取り合ってご報告していきたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
(2023年2月22日)
2月6日に発生したトルコ・シリア大地震。被災したシリア難民への支援金を集めさせていただいてから、連日大変多くのご支援をいただいています。どうもありがとうございます。しかし始めるにあたり、葛藤がありました。
こちらでは、その葛藤や決断についてお話したいと思います。
地震の発生後から被害の甚大さが伝えられるようになり、トルコ大使館をはじめ、すでに多くのNGOなどが被災地への支援を始めました。被災地には親族や多くの知人がおり、彼らもまた被災したのですが、支援活動を私がやる意味があるのか、個人を窓口に支援金を集めるのは、責任の問題などで批判されないか。そもそも私はフォトグラファーであって、支援活動家ではないなどとも考えました。
しかし私はこれまで、戦争から逃れて異郷で生活を立て直そうとするシリア難民を取材してきました。そして彼らから、人間が生きることの強さや難しさ、悲しみや喜びなどを見せていただき、多くを教えていただきました。彼らがそこにいたからこそ多くを学ことができ、また支えられてきました。シリア難民は今や、私にとっては取材対象者というよりも私の「家族」であり(実際、シリア難民である夫の家族が現地に住んでいるのですが)、共に同じ時代を生きている友人たちです。
一度シリアで全てを失ってきたその彼らが、再びここで生活を失い、助けを求めている。これは、写真活動よりも大切なことがあると思いました。写真家であるより、人間として、友人としてやるべきことがあると。
2月6日に発生したトルコ・シリア地震の現地の状況について、インタビューいただきました。大きな被害を受けたトルコ南部ハタイ県、オスマニエ県などを長年取材し、現地に夫の親族や知人がシリア難民として暮らしていることからお話をいただきました。
https://dot.asahi.com/dot/2023021700055.html?page=1
現地で浮き上がっているのは、トルコ人とシリア人への支援の格差のようです。もともと社会的弱者だったシリア人たちが、さらに厳しい生活に追い込まれていくことが懸念されます。
(2023年2月20日)
2月6日に発生したトルコ・シリア地震について、現地の知人から聞いた状況などを交えてお話させていただきました。生放送でモゴモゴしてしまいました。(ご注意:聞き逃し配信は2月21日20:00まで)
トルコ・シリア大地震 シリア難民の状況は【Nらじ】ニュースアップ
<番組のご視聴はこちらより>
シリア・トルコ両国にまたがる大地震の発生から2週間ほどが経ちましたが、現地ではまだ混乱状態が続き、被災者の多くが厳しい寒さの中、不安定な避難生活を送っています。
さて、被災したシリア難民への生活支援金を募らせていただいてから、大変多くの方々よりご支援をいただきました。19日までにいただいたご支援の総額は、¥2911521です。
こちらを、地震被災者の中でも特に社会的弱者であるトルコ在住のシリア難民層や、また国際支援が届きにくいシリア北西部イドリブ県の被災者へお送りすべく、現地の親族・知人と連絡を取り合いながら動いております。
まずは第一弾として¥1022000を送金し、すでに現地で配布されております。
送金方法は、アラブ系銀行を使った送付を検討しましたが、時間を要すること、手続きが煩雑であることが分かり、送金がスムーズで確実なウェスタン・ユニオンで送金しました。
*当初、地震被害の大きいアンタキヤやレイハンルに直接送金を試みましたが、現地のウェスタン・ユニオン代理店が閉鎖しているため、オスマニエの親族に受け取り手になってもらいました。トルコ国内、またトルコからシリア国内への送金はスムーズに行うことができます。
*送金の受け取りについて、シリア難民の場合、ウェスタン・ユニオンでは一ヶ月に一人約16万円の上限額が決められています。そのため、まずは一人当たり16万円ずつ、以下の6人の親族宛に送付し、以下の金額の受け取りをお願いしました。
*現在、トルコ南部の金融機関が現金の欠乏状態にあるようで、銀行やATMには人々が殺到しているとのこと。送金したお金の受け取りに時間がかかったようです。
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(送付額・受取手・受取額)
支援金第一弾 送付額 ¥1022000(うち送金手数料¥30000)
ワーセル19181TL
ワーセルの妻23150TL
ガーセム23811TL
ムハンマド21564TL
ゲッスン21564TL
ローバ21564TL
受取額 合計 130834TL
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以上の130834TLをさらに以下の地域に送金、現地で分配し、テントや路上で避難生活を送るシリア人被災者の家族に送金しているところです。またこうした送付や受け渡しには、信頼できる親族・知人にそれぞれお願いしています。
<トルコ> 送付額66142TL(送金手数料を引いた¥500000分)
○ガズィアンテップ県ガズィアンテップ市
○ハタイ県アンタキヤ、レイハンル
○メルスィン
<シリア> 送付額64692TL(送金手数料を引いた¥492000分)
○シリア北西部イドリブ県
○シリア北部アレッポ県アフリン市ジェンデレス
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シリアへの送金については、シリア北部のラッカ、アレッポ県アル・バーブに住んでいる夫の二人の兄に委託します。
