シリア・アサド政権による市民の弾圧と人道支援の実情〜ジャーナリスト、黒井文太郎氏のスピーチより〜

(こちらの記事は、シリア情勢を包括的に理解する上で大変学びのある記事のため、有料会員様以外にも公開させていただきます)

<この記事の内容>

現シリア・アサド政権とは? / シリア国内支援が難しいのは何故か / 北西部の反体制派地域をめぐる支援の実情 /  シリア問題を理解するための前提

Stand with Syria Japan様主催のイベント「シリア危機を再考察する-アサド政権の残虐性に迫る-」に参加

少し前のことですが、2月23日に、シリア支援を手がけるNPO法人「Stand with Syria Japan(SSJ ・エスエスジェー)」様主催のオンラインイベント、『緊急セミナー「シリア危機を再考察する-アサド政権の残虐性に迫る-」』に参加しました。

イベントでは、シリアのアサド政権の戦争犯罪問題を専門とするジャーナリスト、黒井文太郎氏より、アサド政権の市民に対する弾圧の歴史、人道支援の実情についてスピーチがありました。大変勉強になる内容でしたので、ご紹介させていただきます。

▼イベントの主催団体、「Stand with Syria Japan(SSJ )」について

https://standwithsyriajp.com

▼このイベントについて(2月23日に開催終了)

https://standwithsyriajp.com/2023/02/16/ssjonlineseminar01/

シリア国内及びシリア難民の支援を行うNPOは数多くありますが、こちらのSSJ(エスエスジェー)様の特徴は、アサド政権の戦争犯罪を明確に非難し、反体制側の立場から、国際平和実現のための取り組みを積極的に行なっている点です。

まずイベントの冒頭で、SSJ理事長の山田一竹氏より、以下のお話がありました。

○ シリア危機は「内戦」ではなく「人道危機」。国際平和の基盤を守るための戦いとして、シリアの民主化を応援している。

○ SSJでは、非政権支配地域アレッポに拠点を構え、シリア北西部で教育支援・人道支援をおこなっている。

その後、黒井文太郎氏によるスピーチがありました。黒井文太郎氏は軍事・諜報などを専門とするジャーナリスト。講談社にてフライデーの編集に携わった後、ニューヨークを拠点にジャーナリストとして活動、その後モスクワやカイロを拠点に戦場カメラマンとして活動されています。元妻がシリア人で、シリアの実情に大変詳しい一人です。以下、黒井氏のスピーチの内容です。

▼黒井文太郎氏  https://ja.wikipedia.org/wiki/黒井文太郎

「アサド政権の残虐性に迫る」ジャーナリスト / 黒井文太郎氏

この12年間、シリアでは戦争犯罪が続いてきた

グラフ1

(2011年3月〜2022年9月までの、シリアの政党と支配勢力。シリア人権監視団による)

こちらはイギリスに拠点を置くNGO「シリア人権監視団」によるもの。

この12年間のシリアでの紛争の者数は最低でも60万人ということなので、実際には60万人以上の人々が亡くなっているだろう。この60万人のうち、民間人が少なくとも23万人殺害されている。その加害者は第一がアサド政権とイランの配下のグループで、全体の87パーセントを占めている。その次が空爆を数多く行ってきたロシアで3.03パーセント。その次がISで2.21パーセント。圧倒的にアサド政権が人々を殺害している。

グラフ2

(「2011年3月から2022年8月まで、5,161人の子供と10,159人の女性を含む計154,398人が、政権側によって逮捕され、行方不明状態である。少なくとも」)

こうした逮捕や行方不明状態は、圧倒的に政権側によって行われた。政権によるものが87.60パーセント、135,253人に及ぶ。

グラフ3

(少なくとも3,041人の子供と6,642人の女性を含む計111,907人が政権側によって行方不明になっている)

不法に拘束をされて今も獄中にいる人のグラフ。アサド政権によるものが、全体の85.51%と圧倒的に多い。アサド政権、その次がISと続く。

グラフ4

捕まってから拷問を受け殺害された人の数、少なくとも14475人。加害したのはアサド政権が圧倒的に多い98.49%。その次がクルド、反体制派、ISと続く。

戦争なので、戦闘員同士は殺害しあっているが、民間人を巻き添えにする確率、また民間人を捕まえて殺害する確率は、アサド政権が圧倒的。ISも相当民間人を殺害しているが、アサド政権の比ではない。アサド政権が現地で支持されている、されていないという数字がよく出るが、現地の人々は政権の残虐さを間近で感じている。本当のことは人々は言えない。

なぜシリアへの支援が難しいのか

震災の支援を阻害する要因とは何か。6日に地震が起きてから、シリアに対し、各国から支援の申し出があった。しかしシリア国内は勢力によって政治的に分かれており、反体制派の武装勢力とアサド政権軍が睨み合っているので、その境界線は入れない。北側のトルコから国境を越えて反体制派の支配地域に入れるが、その道が今回ほとんど機能しなかった。

理由としては、トルコが被災地になり、支援のルートが止まってしまったこと。さらに政治的理由もある。シリア北西部の反体制派支配地域は、政治的に、外国からの支援が自由に入れないエリア。

紛争地帯なので国連が仕切ってはいるが、アサド政権は自分たちの国土だと主張している。そのためアサド政権からすると、そこにいる武装勢力は不法なテロリストということなので、物資の輸送を止めるようにとアサド政権側は主張する。

