トルコより、取材中間報告をいたします!9月1日開催です。

突然の、しかも直前の開催連絡で大変申し訳ないのですが、取材のオンライン中間報告会をやらせていただきます。

「取材中間報告! シリア難民の今・新たな取材プロジェクト 9月1日開催」 by YUKA KOMATSU

・開催日時:9月1日(木)PM 20:00〜22:00(後日録画動画の視聴可)

・参加費:¥1000

・参加方法:以下のチケット購入サイト「ピーテックス」よりお申し込みをお願いいたします。

https://peatix.com/event/3345962/view…

・トーク内容

子連れパニック取材の日々・2022年のトルコ在住のシリア難民の現状と新たな動き・イスラム圏で取材をするということ・新たな取材プロジェクトについて・直面している政治問題について・今後の取材の予定

こちらは、zoomを使用したオンラインイベントです。

ご都合がつく方は、是非ご参加ください。ご都合がつかない方も、録画した動画を後日ご覧いただけます。

また、「HP有料コンテンツ会員(月額1000円)」の皆さまは、無料でこちらのイベントにご参加いただけます。

その場合、開催一時間前までに、イベントのzoomURLを、有料会員様宛のメールアドレス宛にお知らせさせていただきます。

(もしよろしければ、この機会に「HP有料コンテンツ」に是非入会頂けましたら大変ありがたいです。こちらでは、活動を応援いただき、活動状況や裏話をシェアさせていただきます)

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<イベント説明>

7月半ばより、フォトグラファーとしてトルコ南部に暮らすシリア難民の取材をしています。夫がシリア人で、親族が難民として現地で暮らしていることから、シリア難民コミュニティの内側から、リアルな現状を取材しております。

2015年より、毎年トルコに暮らす難民の取材をしていますが、今年は、かつてなかったほどの大きな変化が難民の間で起きています。

こうした肌感覚として現地で見て考えたことなどを、「取材中間報告」としてお話しいたします。

また、9月は、この取材の核心ともいえるあるプロジェクトが控えています。私がこの数年、温めてきた大切な取材計画です。この取材の進行状況と今後の予定について、皆様と共有させていただけたらと思います。

大変恐縮ですが、少しでも取材費を捻出させていただきたく、¥1000の参加費をいただくことにしました。取材カンパも大歓迎です。

シリア難民の現状を知り、考えることで、私たち自身のこれからを模索していけるような取材をしたいと思います。今後とも、活動への応援をどうぞよろしくお願いいたします。

小松由佳

子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました

<こちらは前回の続きです>

シリアのアレッポ出身のシリア難民、ムスタファ・カービースさん。2017年にトルコに避難して以来、空爆の後遺症や脳腫瘍の治療で満足に働けない日々が続いていましたが、今年に入って少しずつ体調が安定してきたとのこと。

かつてシリアで壁塗りの職人として働いていた経験を生かし、トルコでも同じ仕事を始めました。今月半ば、その様子を見せていただきました。

トルコでは壁塗りの仕事は「ボーヤ」と呼ばれます。トルコ南部の家屋のほとんどはコンクリートブロックを積み上げて造られ、部屋の壁には石膏が塗られます。

石膏は、湿度や寒暖の差などによって時間が経つとボロボロになります。こうして壁が剥がれ出したら、壁塗りの職人を呼んで塗り直してもらったり、または自分達で壁塗りをします。

この日、ムスタファさんが依頼されたのは、築40年の家の居間の壁塗りです。仕事はまず、壁の状態を確認するところから始まります。穴は空いていないか。剥がれやすいところはないか。そうして、剥がれそうな箇所を削り、表面を滑らかにします。

その後、粉に水を混ぜてよく練り上げたドロドロした石膏を、凸凹している箇所に塗っていきます。

少し乾かしたら、今度は白い塗料をその上に塗ります。トルコ南部では、壁の色は白、薄い黄色や青が多いとのことですが、今日はこの家のオーナーのリクエストで白い色を塗ります。

ムスタファさんに出会って4年。私はムスタファさんの仕事姿を初めて見ました。そして、シリアで壁塗りの職人として働いていたという、その丁寧な手仕事に感動しました。

手の動かし方、足の運び方、塗料の混ぜ方や塗り方にも、無駄がない。まさに職人の仕事でした。そしてムスタファさんが、戻りたいと切望していたこの仕事に戻れたことが、本当によかった!と思うのでした。

かつてシリアでは、10人ほどの弟子を抱え、イラク方面にまで車に乗って仕事に出掛けることもあったというムスタファさん。10代から40年以上この仕事をし、アレッポでも壁塗り職人として知る人ぞ知る存在だったようです。現在は、シリアでの空爆の後遺症や腎臓病、脳腫瘍の術後の痛みなどがまだあり、体調によっては一週間ほど休まなければいけないようですが、壁を塗りながら、「働くことはとても美しいこと」と、にっこりされていました。