兄たちがシリアのアル・バーブで支援金を受け取り、アレッポ県アフリン市ジェンデレス、さらにイドリブ県まで、直接支援金を持って受け渡しに向かうことになりました。
反体制派支配地域であるシリア北西部イドリブ県は、政治的理由で特に国際支援が入りにくい地域ですが、シリア在住のシリア人だからこそ、現地のネットワークの中で支援金を運ぶことが可能です。
まさに日本、トルコ、シリア間で、親族のネットワークをフル活用した支援金送付の道ができております。
多くの皆様からのご支援に心より感謝しております。いただいた支援は現地に順次お届けしていますのでご安心ください。また後ほど、どこにどれだけ送金し、どういった支援に使われたなどの報告をさせていただきます。
何か質問などございましたら遠慮なくお問合せください。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうもありがとうございます。
小松由佳
(2023年2月20日)
皆様、こんにちは。このところ、トルコ大地震の被害のことで頭がいっぱいです。現地では、地震後一週間が経過しても、大変厳しい状況にあるようです。
先日は、地震で被災したシリア難民のコミュニティへ、支援金を集めさせていただきたいと呼びかけたところ、すぐにたくさんの方々より反応がありました。
なんと驚くことに、すでに100万円近い支援金が手元に届いております。皆様の温かいお気持ちに、感謝しかございません。どうもありがとうございます。
昨日早速、その一部を、地震被害の大きかったトルコ南部のレイハンル、アンタキヤに送金しました(後ほど、どこにいついくら送金したかの詳細を、ご報告いたします)。
被災地域はシリア難民が多く暮らす地域であり、かつ彼らのほとんどが避難してから10年未満で、トルコ社会でも貧困層として知られています。
トルコ人もシリア人も同様に被災はしていますが、圧倒的多数が正式な国籍を持っていないこともあり、人道支援はどうしてもトルコ人優先となり、シリア人は公的避難所を利用できなかったり、食料や薪(暖をとる)などの配布、病院での治療、さらには行方不明者の捜索現場においても、トルコ人が優先されている現状が見受けられます。
私は個人的に活動しているため、NGOなどが手がける大きな支援ではありませんが、直接繋がっている顔の見える関係性のなかで、助けを必要としている社会的弱者であるシリア人へ、支援をお届けしたいと思います。
また、国際支援が届きにくいと言われている被災地、シリア北西部イドリブ県の反体制派地域にも親族や知人がおりますので、そのネットワークから、今後そちらにも支援をお送りできたらと思います。
今回の被災地域は、2015年以降まさにシリア難民の取材のため足繁く通ってきた地域です。これまで現地に子供を連れて取材に行き、多くの人々に支えられてきました。今度は、被災し苦しい状況にある人々に、少しでもお気持ちを届けるお手伝いができたらと思っています。
被災したシリア難民のご支援にご協力いただきました皆様、本当にどうもありがとうございます。いただいた支援は間違いなく現地にお送りすることをお約束し、支援が人々の生活維持、生活再建に役立てられていくことを祈るばかりです。
▼【トルコ地震で被災したシリア難民の家族・知人に、支援金を集めさせていただきたいと思います】
https://yukakomatsu.jp/category/news/
<お問合せ・ご不明点について>小松由佳(nameless.star.yuka@gmail.com)
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また支援金を集めさせていただく上で、現地の状況について把握を心がけています。
今回、現地の支援がどこまで行き届いているのか、現地でどのような問題が起きて、どのようなことに悩んでいるのかなどを、トルコ南部ハタイ県在住のシリア難民に取材しました。ご覧ください。
(以下は、「小松由佳有料会員コンテンツ」に投稿した記事ですが、多くの方に関心を持っていただきたく一般公開させていただきました)
▼【トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)】
https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。 小松由佳(2023年2月13日)
(こちらの記事は、有料コンテンツの内容ですが、多くの方に関心を持っていただきたい内容のため、一般公開させていただいております)
6日にトルコ南部で発生した大地震から一週間が経過しました。犠牲者の数は日増しに増えており、最終的に犠牲者の数は五万人近くまでのぼるのではという、国連事務次長の見解も発表されました。
シリアとトルコ、両国にまたがって起きたこの地震では、両国に甚大な被害が報告されています。またトルコ南部では、戦争から逃れてきたシリア難民がかなり被災しています。
地震の被災地域は、まさに私が2015年以降取材を重ねてきた地域であり、親族や知人も被災しているため、現地の状況と合わせてシリア難民の現状をご報告していきたいと思います。
地震の被害が大きかったトルコ南部ハタイ県、県都のアンタキヤやシリア国境のレイハンルでは、多くのシリア難民が避難生活を続けています。
以下、複数の知人に12日にインタビューをした内容となります。
—–現在の生活状況はどうですか?
レイハンルやアンタキヤでは、新築の建物を除き、かなりの建物に大きな亀裂が入ったり、壁や天井が壊れており、そのまま暮らし続けることができない状態です。多くが、倒壊の危険のない親族や知人の家に身を寄せあったり、道路脇の空き地や広場、公園でテントで寝たり、車の荷台で寝ています。とにかく寒くて辛いです。
—–支援は?足りていないものは?