これに関して国連本部は、国連安保理で決める方針だが、国連安保理の一国であるロシアはアサド政権の後ろ盾として影響力を持っていて、「不法なところを自由に開くのはいかん」と圧力をかけて、制限しようとしている。国連本部でそう決まると、国連の下にあるさまざまな支援機関もそれに縛られる。結局、ロシアの意向がどうしても入ってきてしまう。こうして、シリア北西部の反体制派支配地域は、本来ならば国境を開けたくないが、人道支援なら少しだけ入れましょうというのが現実。国連の、ロシアへの忖度がある


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トルコ・シリア大地震 支援金の送金状況・被災した人々の状況(2023年2月22日)

(こちらの記事は、有料会員様以外にも公開しています)

地震発生から16日が経過しました。

こちらのページでは、被災地のひとつトルコ南部ハタイ県、シリア国境の街レイハンルから届いた人々の状況をご報告いたします。

集めさせていただいた支援金が、生活物資の購入などに使われています

被災したシリア難民のために支援金を集めてお送りする活動を行なっており、現在までに、¥2,036,000をトルコ南部とシリア北西部に送金しています。

被災地では依然として厳しい避難生活が続き、暖をとるための物資が不足しています。人々が最も必要としているのは現金です。お送りした支援金は、シリア人ネットワークの中で困窮者に配布いただき(ひと家族につき約¥20000〜¥30000で配布)、生活物資、食糧などの購入に使用されています。

レイハンルにて被災したシリア人の家族より、支援金で購入したものの写真を送っていただきました。

支援金でこれらのものを購入した。

以下は、詳細を説明している動画です。

「アッサラームアレイクム、アイーシャ(こんにちは、アイーシャさん)」(「アイーシャ」とは私のアラビア語名です。)。「ハッフーダー」は赤ちゃんのおむつ、「リバース」は服のこと。「バッダウィーヤ」は毛布。「ハタブ」は暖をとるための薪です。避難生活は非常に寒いため、防寒用具を中心に購入したようです。

またこちらのズィヤート一家は支援金で毛布を買い、さらに部屋を借りることができました。それまではモスクや路上での寝泊まりが続き、子供たちにとって非常に寒く厳しかったとのことでした。

6畳二部屋ほどの貸部屋に、5家族が身を寄せ合って避難している。かなり狭いという。

ズィヤート一家の食事風景を写真で送ってもらいました。配給でもらったビスケット、水、オレンジやりんごを子供たちが食べています。食事は毎日簡単なものだけ食べており(調理器具などなし)、ラーメンや、茹でたパスタにヨーグルトと塩と油で味付けしたものなどを食べています。

避難生活の状況

ズィヤート一家のように、貸部屋を借りてそこに入った家族もいますが、被災地では多くがテントや路上などで避難を続けています。

レイハンルに暮らす夫の遠い親族、アサド一家(夫の叔母の旦那の家族)は、今も暮らしていたマンションに戻れずテント生活をしています。

アサド一家が暮らす簡易テント。なんとここに、5家族25人が避難中。テント内部は女性と子供、高齢者が寝て、入りきれない男性は外で寝ている。レイハンルの郊外の空き地にテントを貼った。
テント内部。木材とビニールシートを使い、自分たちでこのテントを建てた。レイハンルではテントの配給はなかったという。

当初はこの一つのテントで5家族25人が避難していたが、あまりに狭いので、隣にもうひとつテントを建てた。アサド一家と身を寄せ合っているのは、アンタキヤから逃れてきた親族。地震被害が大きかったアンタキヤでは、自宅があったマンションが倒壊した。

元気そうな顔を見せるアサド一家の80歳のおじいちゃん(写真左)。シリアのパルミラ出身で、長年大工として働いてきた。昨年2022年夏は、このおじいちゃんも取材させてもらった。高齢での寒い避難生活はさぞ体にこたえることだろう。早く暖かな環境で避難生活ができるようになってほしい。私はこのおじいちゃんが経験したこの10年の環境の変化に悲しくなった。暮らしを失い、故郷を失い、トルコでも災害で生活を失いつつある。

アサド一家にはこれから支援金を送付するところですが、支援金を受け取れたら、暖をとるための薪と石炭を買いたいとのこと。また、より頑丈なテントを数張、購入したいとのことです。自宅のあったマンションは倒壊の危険性があり戻れず、仕事もなくなり(写真右のアサド一家のワリードさんは会計士でしたが、この地震で失職しました)、しばらくこのテント生活が続くと一家は考えているようです。

2022年夏の取材にて。アサド一家のおじいちゃん。小松撮影。

以上、現在の被災者の状況でした。

今後も現地に支援をお届けしつつ、現地と連絡を取り合ってご報告していきたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。

(2023年2月22日)

被災したシリア難民への支援金集め、葛藤と判断

2月6日に発生したトルコ・シリア大地震。被災したシリア難民への支援金を集めさせていただいてから、連日大変多くのご支援をいただいています。どうもありがとうございます。しかし始めるにあたり、葛藤がありました。

