被災したシリア難民への支援金集め、葛藤と判断

2月6日に発生したトルコ・シリア大地震。被災したシリア難民への支援金を集めさせていただいてから、連日大変多くのご支援をいただいています。どうもありがとうございます。しかし始めるにあたり、葛藤がありました。

こちらでは、その葛藤や決断についてお話したいと思います。

個人を窓口に支援金を集めることへの迷い

地震の発生後から被害の甚大さが伝えられるようになり、トルコ大使館をはじめ、すでに多くのNGOなどが被災地への支援を始めました。被災地には親族や多くの知人がおり、彼らもまた被災したのですが、支援活動を私がやる意味があるのか、個人を窓口に支援金を集めるのは、責任の問題などで批判されないか。そもそも私はフォトグラファーであって、支援活動家ではないなどとも考えました。

しかし私はこれまで、戦争から逃れて異郷で生活を立て直そうとするシリア難民を取材してきました。そして彼らから、人間が生きることの強さや難しさ、悲しみや喜びなどを見せていただき、多くを教えていただきました。彼らがそこにいたからこそ多くを学ことができ、また支えられてきました。シリア難民は今や、私にとっては取材対象者というよりも私の「家族」であり(実際、シリア難民である夫の家族が現地に住んでいるのですが)、共に同じ時代を生きている友人たちです。

一度シリアで全てを失ってきたその彼らが、再びここで生活を失い、助けを求めている。これは、写真活動よりも大切なことがあると思いました。写真家であるより、人間として、友人としてやるべきことがあると。

やらないで悩むより、「やって悩もう」

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