「ボーヤ」の仕事は職人の仕事なので、トルコ南部での平均的なシリア難民の収入(日給にして約100〜150トルコリラ。日本円にして約800〜1200円)より高い報酬が得られるとのこと。ムスタファさんによると、4〜6時間ほど働いて、200トルコリラ(2022年8月現在、日本円で約1600円)の報酬をもらえるそうです。

しかし同じ仕事をしても、トルコ人であれば400〜600トルコリラを得られるのに対し、シリア人であるムスタファさんは、支払われる金額は半分以下とのこと。どんなにいい仕事をしても、シリア人ゆえに収入がいつも安価に支払われ、安価な労働者として扱われるのがとても残念とのことでした。

加えて、現在のトルコは昨年と比べて二倍以上の物価高。壁塗りの仕事を一生懸命やっても、6人家族(妻と4人の娘たち)の生活を維持するのは精一杯とのこと。収入は食費と家賃でほぼ消えてしまうそうです。それでもムスタファさんは、こうして再び壁塗りの仕事ができるようになって、本当に嬉しいと話していました。

ムスタファさんの素晴らしいお仕事を見せていただきましたが、こちらも子連れパニック撮影。写真をよく見ると(よく見なくても)子供たちが乱入して、ムスタファさんのお仕事をお手伝い(ご迷惑をおかけしている)している様子がわかります。

長男のサーメルは、ムスタファさんがせっかく綺麗に塗ったところを、塗り直して汚してしまったり、本当にご迷惑をおかけしてハラハラ。とにかく申し訳なかったのですが、仕事を依頼したのが夫の親族だったこともあり、なんとかなりました・・・。

長男のサーメルは、自分も大きくなったらこのお仕事がしたいとのこと。ムスタファさんから、「サーメル、ショゴル ボーヤ、クワイエス(サーメルは「ボーヤ」の仕事が上手だよ)」とお墨付きをもらいました!笑

ムスタファさんの職人仕事に感動した一方で、写真を撮っている時間より、ハラハラしながら子供たちを見守ったり叱ったりする時間の方が長く、あらためて子連れ取材の難しさを実感した一日でした・・・!涙

ムスタファさんが塗料を塗って綺麗にした壁を、目を離した隙に、長男がハケで塗り直して台無しにしてしまった!「アッ・・・!」と凍りつきましたが、ムスタファさんはまるで何も見ていないかのように、黙々と仕事を続けていました・・・。本当に申し訳なかったです。

20分おきにタバコを吸って休憩。
剥がれかけている古い石膏を削ぎ落とし、壁の凹凸を滑らかにする。
粉に水を混ぜて石膏を作る。硬さの加減は、経験上とのこと。

壁塗りを依頼した私の夫の親族の家(借家)。築40年。家賃は月額500トルコリラ(2022年8月現在、日本円にして約4000円。台所の一室を含め、8畳ほどの広さの部屋が4部屋ある)。壁がボロボロ剥がれ落ちるようになり、壁塗りを依頼した。
午前11時、家の前のスペースの木陰にテーブルと椅子を出して、みんなで朝食。一般的にシリア人の朝食時間は10〜11時。
中央左は、粉チーズから作った伝統料理「キシック」に炒めたひき肉を載せたもの。その右側は、ひよこ豆のフライ「ファラーフェル」。その右は、ナスの油漬「マグドュース」。
ムスタファさんの仕事道具を奪い合い、喧嘩する子供たち。その合間に「やれやれ」とタバコを吸うムスタファさん。
石膏を混ぜて喜ぶ次男サラーム。「その手でママのカメラを触らないで〜!」と連呼するしかない状態だ。
ムスタファさんと壁塗りをする次男。ムスタファさん、仕事中にご迷惑をおかけして本当にすみません。
壁から剥がした古い石膏の破片。壁をしばらく塗っていない家では、破片がボロボロ落ちる。そうなると壁の塗り替えどきだ。
タバコを吸って一息つきながら、仕事の確認中。
窓の縁に立つムスタファさんの足。足の指の器用な使い方にも、職人技を感じた。
石膏を塗って壁の凹凸を滑らかに整える。

窓辺で一息。
窓辺で一息ついていたムスタファさんに、長男が乱入。やめなさい!
道具の組み立て方を教えてもらう長男サーメル。だんだんと長男の表情が真剣に。

ムスタファさんは現在、週に四日ほど壁塗りの仕事をしているとのことです。その仕事風景から、生活を再建し、ここに生きていこうとする静かな覚悟のようなものを感じました。これからも、この一家の姿を見つめていきたいと思います。

