(こちらの記事は、シリア情勢を包括的に理解する上で大変学びのある記事のため、有料会員様以外にも公開させていただきます)
<この記事の内容>
現シリア・アサド政権とは? / シリア国内支援が難しいのは何故か / 北西部の反体制派地域をめぐる支援の実情 / シリア問題を理解するための前提
Stand with Syria Japan様主催のイベント「シリア危機を再考察する-アサド政権の残虐性に迫る-」に参加
少し前のことですが、2月23日に、シリア支援を手がけるNPO法人「Stand with Syria Japan(SSJ ・エスエスジェー)」様主催のオンラインイベント、『緊急セミナー「シリア危機を再考察する-アサド政権の残虐性に迫る-」』に参加しました。
イベントでは、シリアのアサド政権の戦争犯罪問題を専門とするジャーナリスト、黒井文太郎氏より、アサド政権の市民に対する弾圧の歴史、人道支援の実情についてスピーチがありました。大変勉強になる内容でしたので、ご紹介させていただきます。
▼イベントの主催団体、「Stand with Syria Japan(SSJ )」について
▼このイベントについて(2月23日に開催終了)
シリア国内及びシリア難民の支援を行うNPOは数多くありますが、こちらのSSJ(エスエスジェー)様の特徴は、アサド政権の戦争犯罪を明確に非難し、反体制側の立場から、国際平和実現のための取り組みを積極的に行なっている点です。
まずイベントの冒頭で、SSJ理事長の山田一竹氏より、以下のお話がありました。
○ シリア危機は「内戦」ではなく「人道危機」。国際平和の基盤を守るための戦いとして、シリアの民主化を応援している。
○ SSJでは、非政権支配地域アレッポに拠点を構え、シリア北西部で教育支援・人道支援をおこなっている。
その後、黒井文太郎氏によるスピーチがありました。黒井文太郎氏は軍事・諜報などを専門とするジャーナリスト。講談社にてフライデーの編集に携わった後、ニューヨークを拠点にジャーナリストとして活動、その後モスクワやカイロを拠点に戦場カメラマンとして活動されています。元妻がシリア人で、シリアの実情に大変詳しい一人です。以下、黒井氏のスピーチの内容です。
▼黒井文太郎氏 https://ja.wikipedia.org/wiki/黒井文太郎
「アサド政権の残虐性に迫る」ジャーナリスト / 黒井文太郎氏
この12年間、シリアでは戦争犯罪が続いてきた
グラフ1
こちらはイギリスに拠点を置くNGO「シリア人権監視団」によるもの。
この12年間のシリアでの紛争の者数は最低でも60万人ということなので、実際には60万人以上の人々が亡くなっているだろう。この60万人のうち、民間人が少なくとも23万人殺害されている。その加害者は第一がアサド政権とイランの配下のグループで、全体の87パーセントを占めている。その次が空爆を数多く行ってきたロシアで3.03パーセント。その次がISで2.21パーセント。圧倒的にアサド政権が人々を殺害している。
グラフ2
こうした逮捕や行方不明状態は、圧倒的に政権側によって行われた。政権によるものが87.60パーセント、135,253人に及ぶ。
グラフ3
不法に拘束をされて今も獄中にいる人のグラフ。アサド政権によるものが、全体の85.51%と圧倒的に多い。アサド政権、その次がISと続く。
グラフ4
捕まってから拷問を受け殺害された人の数、少なくとも14475人。加害したのはアサド政権が圧倒的に多い98.49%。その次がクルド、反体制派、ISと続く。
戦争なので、戦闘員同士は殺害しあっているが、民間人を巻き添えにする確率、また民間人を捕まえて殺害する確率は、アサド政権が圧倒的。ISも相当民間人を殺害しているが、アサド政権の比ではない。アサド政権が現地で支持されている、されていないという数字がよく出るが、現地の人々は政権の残虐さを間近で感じている。本当のことは人々は言えない。
