「私たちはサイドナヤの囚人だった」〜サイドナヤ刑務所での5年半を元囚人に聞く〜

(*注意 こちらの記事には、やや過激な内容が含まれています)

(*こちらの記事は、一般の皆様にも公開させていただきます)

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(市街地中心部の高台から眺めた、ホムスの街並み)

古来から交通の要衝として繁栄した、シリア中部の大都市ホムス。そのハールディーエ地区に、2024年12月19日、二人の男性を訪ねた。周囲には、崩れ落ちた高層住宅が延々と続き、この瓦礫の街に、今も人が暮らしているとは俄かに信じがたい光景だ。

半分倒壊した建物の一室から現れたのは、バラカート・サーレフ(42歳)とマジェッド・シャーメア(43歳)だ。幼馴染として今も近所に暮らしているこの二人は、シリアが内戦状態へと突入した2011年以降、シリア人の誰もが恐れ慄くような経験をした。

実は彼らは、多くの政治犯が投獄され、その75%が生きては帰れないと言われた〝サイドナヤ刑務所〟の囚人だった。二人は2014年6月から2019年11月にかけて、5年半もの間投獄され、奇跡的に出獄している。

一体、サイドナヤの内側では何が起きていたのだろうか。サイドナヤから生きて帰った者がいると友人に聞いた私は、ホムスに暮らす彼らを訪ねてこの街にやってきた。

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(バラカートとマジェッドが暮らすホムスのハールディーエ地区。多くの建物が空爆によって倒壊し、瓦礫と化した)

2011年3月以降、シリアでも民主化を謳った運動が始まり、その波はホムスでも拡大した。

アサド政権下、政治への不満を抱えてきたバラカートとマジェッドは、その動きに乗るように、2011年4月に〝ごく自然に〟民主化運動に参加したという。

「最初は、本当に普通のデモ行進でした。誰も銃を持っていなかったし(シリアでは銃の携帯は認められている)、皆ただ、シリアの政治をなんとか変えたいと熱意を持っていたんです」。マジェッドは言う。

2011年4月、二人は多くの若者たちと共に、ホムスで行われた大規模なデモ行進に加わった。そしてシリアに政治的な自由がもたらされることや、それにはアサド政権の打倒が必要だということを口にしたという。

多くの若者たちと一緒に、大勢で声を上げたため、二人は自分たちが警察に指名手配を受けるとは、その時点では考えていなかった。それどころか、秘密警察と警察は、シリアの人々を守ってくれるとさえ思っていたそうだ。しかし二人はまもなく、政権に対する〝政治犯〟として指名手配を受ける。そして逃亡生活の末に、2014年6月、二人は同時に警察に逮捕された。

以下は、マジェッドとバラカートから聞き取った内容である。

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(バラカート・サーレフ(左)とマジェッド・シャーメア(右)。共に5年半にわたってサイドナヤ刑務所に投獄されていた)

——どのように民主化運動に参加したのですか?

▽マジェッド

私が民主化運動に参加し始めたのは、2011年4月のことでした。それから2年半くらい、私は運動に参加していましたが、ホムスの周囲に政府軍の兵士が大勢やってきて街は包囲され、政府軍からの銃撃によって、運動に参加していたたくさんの人が亡くなりました。

ホムスのこのハールディーエ地区は、民主化運動が盛んだったことから、政府軍からかなり空爆も受けました。見てください、街はボロボロです。特に2011年12月から2014年5月までの空爆は酷かったです。

政権に反抗したらどうなるのか、空爆によって街ごと破壊することで、政府は人々に理解させようとしていたんです。お前たちは政府の支配下でしか、生きられないぞ、と。

さらに同じ理由で(人々を罰し、理解させるため)ホムスの周囲は政府軍に包囲され、食糧の供給も止められました。何年も十分な食糧がなく、人々は飢えて、家畜用の干草まで食べました。

この時は、ホムスで民衆を守るために戦っていた反体制派と政府側が合議して、多くのホムスの住民が(政府軍による包囲を受けていない)イドリブへと避難したんです。

(政府軍による空爆で瓦礫と化したホムスのハールディーエ地区。多くの家屋が破壊されたまま、放置されている)

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(警察から、マジェッドさんに送られてきた逮捕状。「ホムスの軍事法廷から、殺人をもたらしたテロ行為の容疑で逮捕状が出た」と書かれている)

——–あなたたちはどのように逮捕され、どのようにサイドナヤに送られましたか?

▽マジェッド

バラカートと一緒に逃亡生活を送っていましたが、2014年6月に秘密警察に