(2022年8月29日)

オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました

オスマニエにて、4年前より取材しているシリア難民、ムスタファ・カービースさんとその一家を訪ねました。一家はアレッポ出身、2017年に安全を求めてトルコに逃れてきました。

カービース一家は夫婦と4人の娘の6人家族。先祖代々、古代都市として知られるアレッポの中心街で暮らしてきましたが、2012年以降、アレッポでも空爆が激しくなり、2013年の空爆で自宅が倒壊しました。近所の仕立て屋で修行していた10代の息子2人が、空爆で倒壊した建物の下敷きになって亡くなりました。

父親のムスタファさんも空爆で背骨を負傷。家も仕事も失い、アレッポ郊外でテント暮らしをしながら流浪を続けました。困窮し、避難生活の厳しさもあって、ムスタファさんは腎臓病にかかりました。

2017年に運良くトルコ側に越境することができましたが(2016年以降、越境のために密入国業者に高額な費用がかかるようになり越境は困難に。カービース一家は、シリア国内で多くの協力者がお金を集めてくれ、越境が実現した)、ムスタファさんの脳に腫瘍ができていることが分かり、ひどい痛みに苦しむようになりました。

オスマニエの街に来て以来、ムスタファさんは路上の資源物を集めて売る仕事をしてきました。しかし収入は非常にわずかで、国際赤十字協会から難民に支給されるわずかな生活支援金で、一家はなんとか命を繋ぎました。

安全を手にしたものの、唯一の働き手であるムスタファさんが病気で動けなくなっていくと、一家の暮らしは困窮をきわめます。

そうしたなか、2021年4月にオスマニエを訪れ、ムスタファさん一家の暮らしを目にした私は、あるショートドキュメンタリーを作りました。

「#01 ムスタファと小鳥」

https://www.youtube.com/watch?v=WqnD401tI5U&t=2s

シリア難民がどのような重層的な困難さを抱え、何を感じながらどこに向かって生きているのか。それを、ムスタファさんの家族の視点から、多くの方に知っていただきたいと思いました。そして、少しでも生活の再建に役立てていただけたらという思いから、一家への生活カンパも募りました。

その後、皆様からたくさんの温かいお気持ちが集まり、本人の希望で、より効率よく資源物回収ができるためのバイクの購入ヘと繋がりました(皆様、ご協力いただき、どうもありがとうございました)。結果、バイクで資源物を集められるようになったことで、生活はより安定化したとのことです。

その後、脳の腫瘍の摘出手術をするため、ムスタファさんはアンカラの病院に向かいました。手術は無事終わりましたが、しばらくは痛みのために寝たきりに。今年に入ってから、ようやく資源集めの仕事にも復帰しました。

そして今年、一年ぶりにカービース一家を訪ねました。

ムスタファさんたちが暮らす借家に到着すると、子供たちが扉から飛び出してきました。一年の間にみんな背が伸び、すっかり大きくなった子供たち。ムスタファさんも顔色が良く、元気そうです。よかった!

ムスタファさんは、借家の屋上へと私たちを案内してくれました。そこには年月を経た立派なブドウ棚があり、黄緑色のブドウがたわわに実っていました。ムスタファさんは台の上に乗り、私たちのために、熟れたブドウをもいでくれました。ブドウ棚の下の木陰で、しばし憩いの時間。そのブドウの粒の甘かったこと!木漏れ日の美しかったこと!

みんなが元気で、一年ぶりの再会の喜びを噛みしめた、美しい時間でした。

「大きくなったね」。私の二人の子供たち、サーメルとサラームも、ムスタファさんにたくさん可愛がってもらい、バイクに乗せてもらってアイスクリームを買いに連れて行ってもらいました。

屋上のブドウ棚の下で。日差しが強いトルコ南部では、立派なブドウの木が至る所にある。この時期、ブドウやイチジク、スイカやモモなどの多種多様な果物を、人々はお腹いっぱい食べることができる。日本では考えられないくらい果実が豊富だ。
熟れたブドウをもいでくれるムスタファさん。涼しい風が吹く屋上は、家族の憩いの空間として使われる。暑いこの時期、屋上で眠る家族も珍しくない。
屋上へと案内してくれるムスタファさんと3歳のハラちゃん。
アイスクリームを買いに連れていってもらう。トルコ南部では車は非常に高価。人々の一般的な移動手段は、電動バイクか、ガソリンのバイクだ。6~8人ほど乗ることも珍しくない。
商店へ、行ってらっしゃい。

