シリア取材後、放心状態になっています。本日9月28日18時半より、ラジオ出演いたします。

本日9月28日放送のNHKラジオ「Nラジ」に、取材先のトルコより生出演いたします。

https://www4.nhk.or.jp/nradi/

私が出演するのは15分ほどですが、現在滞在しているシリア国境の街レイハンルより、シリア難民の置かれた状況についてお話いたします。

シリア取材を終えトルコに戻ってから、やるべき取材をなんとか継続していますが、放心状態が続いています。

テレビやインターネットでは目にしていたものの、自分の目で見たシリアの状況が、ショックそのものだったからです。

シリア政府機関による厳重な情報統制や、激しい空爆によって廃墟と化したパルミラの街。特に、シリア政府に軍事協力を行うロシア軍による空爆の被害は凄まじいものでした。

一般市民を標的にした重大な戦争犯罪が、シリア政府とその協力者であるロシア軍によって行われ、今も続いています。

私は今、トルコ側のシリア国境の街、レイハンルにおります。
トルコ時間の昨日、9月27日11:30頃、レイハンルの街に地鳴りのような衝撃音が響きました。国境をまたいだシリア側、レイハンルにほど近い「カファル・ロースィーン難民キャンプ」にて、ロシア軍による爆撃があったのです。

爆弾が落ちたのは難民キャンプ内の子供たちの学校で、多数の死傷者が確認されています。難民キャンプには軍事組織もありません。ロシア空軍は、ここにいるのが一般人であることを知りながら空爆を行ったのです。

こうした一般人の居住区を故意に狙うロシア空軍による爆撃が、シリア北西部イドリブ県では今も頻発しています。

写真は、ホムスからパルミラに向かう道中に撮影した看板です。シリアとロシア、二人の国家元首が、軍事上、深い協力関係であることを物語っています。

現在、ロシア軍のウクライナでの蛮行がメディアでも連日取り上げられていますが、それは2015年以降、シリアで民間人に対してずっと行われてきたことです。そして今もなお、こうした無差別爆撃の脅威に晒されている多くのシリアの民間人がいることを、もっと多くの人に知っていただき、関心を持っていただきたいと心から思います。

そんなわけで長い話となりましたが、本日、ラジオ出演をさせていただきます。ぜひご視聴ください。また、放送後一週間は聞き逃し配信もされるようなので、改めてご案内させていただきます。

放心状態のまま、あと一週間ほどで帰国です。

不法移民として、ヨーロッパを目指す親族たち

この夏のシリア難民の取材では、海を渡りヨーロッパを目指す難民が周りにも増えてきたことに驚かされました。その波は親族にも。

シリアに向かう直前に取材した親族たちは、(不法入国という手段で)すでに海を渡り、ギリシャに上陸し、イタリア方面へと向かう難民の道をゾロゾロと歩いています。現在ギリシャを通過し、マケドニアのあたりまで。

(トルコ南部オスマニエに小さな商店を経営していた義兄の一人。トルコでは、年々シリア人への排斥感情が高まり、トルコ人に店のガラスを割られたり、万引きされたりなど嫌がらせを受けていた。)

こうした難民の動きについて、取材をしながら私は複雑な思いを抱いていました。しかしシリアで人々の内情を目にしたことで、その考えも変わりました。

彼らが本当に安心して帰られる故郷はすでになく、新たな生活を築こうと努力したトルコでも、差別や難民帰還政策の進行(トルコ政府は、380万人ほどいるシリア難民のうち100万人ほどを半ば強制的にシリア北部に帰還させる計画を進めている)により将来が見通せません。

誰もが、人間としての尊厳をもって生きることを望んでいます。例えそれが非合法的な手段であっても、安全と安定とをより見出せる場所へと、難民たちは向かおうとしているのです。

(店ではアラビア語で表記されたシリア産の食品や生活雑貨を扱い、客層はほとんどシリア人。トルコ人の経営する商店やスーパーよりも安く買い物できる。トルコ人はトルコ人の経営する店に、シリア人はシリア人が経営する店で買い物する傾向があり、売られている商品も異なる。)
(客は店主に声をかけ、棚から品物を取ってもらうスタイル。狭い店でも品揃えを豊富にしていた。)

不法移民として移動していくシリア難民の存在を考えるとき、彼らがシリアで何を経験したかを考えるべきではないでしょうか。シリアでこの11年、何が起きてきたのか。それに対し、国際社会がどう動いてきたのか。