なぜシリアへの支援が難しいのか
震災の支援を阻害する要因とは何か。6日に地震が起きてから、シリアに対し、各国から支援の申し出があった。しかしシリア国内は勢力によって政治的に分かれており、反体制派の武装勢力とアサド政権軍が睨み合っているので、その境界線は入れない。北側のトルコから国境を越えて反体制派の支配地域に入れるが、その道が今回ほとんど機能しなかった。
理由としては、トルコが被災地になり、支援のルートが止まってしまったこと。さらに政治的理由もある。シリア北西部の反体制派支配地域は、政治的に、外国からの支援が自由に入れないエリア。
紛争地帯なので国連が仕切ってはいるが、アサド政権は自分たちの国土だと主張している。そのためアサド政権からすると、そこにいる武装勢力は不法なテロリストということなので、物資の輸送を止めるようにとアサド政権側は主張する。
これに関して国連本部は、国連安保理で決める方針だが、国連安保理の一国であるロシアはアサド政権の後ろ盾として影響力を持っていて、「不法なところを自由に開くのはいかん」と圧力をかけて、制限しようとしている。国連本部でそう決まると、国連の下にあるさまざまな支援機関もそれに縛られる。結局、ロシアの意向がどうしても入ってきてしまう。こうして、シリア北西部の反体制派支配地域は、本来ならば国境を開けたくないが、人道支援なら少しだけ入れましょうというのが現実。国連の、ロシアへの忖度がある。
今回の地震後も、今まで決められてきた安保理の決議があるということで、迅速に動けなかった。地震発生から三日が過ぎた9日にようやく人道支援がシリア北西部に入ったが、地震前から決まっていた生活支援の物資を積んだトラックが少し入ったくらい。それ以上のものはなかった。重機類や生存者を探索するようなものも来なかった。民間救助組織「ホワイトヘルメット」がほぼ単独で捜索活動を行なっており、未だに行方不明者の捜索活動があまり進んでいない。こういう状況に「ホワイトヘルメット」が国連の態度を批判し、国連の事務次官が、人道支援すらスムーズに行えない状況にあることを認めた。
国連は正しいことを行っているイメージがあるが、実はその本部は官僚的なところがあり、とにかくロシアに頭が上がらない。ロシアを怒らせたくないという性質が強い。特に最近ではウクライナのこともあって敏感になっている。本部がそういう立場なので、ユニセフなどもそれに倣っていく。地震発生から、国境なき医師団などは初期段階でかなり動いたが、それでも結局、国連が本気で動かないとしっかりした支援は難しいというところがあった。
アサド政権エリアの支援もかなり遅れた。アサド政権エリアでは、情報統制に力を入れていて、国連機関といえども自由に行動させない。国連機関の活動もシリア国内では全て軍を通さなければならず、手足をアサド政権に牛耳られて自由に動けない。シリアで活動する国連機関には、全てアサド政権の幹部が入ってきて、資金をピンハネされるのが普通。現場での活動を見せないでお金だけもらう、そしてそのお金はアサド政権のルートで賄賂として吸収される、という状態が常態化している。とにかく現場を見せないし、お金は現場に行き渡っていない。国連機関からもらったお金は、結局が軍の物資などに回されたり、イドリブを空爆するのに使われたりする。国連もそう使われているのは分かっているが、とは言ってもアサド政権を通さないとシリア国内で何もできないので、そういうやり方(「支援はほとんど政権に奪われるが、少しだけ人道支援に使われるかもしれない」というあり方)を承知しながらやっていくというスタンス。
とにかくアサド政権エリアについては、国連機関は太刀打ちできない。交渉ごとがうまくいかない。日本政府の支援も国連機関を通して入っているが、現場が自由に見れないのは共通している。
