トルコ南部のオスマニエ県にて、夫の親族を訪ねました(2023年6月10日)

(こちらの記事は、一般公開させていただきます)

①地震被災地、オスマニエへ

イスタンブールでの取材を終え、トルコ南部のオスマニエ県オスマニエ市にやってきました。高原野菜の産地で農業が盛んなオスマニエは、ほかのトルコの都市よりも物価が安いため、多くのシリア難民が暮らしています。私の夫の親族もこの街に2016年以降暮らしており、毎年訪ねている土地のひとつです。

二月に発生したトルコ・シリア大地震では、このオスマニエが震源地から比較的近く、街の中心部にほど近い高層マンションなどが大きな被害を受け、500人ほどの住人が瓦礫の下敷きになり死亡しました。

この街では、親族やその繋がりから、地震の被害を受けたその後の人々の暮らしを取材しました。

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(地震により倒壊したオスマニエ中心部のマンション跡地。瓦礫はすっかり撤去されていた)

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(倒壊は免れたものの、至る所に亀裂が入ったため、廃墟となったマンション。周囲に立ち入り禁止のテープが貼られていた)

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(オスマニエ市街地では、建物に亀裂が入り、無人となったマンションや住居があちこちに散見された。撮影2023年6月8日)

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(地震から4カ月、倒壊した建物の瓦礫の撤去が進んでいた)

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(人間が建てたコンクリートの建物は倒壊しても、地に根を張る木々は倒れない)

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(オスマニエ郊外に作られたトルコ政府による巨大な避難所の仮説住宅。ここに入居しているのはトルコ人のみ)

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(地震で家を失い、暮らす家が見つからない人々の多くが、親族を頼って他の街へ移動した。残った人々は、トルコ人なら避難所の仮設住宅に入れるが、シリア人は入れないため、路上の隅や空き地にテントを貼って暮らしている)

エルドアン大統領は、この地震によって住居を失った人々に対し、一年以内に新しい住居を建てて入居させると約束しています。しかしその対象はトルコ人のみで、シリア人の今後は、これまで以上に厳しいことが予想されます。

②自分たちで家を建てた兄ワーセル

地震前、毎年私が宿泊させてもらっていたのが、オスマニエ市街地のマンションの3階にある夫の兄ワーセルの家でした。

この家は、よく風が通る気持ちの良い空間で、窓から眺める山々の眺めが素晴らしく、ベランダでは鳥を飼い、屋上では二匹の陸亀を放し飼いにしていました。私はこの家に毎年子供たちを連れて泊まり、取材の基地のひとつとしていました。

しかしこの兄の家も地震後、建物に大きな亀裂が入り、住み続けることができなくなりました。引っ越し先の貸家を探しましたが、多くの住宅が被害を受けたトルコ南部では、住宅需要が高まり、家賃が4倍〜5倍近くに高騰しました。

あまりの家賃の値上がりに、なかなか引っ越し先が見つからず、兄の家族はしばらくテント生活を続けた後、別の兄がすでに建てていた家の隣に、自分の家を増改築することに。親族中から借金をしてお金を集め、資材を買い、全て自分たちで建てたそうです。水道も電気も、全て自分たちで引いたというから驚きです。

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(夫の兄ムハンマドが、土地を買って建てたオスマニエ郊外の家。牛を飼い、牛乳やヨーグルトを販売して暮らしている。新しく増築したワーセル兄の家は、家の中央の黒い扉から奥にある)

オスマニエに着いて、まず見せてもらったのがこの新しい兄の家です。コンクリートブロックを積んで自分たちで建てた、と聞き、良かったなあと思いつつ、内心、(地震被害のあった家の多くが耐震基準を満たしていなかったことを考えると)自分たちでまた家を建てて大丈夫なのか、地震が起きたらまた崩れるのではないかと思ってしまいました。

