ハサンケイフのヤギ飼いと太陽

                                                          

ティグリス川ほとりの街  

2009年夏、バスの窓からその土地をはじめて目にしたとき、あまりの美しさに息を呑んだ。

トルコ南東部、ティグリス川ほとりの街ハサンケイフ。約1万2000年の歴史があり、その上方の丘陵地には、古代の遺跡や墓が、柔らかな草原に埋もれていた。

かすかな踏み跡をたどって山の上に登ると、犬がかけてきて激しく吠えたてた。牧羊犬らしい。たじろいでいると、犬を呼ぶ男性の声に、犬はくるりと引き返した。その先に、ヤギの群れを連れた男性の姿が立っている。

ヤギの放牧をするチョバン(トルコ語で羊飼いの意)、ヤシャールとの出会いだった。風土に根ざした暮らしに興味を持ち、土地から土地へと旅をしていた私は、この山での放牧の仕事をヤシャールに見せてもらうことになった。

ハサンケイフ郊外の丘に残る古代の遺跡。崩れた石積みの建築物からは、かつての暮らしの痕跡を感じさせる。

クルド人のチョバン、ヤシャール

「アイへへへへへへ!」ヤシャールの声が、静寂の谷にこだまする。ヤギの群れに、「進め」の合図だ。100頭近いヤギが、砂ぼこりをもうもうとあげて谷を下る。

ヤシャールはクルド人。父親もその父親も、この谷のチョバンだった。年齢は本人もわからない。30歳ほどか。幼い頃から父に連れられ山を歩き、現在は兄と交代で放牧に出る。家族は年老いた母と二人の兄。兄たちは結婚して実家近くに所帯を持ち、母と二人で暮らしている。村と谷、山とを往復する毎日だ。

夜明け前。暗闇から朝焼けへと変わる谷の道を、ヤシャールと犬、100頭ほどのヤギが登ってゆく。朝日が差すと山は赤く燃え、世界が一変した。やがて手足の寒さが和らいでゆき、今度は太陽の暑さに苦しんだ。

何という、太陽の光の眩しさだろう。私たちはわずかでも日差しを避けられるよう、木陰から木陰へと歩いた。その前方で、ヤギは喧嘩をしたり戯れたりし、実に自由に進んでいる。

ヤシャールは一頭一頭のヤギに名をつけ、その父親や母親、祖父母の名まで覚えていた。群れには一頭の羊もおらず、全てヤギばかりだ。ハサンケイフの谷や山での放牧では、足腰の丈夫なヤギしか耐えられないからだそうだ。

正午頃、木陰に座って休む。ヤシャールはポケットから古びたラジオを取り出し、クルドの民謡を聞いた。その音色は抑揚があり、野や山々などの自然を彷彿とさせる。ヤシャールはトルコ語を話し、トルコ国籍を持ってはいるが、自分はトルコ人ではなくクルド人だと強調した。自らのルーツ、クルドの文化を愛し、誇りを持っているのだった。

まるで流れるのをためらうかのように、雲がゆったりと流れていた。ヤギの群れはいつの間にか視界から消え、犬が先に行ってヤギを見守っている。犬はヤシャールの信頼のおける相棒で、犬もヤシャールの役に立つことが誇らしい様子だ。

ヤギにとっては毎日登り降りする、勝手知ったる山の道。ヤギの踏み跡は、縦横無尽に山肌に刻まれている。

そのうちヤギの群れが岩場にさしかかった。足場が限られた巨大な一枚岩を、ヤギたちが一列になって降りていく。群れは整然と進むのかと思いきや、てんやわんやだ。順番待ちに耐えかねて前のヤギに頭突きするヤギ、後から来たヤギに踏まれ下敷きになるヤギ、突然交尾しようとする雄ヤギまでいる。そんなヤギたちをヤシャールはほらほらと指差し、困ったという仕草で笑った。

ヤギたちが軽々と下っていった岩の斜面で私は立ち止まった。下は百メートル近く切れ落ちる急傾斜の断崖絶壁。足を踏み外せば真っ逆さまだ。次の足場まであと少しのところで、どうしても足が届かない。登山でも、安全のためロープをつけて登るような場所だ。

ためらっているうち、ヤギの群れもヤシャールも先に行ってしまった。彼らにとっては、全く何でもないところなのだ。

山の上に残された古代の遺跡。大きな岩を削って作られた、祭祀場のような場所だ。羊とチョバンしか歩かないような山の上にひっそり残されている。

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