現地の国連機関の職員がほとんどアサド政権の幹部だし、現地に行った外国人スタッフもアサド政権支持のアサドシンパ的なことにずっと接する。それで本人もそういう世界だけ見せられて、アサドシンパみたいになってしまうケースが時々ある。世界保健機関の現地の高官が、シリアの高官に賄賂を送って問題になっていたことも過去にはあった。
なぜアサド政権が残虐なのか
シリア人が残虐なのではなく、政権のシステムが残虐。アサド政権の特徴は情報統制と暴力性。腐敗はアラブ社会どこでもあるが、情報統制と暴力性はほかのアラブ諸国に類を見ない。
情報発信についても、シリア発だと本当のことは書けない。全て秘密警察の監視のもとで活動しなければならないから。それをシリアにいるメディアはみんなわかっている。
北朝鮮も、取材が入っても現場を見せないことで知られるが、シリアも同じ。戦争後は特に、ジャーナリストのように使命を帯びてきた人への監視や統制は徹底している。それは世界でも類を見ない厳しさだ。さらに暴力の傾向が強い。これは独裁体制の中で際立ってきただろう。
現在の政治体制は、2000年から現パッシャール・アサド大統領のお父さんのハーフェズ・アサドが作り上げたシステム。ハーフェズ・アサドは若い頃は空軍のパイロットで、40代で権力闘争を制して勝ち上がってきた。彼はロシアで政治教育を受けて、情報統制と秘密警察(ムハバラート)を使うことで際立っていた。空軍情報部(大統領直轄の秘密警察)もある。一つではなくたくさん秘密警察を作って互いに監視させている。怖い国を作ってきた。
軍隊のなかにも「特殊部隊」、「共和国防衛隊」など、ギャングのボスみたいな集団があって、民衆の虐殺を行こなってきた。ただそこかしこに秘密警察がいるので、国の治安は良かった。ただ外国人相手にどこまで話していいのか、みんな気にしているといった感じ。
その後90年代に入って冷戦が崩れた頃から、西対東のテロ支援は減って、後ろ盾のKGBも無くなったので、政権の態度は少しソフトになった。問答無用で市民を殺害したりということは少し緩められた。街一つ、平気で皆殺しにしちゃうようなことを平気でやっていた80年代に比べれば、政権の風通しが良くなっていた。
2000年に入って怖かったお父さんハーフェズ・アサド大統領が亡くなって、次男のパッシャール・アサドが後を継いだ。この頃はインターネットも使えるようになったり、国全体の風通しが良くなる期待をシリア国民はみんな持っていた。実際、2000年代にシリアに行ったことのある人は、シリアが怖い国じゃないという印象を持った人も多かったのではないか。ただし、少しでも政府批判をしたら厳罰で臨む、という性質は依然あった。
シリアの民主化運動と、政権による弾圧
2011年代に入ってアラブの春が起こる。シリアはエジプトなどに比べ、秘密警察などが圧倒的に強いので、民主化は難しいのではないかと個人的には思っていたが、民衆は結束して立ち上がっていた。しかし政権側は、民主化デモに参加した人をどんどん殺害していく。
民主化デモが始まる頃は、パッシャール・アサド大統領が元々イギリスで留学していた人で、民主化されたヨーロッパの国を見ているから、そこまで怖いことをしないんじゃないかという国民もたくさんいた。
パッシャール・アサドは、跡取りを巡って家族同士で揉めないようにイギリスに留学させられた人だった。パッシャールの兄のバーシルはしっかり者で後を継ぐ人で、パッシャールは頭が弱くて情けないという印象をみんな持っていた。パッシャールは物腰も柔らかかったし。しかしシリアで民主化の動きが起きると、アサドファミリーもカダフィのような末路を辿ることになるから、自分たちが生き残るために弾圧をどんどん繰り返していく。そこに父が残した暴力的で残虐な政治システムがうまく使われた。
秘密警察は、反体制派がイスラム過激派であると工作し、民主化を標榜する民主化運動ではなく、政治宗教対立に持っていくことに成功する。またシャッビーハという犯罪者集団を使って、反体制派をどんどん殺害していった。