昨年、小鳥の繁殖で副収入を得ていたムスタファさん。今年訪ねると、そこに小鳥の姿はなかった。術後の療養中、世話が大変だったようで売ってしまったとのこと。代わりにあったのは子供たちの自転車だ(盗まれないよう家の中に入れてある)。一家の経済状態が良くなってきたことを感じた。

今年も皆で記念撮影。私の子供たちがじっとしていられず、年々撮影がパニックに。ムスタファさんも困り顔。なんとかならないものか・・・。

現在ムスタファさんは、資源物集めの仕事に加え、シリアで職人として働いていた内装工(壁塗り)の仕事も始めたそう。多い時には、週に4日働くこともあるそうです。シリアでのかつての仕事に戻り始めたと聞き、なんとも言えぬ温かいものが込み上げました。難民としての苦難の日々のなかでも、少しずつ生活が再建されています。

ムスタファさんを取材して今年で4年目。年々、一家の暮らしに余裕が生まれ、経済状態が改善され、何よりも子供たちの表情が生き生きしていくのを感じ(4年前、一家の子供たちはシリアでの悲惨な避難生活の経験から、笑うことがなかった)、本当に嬉しい限りです。

ムスタファさんの壁塗りの仕事は、トルコでは「ボーヤ」と呼ばれます。この「ボーヤ」の仕事を見せてもらうことになりました。

続きは次回、お楽しみに!

(2022年8月26日)

2022年8月のテレビ出演のお知らせ  

NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」2022年8月28日午前5時放送

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/E2JRQNVRR2/

NHKの番組のなかでも最も硬派な番組だとされる「こころの時代〜宗教・人生〜」に取材いただき、私の活動について取り上げていただきました。

「その人自身の言葉を、ここまで丁寧に扱う番組はほかにありません」と、担当ディレクターから聞いております。インタビューは、トルコ取材の出発直前に、都内にてじっくりと行なわれました。

私の活動や思いを番組としてご紹介いただき、大変光栄です。とても嬉しかったのは、担当ディレクターのKさんが、私の故郷の撮影のため初めて秋田を訪れ、秋田市郊外の懐かしい故郷の山々、田んぼの風景を写真で送ってくださったこと。

その時はトルコにおり、まさに体調不良の真っ最中でしたが、故郷の山に見守られているような、清々しい気持ちになりました。

番組の放送時間はなんと28日午前5時ですが、録画してぜひご覧ください。

9/1からは一週間、NHKのサイトから見逃し配信として、インターネット上でも視聴できるようです。

子連れパニック取材中です

子連れパニック取材になっています!

久しぶりの投稿となってしまいましたが、元気にシリア難民の取材を続けております。

トルコ南部のうだるような暑さ、暑さから来る毎夜の眠りの浅さに加え、このところ次男が赤ちゃん返りし、毎晩「バーバ(お父さん)が恋しい、会いたい・・・」と泣き止まず、夜も眠れず・・・!涙

疲れと食事の違いから来るカルシウム不足からか、ビスケットを食べたら私の歯が2本、突然欠けました・・・!涙

取材も、想定していたけれどやはりパニック取材。ここぞという撮影のタイミングで、子供たちが被写体に乱入したり、オシッコを漏らしたり、取っ組み合いのケンカをして被写体の家族に怒られたりと、てんやわんや。

3歳と6歳の子供を連れながらの取材は、「大変」という領域を超え、もはや、いかに不可能を可能にしていくかという、未知への挑戦の領域に入っております・・・。

この10日ほどは、あるプロジェクトのため、トルコ・シリア国境のレイハンルに行ってきました。

レイハンルでは、2015年以来取材を続けているジャーラッラー・ジャーラッラーさんにお会いしてきました。今年に入っての大変な物価高で、生活に苦労されている様子。詳細は後ほどまたご報告します。

写真は取材後の記念撮影。子供たちがじっとできず、記念撮影を撮るのも一苦労。取材中は、ジャーラッラーさんの二人の子供と私の二人の子供が家の中を走りまわって大暴れ。子供たちの叫び声が響くなかでの、てんやわんやの取材でした。

オスマニエ、レイハンルでの取材の様子を、まもなく更新していきます。パニック取材はまだまだ続きます・・・。

ジャーラッラー・ジャーラッラーさんは、シリアのパルミラ出身。2015年にパルミラにISが侵攻した際、IS兵士から電気ショックの拷問を受け、脳にダメージを負い、歩行が困難になりました。その後、トルコにて電気ショックの事故に遭い、胸から下の感覚がない状態が続いています。理学療法のリハビリを受けて手足の感覚が少しずつ戻っていましたが、コロナ禍によるリハビリの中止により、再び感覚が無くなっているとのこと。レイハンルでは、症状を改善するための検査や効果的な治療を受けることができず、生活が困窮しているなかで日々を過ごしています。ユニセフによる障害者枠でのヨーロッパ渡航、治療・リハビリを希望していますが、5年前から申請しているものの、申請者は膨大な数にのぼり、難しい状況です。このレイハンルで暮らし続けることに不安を抱いている日々です。

