「取材中間報告」の不手際のお詫び

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昨日9月1日は、「取材中間報告」をズームにてさせていただきましたが、インターネット接続が不安定になり、なんと私が突然zoom上から消えていなくなり、5分後に戻ってくるという大変なことが起きてしまいました。たくさんの方々に参加いただいたのに、本当に申し訳ありません。

zoom接続をしたのはトルコ南部オスマニエのカフェで、事前に一度、ズームの接続の確認をしていたのですが、不十分でした。

インターネット接続が不安定となり、zoom自体が突然消えてしまった後、再びそのページに戻ろうとしましたが、サインインすると、こんな表示が。

「まもなくホストのYuka Komatsu さんから許可されます」

そのホスト(zoom ルームの主催者)が自分なのだけど、ホスト自体がこうしてドロップアウトしてしまったら、入室が許可されず・・・。こうした場合、どうしたら良かったのか考えさせられました。こういうときのために、ホストを一人、日本からお願いすれば良かったかもしれません。とにかくえらい事態で、皆様にご迷惑をおかけしてしまいすみませんでした。

その後、zoomにサインインするのではなく、新しいzoomページを開いたところ、突然元のページに繋がり、戻ることができましたが、参加された皆様にとって前代未聞のことだったと思います。

また、写真ページの切り替えにかなり時間がかかってしまったりと、トーク自体もゆるゆるになってしまい、課題が多く、申し訳ないトークイベントになりました。

再度、インターネット接続のより安定したところで自分で報告会をやり直し、録画したものを、後日、有料会員の皆様と、参加いただいた方々にお送りします。内容ももっと深めて整理します。

不手際が多く、本当に申し訳ありませんでした!

取り急ぎ、お詫びさせていただきます。

小松由佳

トルコより、取材中間報告をいたします!9月1日開催です。

e220830 2048pix 0SSA0358のコピー2 トルコより、取材中間報告をいたします!9月1日開催です。 トルコより、取材中間報告をいたします!9月1日開催です。

突然の、しかも直前の開催連絡で大変申し訳ないのですが、取材のオンライン中間報告会をやらせていただきます。

「取材中間報告! シリア難民の今・新たな取材プロジェクト 9月1日開催」 by YUKA KOMATSU

・開催日時:9月1日(木)PM 20:00〜22:00(後日録画動画の視聴可)

・参加費:¥1000

・参加方法:以下のチケット購入サイト「ピーテックス」よりお申し込みをお願いいたします。

https://peatix.com/event/3345962/view…

・トーク内容

子連れパニック取材の日々・2022年のトルコ在住のシリア難民の現状と新たな動き・イスラム圏で取材をするということ・新たな取材プロジェクトについて・直面している政治問題について・今後の取材の予定

こちらは、zoomを使用したオンラインイベントです。

ご都合がつく方は、是非ご参加ください。ご都合がつかない方も、録画した動画を後日ご覧いただけます。

また、「HP有料コンテンツ会員(月額1000円)」の皆さまは、無料でこちらのイベントにご参加いただけます。

その場合、開催一時間前までに、イベントのzoomURLを、有料会員様宛のメールアドレス宛にお知らせさせていただきます。

(もしよろしければ、この機会に「HP有料コンテンツ」に是非入会頂けましたら大変ありがたいです。こちらでは、活動を応援いただき、活動状況や裏話をシェアさせていただきます)

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<イベント説明>

7月半ばより、フォトグラファーとしてトルコ南部に暮らすシリア難民の取材をしています。夫がシリア人で、親族が難民として現地で暮らしていることから、シリア難民コミュニティの内側から、リアルな現状を取材しております。

2015年より、毎年トルコに暮らす難民の取材をしていますが、今年は、かつてなかったほどの大きな変化が難民の間で起きています。

こうした肌感覚として現地で見て考えたことなどを、「取材中間報告」としてお話しいたします。

また、9月は、この取材の核心ともいえるあるプロジェクトが控えています。私がこの数年、温めてきた大切な取材計画です。この取材の進行状況と今後の予定について、皆様と共有させていただけたらと思います。

大変恐縮ですが、少しでも取材費を捻出させていただきたく、¥1000の参加費をいただくことにしました。取材カンパも大歓迎です。

シリア難民の現状を知り、考えることで、私たち自身のこれからを模索していけるような取材をしたいと思います。今後とも、活動への応援をどうぞよろしくお願いいたします。

小松由佳

子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました

<こちらは前回の続きです>

シリアのアレッポ出身のシリア難民、ムスタファ・カービースさん。2017年にトルコに避難して以来、空爆の後遺症や脳腫瘍の治療で満足に働けない日々が続いていましたが、今年に入って少しずつ体調が安定してきたとのこと。

かつてシリアで壁塗りの職人として働いていた経験を生かし、トルコでも同じ仕事を始めました。今月半ば、その様子を見せていただきました。

トルコでは壁塗りの仕事は「ボーヤ」と呼ばれます。トルコ南部の家屋のほとんどはコンクリートブロックを積み上げて造られ、部屋の壁には石膏が塗られます。

石膏は、湿度や寒暖の差などによって時間が経つとボロボロになります。こうして壁が剥がれ出したら、壁塗りの職人を呼んで塗り直してもらったり、または自分達で壁塗りをします。

この日、ムスタファさんが依頼されたのは、築40年の家の居間の壁塗りです。仕事はまず、壁の状態を確認するところから始まります。穴は空いていないか。剥がれやすいところはないか。そうして、剥がれそうな箇所を削り、表面を滑らかにします。

その後、粉に水を混ぜてよく練り上げたドロドロした石膏を、凸凹している箇所に塗っていきます。

少し乾かしたら、今度は白い塗料をその上に塗ります。トルコ南部では、壁の色は白、薄い黄色や青が多いとのことですが、今日はこの家のオーナーのリクエストで白い色を塗ります。

ムスタファさんに出会って4年。私はムスタファさんの仕事姿を初めて見ました。そして、シリアで壁塗りの職人として働いていたという、その丁寧な手仕事に感動しました。

手の動かし方、足の運び方、塗料の混ぜ方や塗り方にも、無駄がない。まさに職人の仕事でした。そしてムスタファさんが、戻りたいと切望していたこの仕事に戻れたことが、本当によかった!と思うのでした。

かつてシリアでは、10人ほどの弟子を抱え、イラク方面にまで車に乗って仕事に出掛けることもあったというムスタファさん。10代から40年以上この仕事をし、アレッポでも壁塗り職人として知る人ぞ知る存在だったようです。現在は、シリアでの空爆の後遺症や腎臓病、脳腫瘍の術後の痛みなどがまだあり、体調によっては一週間ほど休まなければいけないようですが、壁を塗りながら、「働くことはとても美しいこと」と、にっこりされていました。

「ボーヤ」の仕事は職人の仕事なので、トルコ南部での平均的なシリア難民の収入(日給にして約100〜150トルコリラ。日本円にして約800〜1200円)より高い報酬が得られるとのこと。ムスタファさんによると、4〜6時間ほど働いて、200トルコリラ(2022年8月現在、日本円で約1600円)の報酬をもらえるそうです。

しかし同じ仕事をしても、トルコ人であれば400〜600トルコリラを得られるのに対し、シリア人であるムスタファさんは、支払われる金額は半分以下とのこと。どんなにいい仕事をしても、シリア人ゆえに収入がいつも安価に支払われ、安価な労働者として扱われるのがとても残念とのことでした。

加えて、現在のトルコは昨年と比べて二倍以上の物価高。壁塗りの仕事を一生懸命やっても、6人家族(妻と4人の娘たち)の生活を維持するのは精一杯とのこと。収入は食費と家賃でほぼ消えてしまうそうです。それでもムスタファさんは、こうして再び壁塗りの仕事ができるようになって、本当に嬉しいと話していました。

ムスタファさんの素晴らしいお仕事を見せていただきましたが、こちらも子連れパニック撮影。写真をよく見ると(よく見なくても)子供たちが乱入して、ムスタファさんのお仕事をお手伝い(ご迷惑をおかけしている)している様子がわかります。

長男のサーメルは、ムスタファさんがせっかく綺麗に塗ったところを、塗り直して汚してしまったり、本当にご迷惑をおかけしてハラハラ。とにかく申し訳なかったのですが、仕事を依頼したのが夫の親族だったこともあり、なんとかなりました・・・。

長男のサーメルは、自分も大きくなったらこのお仕事がしたいとのこと。ムスタファさんから、「サーメル、ショゴル ボーヤ、クワイエス(サーメルは「ボーヤ」の仕事が上手だよ)」とお墨付きをもらいました!笑

ムスタファさんの職人仕事に感動した一方で、写真を撮っている時間より、ハラハラしながら子供たちを見守ったり叱ったりする時間の方が長く、あらためて子連れ取材の難しさを実感した一日でした・・・!涙

220829編集後低画素2048ムスタファ家 1 1 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
ムスタファさんが塗料を塗って綺麗にした壁を、目を離した隙に、長男がハケで塗り直して台無しにしてしまった!「アッ・・・!」と凍りつきましたが、ムスタファさんはまるで何も見ていないかのように、黙々と仕事を続けていました・・・。本当に申し訳なかったです。

220829編集後低画素2048ムスタファ家 22 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
20分おきにタバコを吸って休憩。
220829編集後低画素2048ムスタファ家 5 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
剥がれかけている古い石膏を削ぎ落とし、壁の凹凸を滑らかにする。
220829編集後低画素2048ムスタファ家 20 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
220829編集後低画素2048ムスタファ家 16 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
粉に水を混ぜて石膏を作る。硬さの加減は、経験上とのこと。

220829編集後低画素2048ムスタファ家 11 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
壁塗りを依頼した私の夫の親族の家(借家)。築40年。家賃は月額500トルコリラ(2022年8月現在、日本円にして約4000円。台所の一室を含め、8畳ほどの広さの部屋が4部屋ある)。壁がボロボロ剥がれ落ちるようになり、壁塗りを依頼した。
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午前11時、家の前のスペースの木陰にテーブルと椅子を出して、みんなで朝食。一般的にシリア人の朝食時間は10〜11時。
220829編集後低画素2048ムスタファ家 8 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
中央左は、粉チーズから作った伝統料理「キシック」に炒めたひき肉を載せたもの。その右側は、ひよこ豆のフライ「ファラーフェル」。その右は、ナスの油漬「マグドュース」。
220829編集後低画素2048ムスタファ家 2 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました
ムスタファさんの仕事道具を奪い合い、喧嘩する子供たち。その合間に「やれやれ」とタバコを吸うムスタファさん。
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石膏を混ぜて喜ぶ次男サラーム。「その手でママのカメラを触らないで〜!」と連呼するしかない状態だ。
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ムスタファさんと壁塗りをする次男。ムスタファさん、仕事中にご迷惑をおかけして本当にすみません。
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壁から剥がした古い石膏の破片。壁をしばらく塗っていない家では、破片がボロボロ落ちる。そうなると壁の塗り替えどきだ。
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タバコを吸って一息つきながら、仕事の確認中。
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窓の縁に立つムスタファさんの足。足の指の器用な使い方にも、職人技を感じた。
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石膏を塗って壁の凹凸を滑らかに整える。
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窓辺で一息。
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窓辺で一息ついていたムスタファさんに、長男が乱入。やめなさい!
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道具の組み立て方を教えてもらう長男サーメル。だんだんと長男の表情が真剣に。
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220829編集後低画素2048ムスタファ家 24 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました 子連れパニック撮影です!ムスタファ・カービースさんの壁塗りの仕事を見せていただきました

