(この記事は、2023年12/24〜2024年1/13までのイギリス取材の記録です)
ロンドン中心部から電車で1時間半ほど離れたニュータウン、ミルトンキーンズ。この街の難民収容施設に、夫の兄アブドュルメナムと、夫の甥エブラヒムが暮らしている。私はアブドュルメナム兄に会うため、この街を目指した。
アブドュルメナムもエブラヒムも、2022年11月にイギリスに「不法移民」として入国後、現在も難民申請中だ。住居こそ、難民収容施設で暮らさなければいけないものの、事前に報告すれば行動の自由もあり、買い物も遠方へ宿泊を伴った旅も可能とのこと。
ちょうどその前日は、年末だったこともあり、ロンドンに住む兄が素敵なクリスマスディナーを用意してくれ(詳細はひとつ前の投稿をご覧ください)、アブドュルメナムとエブラハムも招待したのですが、アブドュルメナムは体調が悪いとのことで、エブラヒムだけやってきた。そして翌朝、私たちは施設に帰るエブラヒムと一緒に、ミルトンキーンズを訪ねることに。
エブラハムは、この一年で英語がだいぶ話せるようになったものの、英語の読み書きはまだあまりできず、電車の乗り換えもまだ難しいとのこと。
今回の取材では、デジカメにオールドレンズをつけて臨んでいる。マニュアルフォーカスのため、動きのある被写体に対してピント合わせが難しく、ピントがボケてしまうことが多々あり。この一枚も、とても良いシーンだったがボケてしまった。しかし最新レンズのオートフォーカス機能ばかり使っていると、自分の眼で対象を捉え、何を伝えたいかを瞬時に判断し、ピントを絞ったりと、「写真を思考する」力が落ちていいってしまうように感じられる。また、一瞬の行為を記録するのだから、そもそもボケたりブレたりするのは当然で、それが写真であって、むしろ、ボケたりブレたりしない写真ばかりが世にあふれ過ぎていることの不自然さもこのところ感じている。ボケてもブレても、伝えたいことが伝わるならいいではないか、というのが私の持論だが、所属している「日本写真家協会」の重鎮の皆様には怒られそうである。今回の取材では、カメラの機能の良さで写真を撮るのではなく、写真の原点に還ったマニュアル的な撮り方をしたいと思い、実践している。
ミルトンキーンズ駅から徒歩10分ほどの難民収容施設の前にて。ここに4ヶ月前から暮らしている。外観は一般的なホテルだ。
建物の一階部分にあるエブラヒムとアブドュルメナムの部屋へ。入り口には係官がいて、出入りする際の記録を記入した。建物は新しく、設備も整っているように見えた。
ドアを開くと、右側にトイレ付きのシャワールームがあった。新しく綺麗だ。その奥の扉を開けると、アブドュルメナムとエブラヒムが二人で暮らしている部屋があった。ドアを開いてまず目に入ったのは、アブドュルメナムの大きな背中だ。彼はイスラムのお祈り中だったので、祈りが終わるのを私たちは静かに待った。その間、兄の背中をまじまじと見つめた。来ているTシャツの皺だらけの様子に、なんとも男だけの生活臭を感じるのであった。
部屋に入るなり目に入った、兄の背中のインパクトは大きかった。
アブドュルメナムとは、トルコ以来、一年ぶりの再会である。挨拶を交わし、互いの無事をねぎらう。
「昨日のアブドッサラーム兄の家の夕食会に来なかったね。風邪をひいて具合が悪いと聞いたけど、大丈夫?」と尋ねると、「実は、具合が悪くはなかったけど、そういう気分じゃなかった」とのこと。イギリスに来て一年と一ヵ月が過ぎ、トルコに残してきた妻や子供たちにも会えず、難民認定の許可が出るかも先行きが分からず、毎日将来のことを考え、不安で気疲れているとのこと。自分の家族が側にいないのに、イギリスでみんなで集まって賑やかに夕食を楽しむなんて、気が進まない、というのが本音のようだった。ただ、アブドッサラーム兄やその妻を傷つけないように「風邪をひいた」と話したとのこと。
アブドュルメナム兄の弟である私の夫ラドワンからのお土産を渡す。¥2900で買ったユニクロのセーターである。寒くなってきたから、ジャケットやセーターを日本からお土産にしてほしいとの要望があり、夫が用意したものだ。