(2022年8月22日)

ヨーロッパを目指すシリア難民 〜取材で感じたモヤモヤと裏話〜

先日、ショートドキュメンタリー「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1 」(https://youtu.be/duDgO191sEI)を制作しました。ヨーロッパでの生活を目指し、密航に向かうシリア難民を取材したものです。

今回は、その取材をしながら考えたこと、感じたことをオーディオプログラムにてお話しました。ヨーロッパを目指すシリア難民の動向に驚きつつも、正直なところ、ちょっとした違和感も感じています。それは、ヨーロッパを目指すシリア難民のほとんどが難民として富裕層であること、生活水準の向上を目指してヨーロッパへ密航していくというあり方についてです。現場で目にし、感じたモヤモヤを語ります。

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「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1」を制作しました!

いま、トルコに暮らすシリア難民には、昨年までとは違う大きな動きが起きています。

先日の投稿でご紹介しましたが、急激な物価高、反シリア人感情の高まり、トルコ政府によるシリア人帰還政策進行の動きなどにより、低所得労働者としてなんとか生活を維持してきたシリア難民の多くが、トルコでの生活を諦め、ヨーロッパへと密航しようとしています。

すでに私の親族の中でも、この1ヶ月で数人が旅立ちました(いずれもギリシャやトルコの海上保安警察に捕まり、トルコへと送還されましたが、成功するまでトライし続けるとのことでイスタンブールに滞在しています)。
飲水が入手できず、船や歩きの移動の途中で熱中症のため死亡したシリア人の話も聞いています。それでもリスクを覚悟しながら、人々はヨーロッパを目指します。

こうしたシリア難民の姿を、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思い、どういった表現法が良いのか考えました。結果、写真表現より情報量の多い動画という手段で表現を試みることにしました。

写真表現はその瞬間を切り取ることで、見る側に想像力をかきたて、それぞれが時間をかけてイメージを醸造するという手段です。一方、動画表現は、流れている時間をそのまま示すことで、より具体的で明確なテーマを見る側が感じることができます。

私はフォトグラファーとして写真の力の素晴らしさに魅せられ、それを信じていますが、写真表現だからできることと、動画表現だからできることがあるように思うのです。

そしてフォトグラファーだから写真表現だけにこだわるのではなく、伝えていくためには、(活動のベースは写真表現ですが)さまざまな方法を試みたいと思っています。今回はシリア難民をめぐる流動的で劇的な状況をより身近に、感覚的に感じていただけるよう、動画として彼らの姿を切り取ってみようと思いました。

そこでまず制作したのが、ショートドキュメンタリー「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」です。徹夜気味になりながら作りました!

こちらは「海をわたるシリア難民」というシリーズで、何回かに分けてご紹介したいと思います。動画制作を始めたばかりで技術的に未熟ですが、経験を積み、表現を磨きたく思います。

今、シリア難民に何が起きているのか。彼らが何を思いながら、難民としてそこに生きているのか。動画から、それぞれに何かを感じ取っていただきたく思います。

シリーズの1回目は、2日後にヨーロッパ密航へと出発するシリア難民のインタビューです。

出発が近く忙しいとのことで、インタビューに許された時間は一時間のみ。緊張しながらの取材でした。

「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」
https://youtu.be/duDgO191sEI

また、こちらの動画や制作についての裏話を、まもなくこちらの「HP有料コンテンツ」にてご紹介します。シリア難民の抱えるさまざまな問題などを、シェアさせていただけたらと思います。

(2022年8月11日)

「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1」

ショートドキュメンタリー「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」を制作しました!

いま、トルコに暮らすシリア難民には、昨年までとは違う大きな動きが起きています。

先日の投稿でご紹介しましたが、急激な物価高、反シリア人感情の高まり、トルコ政府によるシリア人帰還政策進行の動きなどにより、低所得労働者としてなんとか生活を維持してきたシリア難民の多くが、トルコでの生活を諦め、ヨーロッパへと密航しようとしています。

すでに私の親族の中でも、この1ヶ月で数人が旅立ちました(いずれもギリシャやトルコの海上保安警察に捕まり、トルコへと送還されましたが、成功するまでトライし続けるとのことでイスタンブールに滞在しています)。
飲水が入手できず、船や歩きの移動の途中で熱中症のため死亡したシリア人の話も聞いています。それでもリスクを覚悟しながら、人々はヨーロッパを目指します。

