あっという間のイギリス取材を終え、1月13日夜に日本に戻ってきました。

今回も7歳と5歳の二人の子供を連れた子連れ取材。3週間弱のこの取材では、ロンドンに到着するなりスーツケースが空港で行方不明となり、三日後に見つかるという事件が起きましたが、その後も取材後半に、レスターという街で、財布をすられてほぼ一文なしになるという事件が起きました。

偶然立ち寄ったチャリティーショップ(売上の一部を慈善団体や福祉団体に寄付するリサイクルショップ)で中古服を見ていたところ、混雑した店内で、肩がけカバンのチャックをいつの間にか開けられて財布をすられてしまったのです。中に入っていたクレジットカードやマイナンバーカード、健康保険証などと現金をほとんど失いました。二人の幼い子供を抱え、異国で一文なしになるという突然の事態。幸い、パスポートだけは手元にあったため、イギリス在住の兄にサポートを受けながら、なんとか帰国することができました。

しかしそんなことは、もはや記憶から消えてしまうほどに、もっと深刻で、悲しい事態が私たちを襲いました。

今回の取材は、ドーバー海峡を渡ってイギリスへと入国する「不法移民」をテーマとし、移民たちがボートに乗ってやってくるドーバー海峡のイギリス側の街ドーバーや、彼らが海を渡る拠点とするフランス側の街カレーにも向かいました。

そのカレーでは、まもなく海を渡ろうとするシリア人コミュニティを取材し、三日間、一緒に焚き火にあたったり、話を聞いたりして過ごしました。彼らのほとんどが二ヶ月をかけてシリアから旅をしており、カレー中心部の橋の下や公園などにテントを張って、極寒の中を野宿していました。彼らからは、私の二人の子供たちをとても可愛がってもらい、たくさん抱っこしてもらい、本当にお世話になりました。私はそんな、彼らの写真をたくさん撮りました。彼らは、密入国業者による船出の指示を、一ヶ月近くにわたってカレーで待ち続けていました。

1月12日、ほぼ一文なしになった私たちが、ロンドンの空港からなんとか帰国するその日の朝、カレーで船出を待つシリア人の一人から連絡がありました。今晩、ついにボートでイギリス側に渡ることになった、と。海が穏やかで、天候が安定しており、海上警備隊が付近にいないことを条件に、彼らは夜の闇に紛れ、手漕ぎボートで海を渡っていくのです。そして対岸にあるイギリスに上陸し、難民申請をするのが目的です。

ちょうど一年前、夫の兄アブドュルメナムと甥のエブラヒムも、同じルートでここからドーバー海峡を渡りました。その際、ボートが転覆して溺れ、冬の海で死にかけたそうです。エブラヒムは救助隊によって心肺蘇生を施され、奇跡的に蘇生したと聞きました。まさに命がけの航海なのです。そして、そうまでして移民たちがイギリスを目指すのは、そこに行けば人生が大きく変わるのだという希望、というよりも信念を抱いているからです。

これから、暗闇の海を渡っていくだろう彼らの姿を思いながら、私は日本へと帰る飛行機に乗りました。そして私たちが日本に到着するまでの間、彼らは航海に出発したようでした。

13日深夜、羽田空港に到着した私は、スマートフォンをチェックし、彼らの安否を確認しましたが、消息がつかめませんでした。

日本時間14日の昼頃になって、現地から一報が入りました。私がカレーで一番お世話になったシリア人男性エイハムさんとその親族や友人、合計6人が、ボートの転覆により海に投げ出され、溺れて亡くなったというのです。

(フランスでのカレーでの取材を終え、イギリスへと戻る最終日、彼らとさようならを交わす。「次回はイギリスでまた会いましょう」が別れの言葉だった。写真中央がエイハムさん)

(1月14日未明、カレー近郊の海でボートが転覆し、溺死したエイハムさん。シリア南部ダラーの出身だった)

その知らせを半信半疑で聞きましたが、やがて、報道でも死者の名が公表されました。残念ながら、亡くなったのがカレーでお世話になったあのエイハムさんたちであることが、疑いようのない事実となりました。

なんということでしょう。不法移民としてボートで海を渡っていくことが、命がけの危険な航海であることは知っていましたが、つい10日前、隣で一緒にチョコレートを食べ、焚き火にあたり、子供たちを抱っこしてもらったあの人たちが、二日前にドーバーの海に呑まれ、今はこの世にいないのです。遠いシリアから長い旅を続け、イギリス本土の街の明かりを目にしながら、暗く冷たい海の中に沈んでいく最期のとき、彼らは何を思ったでしょう。私はただ、人間の不平等を思います。

彼らが密入国費用として約1000ドル(約150000円)を支払い、自ら小型ボートを漕いで4〜5時間をかけ、命がけで渡っていくドーバー海峡。同じ海を、私はフェリーで、70ユーロ(日本円で約11000円)を支払い、90分で快適に、安全に渡れるのです。そして彼らと私たちとを分けるのは、ただ、生まれた国とその国籍なのです。

(カレーの海で。夜になると、ドーバー海峡をはさんでイギリス側のドーバーの街の灯りが見える)
(カレー中心部の橋の下で野宿をしていたシリア人たち)
(ここで一カ月に渡り、野宿をしながら船出のタイミングを待っていた。昼も夜も焚き火にあたって過ごしていた)
(彼らに、二人の子供たちをとても可愛がってもらった)
(夜のドーバー海峡。この海を、彼らは渡っていく)

取材を終え、日本に戻りましたが、私はまだ心の整理がつきません。つい10日前に取材をさせてもらったあのシリア人たちが、ドーバー海峡で溺死してしまった現実を受け止めきれず、夜も昼も彼らのことを考え続けています。

そして、日本ではなかなか報道されない不法移民の問題について、もっと移民たちの背景にあるものや、彼らの思い、そして受け入れ国側の問題についても、もっと深めていきたいと思うのでした。今回の取材は、その始まりなのかもしれません。今回も子連れパニック取材ではありましたが、大変に深みのある取材ができました。自分自身の、写真表現に対する大きな変革も経験しました。

この取材では、物価が高いイギリスやフランスで、移動費や交通費、食費など、何につけてもとにかくお金がかかり、ギリギリの取材予算の中で、皆様にたくさんの応援をいただきましたことに大変感謝しております。おかげさまで、取材の全日程を終えることが出来ました。皆様、どうもありがとうございました。この取材内容を、世の中にしっかり発表していくことに努めます。

並行して、現地からレポートできなかった内容を、今後、以下のように順次ご紹介していきたいと思います。

*「不法移民」がどういった背景を持った人々で、どのような問題が現地で起きているのか。日本では報道されていないこうした問題をより多くの皆様に知っていただきたく、取材レポートを一般皆様にも公開させていただきたく思います。一方で、取材中の裏話や、詳しい取材内容については、こちらの「小松由佳HP有料会員コンテンツ」での限定公開とさせていただく予定です。

大変長くなりましたが、帰国のご報告でした。

最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。  小松由佳

                             (2024年1月16日)