シリアから大量の難民が生まれ、さらにこうした難民たちが不法移民としてヨーロッパを目指し、国際社会として対応に追われる背景には、シリアで繰り返されてきた、非人道的行為を直視してこなかった国際社会の責任もあるのではないでしょうか。

私は、どこもかしこも穴だらけになり、屋根も壁も崩れ去ったコンクリート製のパルミラの家々、廃墟になった街を目にして絶句しました。これだけの凄まじい空爆に、それも自国政府による攻撃に、市民が晒されてきたのかと。

シリアにて、人々が難民となっていったその始まりの土地、「ゼロ地点」に立ったことは、難民の存在について考える上で、深い気づきを与えてくれました。

(アラブ菓子も販売している。シリア人によって作られたパンやヨーグルト、お菓子、漬物、バターなどを売る。)
(客がいないとき、売り物のお菓子を堂々とつまみ食いする(お茶目な?)義兄。しばらくして見ると、お菓子がかなり減っていた。)
(商店の経営は安定しており、収入も平均的なトルコ人以上にあったが、反シリア人感情の高まりと、今後のトルコ政府の(シリア難民への)政策不安から、トルコを離れることを決めた。)

チャンスを待ち続ける〜シリア取材5日目・前半〜

警察に直訴

パルミラのムハンマドたちの家に来て以来、私はシリア警察の監視下に置かれていた。宿泊先の親族の家ではほぼ軟禁状態で、警察に指示を受けた住民が私を監視するという事態が起こっていた。

コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

シリア取材より、無事に帰ってきました

今月初めより、取材のためにシリアに入っていましたが、無事に戻ってまいりました。

2011年以降内戦状態となったシリアでは、現在も北西部で戦闘が続くほか、北部をトルコ軍やクルド人勢力が占領し、国内情勢はまだまだ不安定です。物価は内戦前の10〜15倍に跳ね上がり、国内の多くの地域では電気や水道の供給が一日の半分ほど。インフラの不安定ななかを、多くが困窮しながら生活しています。

今回、リスクを考えて二人の幼い子供たちをトルコ南部の親族のもとに残し、単独でシリアに入りました。

取材の最大の目的は、夫のルーツであるシリア中部のパルミラにて、難民となった人々のかつての家を撮影することでした。

パルミラは、シリア砂漠のオアシスの街として、古代から交易の要衝として栄えてきました。最近では街の郊外に残る世界遺産パルミラ遺跡が知られ、多くの観光客も集めていましたが、2015年〜2016年の過激派組織ISによる占領と、その後のシリア空軍の空爆により市街地の8割が破壊され、ほとんどの住民が街を去りました。

7月半ばから行なっているトルコでの取材では、こうしたパルミラ出身のシリア難民に故郷の記憶を語ってもらい、写真を撮りました。

その後私もパルミラに向かい、人々の記憶を取材することで、彼らの現在とルーツとをひとつの線で繋ぎ、難民とはどういう存在であるか、記憶という側面から浮き上がらせらたいと思っています。

周囲を砂漠に囲まれたパルミラは、軍事の要衝として、現在、政府軍、ロシア軍、イラン軍が駐屯しています。特にパルミラの市街地のほとんどが破壊されたことから、パルミラ遺跡以外の市街地への立ち入りは基本的に許可されず、パルミラでの取材は、常に政治部門の警察が同行するという大変に困難なものでした。

撮影は決して満足のいくものではありませんでしたが、昨年他界した夫の父ガーセムの家を目にすることができ、パルミラを体全身で感じてきました。そして何よりも、シビアな体験ではありましたが、一観光客として観光地を訪れたのではない、シリアの実情を経験をすることができました。

多くの皆様にご心配をいただき、気にかけてくださり、どうもありがとうございました。
ここに元気に帰ってきたことをご報告させていただきます。
現在は、トルコ南部のオスマニエにて、子供たちと過ごしています。

取材の間、脳裏から離れなかったのは、子供たちの存在でした。

「あのフニャフニャした、柔らかい小さな手を、早く握りたい」。そう毎夜思い続けたシリアでの日々。やはりほんとうの幸せは、遠くにではなく、ごく近くにこそあるのだと実感しました。

シリア取材の詳細は、追ってまたご紹介したいと思います。

また、シリア取材の詳細なレポートは、私の「HP有料会員コンテンツ」(月額1000円)にて見ていただくことができます。

https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/

シリアでは、一言では語れないさまざまなシビアな経験をし、シリアの実情を知っていただける内容となっています。是非購読ください。

マル秘取材プロジェクトへ行ってきます!