こうしたシリア難民の姿を、ショートドキュメンタリー「海をわたるシリア難民」というシリーズでご紹介したいと思います。

動画制作を始めたばかりで技術的に未熟ですが、シリア難民をめぐる状況をより身近に、感覚的に感じていただけるよう、写真表現より情報量の多い動画という手段での表現を試みます。

シリア難民に何が起きているのか。彼らが何を思い、難民としてそこに生きているのか。動画から、是非それぞれに何かを感じ取っていただきたく思います。

シリーズの1回目は、2日後にヨーロッパ密航へと出発するシリア難民のインタビューです。出発が近く忙しいとのことで、インタビュー可能時間は一時間のみ。限られた時間のなかで取材をしました。

「海を渡るシリア難民 エピソード1」
https://youtu.be/duDgO191sEI

また、こちらの動画や制作についての裏話を、近日中に「HP有料コンテンツ」にてご紹介します。
シリア難民の抱えるさまざまな問題などを掘り下げてご紹介します。こちらも是非視聴いただけましたら嬉しいです。

▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)
https://yukakomatsu.jp/membership-join/
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(2022年8月11日)

今年も8月6日と8月9日を迎えて

20世紀ジャーナリズムの最も重要な一冊とされる本がある。米国のジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』だ。

1945年8月6日、広島に、そして8月9日、長崎に原爆が投下された。米国では、戦争の勝利に人々が熱狂するも、原爆が市民の上に落とされたことや、そこで何が起きているのかを全く知らされることはなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。

こうしたなかにあって第二次世界大戦の激戦地を取材してきたジョン・ハーシーは、極秘にヒロシマを取材。さらに米国政府や軍部の検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌においてヒロシマの惨状を被爆者の視点から明らかにする。その内容に人々は驚愕し、原爆による人体への被害について初めて認識されていった。

 2021年に集英社から発刊された『ヒロシマを暴いた男』は、このジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』が、どのように生まれたのかを描いている。ヒロシマの真実を伝えることで、核兵器使用の実態を世界に問うた、米国人ジャーナリストの戦いの記録であり、私たち日本人が知らないヒロシマをめぐる物語だ。

以下は、2021年10月に信濃毎日新聞様に掲載いただいた書評です。今年も原爆の日を迎え、昨年執筆した『ヒロシマを暴いた男』の書評を読み返し、ここにご紹介させていただきたいと思います。

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『ヒロシマを暴いた男』(レスリー・M・M・ブルーム / 集英社)

( 2021年10月信濃毎日新聞様 書評 執筆:小松由佳 ) 

1ページ目にあるのは原爆投下直後の広島の写真だ。そして次のページには、日本の降伏を祝い、熱狂する200万人の米国市民の写真がある。ほぼ時を同じくして撮られた、対照的なふたつの国の光景から本書は始まる。

 1945年8月6日、初めて戦争で使われた核兵器として、原子爆弾が広島に投下された。街は焼け野原となり、その年の暮れまでに推定28万人が死亡。生き残った人々も、長期にわたる深刻な放射線被害に苦しんだ。

しかし、それらの被害について米国では報じられず、人々は知る機会がなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。皆戦争に疲弊し、世論調査では回答者の85%が原爆の使用を是認していた。

そうした風潮の米国にあって、ジャーナリストのジョン・ハーシーは広島を取材する。

人間は敵の人間性を見失った結果、残虐行為に走る―というのが、太平洋戦争など第二次世界大戦の激戦地を取材してきたハーシーの教訓だった。そのため彼は、従来のような建物の被害や数字からではなく、6人の被爆者の視点から、被爆の経験や治癒しない傷、貧困や放射線後遺症に苦しむ姿を描いた。

その記事は、軍やGHQの隠蔽、検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌において「ヒロシマ」という記事で発表される。それは原爆の日本人犠牲者たちを「普通の人間」として描いた最初の記事であり、その内容に人々は驚愕し、共感を呼び覚まされた。

以来「ヒロシマ」は、ジャーナリズムの重要な一冊として世界中で読まれてきた。

晩年、ハーシーは述べている。「1945年以来、世界を原子爆弾から安全に守ってきたのは広島で起きたことの記憶だった」。

原爆投下から76年。地球上では核保有が進み、核の脅威はむしろ増すばかりだ。我々は、「記憶」という財産を未来に伝えることができるだろうか。

ハーシーが暴こうとしたものは、今日も私たちのすぐ近くに存在している。

ヒロシマとナガサキの記憶をはじめ、先人たちが歴史を検証し、語り継いでくださったおかげで、私たちは戦争の惨禍や核兵器の恐ろしさについて学び、次の世代へとつなげることができます。