こちらでは、その葛藤や決断についてお話したいと思います。

個人を窓口に支援金を集めることへの迷い

地震の発生後から被害の甚大さが伝えられるようになり、トルコ大使館をはじめ、すでに多くのNGOなどが被災地への支援を始めました。被災地には親族や多くの知人がおり、彼らもまた被災したのですが、支援活動を私がやる意味があるのか、個人を窓口に支援金を集めるのは、責任の問題などで批判されないか。そもそも私はフォトグラファーであって、支援活動家ではないなどとも考えました。

しかし私はこれまで、戦争から逃れて異郷で生活を立て直そうとするシリア難民を取材してきました。そして彼らから、人間が生きることの強さや難しさ、悲しみや喜びなどを見せていただき、多くを教えていただきました。彼らがそこにいたからこそ多くを学ことができ、また支えられてきました。シリア難民は今や、私にとっては取材対象者というよりも私の「家族」であり(実際、シリア難民である夫の家族が現地に住んでいるのですが)、共に同じ時代を生きている友人たちです。

一度シリアで全てを失ってきたその彼らが、再びここで生活を失い、助けを求めている。これは、写真活動よりも大切なことがあると思いました。写真家であるより、人間として、友人としてやるべきことがあると。

やらないで悩むより、「やって悩もう」

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AERAdot.(アエラドット)様にインタビューいただきました(2月19日配信記事)

2月6日に発生したトルコ・シリア地震の現地の状況について、インタビューいただきました。大きな被害を受けたトルコ南部ハタイ県、オスマニエ県などを長年取材し、現地に夫の親族や知人がシリア難民として暮らしていることからお話をいただきました。

https://dot.asahi.com/dot/2023021700055.html?page=1

現地で浮き上がっているのは、トルコ人とシリア人への支援の格差のようです。もともと社会的弱者だったシリア人たちが、さらに厳しい生活に追い込まれていくことが懸念されます。

(2023年2月20日)

NHKラジオに出演いたしました(2月14日18時出演)

2月6日に発生したトルコ・シリア地震について、現地の知人から聞いた状況などを交えてお話させていただきました。生放送でモゴモゴしてしまいました。(ご注意:聞き逃し配信は2月21日20:00まで)

トルコ・シリア大地震 シリア難民の状況は【Nらじ】ニュースアップ

<番組のご視聴はこちらより>

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=4774_04_3843370&fbclid=IwAR2k4Xts-6BXjK_GYGa11CGHSxXvPK4tqRyLxwciI2dXEkIY_Pn5ktoL7I8

皆様から届いた地震の被災者への生活支援金を、現地にお届けしています(2023年2月20日)

シリア・トルコ両国にまたがる大地震の発生から2週間ほどが経ちましたが、現地ではまだ混乱状態が続き、被災者の多くが厳しい寒さの中、不安定な避難生活を送っています。

さて、被災したシリア難民への生活支援金を募らせていただいてから、大変多くの方々よりご支援をいただきました。19日までにいただいたご支援の総額は、¥2911521です。

こちらを、地震被災者の中でも特に社会的弱者であるトルコ在住のシリア難民層や、また国際支援が届きにくいシリア北西部イドリブ県の被災者へお送りすべく、現地の親族・知人と連絡を取り合いながら動いております。

まずは第一弾として¥1022000を送金し、すでに現地で配布されております。

送金方法は、アラブ系銀行を使った送付を検討しましたが、時間を要すること、手続きが煩雑であることが分かり、送金がスムーズで確実なウェスタン・ユニオンで送金しました。

*当初、地震被害の大きいアンタキヤやレイハンルに直接送金を試みましたが、現地のウェスタン・ユニオン代理店が閉鎖しているため、オスマニエの親族に受け取り手になってもらいました。トルコ国内、またトルコからシリア国内への送金はスムーズに行うことができます。

*送金の受け取りについて、シリア難民の場合、ウェスタン・ユニオンでは一ヶ月に一人約16万円の上限額が決められています。そのため、まずは一人当たり16万円ずつ、以下の6人の親族宛に送付し、以下の金額の受け取りをお願いしました。

*現在、トルコ南部の金融機関が現金の欠乏状態にあるようで、銀行やATMには人々が殺到しているとのこと。送金したお金の受け取りに時間がかかったようです。

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(送付額・受取手・受取額)

支援金第一弾 送付額 ¥1022000(うち送金手数料¥30000)

ワーセル19181TL

ワーセルの妻23150TL

ガーセム23811TL

ムハンマド21564TL

ゲッスン21564TL

ローバ21564TL

受取額 合計 130834TL

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以上の130834TLをさらに以下の地域に送金、現地で分配し、テントや路上で避難生活を送るシリア人被災者の家族に送金しているところです。またこうした送付や受け渡しには、信頼できる親族・知人にそれぞれお願いしています。

<トルコ> 送付額66142TL(送金手数料を引いた¥500000分)

○ガズィアンテップ県ガズィアンテップ市

○ハタイ県アンタキヤ、レイハンル

○メルスィン

<シリア> 送付額64692TL(送金手数料を引いた¥492000分)

○シリア北西部イドリブ県

○シリア北部アレッポ県アフリン市ジェンデレス 

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シリアへの送金については、シリア北部のラッカ、アレッポ県アル・バーブに住んでいる夫の二人の兄に委託します。