イギリスでは、「不法移民」の難民認定の結果が出るまでの平均期間は15カ月。アブドュルメナムは現在、申請してから13カ月が経過。ヨーロッパ諸国の中でもイギリスでは、急増する「不法移民」への厳しい処遇を打ち出し始めており、今後やってくる「不法移民」に対して、ルワンダに送還する計画も審議されている。こうした動きをアブドュルメナムもインターネットの報道から知っており、自分に難民認定が下りないのではないか、トルコへと送還されるのではないかと不安な日々だという。何よりトルコに残した妻や三人の子供たちと長く離れており、それが大変辛いとのこと。また、イギリスの曇りがち、雨がちのしっとりした気候も、シリア中部の砂漠気候で生まれ育ったアブドュルメナムにとっては疲労する一因とのことだった。
「毎日、今後のことを考え続けてすごく疲れている。考えすぎて、髪の毛がほとんど抜けてしまった」と話し、帽子をとって頭部を見せるアブドュルメナム。
確かに、頭頂部はほとんど髪の毛がなくなっていた。ヨーロッパへの移動の旅の厳しさに加え、難民申請中のこの生活でも大きな疲労とストレスにさらされ続けたのだろう。
「髪の毛が抜けてしまった」と繰り返すアブドュルメナムに、こんなときは黙っていては良くないと思い、「・・・また生えるよ」と励ました。それでも沈黙が続くので、「その頭、撮ってもいい?」と冗談を言ってカメラを向けると、「ノー」と笑って帽子を被るアブドュルメナム。とにかく頭髪が薄くなったことを気にしているようで、人に会ったり外出する際は、いつも帽子を被っているそうだ。
(*)アブドュルメナムは夫の兄で、15年来の知り合いのため、こういうシビアな会話の際は、ジョークで返すのが家族の文化と理解し、あえてこのような発言をしております。全ての取材対象者にこのような不謹慎な発言をするわけではありません。
それからしばらくぼんやりするアブドュルメナム。2022年8月、ヨーロッパへの移動の旅に出る直前の、希望に満ちて生き生きした彼の表情と全くかけ離れた表情だ。彼が直面している現実の厳しさを知った。アブドュルメナムは無表情でいることが多くなり、目つきもトローンとしているように感じられた。
アブドュルメナムと私が、シリアスな話をしている間、大音量でテレビ鑑賞するエブラヒムと子供たち。なんと、放映されているのはドラえもん。エブラヒムはこの後、長男を「ノビター」、次男を「ドラエモーン」と呼ぶように。アニメは、言葉の壁や人種、宗教の違いを軽々と飛び越える。その力は素晴らしい。
隣で「ドラえもん」の音声を聞きながら、アブドュルメナムたちがいかにヨーロッパを徒歩で横断し、命からがらイギリスにやってきたかを聞く。ものすごくシリアスな話を聞いているはずが、「ドラえもん」の音声が気になってしょうがなし。ギリシャからフランスまでは二カ月間、ほぼ徒歩で移動し、野宿を続けた。歩くのも、寝るのも、食べるのも、全てが厳しかったという。写真はフランスのカレーの街で、焚き火をしている様子。アブドュルメナムとエブラヒムは、オランダで別れた別の兄と三人で、2022年8月24日から旅を続けた。二人がイギリスに入国したのは11月1日だった。
携帯電話の中に、ヨーロッパ移動の旅の写真を探すアブドュルメナム。
アブドュルメナムは、私のフェイスブックの投稿を読んでおり、ロンドンの信じがたい物価の高さのなかで、私たちが一本10ポンド(約2000円)のシュワルマ(鶏肉などを巻いたアラブ風サンドイッチ)を夕食に3人で分けて食べたことを知っていた。そして「お前たち、ロンドンでシュワルマが高くてまともに食べられなかったんだろう。今日はシュワルマを作るからみんなで食べよう」と、自ら腕を振るってくれることに。自分が精神的に辛いなかで、私たちを喜ばせようとしている兄の温かい心に、胸がじんわり。
台所に立つ兄の顔をまじまじと見ると、この一年の間にずいぶんやつれ、痩せたことを感じた。
シュワルマの中に入れる鶏肉は、二日前からスパイスに漬け込んで準備してくれていたとのこと。