支援機関からの食糧と水の配給はあるが、暖を取るための薪や炭、毛布がとにかく足りません。非常に寒く、寒さから命を落とす人(地震で怪我をしていた)、流産する妊婦も周囲で出ています。
また、トルコ系の支援機関の場合、食糧や水の配給はトルコ人が優先され、シリア人は後回しにされたりもらえないこともあってトラブルになっています。海外の支援機関ではそうした区別はなく、トルコ人もシリア人も平等に配給されています。
一番必要なのは寒さを凌ぐための毛布や、火を焚くための薪や炭です。薪はトルコ人には無料で配布されるがシリア人には配布されず、シリア人は自分で買わなければいけません。しかもすごく高価なのに加え、一回に20キロほどしか売ってもらえず、みんな寒さで震えています。
薪は地震の前は1キロ3トルコリラ(2023年2月13日現在、約24円)でしたが、今は1キロ3ドルほどに値上がりました。トルコ系の支援機関が大量に買い占めて、トルコ人にだけ配布しているのも目にしています。
炭は一袋25キロで地震前は140トルコリラ(約1120円)、今は約300トルコリラ(約2400円)です。
*薪と炭は、通常同時に使う。価格はレイハンル・アンタキヤでの価格。ちなみに地震前のこの地域のトルコ人の平均月収は日本円で約45000円。シリア人の平均月収は約25000〜30000円だった。
——緊急時の支援の場でも、トルコ人とシリア人では、支援に区別があるという話に驚きました。
ここ(被災地)では公然のことです。地震前からシリア人は差別されてきました。地震の後も、病院ではトルコ人の患者が優先されますし、食糧や水、全てに至るまで、シリア人は後回しになります。
病院では、大怪我をしたトルコ人はヘリコプターで別の病院に搬送されたりしますが、それがシリア人の場合、されません。またシリア人の多くは、重症であるにもかかわらず入院が認められず、暖をたけない状態の家に返され、寒さのためにかなり衰弱しています。
アンタキヤでは、被災者のための避難所がつくられましたが、トルコ人のみが利用でき、シリア人は利用できません。公的なサービスも、明確にトルコ人とシリア人を区別しています。
まあ、ここはトルコ人の国なのです。しかし、地震前からシリア人に向けられていた区別が、この災害によってより強くなったと感じます。多くのシリア人はそれについて怒りを感じていますが、どうしようもできません。
——公的な支援を受けられにくいということでしたが、シリア人同士で助け合いはありますか?
はい、シリア人同士で、安全な家があれば親族や知人を受け入れたり、食糧や衣類や毛布などを分けあったりと、助け合っています。我々は助け合うことしかできませんから。アンタキヤにはシリア人の行方不明者がまだたくさんおり、こうした行方不明になっているシリア人の友人の捜索も手伝っています。遺体が見つかれば、現実に打ちひしがれている家族に代わり、埋葬の手伝いも進んでします。皆、自分ができることで助けを必要としている人の役に立とうとしています。
——困っていることはありますか?
トルコ人とトラブルになることが増えてきました。配給でも、トルコ系の支援機関だとシリア人だけもらえなかり、避難場所もシリア人だけ利用できなかったりで、こうした区別からトラブルが起きています。
また私たちも(小松のシリア難民の友人)、アンタキヤで行方不明になっている友人の家族の捜索に行き、建物が倒壊した現場で、重機で掘り起こす作業を依頼しました。しかし埋まっているのがシリア人だと分かると後回しになり、トルコ人の犠牲者の捜索が優先されました。それについて抗議したところ、私の兄はトルコ人の集団に殴られ、鼻の骨を骨折しました。犠牲者がシリア人だと、重機での捜索も後回しになります。ひどいことです。
——今後の生活についてどう考えていますか?
どうすればいいか全く分かりません。この先のことを考える前に、今を乗り切ることで頭がいっぱいで、まだ先のことを落ち着いて考える余裕がありません。住んでいた家は壊れてしまったので家を探さなければいけませんが、十分なお金もなく、仕事もなくなりました。しかもシリア人は移動が制限されているので(トルコではシリア人の大規模な移動を規制するため、難民として登録された県から出るために許可が必要で、自由な移動ができない)、県外に暮らす親族のもとにも行けません。
——コロナ後、難民としての保護を求めてヨーロッパに移動をするシリア人が目立ちました。この災害により、ヨーロッパ移動を希望するシリア人は増えるでしょうか?それともトルコでの生活再建を考えるでしょうか?
正直なところ、本当に望んでトルコに暮らし続けたいシリア人はほとんどいません。地震前からかなりのシリア人がヨーロッパに移動することを希望していました。でもそれは高額なので、現実的にできないというだけです。
実際、これからヨーロッパへ移動するシリア人はもっと増えると思います。お金に余裕がないシリア人は、トルコで生活を続けるしかないでしょう。
—–地震で被災した人々にとり、シリアに帰るという選択肢はありますか?
帰る人も増えると思います。シリアに帰るということは、生活レベル(シリアでは電気、ガスの供給が不安定。教育環境も整っておらず)や将来の可能性(一度シリアに帰ると、トルコに出てくるのは非常に困難になる)をかなり落とさねばならず、ひどい暮らしを続けるということです。だからトルコに逃れた多くの人は、トルコでの生活再建を努力してきました。しかしトルコは物価が非常に高く、暮らしていくのが大変です。さらに地震で家もなくし、仕事もなくなり、トルコ政府にも我々はトルコ人のように守られません。
シリアに帰っても、トルコにいても、生活が厳しいのは同じです。どちらがマシか、という感じです。
それでもシリアに帰ってしまったら、家族でトルコに戻ることはほぼできなくなるので、子供たちの将来のために、私自身はやはりトルコに残って、厳しい生活を続けることを選びます。
——今、どのような支援を必要としていますか?