ムスタファさんは現在、週に四日ほど壁塗りの仕事をしているとのことです。その仕事風景から、生活を再建し、ここに生きていこうとする静かな覚悟のようなものを感じました。これからも、この一家の姿を見つめていきたいと思います。

(2022年8月29日)

オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました

オスマニエにて、4年前より取材しているシリア難民、ムスタファ・カービースさんとその一家を訪ねました。一家はアレッポ出身、2017年に安全を求めてトルコに逃れてきました。

カービース一家は夫婦と4人の娘の6人家族。先祖代々、古代都市として知られるアレッポの中心街で暮らしてきましたが、2012年以降、アレッポでも空爆が激しくなり、2013年の空爆で自宅が倒壊しました。近所の仕立て屋で修行していた10代の息子2人が、空爆で倒壊した建物の下敷きになって亡くなりました。

父親のムスタファさんも空爆で背骨を負傷。家も仕事も失い、アレッポ郊外でテント暮らしをしながら流浪を続けました。困窮し、避難生活の厳しさもあって、ムスタファさんは腎臓病にかかりました。

2017年に運良くトルコ側に越境することができましたが(2016年以降、越境のために密入国業者に高額な費用がかかるようになり越境は困難に。カービース一家は、シリア国内で多くの協力者がお金を集めてくれ、越境が実現した)、ムスタファさんの脳に腫瘍ができていることが分かり、ひどい痛みに苦しむようになりました。

オスマニエの街に来て以来、ムスタファさんは路上の資源物を集めて売る仕事をしてきました。しかし収入は非常にわずかで、国際赤十字協会から難民に支給されるわずかな生活支援金で、一家はなんとか命を繋ぎました。

安全を手にしたものの、唯一の働き手であるムスタファさんが病気で動けなくなっていくと、一家の暮らしは困窮をきわめます。

そうしたなか、2021年4月にオスマニエを訪れ、ムスタファさん一家の暮らしを目にした私は、あるショートドキュメンタリーを作りました。

「#01 ムスタファと小鳥」

https://www.youtube.com/watch?v=WqnD401tI5U&t=2s

シリア難民がどのような重層的な困難さを抱え、何を感じながらどこに向かって生きているのか。それを、ムスタファさんの家族の視点から、多くの方に知っていただきたいと思いました。そして、少しでも生活の再建に役立てていただけたらという思いから、一家への生活カンパも募りました。

その後、皆様からたくさんの温かいお気持ちが集まり、本人の希望で、より効率よく資源物回収ができるためのバイクの購入ヘと繋がりました(皆様、ご協力いただき、どうもありがとうございました)。結果、バイクで資源物を集められるようになったことで、生活はより安定化したとのことです。

その後、脳の腫瘍の摘出手術をするため、ムスタファさんはアンカラの病院に向かいました。手術は無事終わりましたが、しばらくは痛みのために寝たきりに。今年に入ってから、ようやく資源集めの仕事にも復帰しました。

そして今年、一年ぶりにカービース一家を訪ねました。

ムスタファさんたちが暮らす借家に到着すると、子供たちが扉から飛び出してきました。一年の間にみんな背が伸び、すっかり大きくなった子供たち。ムスタファさんも顔色が良く、元気そうです。よかった!

ムスタファさんは、借家の屋上へと私たちを案内してくれました。そこには年月を経た立派なブドウ棚があり、黄緑色のブドウがたわわに実っていました。ムスタファさんは台の上に乗り、私たちのために、熟れたブドウをもいでくれました。ブドウ棚の下の木陰で、しばし憩いの時間。そのブドウの粒の甘かったこと!木漏れ日の美しかったこと!

みんなが元気で、一年ぶりの再会の喜びを噛みしめた、美しい時間でした。

「大きくなったね」。私の二人の子供たち、サーメルとサラームも、ムスタファさんにたくさん可愛がってもらい、バイクに乗せてもらってアイスクリームを買いに連れて行ってもらいました。

220823編集後低画素ムスタファ家 6 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
屋上のブドウ棚の下で。日差しが強いトルコ南部では、立派なブドウの木が至る所にある。この時期、ブドウやイチジク、スイカやモモなどの多種多様な果物を、人々はお腹いっぱい食べることができる。日本では考えられないくらい果実が豊富だ。
220823編集後低画素ムスタファ家 5 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
熟れたブドウをもいでくれるムスタファさん。涼しい風が吹く屋上は、家族の憩いの空間として使われる。暑いこの時期、屋上で眠る家族も珍しくない。
220823編集後低画素ムスタファ家 4 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
屋上へと案内してくれるムスタファさんと3歳のハラちゃん。
220823編集後低画素ムスタファ家 1 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
アイスクリームを買いに連れていってもらう。トルコ南部では車は非常に高価。人々の一般的な移動手段は、電動バイクか、ガソリンのバイクだ。6~8人ほど乗ることも珍しくない。
220823編集後低画素ムスタファ家 2 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
商店へ、行ってらっしゃい。
220823編集後低画素ムスタファ家 3 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました

昨年、小鳥の繁殖で副収入を得ていたムスタファさん。今年訪ねると、そこに小鳥の姿はなかった。術後の療養中、世話が大変だったようで売ってしまったとのこと。代わりにあったのは子供たちの自転車だ(盗まれないよう家の中に入れてある)。一家の経済状態が良くなってきたことを感じた。

220823編集後低画素ムスタファ家 7 オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました オスマニエに暮らすシリア難民、ムスタファ・カービースさん一家を訪ねました
今年も皆で記念撮影。私の子供たちがじっとしていられず、年々撮影がパニックに。ムスタファさんも困り顔。なんとかならないものか・・・。

現在ムスタファさんは、資源物集めの仕事に加え、シリアで職人として働いていた内装工(壁塗り)の仕事も始めたそう。多い時には、週に4日働くこともあるそうです。シリアでのかつての仕事に戻り始めたと聞き、なんとも言えぬ温かいものが込み上げました。難民としての苦難の日々のなかでも、少しずつ生活が再建されています。

ムスタファさんを取材して今年で4年目。年々、一家の暮らしに余裕が生まれ、経済状態が改善され、何よりも子供たちの表情が生き生きしていくのを感じ(4年前、一家の子供たちはシリアでの悲惨な避難生活の経験から、笑うことがなかった)、本当に嬉しい限りです。

ムスタファさんの壁塗りの仕事は、トルコでは「ボーヤ」と呼ばれます。この「ボーヤ」の仕事を見せてもらうことになりました。

続きは次回、お楽しみに!

(2022年8月26日)

2022年8月のテレビ出演のお知らせ  

NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」2022年8月28日午前5時放送

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/E2JRQNVRR2/

NHKの番組のなかでも最も硬派な番組だとされる「こころの時代〜宗教・人生〜」に取材いただき、私の活動について取り上げていただきました。

370C4313 D66D 4AFC ADC6 6F71859FA77F 2022年8月のテレビ出演のお知らせ   2022年8月のテレビ出演のお知らせ  

「その人自身の言葉を、ここまで丁寧に扱う番組はほかにありません」と、担当ディレクターから聞いております。インタビューは、トルコ取材の出発直前に、都内にてじっくりと行なわれました。

私の活動や思いを番組としてご紹介いただき、大変光栄です。とても嬉しかったのは、担当ディレクターのKさんが、私の故郷の撮影のため初めて秋田を訪れ、秋田市郊外の懐かしい故郷の山々、田んぼの風景を写真で送ってくださったこと。

その時はトルコにおり、まさに体調不良の真っ最中でしたが、故郷の山に見守られているような、清々しい気持ちになりました。

番組の放送時間はなんと28日午前5時ですが、録画してぜひご覧ください。

9/1からは一週間、NHKのサイトから見逃し配信として、インターネット上でも視聴できるようです。

子連れパニック取材中です

子連れパニック取材になっています!

久しぶりの投稿となってしまいましたが、元気にシリア難民の取材を続けております。

トルコ南部のうだるような暑さ、暑さから来る毎夜の眠りの浅さに加え、このところ次男が赤ちゃん返りし、毎晩「バーバ(お父さん)が恋しい、会いたい・・・」と泣き止まず、夜も眠れず・・・!涙

疲れと食事の違いから来るカルシウム不足からか、ビスケットを食べたら私の歯が2本、突然欠けました・・・!涙

取材も、想定していたけれどやはりパニック取材。ここぞという撮影のタイミングで、子供たちが被写体に乱入したり、オシッコを漏らしたり、取っ組み合いのケンカをして被写体の家族に怒られたりと、てんやわんや。

3歳と6歳の子供を連れながらの取材は、「大変」という領域を超え、もはや、いかに不可能を可能にしていくかという、未知への挑戦の領域に入っております・・・。

この10日ほどは、あるプロジェクトのため、トルコ・シリア国境のレイハンルに行ってきました。

レイハンルでは、2015年以来取材を続けているジャーラッラー・ジャーラッラーさんにお会いしてきました。今年に入っての大変な物価高で、生活に苦労されている様子。詳細は後ほどまたご報告します。

写真は取材後の記念撮影。子供たちがじっとできず、記念撮影を撮るのも一苦労。取材中は、ジャーラッラーさんの二人の子供と私の二人の子供が家の中を走りまわって大暴れ。子供たちの叫び声が響くなかでの、てんやわんやの取材でした。

オスマニエ、レイハンルでの取材の様子を、まもなく更新していきます。パニック取材はまだまだ続きます・・・。

0SSA0095 低220822編集 子連れパニック取材中です 子連れパニック取材中です
ジャーラッラー・ジャーラッラーさんは、シリアのパルミラ出身。2015年にパルミラにISが侵攻した際、IS兵士から電気ショックの拷問を受け、脳にダメージを負い、歩行が困難になりました。その後、トルコにて電気ショックの事故に遭い、胸から下の感覚がない状態が続いています。理学療法のリハビリを受けて手足の感覚が少しずつ戻っていましたが、コロナ禍によるリハビリの中止により、再び感覚が無くなっているとのこと。レイハンルでは、症状を改善するための検査や効果的な治療を受けることができず、生活が困窮しているなかで日々を過ごしています。ユニセフによる障害者枠でのヨーロッパ渡航、治療・リハビリを希望していますが、5年前から申請しているものの、申請者は膨大な数にのぼり、難しい状況です。このレイハンルで暮らし続けることに不安を抱いている日々です。

(2022年8月22日)

ヨーロッパを目指すシリア難民 〜取材で感じたモヤモヤと裏話〜

先日、ショートドキュメンタリー「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1 」(https://youtu.be/duDgO191sEI)を制作しました。ヨーロッパでの生活を目指し、密航に向かうシリア難民を取材したものです。

今回は、その取材をしながら考えたこと、感じたことをオーディオプログラムにてお話しました。ヨーロッパを目指すシリア難民の動向に驚きつつも、正直なところ、ちょっとした違和感も感じています。それは、ヨーロッパを目指すシリア難民のほとんどが難民として富裕層であること、生活水準の向上を目指してヨーロッパへ密航していくというあり方についてです。現場で目にし、感じたモヤモヤを語ります。

コンテンツの残りを閲覧するにはログインが必要です。 お願い . あなたは会員ですか ? 会員について

「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1」を制作しました!