兄のような難民認定を待つ不法移民に、イギリス政府から一週間に一人当たり食費が45ポンド(約¥9000)支給されているとのことだった。一週間で日本円で¥9000ほどと聞けば、そこそこ良いのではと感じるが、イギリスの物価は日本より1.5倍ほど高いので、日本の感覚で言えば、一週間に¥5000〜¥6000くらいか。贅沢はできないが、食べてはいける支給額だ。
この鶏肉を買うため、他の日の食費を節約して準備したようで、ありがたく、申し訳なかった。
「シュワルマ」は、歳を重ねるごとにみんなますます好きになるメニューだよ」と笑顔で語るアブドュルメナム。
しかしイギリスで、アブドュルメナム兄に料理を作ってもらい、それを食べることになるとは全く予想しなかった。通常、アラブの男性はこういうことはしない。家事、特に客人をもてなす料理は全て女性の役割とされるからだ。
イギリスの難民収容施設には部屋ごとに大体台所がついているそうで、アブドュルメナムも、イギリスに来てから食事の用意が必要で、自分で料理をするようになったとのこと。
真剣に料理中。
部屋もトイレも台所も、大変綺麗に掃除して使っていた。台所もピカピカだ。トルコでは掃除も調理も何もしていなかった(全部奥さんがやっていた)のにこの変化はすごい!
スパイスに漬けた鶏肉を炒め、ポテトを油で揚げる。
鶏肉を漬け込んだ残りのスパイスのタレも炒める。これもシュワルマの中に入れると、とても美味しいとのこと。
ポテトフライと炒めた鶏肉を平たいパンの上に乗せ、最後にマヨネーズをたっぷりかける。それを巻いてから、さらにフライパンで表面をこんがり焼けば、シュワルマの出来上がりだ。
難民収容施設、と聞き、タコ部屋のようなところをイメージしていたが、さすが人道的配慮を重んじるイギリスと言えるのか、部屋は設備が整っており快適そうで、不法に入国した人々と言えど、人権を尊重していることが伝わってくるような施設の待遇だった。だが一方で思った。このような施設を用意し、難民認定がおりるまでの平均一年以上もの間、経費を捻出しなければいけないイギリス政府の負担は、相当なものだろうと。
黙々とシュワルマを作るアブドュルメナム。エブラヒムと私の子供たちは、ドラえもん鑑賞中。
ついにシュワルマの出来上がりだ!こげている!
出来上がったシュワルマを前に、満足そうなアブドュルメナム。シリアでは、シュワルマといえばコーラとのことで、コーラも用意してくれていた。
子供たちが食べやすいように、小さく切り分けてくれた。小さな子供を見ると、一年以上会えずにいる自分の3人の子供たちがとても恋しくなるという。
アブドュルメナム兄の特製のシュワルマ。鶏肉にスパイスの味が染み込み、本当に美味しかった。私たちに食べさせたいと思って数日前から準備してくれていた、世界一美味しいシュワルマ。
まぎれもなく、世界一美味しいシュワルマだった。
この難民収容施設でご馳走になったアブドュルメナム兄のシュワルマの美味しさを、私たちは一生忘れないだろう。
ミルトンキーンズから、電車に乗って再びロンドンに戻る。最後に、アブドュルメナムとエブラヒムが暮らす難民収容施設を振り返った。トルコからヨーロッパへの危険で厳しい旅を終えた後も、この国で「不法移民」として続く複雑な状況、兄たちの精神的な疲労を知った一日だった。
ヨーロッパへ渡った後の「不法移民」が、どのような状況に置かれるのか、何を思いながらどのように難民申請期間を過ごし、難民として認定された後には、どのようにこの国で生きていくのか、引き続き取材をしていきたい。
<アブドュルメナム兄に再会して>
・イギリスの、「不法移民」の難民認定にかかる平均期間は15カ月。より申請者が多いドイツよりも、期間が長い。
・兄がトルコを出発した一年前とは、表情も精神的状態も非常に異なっていた。希望が見出せず、常に不安であり、家族と離れている期間が長く、精神的に参っていることが感じられた。
・同じ難民収容施設にはシリア人はおらず、スーダン人などアフリカから渡ってきた人々や、アフガニスタン人やパキスタン人などが多いとのこと。
(2023年1月5日)