やはり、寒さが大きな問題です。毛布や薪、炭を買うための支援を最も必要としています。寒くて子供たちが病気になっています。病気になっても、病院は怪我人で溢れていてみてもらえず、薬も買うことができません。シリア人は地震前は、難民のIDがあれば薬代や医療費は無料でしたが、地震の後は薬代も医療費も支払いが必要となりました。
実際、かなりの人が地震で崩れてきた建物によって怪我をしていて、薬や医療品を買わなければいけません。しかしそれらはとても高価で、買うことができずにいます。地震で命が助かった人も、寒さや医療ケアが受けられないことで衰弱しています。本当に、ひどいことが起きています。
(2023年2月12日 インタビュー:
ムハンマド・サリーム(レイハンル))
アブドュルラフマン・メイヤッド(アンタキヤ)
ジャーラッラー・ジャーラッラー(レイハンル)
記録:小松由佳)
シリア難民のインタビューから、現地ではトルコ人が支援現場において優遇され、シリア人は区別を受けていることを聞きました。皆同じく被災しているので、もちろん同じく支援を行うべきではありますが、現地でのやり方、考え方もあるのだと思います。物資が必ずしも十分ではないなか、まずは自国民を優先して守る、というトルコ側の立場も、ある意味理解できるところです。しかし行政がそれを主導してしまうのは、やはり残念でなりません。また、被災後の緊急事態において、こうしたシリア人への区別が露骨に見られることで、ますます両者の対立感情が拡大していくのではないか、それが結果的にシリア人のトルコでの生活再建をよりしにくくしていくのではないかと気になりました。人間が共存するということの、きれいごとだけではない難しさを感じています。
小松由佳
2月6日に発生したトルコ南部からシリア北部にかけての地震では、二万人を超える犠牲者が出ており、今も行方不明者の捜索が続いています。
トルコ南部には多くのシリア難民が暮らしており、夫の親族や知人もこの地にたくさんいることから、2015年以降、シリア難民のコミュニティを取材してきました。
彼らが暮らしていたのはトルコ南部ガズィアンテップ、オスマニエ、アンタキヤ、レイハンルなどで、いずれも被害が大きかった地域です。特に多くの建物が倒壊したアンタキヤでは、親族や友人が亡くなっています。
また無事に避難した人々も、建物の倒壊の危険から家に戻れず、路上や空き地、公園、車などで避難生活を続けています。
もともとトルコ社会の最底辺層として困窮していた彼らが、地震によってさらに厳しい生活に追い込まれており、しかもこうした不安定な生活がしばらく続きそうです。
今後の生活の不安や、寒さ、日々の食糧の確保に苦しむ彼らに、生活支援金を集めてお送りできたらと思っています。
集めさせていただいた支援金は、直接現地の家族、知人に送り、水や食料、暖をとる薪、薬や医療品など、生活維持に必要な物資の購入に使っていただく予定です。
NGOが行うような大規模な緊急支援ではありませんが、手の届く範囲、顔の見える範囲で、「応援しています」の気持ちと共に現地にお送りしたいと思います。
もし賛同いただけましたら、皆様のご協力をどうぞよろしくお願いします。いただいたご支援は、私が責任を持って現地に送付します。
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【 地震で被災したシリア難民への支援金 お振込先 】
三井住友銀行
八王子支店
普通
8553199
コマツ ユカ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、どうぞよろしくお願いします。
小松由佳
(2023年2月11日)
(こちらの記事は、有料会員様以外にも公開しています)
6日に発生したトルコ大地震から数日が経ち、現地に暮らす親族、知人より被災状況が伝えられています。
夫の親族に死者は出なかったものの、遠い親戚や友人たちに死者が出ております(いずれもシリア人。アンタキヤにて死亡)。内戦から逃れた先のトルコで、地震によって命を落とすとは、なんという運命の残酷さでしょう。
以下は、トルコ南部ハタイ県、シリア国境の街レイハンルに暮らす親族、知人から届いたものです。
マンションの4階部分に住んでいた親族アブ・アフマッド一家は、地震によりマンションの建物に亀裂が入っていることから、自宅に戻ることを躊躇し、空き地で寝泊まりを続けています。この一家は、レイハンルでの取材でいつも泊めていただいていた家でした。現在、親族が身を寄せ合い、車とテントに分かれて避難を続けているとのことでした。
またレイハンルに暮らす私の知人アブドュルラフマン(もともとは夫と同じシリアのパルミラの出身で夫の幼馴染。トルコ取材ではいつもコーディネーターや通訳を務めてくれる)から、避難生活の様子が動画で届きました。
レイハンルには、アブドュルラフマンの親族が10家族近く集まって暮らしています。彼らの家の多くが、壁や屋根が壊れて倒壊の不安があるため、アブドュルラフマンの兄が借りているリサイクルショップ(食器や衣類、金物などなんでも売っていた)にて、6家族が避難生活を送っています。この店は、一階建で広い通りにも面しているため、大きな地震がまた起きてもすぐに避難でき、安全とのこと。
レイハンルから車で1時間の距離のアンタキヤでは多くの建物が倒壊し、おびただしい犠牲者が出たとされています。
アブドュルラフマンとその兄弟は、友人一家が行方不明になっているため、アンタキヤで捜索と埋葬の手伝いをしています。以下はアブドュルラフマンから届いた動画です。9日撮影の動画です。
レイハンルでもそうですが、アンタキヤでも、多くの人々が空き地や公園にテントを貼って避難生活をしています。
(注意)以下の動画には遺体の顔が写りますので、ご注意ください。
このようにアブドュルラフマンの一家では、レイハンルでの避難場所(兄のリサイクル店)で安全を確保しつつ、行方が知れない友人やその家族の捜索、埋葬の手伝いを行っています。先の見えない混乱の中ですが、シリア難民同士、助け合いながら乗り越えようとしている姿が伝わってきました。