いま、トルコに暮らすシリア難民には、昨年までとは違う大きな動きが起きています。

先日の投稿でご紹介しましたが、急激な物価高、反シリア人感情の高まり、トルコ政府によるシリア人帰還政策進行の動きなどにより、低所得労働者としてなんとか生活を維持してきたシリア難民の多くが、トルコでの生活を諦め、ヨーロッパへと密航しようとしています。

すでに私の親族の中でも、この1ヶ月で数人が旅立ちました(いずれもギリシャやトルコの海上保安警察に捕まり、トルコへと送還されましたが、成功するまでトライし続けるとのことでイスタンブールに滞在しています)。
飲水が入手できず、船や歩きの移動の途中で熱中症のため死亡したシリア人の話も聞いています。それでもリスクを覚悟しながら、人々はヨーロッパを目指します。

こうしたシリア難民の姿を、ぜひ多くの方に知っていただきたいと思い、どういった表現法が良いのか考えました。結果、写真表現より情報量の多い動画という手段で表現を試みることにしました。

写真表現はその瞬間を切り取ることで、見る側に想像力をかきたて、それぞれが時間をかけてイメージを醸造するという手段です。一方、動画表現は、流れている時間をそのまま示すことで、より具体的で明確なテーマを見る側が感じることができます。

私はフォトグラファーとして写真の力の素晴らしさに魅せられ、それを信じていますが、写真表現だからできることと、動画表現だからできることがあるように思うのです。

そしてフォトグラファーだから写真表現だけにこだわるのではなく、伝えていくためには、(活動のベースは写真表現ですが)さまざまな方法を試みたいと思っています。今回はシリア難民をめぐる流動的で劇的な状況をより身近に、感覚的に感じていただけるよう、動画として彼らの姿を切り取ってみようと思いました。

そこでまず制作したのが、ショートドキュメンタリー「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」です。徹夜気味になりながら作りました!

こちらは「海をわたるシリア難民」というシリーズで、何回かに分けてご紹介したいと思います。動画制作を始めたばかりで技術的に未熟ですが、経験を積み、表現を磨きたく思います。

今、シリア難民に何が起きているのか。彼らが何を思いながら、難民としてそこに生きているのか。動画から、それぞれに何かを感じ取っていただきたく思います。

シリーズの1回目は、2日後にヨーロッパ密航へと出発するシリア難民のインタビューです。

出発が近く忙しいとのことで、インタビューに許された時間は一時間のみ。緊張しながらの取材でした。

「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」
https://youtu.be/duDgO191sEI

また、こちらの動画や制作についての裏話を、まもなくこちらの「HP有料コンテンツ」にてご紹介します。シリア難民の抱えるさまざまな問題などを、シェアさせていただけたらと思います。

(2022年8月11日)

「#02 海をわたるシリア難民 エピソード1」

ショートドキュメンタリー「#02 海を渡るシリア難民 エピソード1」を制作しました!

いま、トルコに暮らすシリア難民には、昨年までとは違う大きな動きが起きています。

先日の投稿でご紹介しましたが、急激な物価高、反シリア人感情の高まり、トルコ政府によるシリア人帰還政策進行の動きなどにより、低所得労働者としてなんとか生活を維持してきたシリア難民の多くが、トルコでの生活を諦め、ヨーロッパへと密航しようとしています。

すでに私の親族の中でも、この1ヶ月で数人が旅立ちました(いずれもギリシャやトルコの海上保安警察に捕まり、トルコへと送還されましたが、成功するまでトライし続けるとのことでイスタンブールに滞在しています)。
飲水が入手できず、船や歩きの移動の途中で熱中症のため死亡したシリア人の話も聞いています。それでもリスクを覚悟しながら、人々はヨーロッパを目指します。

こうしたシリア難民の姿を、ショートドキュメンタリー「海をわたるシリア難民」というシリーズでご紹介したいと思います。

動画制作を始めたばかりで技術的に未熟ですが、シリア難民をめぐる状況をより身近に、感覚的に感じていただけるよう、写真表現より情報量の多い動画という手段での表現を試みます。

シリア難民に何が起きているのか。彼らが何を思い、難民としてそこに生きているのか。動画から、是非それぞれに何かを感じ取っていただきたく思います。

シリーズの1回目は、2日後にヨーロッパ密航へと出発するシリア難民のインタビューです。出発が近く忙しいとのことで、インタビュー可能時間は一時間のみ。限られた時間のなかで取材をしました。

「海を渡るシリア難民 エピソード1」
https://youtu.be/duDgO191sEI

また、こちらの動画や制作についての裏話を、近日中に「HP有料コンテンツ」にてご紹介します。
シリア難民の抱えるさまざまな問題などを掘り下げてご紹介します。こちらも是非視聴いただけましたら嬉しいです。

▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)
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こちらは活動を応援いただくための月額サイトです。より良い写真活動ができるよう、応援をどうぞよろしくお願いいたします。

(2022年8月11日)

今年も8月6日と8月9日を迎えて

20世紀ジャーナリズムの最も重要な一冊とされる本がある。米国のジャーナリスト、ジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』だ。

1945年8月6日、広島に、そして8月9日、長崎に原爆が投下された。米国では、戦争の勝利に人々が熱狂するも、原爆が市民の上に落とされたことや、そこで何が起きているのかを全く知らされることはなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。

こうしたなかにあって第二次世界大戦の激戦地を取材してきたジョン・ハーシーは、極秘にヒロシマを取材。さらに米国政府や軍部の検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌においてヒロシマの惨状を被爆者の視点から明らかにする。その内容に人々は驚愕し、原爆による人体への被害について初めて認識されていった。

 2021年に集英社から発刊された『ヒロシマを暴いた男』は、このジョン・ハーシーによる『ヒロシマ』が、どのように生まれたのかを描いている。ヒロシマの真実を伝えることで、核兵器使用の実態を世界に問うた、米国人ジャーナリストの戦いの記録であり、私たち日本人が知らないヒロシマをめぐる物語だ。

以下は、2021年10月に信濃毎日新聞様に掲載いただいた書評です。今年も原爆の日を迎え、昨年執筆した『ヒロシマを暴いた男』の書評を読み返し、ここにご紹介させていただきたいと思います。

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『ヒロシマを暴いた男』(レスリー・M・M・ブルーム / 集英社)

( 2021年10月信濃毎日新聞様 書評 執筆:小松由佳 ) 

1ページ目にあるのは原爆投下直後の広島の写真だ。そして次のページには、日本の降伏を祝い、熱狂する200万人の米国市民の写真がある。ほぼ時を同じくして撮られた、対照的なふたつの国の光景から本書は始まる。

 1945年8月6日、初めて戦争で使われた核兵器として、原子爆弾が広島に投下された。街は焼け野原となり、その年の暮れまでに推定28万人が死亡。生き残った人々も、長期にわたる深刻な放射線被害に苦しんだ。

しかし、それらの被害について米国では報じられず、人々は知る機会がなかった。原爆投下を戦争終結のための必然だったと肯定したい米国政府と軍部の思惑、隠蔽に加担した記者たちの存在があったからだ。皆戦争に疲弊し、世論調査では回答者の85%が原爆の使用を是認していた。

そうした風潮の米国にあって、ジャーナリストのジョン・ハーシーは広島を取材する。

人間は敵の人間性を見失った結果、残虐行為に走る―というのが、太平洋戦争など第二次世界大戦の激戦地を取材してきたハーシーの教訓だった。そのため彼は、従来のような建物の被害や数字からではなく、6人の被爆者の視点から、被爆の経験や治癒しない傷、貧困や放射線後遺症に苦しむ姿を描いた。

その記事は、軍やGHQの隠蔽、検閲をすり抜け、1946年8月、「ニューヨーカー」誌において「ヒロシマ」という記事で発表される。それは原爆の日本人犠牲者たちを「普通の人間」として描いた最初の記事であり、その内容に人々は驚愕し、共感を呼び覚まされた。

以来「ヒロシマ」は、ジャーナリズムの重要な一冊として世界中で読まれてきた。

晩年、ハーシーは述べている。「1945年以来、世界を原子爆弾から安全に守ってきたのは広島で起きたことの記憶だった」。

原爆投下から76年。地球上では核保有が進み、核の脅威はむしろ増すばかりだ。我々は、「記憶」という財産を未来に伝えることができるだろうか。

ハーシーが暴こうとしたものは、今日も私たちのすぐ近くに存在している。

IMG 6044 今年も8月6日と8月9日を迎えて 今年も8月6日と8月9日を迎えて

ヒロシマとナガサキの記憶をはじめ、先人たちが歴史を検証し、語り継いでくださったおかげで、私たちは戦争の惨禍や核兵器の恐ろしさについて学び、次の世代へとつなげることができます。

歴史を検証し、語り継ぐこと。微力ながら、いつも意識をしていたいと思います。

オーディオプログラム「シリア難民の、海をわたるという選択」を更新しました

*こちらは「小松由佳HP有料コンテンツ」限定のオーディオプログラム(ラジオのようなトーク)です。

シリア難民が直面している問題と、ヨーロッパ密航への私見を語りました。公の場では語りにくいモヤモヤや葛藤などの裏話です。

「小松由佳HP有料コンテンツ」では、こうした作品制作・取材の裏側をご紹介してきます。是非ご登録いただき、ご視聴いただけましたら嬉しいです。

「シリア難民の、海をわたるという選択」(2022年8月5日更新)

▼小松由佳HP有料コンテンツ(月額1000円)

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ヨーロッパを目指すシリア難民

今日、取材先のトルコ南部オスマニエにて、甥っ子とこんな冗談を言い合いました。

「5年後、オスマニエに住むアブドュルラティーフ一家の半分近くがヨーロッパに行っているかも。10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」

半分は冗談だけど、まんざら冗談でもありません。
今やそれは、本当に彼らがそうありたいと願っていることなのです。

DSCF7685 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(シリア難民の生活スタイルは、11時頃に簡単な朝食(ファトュール)を食べ、16時頃に一日のうちで最も豪華な食事である昼食(ガダー)を食べ、夕食(アシャー)は20〜22時頃に、果物などの軽食を食べます。写真は夕食。スイカはトルコでは大変安く、どこの家でも大量に食べます。ブドウやイチヂクなども安価に大量に出回ります)

悪化し続けるシリア難民の境遇

今年トルコに来た私は、彼らの置かれている状況がこんなにも変わりつつあることに本当に驚きました。

少なくともトルコ南部のオスマニエの状況ですが、シリア難民のコミュニティのうち、かなりの人々が、トルコでの生活を諦めつつあり、ヨーロッパへの密航を実際に実行に移しています。

私の夫の親族だけでも、二週間前に密航した兄が一人、さらに今月中に密航する予定の親族が五人近くいます(先に一家の男性が一人で海を渡り、後から家族を呼び寄せる)。
今、彼らの気持ちはトルコにではなく、完全に海を渡った先のヨーロッパに向いているのです。そこでは、難民として保護を受けて生活を再建できる可能性があるからです。

コロナ流行直前の2年前(2019年11月〜2020年1月まで)、トルコで取材をした際の彼らは、ここに根を張り、安定した暮らしを実現することに希望を見出していました。言葉や民族の違いも、トルコ人からの差別もありましたが、それでもシリアと陸続きで、シリアの文化の匂いを多少感じるこの地で、新たな日常を築きたいと語っていました。

DSCF7460 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(郊外に建てたアブドュルラティーフ一家のムハンマド兄の家。周囲では牛を飼っている。ニワトリも放し飼い)

ところが、その後のコロナ禍と、トルコの経済政策の失敗で(一年間で物価が二倍近く高騰)、シリア難民の置かれた状況はますます悪化していきました。

彼らにとってトルコに暮らすということは、物価高騰の中での貧困と、日々の差別と、労働条件や権利などのトルコ人との完全な区別の中で生きるということ。さらに来年の大統領選の結果次第では、シリア人に対して強硬な帰還政策が取られる可能性があります。先行きは不安ばかりです。

私の目には彼らが、シリア難民としてトルコ社会での複雑さと困難さに向き合い、苦労を重ねることに疲労感とあきらめを募らせているように感じられます。彼らはギブアップしつつあります。

DSCF7625 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(草地で憩う子供たち。次男がごねて暴れている!)