歴史を検証し、語り継ぐこと。微力ながら、いつも意識をしていたいと思います。

オーディオプログラム「シリア難民の、海をわたるという選択」を更新しました

*こちらは「小松由佳HP有料コンテンツ」限定のオーディオプログラム(ラジオのようなトーク)です。

シリア難民が直面している問題と、ヨーロッパ密航への私見を語りました。公の場では語りにくいモヤモヤや葛藤などの裏話です。

「小松由佳HP有料コンテンツ」では、こうした作品制作・取材の裏側をご紹介してきます。是非ご登録いただき、ご視聴いただけましたら嬉しいです。

「シリア難民の、海をわたるという選択」(2022年8月5日更新)

▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)

https://yukakomatsu.jp/category/paid-photo-essay/

こちらは活動を応援いただくためのサイトです。より良い写真活動ができるよう、応援をどうぞよろしくお願いいたします。

ヨーロッパを目指すシリア難民

今日、取材先のトルコ南部オスマニエにて、甥っ子とこんな冗談を言い合いました。

「5年後、オスマニエに住むアブドュルラティーフ一家の半分近くがヨーロッパに行っているかも。10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」

半分は冗談だけど、まんざら冗談でもありません。
今やそれは、本当に彼らがそうありたいと願っていることなのです。

(シリア難民の生活スタイルは、11時頃に簡単な朝食(ファトュール)を食べ、16時頃に一日のうちで最も豪華な食事である昼食(ガダー)を食べ、夕食(アシャー)は20〜22時頃に、果物などの軽食を食べます。写真は夕食。スイカはトルコでは大変安く、どこの家でも大量に食べます。ブドウやイチヂクなども安価に大量に出回ります)

悪化し続けるシリア難民の境遇

今年トルコに来た私は、彼らの置かれている状況がこんなにも変わりつつあることに本当に驚きました。

少なくともトルコ南部のオスマニエの状況ですが、シリア難民のコミュニティのうち、かなりの人々が、トルコでの生活を諦めつつあり、ヨーロッパへの密航を実際に実行に移しています。

私の夫の親族だけでも、二週間前に密航した兄が一人、さらに今月中に密航する予定の親族が五人近くいます(先に一家の男性が一人で海を渡り、後から家族を呼び寄せる)。
今、彼らの気持ちはトルコにではなく、完全に海を渡った先のヨーロッパに向いているのです。そこでは、難民として保護を受けて生活を再建できる可能性があるからです。

コロナ流行直前の2年前(2019年11月〜2020年1月まで)、トルコで取材をした際の彼らは、ここに根を張り、安定した暮らしを実現することに希望を見出していました。言葉や民族の違いも、トルコ人からの差別もありましたが、それでもシリアと陸続きで、シリアの文化の匂いを多少感じるこの地で、新たな日常を築きたいと語っていました。

(郊外に建てたアブドュルラティーフ一家のムハンマド兄の家。周囲では牛を飼っている。ニワトリも放し飼い)

ところが、その後のコロナ禍と、トルコの経済政策の失敗で(一年間で物価が二倍近く高騰)、シリア難民の置かれた状況はますます悪化していきました。

彼らにとってトルコに暮らすということは、物価高騰の中での貧困と、日々の差別と、労働条件や権利などのトルコ人との完全な区別の中で生きるということ。さらに来年の大統領選の結果次第では、シリア人に対して強硬な帰還政策が取られる可能性があります。先行きは不安ばかりです。

私の目には彼らが、シリア難民としてトルコ社会での複雑さと困難さに向き合い、苦労を重ねることに疲労感とあきらめを募らせているように感じられます。彼らはギブアップしつつあります。

(草地で憩う子供たち。次男がごねて暴れている!)

三つの選択肢

実際、トルコ南部に暮らすシリア難民には選択肢が三つしかありません。

一つ目の選択肢は、シリアに帰ること。そこには電気や水道もほとんどなく(電気、水道ともに平均して一日1〜2時間のみ)、子供たちは教育を受ける場もほとんどありません。人々は飢え、寒さや暑さに苦しみながら、命を繋ぐための最低限の暮らしを送るしかありません。

二つ目の選択肢は、このままトルコに留まり、貧困やトルコ社会からの区別、差別に耐えながら、模索を続けることです。自分たちの世代はもちろん、子供たちの世代も同じ問題に直面することになるでしょう。

そして三つ目の選択肢は、密航という(命を失うかも知れない)リスクを負い、大金をかけ(密航業者に支払う額は、2022年8月現在で一人約5000〜6000ユーロ)、ヨーロッパに渡って難民としての保護を受けることです。そこでは自立のためのプログラムが整備され、職業も紹介してもらい、安定した生活に向かうためのプロセスが保証されています。