地震によって亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、一刻も早い生活の再建を祈ります。
(2023年2月10日)
私は普段、シリア内戦や難民の問題などを取材し、伝える活動をしています。ただ、こうした難民の苦境だけでなく、彼らの文化を理解することで難民問題にもより関心を持っていただきたく、「アラブ菓子を食べる会」というイベントを企画しました。
イベントは25名様限定。1月28日に東京都代々木上原駅近くのギャラリーで開催しました。ありがたいことに満員御礼をいただき、美味しく楽しい時間となりました。
当日はゲストとして、アルジェリア人の旦那さんを持つアラブ菓子職人、ウアムリア奈津江さんをお招きし、アラブ菓子の種類、作り方、楽しみ方などお菓子にまつわるあれこれをお聞きしました。心はすっかりきらびやかなアラブ菓子ワールドへ。
ウアムリアさんは普段、「ChezOumH(シェ・オンム・アッシュ)」というアラブ菓子専門店を経営しています。
▼「ChezOumH(シェ・オンム・アッシュ)」
〜以下、サイトより抜粋〜
【ChezOumH】(シェ・ウム・アッシュ)はアラブ圏、主にアルジェリア、チュニジア、モロッコなどのマグレブ地方の焼き菓子を中心にオリジナルのアラビック・スイーツを作っています。特に日本人の口に合うお菓子をチョイスしています。アラブの象徴的ドライフルーツのデーツ(ナツメヤシの実)はもちろん、アーモンド、胡桃、ココナッツ、ピスタチオなどのナッツ類を贅沢に使い、ローズやオレンジなどのフラワーエッセンスやスパイスを加えた甘くエキゾチックなお菓子。バター代わりにオリーブオイルを使い、オーガニック素材がとにかく充実しています。日本の方にはとても甘いイメージを持たれているアラブ菓子ですが、家庭で出されたお菓子は贅沢な素材と自然な甘さに加え、一家を支えるお母さんの温かさが感じられます。
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「デーツ(ナツメヤシの実)はもちろん、アーモンド、胡桃、ココナッツ、ピスタチオなどのナッツ類を贅沢に使い、ローズやオレンジなどのフラワーエッセンスやスパイスを加えた甘くエキゾチックなお菓子」、「贅沢な素材と自然な甘さに加え、一家を支えるお母さんの温かさが感じられます」。うーん、お菓子の紹介を読んだだけで、美味しそうでヨダレが出そうですね。
イベントでは、とにかくアラブ菓子の豪華さ、作り手や原料のこだわりを知り、アラブ菓子はありがたいお菓子だな〜と実感。実際、原料がこだわりの素材であるのに加え、作るのにもうんと手間がかかるのです。
またシリア人の小松の夫も動画で登場し、かつてシリアでよく食べた思い出のアラブ菓子、「ハロウ・ジュブナ」や、日本でお気に入りの意外なお菓子についても(ページ下の裏話にて動画も公開しています)語ってもらいました。
またウアムリアさんが、アラブ菓子にのめり込むきっかけとなったマグレブ(リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国の総称)音楽の世界もご紹介いただき、アルジェリア人の人気歌手ハーレッドの大ヒットソング「アイーシャ」を会場で流しました。
▼Khaled / Aicha(有名なマグレブ音楽の一曲)
こちらはなんともノリノリの曲ですね〜。踊り出したくなるようなすごい高揚感です。
また会場では、トルコ西部イズミルで、シリア難民の支援活動をされている菊地泰基さんが現在開発中の「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」を振舞ってくださいました。こちらは、コーヒーとミルクティーの中間のような、まろやかなテイストのラテ。なんだかホッとする味です。トルコではピスタチオ・コーヒーとして親しまれているものを、日本人が飲みやすいよう改良し、制作過程をシリア人に委託することで、難民の雇用創出に繋げるための活動です。
現在、菊地さんはクラウドファウンディングも行っているとのこと。ご協力いただけると美味しい「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」が送られてきます。是非ご協力をお願いいたします。私も応援しました!
▼〜トルコ人とシリア難民を繋ぐ女性に優しいノンカフェイン飲料「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」〜
https://camp-fire.jp/projects/view/628283…
やはり、食べることへの興味は世界共通。食を通して文化を知るのは素晴らしい試みだと実感しました。
ウアムリアさん、アラブ菓子の素敵な世界をお伝えくださり、ありがとうございました。改めて、アラブのお菓子の奥深さ、豊かな世界を味わった時間でした。これからもアラブ菓子をありがたくいただきたいと思います。
そしてお菓子や音楽という見地から、アラブの文化を発信しているウアムリアさんに大きな刺激をいただきました。いつも様々な角度から世界を見ること、考えることを意識したいものです。今後も、多方面からアラブ文化を理解するためのイベントなどを企画していきたいと思います。
さて、ここからは「アラブ菓子を食べる会」の裏話コーナーです。
私は普段、シリア難民を取材し、彼らの現状を伝える活動をしていますが、難民の問題に関心を持っていただくためには、彼らの文化的背景を理解いただくことも重要です。多くの方にアラブ文化について関心を持っていただけるよう、多様な角度から文化理解を深めるための企画をしています。
今回は、アラブ菓子にまつわるイベントです。その名も「アラブ菓子を食べる会」。
当日はアラブ菓子職人の ウアムリア奈津江 さんをゲストにお招きし、さまざまなアラブ菓子を一緒に食べつつ、アラブ菓子の知られざる世界を存分にお聞きします。ぜひご参加ください。
定員20名様限定ですので、ご希望の方は、小松までメールをいただくか、以下のリンクより小松までご連絡ください(「アラブ菓子を食べる会」申し込みと記入ください)。