三つの選択肢

実際、トルコ南部に暮らすシリア難民には選択肢が三つしかありません。

一つ目の選択肢は、シリアに帰ること。そこには電気や水道もほとんどなく(電気、水道ともに平均して一日1〜2時間のみ)、子供たちは教育を受ける場もほとんどありません。人々は飢え、寒さや暑さに苦しみながら、命を繋ぐための最低限の暮らしを送るしかありません。

二つ目の選択肢は、このままトルコに留まり、貧困やトルコ社会からの区別、差別に耐えながら、模索を続けることです。自分たちの世代はもちろん、子供たちの世代も同じ問題に直面することになるでしょう。

そして三つ目の選択肢は、密航という(命を失うかも知れない)リスクを負い、大金をかけ(密航業者に支払う額は、2022年8月現在で一人約5000〜6000ユーロ)、ヨーロッパに渡って難民としての保護を受けることです。そこでは自立のためのプログラムが整備され、職業も紹介してもらい、安定した生活に向かうためのプロセスが保証されています。

どの選択肢が、最も未来に光を感じるでしょうか。皆さんだったらどうするでしょうか。
私が同じ立場だったら、三番目を選ぶでしょう。
人間は、希望に向かって生きている存在、誰もが明るい方向を目指していきたいのです。

この11年間のシリアでの戦乱で、離散と避難を繰り返してきた人々にとり、希望をもって選び取ろうとしている唯一とも言える選択肢が、「ヨーロッパへの密航」なのです。

DSCF7654 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(隣に住むシリア難民の男性に、馬に乗せてもらう長男。馬で野をかけ放題だ!地方出身のシリア人の男性は、普通に馬に乗れる人が多い。)

こうして、ヨーロッパへと一人、また一人と出発しようとするシリア難民の親族のなかに、私は滞在しています。まさに今、時代が流れていることを肌で感じ、シリア難民の歴史の一端を目の当たりにしています。

「10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」。

だから冒頭で書いたその冗談は、あながち冗談ではないのです。
なぜならそれは、すでに彼らの新しい夢になりつつあり、現実に身近な人々が、海を渡り始めています。

人間としての尊厳を求めて

私はそうした彼らの姿に驚き、ショックを受け、そして寂しさを感じています。シリアが内戦状態になる2011年以前、砂漠でラクダを放牧して生きていた彼らの暮らしがどんなに生き生きしていたか。その頃の彼らの姿が、今も胸に宝石のように光っています。

一方で、シリアから隣国トルコへ逃れた彼らが、シリア国境に近い土地で暮らし、いつでも故郷に帰れるよう留まっていることを、私は心のどこかで勝手に期待していたのかもしれません。

しかし彼らは、今やシリアというルーツから遠く離れようとしています。海を渡り、より良い暮らしを送ることができるだろう土地へ・・・。

その彼らの姿を、私は一生をかけて見つめたいと、本心から思いました(これはきっと、イラクのオアシスにルーツを持つというアブドュルラティーフ一家にとり、「フン族の大移動」ならぬ、「アブドュルラティーフ一家の大移動」とも言える、一家の血脈的大事件なのです)。

現在夜中の3時。開けっぱなしの窓から外を見ると(全くと言っていいほど蚊がいないので、網戸はなくどこの家も開けっぱなし。しかし巨大女王アリなどがどんどん入ってくる)、赤やオレンジや白の、街の光がきれいに見えます。そのひとつひとつの光に、無数の人間の人生を重ねました。

人生を変えるため、身ひとつで見知らぬ彼方へと向かう親族たち。彼らを目の当たりにし、人は、「人間としての尊厳を抱いて生きていると感じられる場所」へ、どこまでも旅をし続けるのだと思いました。

DSCF7588 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(アブドュルラティーフ一家もパルミラでは馬を飼っていて、子供たちや男性は馬に乗っていた。夫の甥である写真の男性は、5歳から乗馬したとのこと)

歴史の一端を見つめる

街の光の中に、昨年この土地で亡くなった夫の父のガーセムを思い起こしました。物価高騰や反シリア人感情の悪化などの問題があるにしろ、間違いなく、一家の大黒柱であり、ゴットファーザーだったガーセムが昨年86歳で亡くなったことが、こうしたヨーロッパ大量密航の引き金になったのでしょう。トルコでの生活苦や密航への誘惑から一家を繋ぎ止めていたのは、ラクダの放牧業を営んで大家族を作り上げたガーセムの存在だったのです。

アブドュルラティーフ一家の旅は、まだまだ続いていくのです。そしてシリア難民の取材にやってきた私は、なんと次々に旅立つ彼らを見送る立場としてここにいます。もう、ゲロゲロ事件を起こしている場合ではないと本気で思いました。ここで起きていることを、歴史の一端を、目を見開いてしっかりと見つめてきます。

一人、しんみりして涙が出そうです。こんな日はハーゲンダッツの抹茶アイスが食べたい・・・。なんという取材の日々でしょう・・・。

DSCF7723 ヨーロッパを目指すシリア難民 ヨーロッパを目指すシリア難民
(この家では牛を飼い、絞ったミルクを火にかけてヨーグルトを作っている。一家の収入源だ)

シリア難民の、海を渡るという選択

トルコにシリア難民の取材に来て半月が経ちました。

2022年夏、シリア難民が直面しているさまざまな問題と、「ヨーロッパ密航」の選択について、20分ほどのオーディオプログラムとしてお話ししました。

シリア難民の置かれた厳しい状況を理解しながらも、彼らの選択のあり方への葛藤も、公には語りにくい私見を語りました。表現者としては、多角的な視点をもって皆様にお伝えすることを大切にしていますが、個人としての思いを語ります。

<オーディオプログラムは、以下のURLよりご視聴ください>

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トルコでのコロナの影響は?

日本では爆発的に新型コロナの感染者が増えているとのこと。トルコではコロナはどうなっているの?と質問されることが多かったので、ご紹介したいと思います。

7月半ばの渡航時、飛行機乗り換えのアブダビやイスタンブールの空港では、すでに人々の半分ほどがノーマスクでした。

さらにトルコ南部に来ると、街中でも、公共の施設内でも、ほとんど誰もマスクをしていません。

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オスマニエ郊外の道端で、ビー玉遊びをするシリア人の子供たち。トルコでは子供に人気の遊びだという。
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ビー玉をペットボトルに入れ、大事に持ち歩いていた少年。

驚くべきは、先日、感染症にかかってオスマニエの総合病院に行きましたが、医師や看護師などの医療従事者までもがノーマスクか、口マスク(口だけマスクをして鼻にはマスクをかけていない)が圧倒的。診療に来ている患者も、ほとんど誰もマスクをしていません。

トルコでも、コロナの感染者は一定数いると思いますが、もうあまりコロナを気にしてはいないようです。その大きな理由が、自粛に疲れたことと、コロナ対策の失敗による経済の疲弊が深刻であることが挙げられるようです。

コロナ全盛期の昨年4〜6月、例年通りトルコで取材を行い、コロナ禍のトルコを体験しました。その頃はイスラム教徒の断食月ラマダンもあって感染の爆発が懸念され、厳しいロックダウンが行われていました。

例えば、外出時には必ずマスクをしなければならず、土日の外出、夜20時以降の外出も禁止で、違反すると月収に相当するほどの高額な罰金が課せられました(しかし実際人々は、家の中では不特定多数がいてもノーマスク。また土日や夜も、警察のいない道からぞろぞろと建物の影に隠れながら移動し、親族訪問をしていました)。

こうしたなか、コロナ禍で多くのビジネスが破綻し、失業率が非常に高まっていきました。そして9〜12月にかけて、4回にわたるトルコリラの「利下げ」が中央銀行によって行われ、トルコリラは大暴落。物価が昨年と比べて2倍ほどに値上がりしました。

コロナ対策は失敗したとされ、人々はコロナの自粛生活に飽き飽きしているようです。そしてコロナ以上に、上昇した物価の中でどう生活を維持していくかが、人々にとってはるかに大問題なのです。

というわけで、トルコではもはや、コロナを気にする人はあまりいないように感じられます。道路脇のチャイハネ(喫茶店)でも、杖を手にしたお年寄りたちが、ツバを飛ばしあってトランプゲームやおしゃべりに興じています。

2EA58664 B16C 4D05 9823 631954B296C1 トルコでのコロナの影響は? トルコでのコロナの影響は?
お気に入りの青いビー玉を見せてくれる少年。
5DB2E3F9 D2EA 417B A9A4 B8B961E7598D トルコでのコロナの影響は? トルコでのコロナの影響は?
ビー玉遊びに興じるシリア人の子供(と乱入する私の子供たち)。子連れ取材の苦労の一つは、子供が被写体と仲良くなり、どうしても写真に写り込んでしまうことだ。

実際、私たちもコロナをめぐってこんなことがありました。先日、感染症にかかってゲロゲロ事件が起き、長男が病院で検便をしました。

その結果、腸から「コロナの友だち」のウィルスが見つかったそうで、ちょっとした騒ぎに(医師は「Friend of Corona」が見つかったと話し、そのときだけ、私たちの前でマスクをつけ、私たちが部屋から出るとすぐにマスクを外しました!涙)。

急遽、PCR検査を受けることになりました。その頃体調が悪かった長男が代表して受けたのですが、内心私は気が気ではなかったのです。
親族は頻繁に交流し合う大家族。泊まらせてもらっている夫の兄の家族はもちろん、オスマニエに暮らす親族100人近くが全員感染という大変な事態になるかもしれない。中には高齢者もいるし、どうしよう・・・。