兄たちがシリアのアル・バーブで支援金を受け取り、アレッポ県アフリン市ジェンデレス、さらにイドリブ県まで、直接支援金を持って受け渡しに向かうことになりました。

反体制派支配地域であるシリア北西部イドリブ県は、政治的理由で特に国際支援が入りにくい地域ですが、シリア在住のシリア人だからこそ、現地のネットワークの中で支援金を運ぶことが可能です。

まさに日本、トルコ、シリア間で、親族のネットワークをフル活用した支援金送付の道ができております。

多くの皆様からのご支援に心より感謝しております。いただいた支援は現地に順次お届けしていますのでご安心ください。また後ほど、どこにどれだけ送金し、どういった支援に使われたなどの報告をさせていただきます。

何か質問などございましたら遠慮なくお問合せください。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。皆様、どうもありがとうございます。

小松由佳

(2023年2月20日)

【地震で被災したシリア難民への支援をたくさんいただいております】【トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)】

皆様、こんにちは。このところ、トルコ大地震の被害のことで頭がいっぱいです。現地では、地震後一週間が経過しても、大変厳しい状況にあるようです。

先日は、地震で被災したシリア難民のコミュニティへ、支援金を集めさせていただきたいと呼びかけたところ、すぐにたくさんの方々より反応がありました。

なんと驚くことに、すでに100万円近い支援金が手元に届いております。皆様の温かいお気持ちに、感謝しかございません。どうもありがとうございます。

昨日早速、その一部を、地震被害の大きかったトルコ南部のレイハンル、アンタキヤに送金しました(後ほど、どこにいついくら送金したかの詳細を、ご報告いたします)。

被災地域はシリア難民が多く暮らす地域であり、かつ彼らのほとんどが避難してから10年未満で、トルコ社会でも貧困層として知られています。

トルコ人もシリア人も同様に被災はしていますが、圧倒的多数が正式な国籍を持っていないこともあり、人道支援はどうしてもトルコ人優先となり、シリア人は公的避難所を利用できなかったり、食料や薪(暖をとる)などの配布、病院での治療、さらには行方不明者の捜索現場においても、トルコ人が優先されている現状が見受けられます。

私は個人的に活動しているため、NGOなどが手がける大きな支援ではありませんが、直接繋がっている顔の見える関係性のなかで、助けを必要としている社会的弱者であるシリア人へ、支援をお届けしたいと思います。

また、国際支援が届きにくいと言われている被災地、シリア北西部イドリブ県の反体制派地域にも親族や知人がおりますので、そのネットワークから、今後そちらにも支援をお送りできたらと思います。

今回の被災地域は、2015年以降まさにシリア難民の取材のため足繁く通ってきた地域です。これまで現地に子供を連れて取材に行き、多くの人々に支えられてきました。今度は、被災し苦しい状況にある人々に、少しでもお気持ちを届けるお手伝いができたらと思っています。

被災したシリア難民のご支援にご協力いただきました皆様、本当にどうもありがとうございます。いただいた支援は間違いなく現地にお送りすることをお約束し、支援が人々の生活維持、生活再建に役立てられていくことを祈るばかりです。

▼【トルコ地震で被災したシリア難民の家族・知人に、支援金を集めさせていただきたいと思います】

https://yukakomatsu.jp/category/news/

<お問合せ・ご不明点について>小松由佳(nameless.star.yuka@gmail.com)

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また支援金を集めさせていただく上で、現地の状況について把握を心がけています。

今回、現地の支援がどこまで行き届いているのか、現地でどのような問題が起きて、どのようなことに悩んでいるのかなどを、トルコ南部ハタイ県在住のシリア難民に取材しました。ご覧ください。

(以下は、「小松由佳有料会員コンテンツ」に投稿した記事ですが、多くの方に関心を持っていただきたく一般公開させていただきました)

▼【トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)】

https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。    小松由佳(2023年2月13日)

トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月13日)

(こちらの記事は、有料コンテンツの内容ですが、多くの方に関心を持っていただきたい内容のため、一般公開させていただいております)

6日にトルコ南部で発生した大地震から一週間が経過しました。犠牲者の数は日増しに増えており、最終的に犠牲者の数は五万人近くまでのぼるのではという、国連事務次長の見解も発表されました。

シリアとトルコ、両国にまたがって起きたこの地震では、両国に甚大な被害が報告されています。またトルコ南部では、戦争から逃れてきたシリア難民がかなり被災しています。

地震の被災地域は、まさに私が2015年以降取材を重ねてきた地域であり、親族や知人も被災しているため、現地の状況と合わせてシリア難民の現状をご報告していきたいと思います。

地震の被害が大きかったトルコ南部ハタイ県、県都のアンタキヤやシリア国境のレイハンルでは、多くのシリア難民が避難生活を続けています。

以下、複数の知人に12日にインタビューをした内容となります。

今回の地震で大きな被害があったトルコ南部オスマニエ県オスマニエ市。建物のほとんどがコンクリートブロック製だった。かつて、シルクロードの中継地として栄えた歴史ある街である。

<地震後の支援、生活についてインタビュー(トルコ南部ハタイ県)>

—–現在の生活状況はどうですか?

レイハンルやアンタキヤでは、新築の建物を除き、かなりの建物に大きな亀裂が入ったり、壁や天井が壊れており、そのまま暮らし続けることができない状態です。多くが、倒壊の危険のない親族や知人の家に身を寄せあったり、道路脇の空き地や広場、公園でテントで寝たり、車の荷台で寝ています。とにかく寒くて辛いです。

—–支援は?足りていないものは?