<お申し込み先> https://yukakomatsu.jp/contact/
2012年から私は、シリア難民の取材を行ってきました。難民を撮るということは、彼らがかつて暮らした故郷を知ることでもあり、同時に、難民となって逃れなければいけなかったからこそ、人々がどんなにその土地を慕っているかを感じ続けることでもありました。
人間は生きる環境を自ら変える力を持つ存在です。しかし同時に、土地によって形作られる存在でもあると私は思います。人間はたとえその土地から離れても、原風景や記憶によって故郷の風土と共に生き続けるのです。
こうした難民たちの姿に触れるうち、私にもある変化が生まれました。それは、私にとっての故郷を再確認したいという思いでした。
1982年、私は秋田県秋田市の郊外に生まれました。祖父母の代までは米農家で、物心づく頃には、田んぼの畦が遊び場で、祖父母が田んぼで働く姿を見ていました。私にとっての故郷は田んぼであり、青く聳える山々でした。
『岳人』2023年1月号( No.907)に寄稿させていただきました。
このところ、故郷秋田を訪ね、土地に刻まれた先人の歴史を取材しています。人々が歩いた道、生きた痕跡を訪ねて。私の目から見た故郷の姿を撮りためていきます。
こちらでは、秋田県南部に残る、飢饉の悲しい歴史について執筆しました。
(2023年1月12日)
皆様、あけましておめでとうございます。早いもので、今年も新しい一年となりました。昨年は、長引くコロナの影響や、ウクライナ侵攻などもあり、世界的にも不安定な情勢の一年でした。今年は、より情勢が安定化するよう願ってやみません。
本年も、皆様にとって実り多き一年となりますように。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、まず初めに、皆様にはお詫びをさせていただきたいと思います。昨年の12月は、こちらの有料コンテンツにて、ほとんどしっかりとした記事を書けずに終わってしまい、大変申し訳ございませんでした。
実は、昨年10月に取材から帰国してから、報告会や講演会などが続き、大変ありがたいことなのですが、一方で仕事と家事と育児のバランス感を掴めず、12月半ば頃から、すっかり自省をする余裕がなくなってしまいました。これまでで初めての経験だったのですが、書かなければいけない原稿や、やるべき仕事を前にしても、何事にも身が入らなくなり、何事にも集中できなくなる状況に陥りました。心身の乱れを感じ、我ながら、これは変調をきたし始めているのではないかと思いました。
「あれを早く書かなければ・・・」「早くこれを終わらせなければ・・・」と心だけは焦るのですが、体がついていかず、申し訳ないことにそのまま日々が流れてしまいました。
常日頃、流れる時間の節々に目を向けるように、カタツムリのように生きていた私なので、なんとも情けない話ですが、昨年の取材でかかった精神的な負担と、その後の慌ただしさに、気づかないうちにまいってしまったようなのです。計画性のなさと実行力のなさもあり、有料コンテンツに手をつけられないままに時間が流れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
今年は、以下を心がけ、徹底したいと思います。
①実現できる、オリジナリティある計画をたてること
②クリエイティブに、丁寧に実行すること
③心身に余裕を持つこと
改めて、自分には自分の生きるペースがあること。特にフォトグラファーとしての軸をしっかりと持つためにも、「余裕」を持たなければいけないと大変反省しました。
2023年も、自分が信じる道を突き進みます。今年がどのような素敵な一年になるのか、今からとても楽しみです。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
オンラインイベント「シリア難民の子供に教育機会を(令和学校プロジェクト)」12月17日17:00〜
今年、世界の総人口は1億人を超えましたが、難民の総人口も1億人を超えました。世界では今も多くの紛争が続き、多くの難民が厳しい生活を強いられています。
2011年以降内戦状態となったシリアでも多くの難民が生まれ、多くの子どもたちが教育の機会のない状況で成長しています。
現在、シリア難民の子供の支援活動を手がけるNGO、ボンヤーンが、シリア北部に学校を作るための支援を募っており、その関連イベントとして難民の子供たちの教育の問題にフォーカスしたオンラインイベントを開催します。
自らシリア難民として、現場の第一線に立つボンヤーンのスタッフから、リアルな現地報告も聞ける貴重な機会です。小松も後半、現地取材で見た難民の子供の状況などをお話いたします。是非お気軽にご参加ください。
日時:2022年12月17日(土曜日)17:00~19:00
会場:zoomによるオンラインイベント
モデレーター:アルマンスール アフマド氏(Key Message International顧問)
************************
(スケジュール)
17:00~17:05 開会のあいさつ:岩澤康一氏(Key Message International代表)
17:05~17:40 ムハマド・アディル氏(ボンヤーン、パートナシップ&PRコーディネーター):「令和学校プロジェクト」について
17:40~18:15 ムハマド・ガダーリ氏(ボンヤーン、フィールドオフィサー):シリアの現在の人道状況について
18:15~18:45 小松由佳氏(ドキュメンタリーフォトグラファー) :トルコに生きるシリア難民の子供たち
18:45~18:55 質疑応答
18:55~19:00 閉会のあいさつ:アルマンスール アフマド氏(Key Message International顧問
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参加ご希望の方は、添付ポスターのQRコードより、または以下のアドレスからご登録をお願いします。
