ロンドンに到着するなり、シリアのアサド政権の崩壊を知った今回の取材。すごいタイミングでヨーロッパ取材が始まり、ザワザワした心境で取材1日目をスタートさせました。
イギリスに着くなり、息子(8歳)が日本に帰りたいと言い出し、日本にいる夫(2012年にシリアから逃れた難民の一人)もシリアに帰りたいと言い出し、私もまた、シリア取材に今すぐ行きたくなって、みんなそれぞれの思いがあって大変です(涙)。
2012年以来、内戦状態となったシリアや難民を取材してきた私としては、60年近い独裁体制が倒れた、この歴史的な出来事をこの目で目撃したく、ロンドンに着いてからも夜も眠れないほど、シリアに取材に入りたい!と大変モヤモヤしました。懸念は、政府が倒れたということで、入国ビザはどうするのかということと、取材費です。
調べたところ、混乱に乗じてシリアに入国することは不可能ではなさそうですが、入国ビザをきちんとしておかないと、後々、外務省に叱られ、パスポートに問題が起こり、その後の取材に行きにくくなる可能性も。そうなれば元も子もありません。
またそもそも、本当に自分が、混乱状態にある、この転換期のシリアを撮りたいのか、という思いも。確かに激動の瞬間を記録することは大変価値あるものですが、それは資金力、バックアップ力のある大手メディアの記者がどうしても強い分野です。紛争地取材は、ある程度お金をかけなければ、安定した取材ができないし、また危険です。
現段階で、資金力やバックアップ体制に脆弱なフリーランスの私では、大手メディアの記者と同等の取材はできないだろうと考えました。そしてせっかくフリーランスのドキュメンタリー写真家として活動しているならば、大手メディアの記者がするのと同じ取材をしていても、意味がないと思いました。地道に、フリーランスの写真家だからこそできる取材を心がけ、その道を進むことだ、と思い直しました。まずは今ここで、自分の仕事をしっかりやろうと。
このタイミングでヨーロッパ取材に来たということ。その幸運と意義を、取材にしっかり反映させます。
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今回のアサド政権の崩壊によって、すでにイギリスをはじめとするヨーロッパ各国では、大きな政治的影響が出始めています。というのも欧州各国では、2015年頃からシリア人を含む大量の移民・難民を受け入れており、莫大な経済負担を伴うその処遇について、深刻な社会課題とされてきたからです。
アサド政権崩壊の翌日12月9日、イギリスでは、ほかの欧州諸国(スウェーデン、ギリシャ、フィンランド、ノルウェー、イタリア、オランダ、ベルギー)とともに、シリア人の難民申請手続きを一時的に停止するという政府の発表がありました。
またオーストリアでは、すでに難民申請者のシリアへの「送還および国外追放」プログラムを準備しているとされています。
▼ 英国と他の欧州諸国、シリア難民の亡命申請を一時停止(ガーディアン紙/2024年12月9日)
シリアの将来がまだ不透明であるにもかかわらず、こうした動きが広がっていることに対し、各国の難民権利擁護団体からは、疑問の声もあがっています。
アサド政権の崩壊の影響は、移民・難民としてヨーロッパにやってきたシリア人たちに、じわじわと押し寄せています。
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取材1日目、私が向かったのは、ロンドン中心部にあるシリア大使館です。シリアが内戦状態に入った2011年以降、閉鎖されたままですが、アサド政権の崩壊によって新たな動きが見られた場所のひとつです。
ロンドン中心部のハイドパーク近郊、各国の大使館が建ち並ぶ高級住宅地の一画に、その建物はありました。

周囲には、警察車両が数台止まり、バリケードが張られ、物々しい雰囲気です。閉鎖されている建物の入口では、二人の警察官が警護に当たっています。
建物の上に高く掲げられているのは、赤と黒の白のシリア国旗です。その中央には星が2つ。これは、アサド政権の旗でした。
しかし大使館のドアに新たに貼り付けられているのは星が三つの旗。これは、反体制派の旗です。
アサド政権の崩壊と、新たな勢力への権力移行を如実に示す大使館の新しい旗。そこに、今回のシリアでの歴史的な出来事が象徴されているようでした。