不安を夫の兄に話したところ、「問題ないよ。一緒にコロナを広げていこう」と、冗談とも本気ともとれぬことを真顔で言われ、なんとも反応に苦慮したということがありました。そしてこれが、シリア人がどんなときにも大事にする「ユーモアのセンス」(アラビア語で「ノクタ」と呼ばれる。「冗談」を指す)なのだと後から思いました。

親族も、私たちがコロナかもしれないという事態に戸惑ったはずです。しかし、〝とりあえず今は笑い飛ばして気にしない〟、というのがいかにも彼ららしいなと思いました。起きていないことをくよくよ考えてもしょうがないのです。

シリア人の家族を持って日々感じるのは、彼らは計画性を持って何かをすることがあまりない一方で、何かが起きる前から物事を不安に考えたりすることもないこと。ことが起きてから、その時に考えればいいと捉えているようです。過去でも未来でもなく、常に今を生きている人々なのです。

その後、PCR検査の結果が4日後に出て(非常に時間がかかる)陰性とわかりホッとしました。

8EE3F721 5F5F 4B55 895A D1F85F87A353 トルコでのコロナの影響は? トルコでのコロナの影響は?
コンクリートブロックを積んで建てられているオスマニエの家。多くの家には庭があり、イチジクやザクロ、オリーブの木々が生えている。

現在はコロナのほか、サル痘などの感染が広がりつつありますが、私たちにとってこのトルコ南部で最も警戒しなければいけないのは、やはり先日かかってしまったような食物から来る感染症です。一週間繰り返した下痢と嘔吐は、近年経験したことのない大変な事態でした。

引き続き、体調管理に努めながら取材を続けます。

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7月終わり、陽が落ちるのは20時頃。その頃から涼しくなるため、人々はベランダや屋上で涼んだり、親族や知人の家に訪問へ行ったりと、ゆったりした夜を過ごす。子供たちが24時近くまで路上でサッカーをしていることも。
348CB72A 7EDE 4F60 B725 06F806FE336D トルコで今、シリア難民が直面していること トルコで今、シリア難民が直面していること

トルコで今、シリア難民が直面していること

トルコに来てから感染症にかかってダウンしていましたが、ようやく回復してきました。療養中は、シリア難民の一人である夫の兄ワーセルの家でお世話になりました。シリア難民のコミュニティの中にいると、枕元でも、日々彼らの身に起きているさまざまな情報が入ってきます。

トルコでは、なんとこの一年間で物価が2倍に高騰

例えば、昨年と比べてトルコの物価がいかに高騰したか、深刻な危機感を現地の人々から感じています。

トルコでは、昨年9月から12月にかけて中央銀行が4回の「利下げ」を強行に実施したため、トルコの通貨リラが大暴落(昨年12月の物価上昇率は36%)。トルコリラは、一年でなんと半分以下にまで下がり、インフレが止まらない状況に国内各地で抗議運動が起きています。こうしたなか、トルコ社会の最底辺で生きているシリア難民の生活苦も限界に達しつつあります。

(*リラ暴落を受け、トルコ人労働者には給与の値上げがされたが、ほとんどのシリア人には行われていない)

(シリア人が主食とする薄いパン「ホブス」は、昨年の今頃は、8枚入りで2.5リラ(約18円)。現在は6枚入りで4.5リラ(約36円)に値上がり)

(卵は昨年30個で16リラ(約130円)。今年は48リラ(約400円)に値上がり)

(ヨーグルト4キロで昨年は4.5リラ(約33円)、今年は12リラ(約110円)に値上がり)

トルコ人による反シリア人感情も高まっている

また、こうした物価高騰や失業率増加のなかで、トルコ人による反シリア人感情が高まっています。シリア人への差別や攻撃も増加しており、シリア人を見れば、「シリア人はシリアに帰れ」とおもむろに言われることも増えたとのことを親族から聞きました。

イスタンブールやガズィアンテップ、イズミルなどの大都市では、差別を受けたシリア人とトルコ人との衝突により、死者が出る事件もたびたび起きています。滞在しているオスマニエの親族の家の前でも、つい数日前、シリア人の子供がトルコ人の子供に恐喝を受け、ナイフで切りつけられて怪我をする事件が起きました。周りのトルコ人の大人たちはそれを止めなかったとのこと。

(夫の兄がオスマニエで営む小さな商店では、シリア人への嫌がらせとして、店が焼き討ちにあったり、ガラスを割られたりする事件が起きた)

親族によれば、学校でもシリア人の子供がトルコ人の子供に嫌がらせを受けたり、差別される機会が増えてきたとのことです。

2023年のトルコ大統領選の結果によっては、シリア難民の状況はますます厳しいものになりそう

こうしたなか、来年は現エルドアン大統領の再選をかけた大統領選挙が控えています。

高インフレでエルドアン大統領の支持率が低迷しているのを受け、野党は6党で共闘し、約20年ぶりの政権交代を目指しています。

これまでシリア難民の受け入れに比較的寛容な立場をとってきたエルドアン大統領ですが、庶民の生活が圧迫されているトルコでは、400万人超のシリア難民を受け入れ続けることへ不満が噴出しています。こうした不満に応える形で、エルドアン大統領は今年5月、100万人のシリア難民を(現在トルコに暮らすシリア難民の四分の一)母国に帰還させる計画を公表しました。現在、シリア北部のトルコ占領地に、住宅やインフラ建設を進めています。

しかしエルドアン大統領の支持率は大幅に下落したままで、来年の大統領選で負けるかもしれないという見方もトルコでは有力です(報道では、勝率は五分五分とのこと)。

仮にエルドアン大統領が選挙で負ければ、新しい大統領になるだろう野党の候補者は、シリア難民の帰還政策をより強硬に押し進めるとされており、シリア人の苦境はますます加速していきそうです。

「もしエルドアンが負けたら、自分たちは一秒もトルコにいられなくなる」。夫の兄ワーセルはそう話し、不安を隠せない様子です。

(物価の上昇から、シリア人の多くが食費を極端に切り詰めている。こちらは親族の家のある日の昼食。炊き込みご飯と豆のスープ「アダス」。肉は高いので、特別な時だけしか食べない)

シリア難民にとり、トルコはシリアと言葉や民族も違い、職に就くのも困難で、シリアより2倍近く物価が高い国です。もともと困難な状況下でなんとか生活を維持してきたのですが、一昨年からのコロナ禍による不況、さらに昨年からの物価の高騰が続き、差別も増えたうえ、政策上でもシリア人の帰還が進められるとなると、ますます追い詰められていくことになります。

追い詰められるシリア人の、最後の選択肢

こうした流れを受け、多くのシリア人はこの先もトルコに暮らすことに希望を持てず、先手を打ち始めています。その一つの形が、ヨーロッパへ渡るという選択です。

イタリアやドイツ、スウェーデン、オランダ、イギリス、スイスなどのヨーロッパ諸国では、国境までたどり着いて「難民」として登録されれば、生活の保証と自立に向けたプログラムを受けることができます。こうした国々では、難民という立場の権利から、将来的に家族を呼び寄せて、安定した生活を送れる可能性が高いのです。

多くのシリア難民にとって「ヨーロッパへ渡る」ということは、密入国業者の手を借り、不法に海を渡ることを指します。

それはまず、安全面で非常にリスクが高い行為です。また密入国にかかる費用は信じられないほど高額です。それでも、行き場がなくなったシリア人は、海の向こうに希望を見出して、不法にヨーロッパを目指すのです。

こうした動きは、最近になって激増しており、私の親族の中でも起きています。

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ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。

6E1D613C C3D0 4E42 B373 E1648DF8B090 4055 000004A735BA438A ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。
(作ってもらった自家製マヨネーズを茹でジャガイモに混ぜて、喜ぶ子供たち。4日間のジャガイモと塩だけの食事の後で、マヨネーズがこんなに美味しい食べ物だと強烈に実感)

トルコに来ていきなり親子三人ともにお腹を壊し、ほぼ寝たきりになっている日々。この5日間はほとんど、お腹と家計に優しい「茹でジャガイモ」だけを食べ続けています。こんなにジャガイモばかり食べ続けたことはなかった、というくらいジャガイモだらけです。

塩をふった「茹でジャガイモ」だけの食事にも飽きが出てきたところで、泊めてもらっている家(夫のお兄さんの家)のお母さんが、ジャガイモにつけ合わせるマヨネーズを作ってくれました。

DB185279 5509 4EC1 8F5F 84E4911EEBEE 4055 000004A72380F080 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。
(左が自家製マヨネーズ。茹でジャガイモを潰して混ぜると、これだけで素晴らしいご馳走だ!)

シリアでは、マヨネーズは買うものではなく、自分の家で作るもの。このマヨネーズが、ニンニクが効いていてとても美味しいのです。レシピをご紹介します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【シリア風自家製マヨネーズのレシピ】

〈材料〉
・卵白2つ分
・ニンニク1〜2かけら(お好みの量で)
・塩ひとつまみ
・サラダ油(卵白の量の半分くらい、お好みの量で)

〈作り方〉
全部をミキサーにかけて混ぜるだけ。あら簡単!できたマヨネーズは冷蔵庫に入れて、早めに食べましょう。

日本で一般的なマヨネーズは卵黄を使って作られるようですが、シリアのマヨネーズは卵白が主役の白いマヨネーズなのです。ニンニクが効いており、鶏肉のローストや、フライドポテトによく合います。是非お試しあれ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

CE842931 74AE 4D67 AB83 A50E91F3DAA2 4055 000004A72CA1E5F4 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。
(食欲も少しだけ回復してきた)

ところで本題の体調ですが、私と次男が回復してきたものの、長男がなかなかよくならず、ひどい下痢と嘔吐が続いています。

長男は病院で処方された薬を飲んだところ、全身に赤い発疹ができました。翌日その病院に行って相談したところ、薬によるアレルギー反応と言われ、特定の薬を抜くように指示されて抗アレルギー薬を注射、発疹が引きました。

ところが翌日、再びひどい発疹が全身に。病院に行くと、抗アレルギー薬を注射され、新しい薬を処方されました。ところが翌日になると、さらに薬アレルギーと思われる赤い発疹が。長男の体は腫れ上がりました。

この病院は薬のアレルギー反応にあまり注意を払わないようだったので、別の病院へ。事情を話したところ、そこでも抗アレルギー薬の注射と、全く別の薬の処方をされました。

ところが翌日、なんとまた、長男にまた赤い発疹ができ、熱も上がりました。

新しい薬の処方と、アレルギー反応と、抗アレルギー薬の注射。同じことが3回も繰り返され、長男の体は点滴と抗アレルギー薬の注射の連続でダメージ大。赤い発疹がなぜ出たのか、何のアレルギーなのかを知りたいのですが、医師たちは薬をどんどん変えて新しいものを出すだけで、長男に処方された薬は、最初の病院のものを含めると11種類にも及び、その診療のあり方に疑問を感じ始めました。

長男にとっては、下痢よりも、薬によるアレルギー反応のほうがむしろ重篤で、処方された薬を飲めば飲むほど体調が悪くなって、衰弱していきました。

そこで考えた末に、処方された薬の服用を全てやめることにしました。日本から持ってきた最低限の薬(腸の薬ビオスリー)と、自家製ポカリスエットを飲んで水分補給し、ゆっくり休むよう、計画を切り替えようと考えています。
以下、その判断について(かなりマニアックです)。