NGOボイヤーンの、クラウドファンディングページ:
〜シリア北部に学校を建設するための支援を募集しています〜
NGOボンヤーンについて
【 12月11日は、いよいよ最後の取材報告会です 】
11月より何度か取材報告会を行わせていただきましたが、12月11日は最後の取材報告会となります。
「小松由佳 シリア難民 取材報告会2022 」
期日:12月11日 13:30〜15:30
参加費:1000円
会場: 「Cafe Hammock(カフェ・ハンモック)」
(中央線三鷹駅徒歩5分)
会場はハンモックがお楽しみいただけるカフェとのこと。ハンモックにゆらゆら揺られながら報告をお聞きください。また当日は、アラブ菓子やアラブのコーヒー、お茶などをご用意します。アラブ文化を五感で味わいながら、和気あいあいと交流をさせていただきたい忘年会のようなイベントです。
当日の予約なしの参加も可能ですが、人数把握のため、参加ご希望の方は、私宛に直接メッセージをいただけましたらと思います(HPの「コンタクト」より、ご連絡ください)。皆様にとってお忙しいだろう年末間近のイベントとなりますが、是非お誘い合わせのうえご参加ください。以上、どうぞよろしくお願いします。
小松由佳
日程が近くて恐縮ですが、大阪・名古屋・東京にて行われる講演会のご案内です。全て予約不要です。ご都合がつきましたら、是非ご参加ください。
▼講演タイトル:
「K2登頂から砂漠へ、難民の土地へ」
かつてのK2 登山や、現在のシリア難民の取材まで、歩いてきた道のりや信念をたっぷりお話しします。
▼期日:
▼主催:
日本山岳救助機構合同会社(jRO)様
https://sangakujro.com/12月【東京・大阪・名古屋】jro会員講演会開催のお/
(こちらの講演について、ジロー様のフォームには、「申込みは締め切りました」と書かれていますが、担当の方に確認したところ、席がまだたくさんあるので、当日に、感染対策のためのご連絡先を書いていただけたら、予約なしの当日参加が可能とのことでした)
▼日本山岳救助機構合同会社(jRO)様について
jRO(ジロー)様は、Japan Rescue Organizationの略です。現在、日本では年間2500件の山岳遭難が発生しており、遭難事故が発生すると、救助などに莫大な費用がかかります。jROの会員は、年会費約5500円(スタンダードプラン)で、その費用が550万円まで補填されます。
jRO様には、現在8.4万人の会員がいて、山を愛する仲間の相互扶助の精神によってこの仕組みが成り立っているそうです。
さらに「ココヘリ」というサービスは、遭難者をいち早く発見するための「会員制捜索ヘリサービス」。ココヘリ会員証(ヘリコプターのマークのキーホルダー)が発信機になっており、離れた場所からも捜索者を特定することができ、救助までの時間を格段に短縮できる画期的なサービスです。
発信機は、自分が意識を失っても、水中に完全に沈まない限り、ずっと電波を発してくれ、フル充電で2.5ヶ月持続するそうです。「ココヘリ」サービスがもっと普及したら、行方不明者の捜索の現場が大きく変わりそうですね。
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
11月28日の20時より、「小松由佳 オンライン取材報告会 2022 」を行わせていただきました。報告会を録画しましたので、ぜひ以下よりご視聴ください。
2022年7月から3ヶ月をかけ、トルコ南部に暮らすシリア難民の取材を行いました。トルコでは、670万人近いシリア難民のうち380万人が暮らしています。今年も6歳と3歳の子供たちを連れ、現地へと向かいました。そこで目にしたのは、コロナ後の難民生活の深刻な変化でした。今、難民たちがどのような状況に置かれているのかを、お話しします。
また今回は、11年ぶりにシリアに向かい、(シリア難民の一人である)夫の故郷パルミラに入りました。空爆で破壊された街で目にしたもの、考えたことなどを写真を交えてお話ししたいと思います。
年々、シリア難民の報道は少なくなっておりますが、今も多くの難民たちが苦境の中を生きています。少しでもシリア情勢や難民の状況に、多くの方が関心を抱いてくださるよう、今後も取材と発表を続けていきたいと思います。
・シリア難民への反発が強まるトルコ社会
・欧州を目指すシリア難民
・シリア、パルミラの今
・シリア人の結婚文化
1982年秋田県生まれ。ドキュメンタリーフォトグラファー。高校在学中から登山に魅せられ、国内外の山を登る。2006年、“世界で最も困難な山”と称される世界第2の高峰K2(8611m / パキスタン)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞(2006年)。
次第に風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や沙漠を旅しながらフォトグラファーを志す。2008年よりシリアを撮影。2011年からのシリア内戦では人々の境遇の変化を目撃、シリア内戦・難民の取材を始める。
著書に「人間の土地へ」(集英社インターナショナル/2021年9月)。2021年、山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。シリア人の夫と二人の子供と東京都八王子市在住。公益社団法人日本写真家協会会員。
*注意点*
恐縮ですが、こちらは第三者への譲渡や、インターネット上での公開を禁止しております。ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
11月26日開催の亜細亜(アジア)大学様での取材報告会が終わりました。当日は、学生を含め、さまざまな層の方々に聞いていただきました。ご来場された皆様、どうもありがとうございました。
当日は気持ち良い秋晴れのなか、武蔵境駅から徒歩15分ほどの亜細亜大学へ。会場は大学ならではの、200人が聴講できる教室でした。なんと言ってもスクリーンの大きさが素晴らしく、写真が大迫力で見ていただけそうです!