トルコ南部のオスマニエ、牛が草を食んで休む牧草地にて。親族の若者にバイクに乗せてもらう。遠くの街の灯りが綺麗だ。

この数年温めてきた、ちょっとしたマル秘取材プロジェクトに、まもなく出発します。インターネットが繋がりにくく、情報発信が危険な地域のため、しばらくfacebookの更新をお休みします。

長男が生まれ、一歳になった2017年以降、子連れパニック取材を続けてきましたが、ここ数年で初めての単独取材です。何年もかけてこの機会が整ったこと、さまざまなめぐり合わせに感謝しております。

誰もが閲覧できるこちらの取材報告ページでは、詳細は取材後のご報告とさせていただき、私の「HP有料会員コンテンツ」にて、現場からの取材メモや経過を、可能な限りご紹介する予定です。

よろしければ是非ご登録いただき、体験の共有と活動の応援をいただけますと嬉しいです。

シリア国境の街レイハンルで泊まらせていただいた親族アブ・アフマッドの家にて、昼食の光景。シリア人の家庭では、16〜17時頃、一日のうち最も手の込んだ食事、「ガダー」(昼食)をとる。大家族が多いため、このように床に座り、皆で食事を囲んで食べるのが一般的だ。
この日の「ガダー」(昼食)は、シリア中部パルミラ地方の伝統料理「ブルマ」。鶏肉と雑穀を長い時間煮込み、塩で味をつけたものに、油で揚げたナッツをのせる。つまり鶏肉入りお粥。優しい味わいで食べやすい。パルミラに伝わる、昔ながらの伝統料理と聞いた。
パルミラでは大工だったアブ・アフマッド。毎年レイハンルでの取材で、家に泊めていただいている。とにかく迫力があって声が大きい。威厳のあるアラブのお父さんだ。この日食べた「ブルマ」は、パルミラにいた頃、大鍋でいっぱい作り、貧しい人々にたくさん分け与えた、思い出の料理。かつては700頭のヤギや、広い果樹園などを所有し、とても豊かだったが、2011年以降、「クッロ ラーハ(全て失った)」。

インターネットが不安定で、zoomホストの私がドロップアウトしてしまった先日の「取材中間報告」も、いまコツコツと収録中。まもなく完成しますので、もう少々お待ちください。

いつも皆様に応援をいただき、心より感謝しております。どうもありがとうございます。

▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)
https://yukakomatsu.jp/membership-join/
こちらは活動を応援いただくためのサイトです。より良い写真活動ができるよう、応援をどうぞよろしくお願いいたします。

夜景を撮っていると、長男が私の服を引っ張る。バランスを崩して子連れパニック写真に。しかし芸術的・・・!
トイレに行った後、パンツが履けないとごねる次男。

(2022年9月5日)

「取材中間報告」の不手際のお詫び

昨日9月1日は、「取材中間報告」をズームにてさせていただきましたが、インターネット接続が不安定になり、なんと私が突然zoom上から消えていなくなり、5分後に戻ってくるという大変なことが起きてしまいました。たくさんの方々に参加いただいたのに、本当に申し訳ありません。

zoom接続をしたのはトルコ南部オスマニエのカフェで、事前に一度、ズームの接続の確認をしていたのですが、不十分でした。

インターネット接続が不安定となり、zoom自体が突然消えてしまった後、再びそのページに戻ろうとしましたが、サインインすると、こんな表示が。

「まもなくホストのYuka Komatsu さんから許可されます」

そのホスト(zoom ルームの主催者)が自分なのだけど、ホスト自体がこうしてドロップアウトしてしまったら、入室が許可されず・・・。こうした場合、どうしたら良かったのか考えさせられました。こういうときのために、ホストを一人、日本からお願いすれば良かったかもしれません。とにかくえらい事態で、皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。

その後、zoomにサインインするのではなく、新しいzoomページを開いたところ、突然元のページに繋がり、戻ることができましたが、参加された皆様にとって前代未聞のことだったと思います。

また、写真ページの切り替えにかなり時間がかかってしまったりと、トーク自体もゆるゆるになってしまい、課題が多く、申し訳ないトークイベントになりました。

再度、インターネット接続のより安定したところで自分で報告会をやり直し、録画したものを、後日、有料会員の皆様と、参加いただいた方々にお送りします。内容ももっと深めて整理します。

不手際が多く、本当に申し訳ありませんでした!

取り急ぎ、お詫びさせていただきます。

小松由佳