支援機関からの食糧と水の配給はあるが、暖を取るための薪や炭、毛布がとにかく足りません。非常に寒く、寒さから命を落とす人(地震で怪我をしていた)、流産する妊婦も周囲で出ています。

また、トルコ系の支援機関の場合、食糧や水の配給はトルコ人が優先され、シリア人は後回しにされたりもらえないこともあってトラブルになっています。海外の支援機関ではそうした区別はなく、トルコ人もシリア人も平等に配給されています。

一番必要なのは寒さを凌ぐための毛布や、火を焚くための薪や炭です。薪はトルコ人には無料で配布されるがシリア人には配布されず、シリア人は自分で買わなければいけません。しかもすごく高価なのに加え、一回に20キロほどしか売ってもらえず、みんな寒さで震えています。

薪は地震の前は1キロ3トルコリラ(2023年2月13日現在、約24円)でしたが、今は1キロ3ドルほどに値上がりました。トルコ系の支援機関が大量に買い占めて、トルコ人にだけ配布しているのも目にしています。

炭は一袋25キロで地震前は140トルコリラ(約1120円)、今は約300トルコリラ(約2400円)です。

*薪と炭は、通常同時に使う。価格はレイハンル・アンタキヤでの価格。ちなみに地震前のこの地域のトルコ人の平均月収は日本円で約45000円。シリア人の平均月収は約25000〜30000円だった。

——緊急時の支援の場でも、トルコ人とシリア人では、支援に区別があるという話に驚きました。

ここ(被災地)では公然のことです。地震前からシリア人は差別されてきました。地震の後も、病院ではトルコ人の患者が優先されますし、食糧や水、全てに至るまで、シリア人は後回しになります。

病院では、大怪我をしたトルコ人はヘリコプターで別の病院に搬送されたりしますが、それがシリア人の場合、されません。またシリア人の多くは、重症であるにもかかわらず入院が認められず、暖をたけない状態の家に返され、寒さのためにかなり衰弱しています。

アンタキヤでは、被災者のための避難所がつくられましたが、トルコ人のみが利用でき、シリア人は利用できません。公的なサービスも、明確にトルコ人とシリア人を区別しています。

まあ、ここはトルコ人の国なのです。しかし、地震前からシリア人に向けられていた区別が、この災害によってより強くなったと感じます。多くのシリア人はそれについて怒りを感じていますが、どうしようもできません。

トルコ南部オスマニエ県オスマニエ。夫の親族が暮らしていた家から撮影した一枚。親族の家も周辺の家も、かなり建物が崩れたと聞いている。

——公的な支援を受けられにくいということでしたが、シリア人同士で助け合いはありますか?

はい、シリア人同士で、安全な家があれば親族や知人を受け入れたり、食糧や衣類や毛布などを分けあったりと、助け合っています。我々は助け合うことしかできませんから。アンタキヤにはシリア人の行方不明者がまだたくさんおり、こうした行方不明になっているシリア人の友人の捜索も手伝っています。遺体が見つかれば、現実に打ちひしがれている家族に代わり、埋葬の手伝いも進んでします。皆、自分ができることで助けを必要としている人の役に立とうとしています。

——困っていることはありますか?

トルコ人とトラブルになることが増えてきました。配給でも、トルコ系の支援機関だとシリア人だけもらえなかり、避難場所もシリア人だけ利用できなかったりで、こうした区別からトラブルが起きています。

また私たちも(小松のシリア難民の友人)、アンタキヤで行方不明になっている友人の家族の捜索に行き、建物が倒壊した現場で、重機で掘り起こす作業を依頼しました。しかし埋まっているのがシリア人だと分かると後回しになり、トルコ人の犠牲者の捜索が優先されました。それについて抗議したところ、私の兄はトルコ人の集団に殴られ、鼻の骨を骨折しました。犠牲者がシリア人だと、重機での捜索も後回しになります。ひどいことです。

——今後の生活についてどう考えていますか?

どうすればいいか全く分かりません。この先のことを考える前に、今を乗り切ることで頭がいっぱいで、まだ先のことを落ち着いて考える余裕がありません。住んでいた家は壊れてしまったので家を探さなければいけませんが、十分なお金もなく、仕事もなくなりました。しかもシリア人は移動が制限されているので(トルコではシリア人の大規模な移動を規制するため、難民として登録された県から出るために許可が必要で、自由な移動ができない)、県外に暮らす親族のもとにも行けません。

——コロナ後、難民としての保護を求めてヨーロッパに移動をするシリア人が目立ちました。この災害により、ヨーロッパ移動を希望するシリア人は増えるでしょうか?それともトルコでの生活再建を考えるでしょうか?

正直なところ、本当に望んでトルコに暮らし続けたいシリア人はほとんどいません。地震前からかなりのシリア人がヨーロッパに移動することを希望していました。でもそれは高額なので、現実的にできないというだけです。

実際、これからヨーロッパへ移動するシリア人はもっと増えると思います。お金に余裕がないシリア人は、トルコで生活を続けるしかないでしょう。

—–地震で被災した人々にとり、シリアに帰るという選択肢はありますか?