イベントは15時から。一時間前の14時には、司会の岡崎弘樹先生(中東政治の研究者)とコメンテーターのナジーブ・エルカシュさん(シリア人ジャーナリスト)と打ち合わせ予定でしたが、コメンテーターのナジーブさんの姿が見えず。岡崎先生が電話すると、なんと「まだ千葉!!!」とのことで、岡崎先生も、「もう〜、ナジー、頼むよ〜」とツッコミを入れておりました。
ナジーブさんは普段、アルジャジーラなどと契約し、日本など東アジア地域のニュースをアラブ系メディアに配信しているジャーナリストです。2日前にバンコクから10日ぶりに帰国したばかりで、お疲れの様子。
この日、ナジーブさんは子供の預かりを急遽しなければいけなくなったようで、子供を連れてくることがなかなかうまくいかずに遅れているとのこと。それは大変です!私自身も、突然の子供の体調不良など、こうした子供の預かり先をめぐる問題にたびたび苦労してきたので他人事とは思えず心配しました。
そのうちイベント開始時間へ。ナジーブさんは、イベントが終わるまではなんとか来るだろうということで、それもまた、アラビックタイムの文化(時間にとらわれずゆったり過ごす)を体現されているかのようで、貴重なご来場タイミングだと思いつつ、お話を始める時間となりました。
結果、20日の関野さんとの対談報告会の時よりも、より情勢やシリア難民の現実などに特化した専門性の高いお話をする予定だったのですが、結果的に、あまり変わらないお話となってしまいました。
また、お話ししたい気持ちが先行して話がとても伸びてしまい、申し訳ないことになりました。結果、私は話が伸びすぎ、ナジーブさんは遅れ、司会の岡崎先生に大変に申し訳ないことになってしまいました(岡崎先生、すみません)。
以下、今回の講演会で考えた反省点です。これらを次回以降しっかり生かしたいと思います。
・パソコンの画面ではなく、1秒でも多く、聴講者のほうを見て話すこと。
・座って話すより立って話す。話し手の体がより多く見えていたほうが、聴講者が話に入りやすい。
・一方的にこちらで話し続けるのではなく、聴講者に問いかける。話の内容について考えていただくことで、聴講者がより話に入り込める、共感できる。
・ユーモアを織り込む。真面目な話だけでは、人は聞きづらい。
・五感に伝わる表現を心がける。視覚、聴覚、味覚などが刺激されるような、具体的なエピソードのお話をする。
・一時間以上話すなら休憩をとる。またどんなに長い話でも90分でおさめるようにしたい。
以上、反省も多いですが、じっくりお話をさせていただきました。その後、17時近くになってナジーブさんが子供たちと到着され、質問タイムの後、コメントをいただきました。そのお話が、まさにシリア人からの視点であり、本当に素晴らしいものでした。
以下に、特に心に響いたいくつかのお話を書きたいと思います。
<ナジーブさんの話より>
・パルミラに残るパルミラ遺跡は、シリア最大の観光地だった。一方でパルミラには、シリア最悪とされる刑務所があった。たくさんの観光客を集めるパルミラ遺跡は表のシリアで、刑務所は裏のシリアだった。パルミラは、その二つが同時に存在する街だった。
・パルミラにあった刑務所では、非人道的な扱いが繰り返されてきた。こういうことをやれるのは人間じゃないと言えるほどの、世界でもシリアにしかないようなひどい拷問が行われてきた。パルミラの刑務所に入っていた人が書いた『巻き貝』という本があるが、それを読むとどんなに酷いことが行われてきたか分かる。例えば、2人がやっと立てるような、呼吸もやっとできるくらいの狭い空間に監禁されて立たせられ続け、座らせないという拷問もあった。どちらか一人が死ぬまで、または死んでも立たせられ続けたり。
・ISとシリア政府は共通点がとても多い。特にメディアを使った印象操作など。ISが2回目にパルミラを占領し、それを再び政府軍が奪還した後、政府はパルミラ遺跡の円形劇場で、ロシアの楽団を呼んでオーケストラ演奏をさせたりした。斬首など恐ろしい刑罰を行うISよりも、オーケストラ演奏などをする政府の支配のほうが、より文化的で優れているのだというプロパガンダではなかったか?
・パルミラは、シリアの中で「見捨てられた街」と言われている。現アサド大統領の故郷ラタキアからも遠いし、ISに攻められたときに、迅速に守られなかった。
・パルミラ遺跡などパルミラの考古学には、イタリアと日本が非常に深く関わってきた。沢山の日本人の考古学者がパルミラで働いた。しかし、パルミラの考古学者ハーレッド・アサド氏がISによって殺害されても、日本のメディアはほぼ反応がなかった。イタリアではもっと大きく取り上げられて、彼の功績が讃えられたのに。
・ISがパルミラの博物館を破壊して遺物を持ち去ったりしたとされるが、それ以前に、その何倍もシリア政府が国外に密輸していた。
・日本の人々には、シリアについてもっと連帯を示してほしい。日本には、(専門家でも)間接的にシリア政府を応援している人がたくさんいて不満を感じる。
以上、ナジーブさんのお話しでした。
ナジーブさんのお話の中でも、「表のシリアと裏のシリア」という言葉にハッとさせられました。
イベント後は、関係者で打ち上げへ。その間も、2人の子供たちをあやし、ご飯を食べさせ、歯磨きさせてお世話をするナジーブさんのイクメンぶりに驚きました。ジャーナリストとして一流のお仕事をされているプロフェッショナルなナジーブさん。お仕事だけでなく、全てにおいて真摯に誠実に、そして前向きに取り組んでいる姿を感じました。
帰りがけ、そのナジーブさんからこんなお話が。非常に考えさせられる、むしろ今後考えていくべき内容だったので、以下に記録として書きたいと思います。