「また地震が来たら、この家・・・、大丈夫ですか?」とはっきり聞いてしまいましたが、親族曰く、「神が守ってくださる」とのこと。

これまでもそうやって自分たちで家を建ててきたし、崩れたらまた建てればいい、との話でした。まあそうなのですが、なんだか悶々としました。悶々としつつも、彼らはずっとその繰り返しで生きてきたのだと思いました。シリアでの空爆で家を失い、シリアやトルコを点々として住まいを変え続け、大地震でまた家を失い、失ってはまた作り上げて、また失って。この先何が起きるかわからない。だからこそ、親族からなるコミュニティで共助の関係性をしっかり作っておいて、自分たちでできる限りのことをやっておく。それでも壊れたらまた作る。それしかないのだと。狭い日本の常識では計り知れない戦災、自然災害を経験してきた彼らの、それが結論であるように思いました。

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(ムハンマド兄(中央)とワーセル兄(前列右)。玄関前にて夜風に涼む。この時点で午後22時。子供たちはまだまだ寝ない)

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(ムハンマド兄が、市場からパンや野菜を買ってきた。ジャガイモ(左上)は100リラ(約700円)、トマトは50リラ(約350円)、ピーマンとキュウリは合わせて40リラ(約280円)、パンは4袋で20リラ(約140円)だったとのこと)

③ムハンマド兄とワーセル兄の家を、ムスタファ・カービースさんが壁塗り

オスマニエ在住のシリア難民ムスタファ・カービースさんは、私がここ数年取材を続けてきた難民の一人です。オスマニエに着いた翌日、朝起きて家の外に出ると、なんとムスタファ・カービースさんがムハンマド兄の家の玄関前の天井を壁塗りしていました。なんでも、私がムスタファ・カービースさんの取材に毎年行くようになり、ムスタファさんの家まで送り迎えをするうち、この家族と繋がりが生まれ、壁塗りの作業を頼んだとか。取材を通し、難民の家族同士の繋がりがあちこちで生まれているようで、とても嬉しいことです。

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(ムスタファさん曰く、地震後に住宅がどんどん作られていることで、仕事が増えているとのこと。こうした壁塗りの仕事は、平均して一日300〜500リラ(約2100円〜3500円)ほどだが、高所作業など危険が伴う仕事の場合は一日1500リラ(約10500円)の収入を得られることもあるそう)

ムスタファさんは脳腫瘍で苦しんでいましたが、二年前に手術をしてから状況が落ち着いているようです。それでもシリアでの空爆に巻き込まれて大怪我をした背中と腎臓の古い傷が痛むため、仕事は週に4日ほど行い、あとは休んでいるとのこと。なんと地震後、7人目の(上の二人の息子は2013年にシリアでの空爆で死亡)赤ちゃんが産まれていました。オスマニエにまた戻ってきたら、ムスタファさんの家を訪問させていただくことにしました。

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被災地のオスマニエ。夫の親族たちは、突然の地震に戸惑い、経済的な打撃を受けながらも、その波の中で再び生活を作り出し、この土地でたくましく生きようとしていました。

引き続き、取材を進めていきます。

(2023年6月10日)

One Reply to “トルコ南部のオスマニエ県にて、夫の親族を訪ねました(2023年6月10日)”

  1. ムスタファさんのことなど読みまして、レジリエンス(強靭、困難への対応の実効性の強さ 等)という言葉が思い浮かびました。パルミラなどにおけるエマニュアル・トッドが云うところの共同体大家族の協業文化は強く、たくましく、望ましく、うらやましいと思いました。おそらく、イスラム・アラブ諸国の民衆のレジリエンスは核家族(英米諸国が代表)や直系家族(ドイツ、韓国、日本等)と比較して優れているのだと思います。
     もう一言。いつもいつも思うのです。写真に写るシリア人の力強さ。根を生やして堂々と立っている感じです。由香さんの写真技術もあるでしょうけども、人として強いと感じます。大家族共同体の文化では個人が弱いというのがエマニュアル・トッドの書物を読んでの先入観だったんですが、何千年の歴史がある大家族文化の一員だからこそ、個人としても堂々としているのだなと思うに至りそうです。思えば、英語圏の人々の写真を見ると、確かに個人としてがっちりしてますが、どこか不安な感じがあります。
     なんとものコメントで失礼しました