また民衆を弾圧し始める初期の頃、イランから軍事顧問、工作者がかなり入ってきて、弾圧を進めるのを手伝った。アサド政権の下っ端の兵士が、命令を受けて民衆に銃を打つのを戸惑っていると、後ろから彼らを銃撃して見せしめにする映像がこの頃出回ったりした。こうして加害者を躊躇させないよう、後には引けないぞというところに情報工作をしながら追い込んでいく。そして兵士たちも一回やってしまうと、自分も加害者、共犯者だから後に引けず、残虐性が加速していった。
やがて反体制デモの中から、デモ参加者を自衛するために、自警団のような人たちができてきた。彼らは政府の屯所を襲って武器を奪って、政府軍に対抗した。ただそれをまとめる人がいなかった。そうやっている間にイスラム過激派が出てきて、力をつけていった。アサド政権はその状況をうまく利用する。反体制派とIS双方が戦って消耗するように仕向けた。
政権の中枢がある首都のダマスカス近郊あたりでは政府軍はIS と戦うが、離れたところでは、ISと戦っている集団を空爆したりしてIS を助けたりすることも。民衆の心の問題として、反政府を掲げる反体制派の方が、政権としては怖いからだ。
アサドの軍は化学兵器も使ったし、国際法で使用を禁止されている樽爆弾も使った。やりたい放題だったが、ロシアが守ってくれる限り、国連は動かない。それを知った上での行動だった。唯一、状況を打開できる頼みの綱はアメリカだったが、当時はオバマ政権だったので、ほとんど動かなかった。そのためアサドにとっては安泰だった。
シリア問題を考えるための前提
シリア問題を考えるための前提として、一点目は、とにかくアサド政権の恐怖支配が徹底しているということ。難民として国外に出ている人も、シリアに帰ったらいつ殺されるかわからない。
二点目としては、情報統制にかなり力を入れているので、真実が出てこないこと。
三点目は、ロシアが徹底的に政権をガードしていること。これについて国連の仕組みの問題もあるが、担当者の努力ももっと求めたいと思う。
こうしたシリア国内の状況に対して、これまで国際社会も、何が何でも民衆を助けたいという危機意識があまりなかった。自分ごとという意識がなかった。また国際社会としても、影響力のあるアメリカが動かないと動けないという実情があるが、こうした中で、ましてシリアが一番大変な時に、アメリカはオバマ政権で、アメリカが手をひいた、という不幸なタイミングだった。
これまでアサド政権に敵対していたUAEやエジプト、サウジアラビアなどの国々が、震災後は手のひら返をしていて、アサド政権と関係を良くしようとしている。アサド政権も震災を理由に、国際社会への復帰を図ろうとしている。しかし支援は支援であり、アサド政権の戦争犯罪は決して消えないということを意識する必要があるはずだ。(完)
以下、クロスディスカッション(解答は黒川氏)
Q アサド政権がこれだけ国際社会から批判されている中で、12年間倒れていないのは何故か?シリアが崩壊したら、ロシアに不都合があるからなのか。
___まず第一に、アサド政権の残忍さや暴力性というものは前提にあった。だが、反対派がまとまりがつかなかったというのが反省すべき点だ。また反体制派が、軍事力で軍に対抗しようとした時、武器の支援も海外からほとんどなかった。そのため反体制派は、ほとんどアサド政権側の検問所を襲って武器を取るということをやっていたが限界があった。
ただそのうち、サウジアラビアから対空ミサイルや戦車がどんどん入ってきて、一時期は反体制派が勢いをつけた。アサド政権側が押されて、「ダマスカス周辺の防御に集中する。これ以上はイドリブなどの遠隔地は守れない」といった敗北宣言のようなことも言った。しかしその直後にロシアが援軍として入ってきた。それで一気に逆転した。結局、ロシアとイランによる支援が流れを大きく変えた。そして反体制派を支援すると見られていたアメリカは何もできなかった。