帰る人も増えると思います。シリアに帰るということは、生活レベル(シリアでは電気、ガスの供給が不安定。教育環境も整っておらず)や将来の可能性(一度シリアに帰ると、トルコに出てくるのは非常に困難になる)をかなり落とさねばならず、ひどい暮らしを続けるということです。だからトルコに逃れた多くの人は、トルコでの生活再建を努力してきました。しかしトルコは物価が非常に高く、暮らしていくのが大変です。さらに地震で家もなくし、仕事もなくなり、トルコ政府にも我々はトルコ人のように守られません。

シリアに帰っても、トルコにいても、生活が厳しいのは同じです。どちらがマシか、という感じです。

それでもシリアに帰ってしまったら、家族でトルコに戻ることはほぼできなくなるので、子供たちの将来のために、私自身はやはりトルコに残って、厳しい生活を続けることを選びます。

——今、どのような支援を必要としていますか?

やはり、寒さが大きな問題です。毛布や薪、炭を買うための支援を最も必要としています。寒くて子供たちが病気になっています。病気になっても、病院は怪我人で溢れていてみてもらえず、薬も買うことができません。シリア人は地震前は、難民のIDがあれば薬代や医療費は無料でしたが、地震の後は薬代も医療費も支払いが必要となりました。

実際、かなりの人が地震で崩れてきた建物によって怪我をしていて、薬や医療品を買わなければいけません。しかしそれらはとても高価で、買うことができずにいます。地震で命が助かった人も、寒さや医療ケアが受けられないことで衰弱しています。本当に、ひどいことが起きています。

(2023年2月12日 インタビュー:

ムハンマド・サリーム(レイハンル))

アブドュルラフマン・メイヤッド(アンタキヤ)

ジャーラッラー・ジャーラッラー(レイハンル)

記録:小松由佳)

オスマニエ市で目にしたモニュメント。

〜最後に、懸念していること〜

シリア難民のインタビューから、現地ではトルコ人が支援現場において優遇され、シリア人は区別を受けていることを聞きました。皆同じく被災しているので、もちろん同じく支援を行うべきではありますが、現地でのやり方、考え方もあるのだと思います。物資が必ずしも十分ではないなか、まずは自国民を優先して守る、というトルコ側の立場も、ある意味理解できるところです。しかし行政がそれを主導してしまうのは、やはり残念でなりません。また、被災後の緊急事態において、こうしたシリア人への区別が露骨に見られることで、ますます両者の対立感情が拡大していくのではないか、それが結果的にシリア人のトルコでの生活再建をよりしにくくしていくのではないかと気になりました。人間が共存するということの、きれいごとだけではない難しさを感じています。

小松由佳

【トルコ地震で被災したシリア難民の家族・知人に、支援金を集めさせていただきたいと思います】

2月6日に発生したトルコ南部からシリア北部にかけての地震では、二万人を超える犠牲者が出ており、今も行方不明者の捜索が続いています。

トルコ南部には多くのシリア難民が暮らしており、夫の親族や知人もこの地にたくさんいることから、2015年以降、シリア難民のコミュニティを取材してきました。

彼らが暮らしていたのはトルコ南部ガズィアンテップ、オスマニエ、アンタキヤ、レイハンルなどで、いずれも被害が大きかった地域です。特に多くの建物が倒壊したアンタキヤでは、親族や友人が亡くなっています。
 
また無事に避難した人々も、建物の倒壊の危険から家に戻れず、路上や空き地、公園、車などで避難生活を続けています。

もともとトルコ社会の最底辺層として困窮していた彼らが、地震によってさらに厳しい生活に追い込まれており、しかもこうした不安定な生活がしばらく続きそうです。

今後の生活の不安や、寒さ、日々の食糧の確保に苦しむ彼らに、生活支援金を集めてお送りできたらと思っています。

集めさせていただいた支援金は、直接現地の家族、知人に送り、水や食料、暖をとる薪、薬や医療品など、生活維持に必要な物資の購入に使っていただく予定です。

NGOが行うような大規模な緊急支援ではありませんが、手の届く範囲、顔の見える範囲で、「応援しています」の気持ちと共に現地にお送りしたいと思います。

もし賛同いただけましたら、皆様のご協力をどうぞよろしくお願いします。いただいたご支援は、私が責任を持って現地に送付します。

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【 地震で被災したシリア難民への支援金 お振込先 】

三井住友銀行
八王子支店
普通
8553199
コマツ ユカ

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以上、どうぞよろしくお願いします。
小松由佳

毎年お世話になっていたレイハンルの夫の親族アブ・アフマッドの家で食事中。2022年8月。このマンションも地震で壁などが壊れ、一家は空き地にて、車とテントで寝泊まりしている。

(2023年2月11日)

トルコ大地震、現地からのレポート(2023年2月10日/レイハンル・アンタキヤ)

(こちらの記事は、有料会員様以外にも公開しています)

6日に発生したトルコ大地震から数日が経ち、現地に暮らす親族、知人より被災状況が伝えられています。

夫の親族に死者は出なかったものの、遠い親戚や友人たちに死者が出ております(いずれもシリア人。アンタキヤにて死亡)。内戦から逃れた先のトルコで、地震によって命を落とすとは、なんという運命の残酷さでしょう。