・検便の結果、長男の腸の中でウィルス感染があると分かっており、ウィルスの場合、抗生物質は効かない。よって抗生物質の服用はなし。

・処方された薬について知人の元看護師に問い合わせし、以下が分かった。感染による下痢には勧められていない2種類の薬、吐き気止め「メタパミド」と下痢止め「トリブダット」が処方されていた。通常は、感染からの下痢は菌を出す方がいいと考えられ、理由なく下痢を止めることはされない。飲まない方が良し。
また、高熱がある時は服用不可と説明書に書いてある下痢止め「Gisflor」が処方されている。さらに抗ヒスタミン(アレルギー薬)「Deloday」は、12歳以下の子供への使用の安全性が確立されていない。服用が不安。

・たび重なる薬のアレルギー反応と、抗アレルギー薬注射への体への負担を、医師があまり丁寧に考えていない。また同じアレルギー反応が起こることへの不安が大きい。

医療について、土地が変わればそのあり方も随分変わるものだと実感しつつ、自分たちの命を守る責任は、最後は自分たちにあるのだとしみじみ。

IMG 1692 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。 ゲロゲロ事件のその後と、マヨネーズとアレルギー。
(泊めてもらっている親族の家の窓から、オスマニエ市街地を眺める。シルクロードの時代から栄えた歴史ある街で、周囲を山に囲まれている。朝夕は、鳩の群れが飛び交う)

そんなわけで、医療の手を一旦離れることにしました。そしてジャガイモ生活はまだ続きます。早く取材に出たいと思う毎日です・・・!涙

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(食事の時間は、楽しいひととき)

(2022年7月23日)

ゲロゲロ事件が発生しました

(この文章には不快な表現が含まれる可能性があります)

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オスマニエに来てからあまりの暑さで、何日もよく寝られぬ夜が続いていました。ある日、夕食を食べた後から子供たちも私も腹痛を覚え、その夜、大変なゲロゲロ事件が発生しました。

それは深夜のこと。遠くで子供の泣く声が聞こえたように思い、ふと目を覚ました私は、なんとも言えぬ匂いがたちこめているのに気が付きました。この匂いは、まさか・・・!

急いで部屋の電気をつけると、次男が寝ていたマットの上にこんもりと、あってはならないものがあるではありませんか!それもふた山も。それは、ゲロゲロの山だったのです。

次男はあちこちに吐きながら転がり回って(暑くて寝られないため)寝ており、くしくも寝ていたのはカーペットなどをきれいに揃えたばかりの夫の母の家で、そのあまりの惨状に、私はこれが夢であってほしい・・・と心から思いました。

とりあえず髪や耳までゲロゲロまみれの次男を起こし、ハンマーム(シャワーだけのお風呂場)に連れて行って体を洗い流し、服を着替えさせたところで、次男は今度はお腹を下し、上からも下からもゲロゲロ事件が発生しました。

次男をハンマームで待たせ、部屋のゲロゲロの山を掃除し、絨毯やマットを洗剤で洗って洗濯機にかけ、ようやく次男を寝かせて、「ああ、大変な夜だった・・・」と体を伸ばしたのも束の間。

長男が起き出し、「ゲボ(ゲロのこと)出そう」とのこと。そりゃ大変だ!とゲロゲロ用の袋を探している間に「もう出ちゃう!」と言うので、長男の片手を引っ張り、「早く早く」、と急かしてハンマームまで連れて行く途中、長男の体が重くなり、動かなくなりました。そして、なんということでしょう。廊下のカーペットの上に、ゲロゲロの山が出来てしまったのです。

次男同様に、長男も下痢と嘔吐でえらいことになっていると、さっき寝たはずの次男も起きてきてハンマームで再びゲロゲロ。そのうち、私自身もだんだん具合が悪くなってきて、もらいゲロゲロになりました。三人ともハンマームでゲロゲロ。それは、まるでこの世の終わりのような大変な惨状だったのでした。

その後子供たちを寝せるも、すぐに代わる代わる、「ゲボ出そう!」「ゲリ!」と起き出し、彼らをハンマームに連れて行った回数は長男が5回、次男が4回。朝までほとんど寝られないえらい夜になりました。

トルコ入りしてから水や食事にも気をつけていたのですが、おそらく、夜の暑さなど気候の違いからくる疲れが身体にたまり、食事の違いによって抵抗力も落ち、何かの食当たりを起こして一気にゲロゲロ事件に繋がったようです。

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(ひどい下痢が続き、トイレから10メートル以内にいないと間に合いません。トイレのすぐ近くの床に臥して過ごす日々。万が一のためにゲロゲロ袋も常備。)

皆様からいただいた胃腸薬とキューピーコーワゴールドを重宝させていただき、私と次男はだいぶ回復しましたが、この四日間、ジャガイモとヨーグルトだけしか食べられない状態が続いています。肋骨が浮き出てきました。

長男の体調はまだ優れず、ひどい下痢と嘔吐を繰り返しています。一昨日から長男をオスマニエの病院に連れ、点滴を受け、薬を処方してもらいましたが、まだ快復まで時間がかかりそうです。

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(消化に優しいジャガイモとヨーグルトだけを食べ続けています。子供たちは、突然の下痢に備えてオムツに履き替え)
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(頻繁に水を飲む。オスマニエの市場や病院に近い親族の家に移動し、療養しています。)

昨日朝には、長男の体全体に赤いプツプツ状の発疹ができたため、同じ病院に連れていったところ、処方した薬のアレルギーと言われました。しかしどの薬が合わなかったのか調べることはなく、抗アレルギーの注射だけをして終わりました。

今回、オスマニエ在住の親族に連れてもらったのは、オスマニエで一番整った病院のひとつとのことでしたが、医師はパソコンの前に立ったまま、患者を一眼見て、薬だけ処方します。

検便や血液検査の結果についての説明もなく、また患者の同意や薬品の説明もなく、いきなり注射や点滴をします。同行してくれた現地在住の甥に聞くと、ここではそれが普通とのこと。日本の医療とはいろいろ違いもあり、不安も感じますが、現地でできることをやっていただいています。

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(腹痛を訴える長男。日本の薬に比べ、トルコの病院の処方する薬があまり効かないように感じる(それとも普段慣れていない強力なウイルスなのか?)。四日経っても下痢と嘔吐にあまり改善なし。)
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(お腹を壊したとき、シリア人は民間療法としてハーブティーをよく飲みます。数種類のハーブをミックスしたお茶「ズーラート」(写真左)やタイムのお茶「ザータル」(写真右)は、どこの家庭でもたくさん台所にあり、お湯で煮出して砂糖をたっぷり入れて飲むのが一般的です。私たちも、滞在している親族の家のお母さんに作ってもらっています。)

そんなわけで、トルコに着いていきなり感染症にかかり、親子でダウンしております・・・。

【ゲロゲロ事件メモ】

1 〜トルコの病院事情〜(オスマニエ在住の親族の話)

トルコには政府系の病院と私立の病院とがあり、トルコで難民として登録されているシリア難民は、政府系の病院の診察をほぼ無料で受けられる。薬代も無料。しかし政府系の病院は診察が雑で、丁寧に診療してもらえないとのこと。

私立の病院では、シリア難民は実費を請求され、また政府系病院に比べて高額なため、なかなかかかることができないが、丁寧な診察が期待できる。政府系の病院では見つからなかった病気が判明したり、より良い治療に繋がることも。

シリア難民として暮らす親族は、病状によって政府系病院と私立病院を使い分けているらしい。今回私が連れていってもらったのは私立病院。

2 〜診察代〜

私立病院にて、診療費一人375トルコリラ(約3000円)。薬代125トルコリラ(約1000円)。

オスマニエの平均日収が約1500円ほどなので、下痢と嘔吐の症状の診察代・薬代は、平均日収の二日分に相当し、非常に高額。

義父ガーセムのお墓参りへ

〜トルコ南部オスマニエにて〜

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(ガーセム・アブドュルラティーフ、1939年1月1日生誕し(アブドュルラティーフ一家は全員正式な誕生日が不明で、誕生日は1月1日だ)、2021年5月31日に死没。お墓にお水をたっぷりかける。長男はまだ、人が死ぬということがどういうことかを理解しておらず、「ジッド(アラビア語で「おじいちゃん」)はどこ?」と探し回っていた。)

シリア難民としてトルコで4年近くを過ごし、昨年5月末に86歳で亡くなった義父ガーセム。昨年、亡くなる2、3日前に握手をしてお別れしてから、その死はあまりにも突然のことでした。

IMG 1452 義父ガーセムのお墓参りへ 義父ガーセムのお墓参りへ
(毎日のように家の屋上で火を焚き、パルミラを懐かしんでいたかつてのガーセム。)
IMG 1453 義父ガーセムのお墓参りへ 義父ガーセムのお墓参りへ
(その手は大きく、皮膚が厚く、長年風土とともにあった彼の生涯を思わせた。パルミラでは100頭のラクダの放牧が生業だった。)

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(イスラムの祈りのとき。トルコに来てからは、一人屋上で過ごすのがガーセムの日課になっていた。)

オスマニエに到着し、まず向かったのが、郊外の丘陵地にあるガーセムのお墓です。ここは比較的お墓代が安価な公営墓地で、シリア人のお墓も増えつつあるとのこと。なるほど、トルコ語に混じって、アラビア語が刻まれた新しいお墓があちこちに作られていました。

D900F133 23EA 4905 9765 642AD9E95FAB 1656 000000C88C1C3F37 義父ガーセムのお墓参りへ 義父ガーセムのお墓参りへ
(オスマニエの公営墓地。トルコ人のお墓に混じり、難民として暮らすシリア人のお墓も増えている。多くのお墓には赤や白の花が咲いている。故人の家族が頻繁にやってきては水を与えていることを感じさせた。)

イスラム教では、人が亡くなったら24時間以内に地中に埋葬しなければいけません。訃報が届いたらすぐに、近親者や友人などが故人の家に集まり、故人を埋葬するための準備が行われます。そして故人の身体を白い布でくるみ、良い香りの香水をふって、地中2メートル近くに掘られた穴に土葬します。

穴を掘ったり埋めるのは故人の近親者の役割で、特に遺体の上に最初に土をかぶせるのは故人に最も近い男性(故人の息子など)が行います。

穴を埋めた上には一段高く石を積んで囲い、誰かが上を踏んだり歩いたりしないよう、故人に敬意を払います。オスマニエのほとんどのお墓では、石の囲いの内側を花壇のようにして、花を植えていました。

日本でもお墓参りではお墓に水をかけますが、イスラム教でも同じです。故人を思い出しながら、お墓にたっぷりと水をかけます。ただし日本のように線香をあげたり、供物を供えたりはしません。

夫の兄によると、一週間に一度の頻度でお墓参りに来ているそう。亡くなった故人を悼み、死後もその冥福を祈る姿は、例え宗教が違えど、人間は皆共通なのだと改めて思いました。

ガーセムの面影を感じながら、彼が残したものをたどる取材がこれから始まります。

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(ガーセムが眠るオスマニエ郊外の墓地。丘陵地や森林に、いくつかの区画に分けて墓地が作られている。丘を登ると、子供たちのお墓があり、アラビア語で名前が刻まれたシリア人のお墓が目立った。)

(2022年7月19日)

最初の取材地、オスマニエに到着しました!

