イスタンブールに暮らす地震被災者、ムハンマド・サーレさん(2023年6月5日)

(こちらは6月3日〜4日に行ったイスタンブールでの取材記事です)

日本を出発した翌6月2日、トルコ最大の都市イスタンブールに到着しました。この街で、ある地震被災者の男性を取材するため、二日間を過ごしました。

まずは子供たちと、イスタンブール旧市街を散歩。

旧市街の坂を登ったところにある、築400年近い重層建築物「buyuk valide han 」(ビユック・バリ・ダハ)へと迷い込みました。

(暗い建物の内部を進むと多くの小部屋が廊下に沿って並んでおり、小部屋の中で職人たちがそれぞれ仕事をしていました。400年前に建造された建物とのこと。室内の石積みの壁や天井から、歴史の厚みを感じます)

(「buyuk valide han 」の外観)

さて、イスタンブールの空気を吸い込んだ後、いよいよ取材が始まりました。

この街でお会いしたのはムハンマド・サーレさん(26)。トルコ・シリア大地震後、イスタンブールで暮らしているシリア人です。

(イスタンブールでムハンマド・サーレさんが暮らす建物(写真下の正面の建物)。新市街の入り組んだ一角にある)

ムハンマドさんはもともとシリアのパルミラ出身で、私の夫と家が近所で古い友人でもあります。2005年に父親が病気で亡くなった後、母親が一人で11人の子供たちを育てました。

しかしシリアが内戦状態になると、一家は安全を求めて2016年にトルコに逃れました。以来、ムハンマドさんは母親と弟、兄の家族とトルコ南部ハタイ県アンタキヤ市に暮らし、建設作業員として働いてきました。

タクシードライバーの兄とムハンマドさんとで家族の暮らしを支えてきましたが、兄が6年前に突然逮捕されてしまいます。シリア難民は、トルコ国内において移動制限があり、仕事をする際も登録された地域から出ることを禁止されています。ムハンマドさんの兄はタクシードライバーとして許可外の地域に出たことで咎められたのです。以来、兄は収監されたままです。

兄の逮捕後、一家の働き手が減り、暮らしは厳しくなりました。それでもムハンマドさんはなんとか生活を維持してきました。

こうしたなか、2月6日にトルコ・シリア大地震が発生しました。ムハンマドさん一家が暮らすアンタキヤでは建物の倒壊によって、多くの行方不明者、死者が出ました。

地震が発生したその日、ムハンマドさんは、友人を訪ねてイスタンブールに来ていました。そしてトルコ南部で大地震が起きたこと、自分が暮らすアンタキヤの街で大きな被害があったことを知りました。彼はその日のうちに飛行機でアンタキヤへと戻り、家族の無事を確認するために自宅へと急ぎました。

(お茶を沸かす。ムハンマドさんの部屋には、毎日多くの友人たちが集まる)

(ムハンマドさんは体を鍛えることが趣味。毎朝欠かさず筋トレをする)

そこでムハンマドさんが見たのは倒壊した自宅でした。同居していた母親と弟、兄の妻と娘の4人とは、地震後、全く連絡が取れません。それでも家族がどこかで避難しているのではないかと希望を抱き、ムハンマドさんは街の郊外の公園や避難所などを探しました。しかし彼らを発見できず、誰も彼らを見ていないことから、家族が瓦礫の中にいることを確信しました。地震発生から24時間ほどが経った頃のことでした。

ムハンマドさんは倒壊した自宅の周りを歩き、家族の名を呼び続けました。やがてある地点から、兄の妻バトュールの声が聞こえることが分かりました。

「私はここにいる、娘も生きている。大きな怪我はしていない。早く助けて。息ができない、水もない」

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