以下は、トルコ南部ハタイ県、シリア国境の街レイハンルに暮らす親族、知人から届いたものです。

マンションの4階部分に住んでいた親族アブ・アフマッド一家は、地震によりマンションの建物に亀裂が入っていることから、自宅に戻ることを躊躇し、空き地で寝泊まりを続けています。この一家は、レイハンルでの取材でいつも泊めていただいていた家でした。現在、親族が身を寄せ合い、車とテントに分かれて避難を続けているとのことでした。

車の荷台部分にビニールシートで簡易的な屋根を作り、寝泊まりする。夜は非常に冷えるが、焚き火をし、暖をとりながら耐えている。

またレイハンルに暮らす私の知人アブドュルラフマン(もともとは夫と同じシリアのパルミラの出身で夫の幼馴染。トルコ取材ではいつもコーディネーターや通訳を務めてくれる)から、避難生活の様子が動画で届きました。

レイハンルには、アブドュルラフマンの親族が10家族近く集まって暮らしています。彼らの家の多くが、壁や屋根が壊れて倒壊の不安があるため、アブドュルラフマンの兄が借りているリサイクルショップ(食器や衣類、金物などなんでも売っていた)にて、6家族が避難生活を送っています。この店は、一階建で広い通りにも面しているため、大きな地震がまた起きてもすぐに避難でき、安全とのこと。

6家族が身を寄せ合うように避難生活を送るリサイクルショップ。店で販売していた古着は、床に敷いたり就寝時に体にかけたりして、寒さを凌ぐのに使っている。地震で崩れた壁に足を挟まれ、怪我した女性もいる。

レイハンルから車で1時間の距離のアンタキヤでは多くの建物が倒壊し、おびただしい犠牲者が出たとされています。

アブドュルラフマンとその兄弟は、友人一家が行方不明になっているため、アンタキヤで捜索と埋葬の手伝いをしています。以下はアブドュルラフマンから届いた動画です。9日撮影の動画です。

アンタキヤはレイハンルから車で1時間ほど離れたハタイ県の県都。高層建築が多く、また古い建物も多かったため、多くの犠牲者が出た。「ユカ、アンタキヤだ。全部建物が壊れている。人々は通りで暮らしている、ここに人々がいる」。
壁が崩落しているマンション。アンタキヤにて。

レイハンルでもそうですが、アンタキヤでも、多くの人々が空き地や公園にテントを貼って避難生活をしています。

公園や空き地で避難している人々の姿が見える。
アンタキヤにて。「アーイラ(家族)、アンナース(人々)、フィーシャーレア(路上にいる)」とのこと。地震から数日経ったが、人々の姿から依然混乱状態が伝わってくる。
アンタキヤの大通りにて。重機、瓦礫の山、行き交う人々の姿が見える。
行方不明者を捜索している現場。人々が心配そうに様子を見ている。
アブドュルラフマンのシリア人の友人が住んでいたマンション。地震で激しく倒壊した。友人とその家族は、今もこの瓦礫の下にいると思われる。
捜索で発見された、アブドュルラフマンの友人(シリアのパルミラ出身)の子供たち。遺体は発見されると毛布でくるまれ、路上に置かれる。遺族による身元の確認を行い、墓場に埋葬する。

(注意)以下の動画には遺体の顔が写りますので、ご注意ください。

遺族の一人が、見つかった子供の遺体を確認している。
子供の遺体を、遺体収納袋に入れる準備を始めるアブドュルラフマンとその兄弟。
「ラーイラーハ イッラッラー(神は一人です)」とアブドュルラフマンがイスラムの祈りの言葉が聞こえる。重機で掘り返し作業を行なっているのが、友人が住んでいたマンション跡。いまも人が埋まっている。
捜索現場周辺の様子。
友人の子供たちのほかに遺体が見つかり、道路に安置される。「アトファール、ホーン。アトファール(子供がここにいる、子供が)」とのこと。周辺の瓦礫では、捜索が続いている。

このようにアブドュルラフマンの一家では、レイハンルでの避難場所(兄のリサイクル店)で安全を確保しつつ、行方が知れない友人やその家族の捜索、埋葬の手伝いを行っています。先の見えない混乱の中ですが、シリア難民同士、助け合いながら乗り越えようとしている姿が伝わってきました。

地震によって亡くなった方々のご冥福を祈るとともに、一刻も早い生活の再建を祈ります。

(2023年2月10日)

2月6日に発生したトルコ大地震。夫の親族や知人が多数被災しています。

トルコ南部で6日午前4時17分(日本時間同日午前10時17分)にマグニチュード(M)7.8の大地震が発生しました。この地域には、シリア難民である夫の親族が多数暮らしており、私が毎年難民の取材を行ってきた地域でもありました。

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1月28日開催の「アラブ菓子を食べる会」。アラブ菓子の知られざる世界を味わいました!