14日に日本を出発してからアブダビとイスタンブールにて乗り換えをし、トルコ南部の街オスマニエに到着しました。オスマニエは落花生や高原野菜の産地として知られ、トルコ南部でも物価が安いことからシリア難民のコミュニティがある街のひとつです。

この街で、5年ほど前から難民として暮らしている夫の家族、アブドュルラティーフ一家を訪ね、親族の家を転々としながら取材をします。

ところで、トルコ南部はすさまじい暑さです!
オスマニエの日中の気温は40度近く、夜も暑さがあまり和らぎません!
難民の家族の家に泊まっているためクーラーや扇風機もあまりなく(ここではクーラーは非常に高価で、クーラーがあるシリア難民の家庭はほんの一部です)、日本でクーラーに慣れてしまった軟弱な私の体には、夜の暑さがこたえて寝られずに過ごしています。

そして最も大変なのは、イスラム文化の土地であるため、日中はもちろん夜に寝る時さえ、女性は常に「長ズボンに長袖」でいなければいけません(体の線が露わにならない服装が良しとされるため)。これが一番こたえます。とにかくもう、「・・・暑い・・・!」としか言えません。熱中症にならないよう水分を取り、あとはひたすら耐えるのみ・・・。

夜は横になってから1時間ほどは寝られず、「・・・暑い!」と転げ回り、そのうち寝たり起きたりして朝になります。転げ回らないと暑くて寝られません。
今後、8月にかけてますます暑くなっていくのを考えると、恐ろしい限りです。

ちなみに今、トルコからすぐそこのヨーロッパでも記録的熱波が発生中。山火事があちこちで起きたり、暑さのための死者もかなり出ているとか。

(2022年7月18日)

A2FC98BD 00C1 4B40 8C38 C5515F5654E0 1656 000000C8C4D3B4C0 最初の取材地、オスマニエに到着しました! 最初の取材地、オスマニエに到着しました!
「転げ回った朝」(オスマニエ トルコ 2022)

NHK番組「「朝ごはんLab.(ラボ)」に出演します

井川遥さんがナビゲートするNHK番組「朝ごはんラボ」に出演します。

月曜[総合]後11:00~11:30
7月18日(月・祝)「お豆腐スープのそうめん」の回にて

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=34835

こちらの7月18日放送分にて、「シリアの朝ごはん」として我が家の朝食の光景が紹介されます。

44D423A6 FE34 41FB 80E3 4BE466699937 NHK番組「「朝ごはんLab.(ラボ)」に出演します NHK番組「「朝ごはんLab.(ラボ)」に出演します
番組HPより。

家族が集う楽しい休日の朝、我が家でたまに作るのがシリア料理の「キシック」。ヤギや牛の乳を混ぜて作ったチーズを乾燥させ、粉状にしたものを、お湯で煮溶かし、ひき肉やハーブ、ナッツなどをかけて作るアラブ民族の伝統料理のひとつです。

夫のルーツ、シリア中部のパルミラでは休日の朝食として定番の一品ですが、同じシリアでもダマスカスやアレッポなどの都市部では食べたことがないシリア人も多いとか。キシックは、地域性豊かなシリアの食文化を物語る一品なのです。

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番組HPより。下の写真が「キシック」。

今回の番組出演にあたり、まさか、私がきわめて危険な調理をするわけにいかないので、近所に住んでいる夫の甥のムハンマドが料理番長として、本場の味を再現してくれました。部屋の掃除が行き届かずお恥ずかしいのですが、是非ご覧ください!

7月14日、シリア難民の取材に出発しました

BF245D28 8546 465C 8000 EB5CBEB0ED56 7月14日、シリア難民の取材に出発しました 7月14日、シリア難民の取材に出発しました
成田空港にて

今年もなんとか出発できました

今年もシリア難民の取材に出発しました。取材期間は7/14〜10/5です。コロナ禍やウクライナ侵攻などで国際情勢が揺れ動くなかですが、健康と安全に留意しながら取材に向かいます。

取材出発にあたり、たくさんの皆様に活動支援カンパをいただきました。ドル札や、日焼け止めクリーム、キューピーコーワゴールドなどの栄養補給剤もお送りいただき、大変助かりました。本当にどうもありがとうございました。

今年も取材は子連れで、6歳の長男と3歳の次男も一緒です。すでに成田空港で子供が行方不明になりかけ、パニック取材になりそうな予感ですが、子供たちもトルコで親族に会えるのが楽しみなようです(シリア人の夫の家族が難民としてトルコ南部在住のため)。

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シリア難民取材2022 〜主な取材内容〜

以下は、今年の取材の主なテーマです。主な取材地はトルコ、シリアです。

1 現在のシリア難民の状況。暮らしや精神的な変化について。

2020年からのコロナ禍により、シリア難民をめぐる状況は苦境に拍車がかかっています。経済的自立ができないまま、コロナ禍によって失業したままの難民も多く、安全が保証されている代わりに物価が高く就労も困難なトルコでの生活を諦め、シリアに帰ろうとする家族も増えています。2022年のシリア難民をめぐる現状を取材します。

2 トルコ政府によるシリア難民帰還政策の影響

現在トルコには、380万人近いシリア難民(シリア難民全体の8割に及ぶ)が暮らしていますが、今年、トルコ政府は約100万人のシリア難民の帰還政策を実施すると発表しました。2012年以降、大量に流入したシリア難民の存在が、現在もトルコ社会で大きな問題になっています。シリア難民に対してどのような帰還政策が行われようとしているのか。人々の反応について取材したいと思います。

3 シリア難民の故郷、パルミラの現在を取材

トルコ南部に暮らすシリア難民のうち、シリア中部のパルミラ出身者にフォーカスし、現在の彼らの暮らしとともに、彼らの故郷についての記憶、思いを取材します。その後、彼らの故郷パルミラを訪ね、現在の様子を取材します(シリアは単身で入国予定)。シリアに入るのは10年ぶりです。治安がまだ不安定ですが、できうる限りのリスク管理をして向かいます。

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小さな子連れのため、取材ペースもゆっくりですが、その分、人との出会いをじっくりと味わいながら、心を込めて写真を撮りたいと思います。

取材の経過はHPの「SYRIAN REFGEESS 2022 」のページにて更新していく予定ですので、こちらもご覧ください。

▼小松由佳HP 「Syrian refugees 2022」

https://yukakomatsu.jp/category/coverage-of-syrian-refugees-2022/

では元気に行ってきます!

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(2022年7月15日)

7月からシリア難民の取材に向かいます

7月14日から10月5日まで、今年もシリア難民の取材のためトルコなどのシリア周辺国に渡航します。今年は円安加速で飛行機代が大変な額になっており、最近になってようやく航空券を購入できました。世界情勢はウクライナ侵攻で不安定化し、コロナの流行、円安など、さまざまな問題が同時進行していますが、「難民となったシリアの人々が、かつての満たされた日々に還っていくまでを見つめ、記録する」ことを続けていきます。シリア難民の報道が少なくなった今だからこそ、彼らの現状や変化を取材したいと思います。

シリア報道は大手メディアでも需要が少なくなり、なかなか掲載の機会も難しくなっております。しかしながら、せっかく自分の全財産と全生活をかけて取材に行くのだから、多くの方に取材した情報を手にとっていただきたく、現地からの情報発信に努めます。

取材経過や記事は、HPの「 Coverage of Syrian refugees 2022」のページに更新していきますので、是非ご覧ください。

https://yukakomatsu.jp/category/coverage-of-syrian-refugees-2022/

FLEE TOP new0501 scaled 2 いま見るべき映画 〜アフガニスタン難民のドキュメンタリー「FLEE(フリー)」〜 いま見るべき映画 〜アフガニスタン難民のドキュメンタリー「FLEE(フリー)」〜

いま見るべき映画 〜アフガニスタン難民のドキュメンタリー「FLEE(フリー)」〜

6月10日に公開されたアフガニスタン難民のドキュメンタリー映画「FLEE(フリー)」。是非多くの方に見ていただきたい素晴らしい作品だ。

『FLEE(フリー)』 https://transformer.co.jp/m/flee/

本作の英題である“FLEE”とは、危険や災害、追跡者などから(安全な場所へ)逃げるという意味。

難民とはどういった存在なのか。葛藤や苦しみ、恐れ、不安、絶望感などが、登場人物の細やかな心情の変化によって描写され、やがて見る者一人一人が、その感情を追体験する。

特徴的なのは、この映画がアニメーションという手法で描かれていることだ。ドキュメンタリーにしてアニメーション。その理由は、やがて物語の進行とともに明かされていく。

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開ける

「この物語は事実である」。その言葉から映画は幕を開け、アニメーションでしか描けない世界観へと私たちは没入していく。長編アニメーションとしては初めて、第94回アカデミー賞で国際長編映画賞、長編ドキュメンタリー賞、長編アニメ映画賞の3部門にノミネートされた本作は、アニメと実写の境を超越したとも言える画期的な作品なのだ。

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【公式サイトより あらすじ】

アフガニスタン難民の青年の秘密をアニメーションで描くドキュメンタリー。子供のときに祖国を離れ、デンマークに亡命した青年が、その過酷な半生を告白する。

監督:ヨナス・ポヘール・ラスムセン

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ちなみに『パラサイト 半地下の家族』(*)のポン・ジュノ監督も「今年見た映画の中で最も感動した作品」と絶賛している。(*第92回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の最多4部門を受賞。非英語作品の作品賞受賞は史上初)

上映中、私は3回ほど泣いた。困難な道にあって、ときに失望や不安や孤独に押しつぶされ、傷つきながらも、なお生きようとする登場人物の姿に、人間としての強い共感を感じたからだ。

映画をご一緒したのは知人のドキュメンタリー映画監督、杉岡太樹監督(「息子のままで女子になる」https://www.youdecide.jp/)。自らもドキュメンタリーの作り手として、独自の洗練された視点を持っている一人で、いつも刺激と学びをいただいている。上映後は、作品のストーリー性や技術的側面について一緒にお話させていただいた。

杉岡さんとの出会いは一年前。あるインタビュー企画の撮影でお会いした。映画製作をニューヨークで学び、普段はドキュメンタリスト(ドキュメンタリー制作者)として国内を拠点に活動。映画、ショートドキュメンタリーなどを制作されている。特にドキュメンタリーの持つ可能性や社会的役割について強い信念があり、“作品を作ることで、世の中がどう変わるのか。どのような変化を求めて何を伝えるべきなのか”をいつも考えている。表現者としての、そうした杉岡さんの姿勢を私は尊敬している。

その杉岡さんから、「すごくおすすめの映画」と誘われたのがこの作品。アニメーションと聞き、初めこそ「!?」と思ったが、作品を見るうち、アニメーションで描かれた理由を理解した。アニメーションでなければドキュメンタリーとして描けなかったからなのだ。そしてアニメーションであるが故に、実写作品では描ききれない真実をより深く理解する。『FLEE(フリー)』はそうした作品だ。