どの選択肢が、最も未来に光を感じるでしょうか。皆さんだったらどうするでしょうか。
私が同じ立場だったら、三番目を選ぶでしょう。
人間は、希望に向かって生きている存在、誰もが明るい方向を目指していきたいのです。

この11年間のシリアでの戦乱で、離散と避難を繰り返してきた人々にとり、希望をもって選び取ろうとしている唯一とも言える選択肢が、「ヨーロッパへの密航」なのです。

(隣に住むシリア難民の男性に、馬に乗せてもらう長男。馬で野をかけ放題だ!地方出身のシリア人の男性は、普通に馬に乗れる人が多い。)

こうして、ヨーロッパへと一人、また一人と出発しようとするシリア難民の親族のなかに、私は滞在しています。まさに今、時代が流れていることを肌で感じ、シリア難民の歴史の一端を目の当たりにしています。

「10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」。

だから冒頭で書いたその冗談は、あながち冗談ではないのです。
なぜならそれは、すでに彼らの新しい夢になりつつあり、現実に身近な人々が、海を渡り始めています。

人間としての尊厳を求めて

私はそうした彼らの姿に驚き、ショックを受け、そして寂しさを感じています。シリアが内戦状態になる2011年以前、砂漠でラクダを放牧して生きていた彼らの暮らしがどんなに生き生きしていたか。その頃の彼らの姿が、今も胸に宝石のように光っています。

一方で、シリアから隣国トルコへ逃れた彼らが、シリア国境に近い土地で暮らし、いつでも故郷に帰れるよう留まっていることを、私は心のどこかで勝手に期待していたのかもしれません。

しかし彼らは、今やシリアというルーツから遠く離れようとしています。海を渡り、より良い暮らしを送ることができるだろう土地へ・・・。

その彼らの姿を、私は一生をかけて見つめたいと、本心から思いました(これはきっと、イラクのオアシスにルーツを持つというアブドュルラティーフ一家にとり、「フン族の大移動」ならぬ、「アブドュルラティーフ一家の大移動」とも言える、一家の血脈的大事件なのです)。

現在夜中の3時。開けっぱなしの窓から外を見ると(全くと言っていいほど蚊がいないので、網戸はなくどこの家も開けっぱなし。しかし巨大女王アリなどがどんどん入ってくる)、赤やオレンジや白の、街の光がきれいに見えます。そのひとつひとつの光に、無数の人間の人生を重ねました。

人生を変えるため、身ひとつで見知らぬ彼方へと向かう親族たち。彼らを目の当たりにし、人は、「人間としての尊厳を抱いて生きていると感じられる場所」へ、どこまでも旅をし続けるのだと思いました。

(アブドュルラティーフ一家もパルミラでは馬を飼っていて、子供たちや男性は馬に乗っていた。夫の甥である写真の男性は、5歳から乗馬したとのこと)

歴史の一端を見つめる

街の光の中に、昨年この土地で亡くなった夫の父のガーセムを思い起こしました。物価高騰や反シリア人感情の悪化などの問題があるにしろ、間違いなく、一家の大黒柱であり、ゴットファーザーだったガーセムが昨年86歳で亡くなったことが、こうしたヨーロッパ大量密航の引き金になったのでしょう。トルコでの生活苦や密航への誘惑から一家を繋ぎ止めていたのは、ラクダの放牧業を営んで大家族を作り上げたガーセムの存在だったのです。

アブドュルラティーフ一家の旅は、まだまだ続いていくのです。そしてシリア難民の取材にやってきた私は、なんと次々に旅立つ彼らを見送る立場としてここにいます。もう、ゲロゲロ事件を起こしている場合ではないと本気で思いました。ここで起きていることを、歴史の一端を、目を見開いてしっかりと見つめてきます。

一人、しんみりして涙が出そうです。こんな日はハーゲンダッツの抹茶アイスが食べたい・・・。なんという取材の日々でしょう・・・。

(この家では牛を飼い、絞ったミルクを火にかけてヨーグルトを作っている。一家の収入源だ)

シリア難民の、海を渡るという選択

トルコにシリア難民の取材に来て半月が経ちました。

2022年夏、シリア難民が直面しているさまざまな問題と、「ヨーロッパ密航」の選択について、20分ほどのオーディオプログラムとしてお話ししました。

シリア難民の置かれた厳しい状況を理解しながらも、彼らの選択のあり方への葛藤も、公には語りにくい私見を語りました。表現者としては、多角的な視点をもって皆様にお伝えすることを大切にしていますが、個人としての思いを語ります。

<オーディオプログラムは、以下のURLよりご視聴ください>

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