私は普段、シリア内戦や難民の問題などを取材し、伝える活動をしています。ただ、こうした難民の苦境だけでなく、彼らの文化を理解することで難民問題にもより関心を持っていただきたく、「アラブ菓子を食べる会」というイベントを企画しました。

イベントは25名様限定。1月28日に東京都代々木上原駅近くのギャラリーで開催しました。ありがたいことに満員御礼をいただき、美味しく楽しい時間となりました。

当日はゲストとして、アルジェリア人の旦那さんを持つアラブ菓子職人、ウアムリア奈津江さんをお招きし、アラブ菓子の種類、作り方、楽しみ方などお菓子にまつわるあれこれをお聞きしました。心はすっかりきらびやかなアラブ菓子ワールドへ。

「アラブ菓子を食べる会」の会場は、代々木上原駅から徒歩3分ほどのハコギャラリー。目の前には活気のある商店街が続いていました。

ハコギャラリーの2階が会場。スクリーン、音響設備や台所もあるので、さまざまなイベントで重宝しそうです。会場利用費も大変良心的な会場です。

ウアムリアさんは普段、「ChezOumH(シェ・オンム・アッシュ)」というアラブ菓子専門店を経営しています。

▼「ChezOumH(シェ・オンム・アッシュ)」

https://chezoumh.theshop.jp

〜以下、サイトより抜粋〜

【ChezOumH】(シェ・ウム・アッシュ)はアラブ圏、主にアルジェリア、チュニジア、モロッコなどのマグレブ地方の焼き菓子を中心にオリジナルのアラビック・スイーツを作っています。特に日本人の口に合うお菓子をチョイスしています。アラブの象徴的ドライフルーツのデーツ(ナツメヤシの実)はもちろん、アーモンド、胡桃、ココナッツ、ピスタチオなどのナッツ類を贅沢に使い、ローズやオレンジなどのフラワーエッセンスやスパイスを加えた甘くエキゾチックなお菓子。バター代わりにオリーブオイルを使い、オーガニック素材がとにかく充実しています。日本の方にはとても甘いイメージを持たれているアラブ菓子ですが、家庭で出されたお菓子は贅沢な素材と自然な甘さに加え、一家を支えるお母さんの温かさが感じられます。

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「デーツ(ナツメヤシの実)はもちろん、アーモンド、胡桃、ココナッツ、ピスタチオなどのナッツ類を贅沢に使い、ローズやオレンジなどのフラワーエッセンスやスパイスを加えた甘くエキゾチックなお菓子」、「贅沢な素材と自然な甘さに加え、一家を支えるお母さんの温かさが感じられます」。うーん、お菓子の紹介を読んだだけで、美味しそうでヨダレが出そうですね。

イベントでは、とにかくアラブ菓子の豪華さ、作り手や原料のこだわりを知り、アラブ菓子はありがたいお菓子だな〜と実感。実際、原料がこだわりの素材であるのに加え、作るのにもうんと手間がかかるのです。

イベント前の静寂の時間。

イベントで配ったアラブ菓子5種。左側、上、右の3種がウアムリアさんが作ったアラブ菓子。真ん中と下が、小松が用意(購入)したパクラヴァ。どれもボリュームがあり、スパイスやナッツが豊かに使われ美味でした!

またシリア人の小松の夫も動画で登場し、かつてシリアでよく食べた思い出のアラブ菓子、「ハロウ・ジュブナ」や、日本でお気に入りの意外なお菓子についても(ページ下の裏話にて動画も公開しています)語ってもらいました。

またウアムリアさんが、アラブ菓子にのめり込むきっかけとなったマグレブ(リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコなど北西アフリカ諸国の総称)音楽の世界もご紹介いただき、アルジェリア人の人気歌手ハーレッドの大ヒットソング「アイーシャ」を会場で流しました。

▼Khaled / Aicha(有名なマグレブ音楽の一曲)

https://youtu.be/gzlHucbD76U

こちらはなんともノリノリの曲ですね〜。踊り出したくなるようなすごい高揚感です。

配布するアラブ菓子を準備中。

イベントの様子。前半はウアムリアさんのお話をお聞きし、後半はアラブ菓子を食べながらの交流会でした。

ウアムリアさんのご用意したアラブ菓子の説明。

また会場では、トルコ西部イズミルで、シリア難民の支援活動をされている菊地泰基さんが現在開発中の「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」を振舞ってくださいました。こちらは、コーヒーとミルクティーの中間のような、まろやかなテイストのラテ。なんだかホッとする味です。トルコではピスタチオ・コーヒーとして親しまれているものを、日本人が飲みやすいよう改良し、制作過程をシリア人に委託することで、難民の雇用創出に繋げるための活動です。

現在、菊地さんはクラウドファウンディングも行っているとのこと。ご協力いただけると美味しい「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」が送られてきます。是非ご協力をお願いいたします。私も応援しました!

▼〜トルコ人とシリア難民を繋ぐ女性に優しいノンカフェイン飲料「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」〜

https://camp-fire.jp/projects/view/628283…

やはり、食べることへの興味は世界共通。食を通して文化を知るのは素晴らしい試みだと実感しました。

ウアムリアさん、アラブ菓子の素敵な世界をお伝えくださり、ありがとうございました。改めて、アラブのお菓子の奥深さ、豊かな世界を味わった時間でした。これからもアラブ菓子をありがたくいただきたいと思います。

イベントのスタッフ。右から「ブラウン・ピスタチオ・ラテ」を提供下さった菊地さん、私、アラブ菓子職人のウアムリアさん。皆様、ご協力をありがとうございました!

そしてお菓子や音楽という見地から、アラブの文化を発信しているウアムリアさんに大きな刺激をいただきました。いつも様々な角度から世界を見ること、考えることを意識したいものです。今後も、多方面からアラブ文化を理解するためのイベントなどを企画していきたいと思います。

さて、ここからは「アラブ菓子を食べる会」の裏話コーナーです。

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