ここでは私自身の学びの記録として、クリエイティブに感じた杉岡さんのお話や、考えたことを以下に書きたい。

映画のポスターを一見しただけで、作品の視点が語られている

まず映画のポスターについて。「このポスターを見て、この映画を見ようと思った。日本にこのままポスターが来たのが嬉しいですね」と杉岡さんは言った。登場人物一人一人が描かれたこのポスターは、みんなが物語の一つという視点で描かれている。ヨーロッパ発じゃないとこういう視点はなかなかできないとのこと。日本人の感覚でわかりやすいように、日本だけ映画のポスターが違うということがよくあるそうだ。なるほど、ポスター一枚にしても、作品が伝えようとしているものを物語るものなのだ。

アニメーションで描かれる、ドキュメンタリーという手法

そしてなんと言っても、アニメーションでドキュメンタリーを描くという手法の斬新さが、この映画の第一の特徴だ。アニメーションは、写真のなかの男性がウィンクしたり、現実に起きていないことを起こし、人の心を再現できる。ただそれを生かすためには、「抑制されたドキュメンタリーのカメラワーク」を使う必要がある。つまり、もっとできるのにやらず、本物のドキュメンタリーのような視点から撮影する。そうやってアニメーションはリアルに近づけることができる。その上でアニメーション独自の空想が時々登場すると、見る側はイマジネーションの世界に飛躍しながら、現実に近づけるのだ。その方法に、杉岡さんも驚いたという。

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記事掲載のお知らせ

お茶の情報サイト「CHAMART」様にて、シリアのお茶時間についての記事を掲載いただきました。

「シリアのお茶時間」

〜平和なときも、厳しい状況のときも、お茶の時間に憩うシリアの人々〜

CHAMART (チャマート)は、お茶の文化を発信する情報サイト。お茶の魅力、お茶を取り巻く環境について、さまざまな視点からの記事を掲載しています。

今回、シリア人のお茶文化の記事を掲載いただきました。びっくり仰天のお茶の作り方や、原料のこだわりなど、知られざるシリアのお茶の魅力を語ります!

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「さて、砂糖が溶けきってお湯が沸騰し、ヤカンの口からヒュー!っと白い煙が出てきたら、いよいよ主役の登場です。摘み取った茶葉そのものの形が残る、武骨でゴロゴロした茶葉を、ヤカンのお湯がすっかり隠れるくらい投入します。えっ、もったいないって?いえいえ、そんなことを言ってはいけません。シリア人はお茶づくりに妥協はしないんです。何しろこのお茶、みんなが集って楽しく過ごすために飲まれるお茶なんですから。」(「CHAMART サイト 記事本文より)

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お茶の情報サイト CHAMART

https://chamart.jp/archives/learn_world/syria/

(2022年6月11日)

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義父ガーセムが残したものに生かされて〜その死から一年〜

パルミラに生きたガーセム

2022年5月31日、義父のガーセムが86歳でこの世を去ってから一年が経った。夫の父親であるガーセムは、厳しくて暖かく、威厳のあるアラブのお父さんだった。ガーセムを思い浮かべると様々な思い出がよみがえるが、その多くが、内戦前のシリアで忙しく働いていた頃の生き生きとしたガーセムの姿だ。

私は彼を通して、シリアの砂漠で生きる人間の精神、砂漠の世界観を学んだ。全ての砂漠は異なっていること、砂粒の大きさや色、形、そこに生える草の種類で砂漠を見分け、先祖代々、砂漠に名をつけて識別してきたこと。第一次世界大戦後にシリアの国境ができるまで、自由にイラクやサウジアラビア方面のオアシスへ砂漠を旅してきたこと。砂漠が閉ざされた空間ではなく、むしろ自分たちを違う世界へと導く「開かれた世界」なのだと教えてくれたのも、ガーセムだった。

左端がガーセム。パルミラにて。2009年。

2020年に上梓させていただいた拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル)では、前半部分にガーセムが登場する。内戦前のシリアの暮らしとして、シリア中部パルミラに暮らす一家の話を書いたが、それがガーセム率いるアブドュルラティーフ一家であり、まさにガーセムがいなければ知ることのできない世界であった。

『人間の土地へ』では、ガーセムをこう紹介している。

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「勤勉で実直、一代で身を立て、大家族を養ってきたガーセムは、一家の大黒柱として尊敬されている。がっしりとした体格にこの頃はいくらか脂肪がついてきたが、風貌は依然として威厳に満ちている。ガーセムがいるだけで、その場にピリリとした緊張感が生まれ、すでに50を回った彼の息子から小さな孫までもガーセムの機嫌を伺うのだ。冗談好きで陽気な一面もあるが、曲がったことが大嫌いで、こうと決めたらひたすらその道をゆく。特に善悪についての子供への教育に厳しく、いつも片手に杖を携えて睨みをきかせるために恐れられていた。」

                ―――(『人間の土地へ』「ガーセムとサーミヤ ある夫婦の物語」より

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内戦前のパルミラにて、ラクダに与えるエサを運ぶ仕事の合間に。中央がガーセム。右端の男性ソフィアンは、イスラム過激派ISの戦闘員になっていった(彼の物語も『人間の土地へ』に登場する)。

ラクダの放牧中、メッカに向かってイスラムの祈りを捧げる。一家は100頭近いラクダを砂漠で放牧していた。

内戦前のシリアでガーセムと過ごしたのは、2008〜2011年の4年間だ。ガーセムは当時70歳ほど。大柄でがっしりとした体躯で、いつも片手に杖を持っていた。その杖は、歩くためのものというより、学校に行かずに遊んでいる孫を見かけると叩くための杖だった(私も冗談で時々叩かれた)。ガーセムが現れると、その場の空気が引き締まるような独特の存在感があり、その足はいつも裸足にサンダルばき。足の裏はゾウのように硬い皮膚に覆われてひび割れ、中に土が挟まっていた。その手もやはり大きく厚く、水で洗っても手に染み込んだ土はとれなかった。土地とともに働いてきた長い年月を感じさせる手足だった。

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対談シリーズ「今日もいい天気!」を始めました。1回目の対談「世界をホッとさせる一杯を」と裏話。

私は日頃から、人に会い、同じ空間でお話することをとても大切にしています。そしてできたら、直接お会いするようにしています。人に会い、言葉を交わすことで、初めてその人となりが見えてくる。そう教えてくださったのは、知人の新聞記者でした。

現代では電話やメール、zoom取材でも、連絡を取ったり話を聞くことはできるけれど、その人のまとう「空気感」や声の調子、微細な表情や仕草から感じる性格や品格は、直接会わなければ分からないものだと、その方に教えていただきました。そして、そうした語られる言葉ではない部分にこそ、その人の真実が宿っているのだと。10年経っても忘れられない言葉です。

私自身も、写真家として、目に見えないその人の雰囲気を心で感じ取ることをいつも心がけています。そしてこうした、目に見えないものを写真に写すことを心がけています。そうした意味で、人と直接会うことは、大きなインスピレーションを与えてくれます。

とは言っても、お会いしたい方となかなか直接会えないことも多く、そんな時は電話やzoomなどでお会いし、その方の声を直に聞きたいと思っています。最近、意識して様々な分野の方からお話をお聞きするようにしていましたが、人とお会いして感じたことや学びを、シェアしていくのはどうだろうか、多くの方と学びを共有できるのではないかと思い、オーディオプログラム(ラジオのような感じです)での対談シリーズを始めることにしました。

その名も、

「フォトグラファー小松由佳の対談シリーズ「今日もいい天気!」

です!

様々な分野でその道を果敢に歩いていらっしゃる方々からお話をお聞きし、学びを共有するためのオーディオプログラムです。

第一回目は、トルコ南部でのピスタチオのコーヒー(ブラウンピスタチオ・ラテ)の製造・販売を通し、シリア難民の自立支援活動を行う「Fease(フェアーズ)」代表 のキクチタイキさんよりお話を伺いました。

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「フォトグラファー小松由佳の対談シリーズ「今日もいい天気!」  ♯ 1 キクチタイキさん × 小松由佳   (2022年5月21日配信)

▼「世界をホッとさせる一杯を」〜ピスタチオのコーヒーでシリア難民支援〜 

(オーディオプログラムは以下よりご視聴ください)

https://stand.fm/episodes/628868543e849b0006cc3764?fbclid=IwAR2U2qqG3bheko8UoBDMjz32JNw0KLFRvuLK-BIBU-ExWgQU10KhucsoV50
https://stand.fm/episodes/628868543e849b0006cc3764?fbclid=IwAR2U2qqG3bheko8UoBDMjz32JNw0KLFRvuLK-BIBU-ExWgQU10KhucsoV50

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キクチさんのモットーは、「世界をホッとさせる一杯を」。

事業を通したシリア難民の雇用や教育の支援だけでなく、商品を製造する人、受け取る人がそれぞれに幸せを感じられる商品を目指しているそうです。 現在のシリア難民の状況や、彼らが抱える課題も交え、活動について伺いました。

「ブラウンピスタチオ・ラテ」は、この秋に商品化を目指しており、私たちがそれを購入することで、シリア難民の雇用創出につながります。キクチさんは「ブラウンピスタチオ・ラテ」を商品化するためのクラウドファウンディングを最近まで行われておりましたが、

https://camp-fire.jp/projects/view/548924…

引き続き、今も事業のサポートをいただける方々を募集しているそうです。シリア難民の自立支援を目指すキクチさんの活動へのご支援を、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

▼「Fease(フェアーズ)」への活動支援はこちらより

Paypay銀行

はやぶさ支店 003

口座番号:2283658

キクチタイキ 

▼また、2022年6月30日までに¥2000以上のご支援をいただいた方には、「ブラウンピスタチオ・ラテ」を郵送くださるそうです。日本ではなかなか入手できず、大変貴重です!

その場合、以下のキクチさんのメールアドレス宛に、お名前と送り先ご住所をお送りください。

(キクチタイキ メールアドレス) kikuchi4940@gmail.com

また、キクチさんのfacebookでも、是非繋がっていただけましたらと思います。

(キクチタイキ facebook)

https://www.facebook.com/taiki.kikuchi.14(こちらより検索ください→「菊地泰基」Taiki Kikuchi)

皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

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<キクチさんとの対談での裏話>

今回、1回目の対談シリーズとして「Fease(フェアーズ)」代表 のキクチさんからお話をお聞きした背景には、シリア難民を知っていただくことも大切だけれど、シリア難民の支援に関わる日本人のことも知っていただき、応援いただきたいと思ったからです。

こうした人々の存在を知り、サポートをすることで、巡り巡ってシリア難民の暮らしが改善することにも繋がります。これからも、シリア難民の取材と並行し、難民と共に歩いている人々の姿を紹介していきたいと思います。

ところで、有料会員の皆様に対し、キクチさんより普段なかなか語れない裏話をお聞きしました。テーマは「挫折」です。異国で、事業を一から始めたキクチさんが、どんな挫折を経験し、どんな言葉から立ち直っていったのか。以下は、キクチさんにお聞きしたお話を、私が書き起こしました。

▼「本音をぶつけ合った日」ーーーキクチさんのお話より

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