アメリカとしては、その頃、イラクなどでもアメリカの兵士が結構死んで、国内で厭戦気分があった。オバマは批判されるのに弱い。もしオバマがシリアのために動いていたら、あのタイミングが歴史の転換点だったろう。フランスなども当初はアサドを叩く気で空母の約束を交わしたりしていたが、結局引いてしまった。もし当時のアメリカ大統領がオバマでなく他の大統領だったら、今のシリアは変わっていたかもしれない。非常に残念だ。
シリアは冷戦時代から続くロシアとの関わり合いが深い土地。シリアには、ロシアが地中海で動くために拠点となる海軍の軍事拠点もある。オバマが「アメリカは世界の警察を止めた」そのタイミングで、プーチンは勝負に出た。今だったらできるだろうと。そこからシリアで、そしてウクライナでの、世界の人権に対するチャレンジが始まってしまった。
イランはイスラム革命が起こってから、シーア派のテリトリーを広げるためのイスラムの輸出を一生懸命やっている。シリアはその標的になってしまった。イランとしては自分たちの勢力圏を広げていくのが使命だと思っている。その一環で、他国のテロ支援のような謀略活動を何十年もやってきている。
イランには、イラク、シリアを繋げてレバノンまで勢力を広げていこうという意志がある。その動きは、シリアの動乱の初期の頃からイランの工作部隊が入って、始まっている。シリアでは、現在はロシアよりもイランの影響力が非常に強くなっている。イランの配下の各国から来た民兵がたくさんシリアにいて、やりたい放題のようだ。彼らとしては、自分たちの正義としているシーア派のイスラム革命を進めることを、正しいことだと思ってやっている。そしてそのために、シリアの人がいくら死んでも構わないというスタンスだ。
Q シリアでは大統領の任期が定められており、現アサド大統領は2028年に政権を手放す決まりがあるか、どうなると思うか?
___シリアの憲法や法律は形だけのもので、全く意味がない。それを国民はみんな知っている。アサドも権力を手放したら自分達が生きていけないということをよく知っているから、大統領の座を手放すことはしないだろう。
Q 制裁をめぐるシリアの問題について
___戦争犯罪を行ってきたという理由で、シリアは国際社会からさまざまな制裁を課されてきた。しかしその国際社会からの制裁があるから、シリア国内に支援物資が入れないということはない。今回シリア(アサド政権支配地域)への支援が遅れたのは、政権が許可を出さなかったから。政権としては現場を見せたくない。現場を見せるためには準備をしなければいけないから。
今シリアでは、シリアポンドが暴落し、人々の暮らしも大変厳しい。ここで制裁を解除したら、停電が減ったりと人々の暮らしがマシになるかもしれないが、一方でそのお金が、アサド政権の私服を肥やすための資金になる可能性もある。
だからシリアへの支援は毒(そのお金が政権の私服を肥やすことに使われる)と薬(本当に人々のために使われる)と両方ある。だから考えるべくは、結局、誰が一番助けられなければいけないかという優先順位の問題だ。国連スタッフも、資金の8割がピンハネされても、それでも少しは本来のことに使われるだろうという思いがある。それを続けることで救われる人がいるかもしれない。
国連のダマスカス事務所はこうした問題を持っている。だから活動のかなりの部分は非開示。ユニセフのダマスカス事務所も情報は非開示。情報をおおっぴらに出せない理由がある。政権に資金がなかり抜かれていることが知られると、立場上良くないということがあるから。シリアの政権は暴力団のようなもの。しかしこうした暴力団組織を通じないと、人々に対して何もできない。最近、ダマスカスから日本の赤十字社の人が、「セキュリティの問題で現場に行けない。もどかしい」とブログに書いていたが、これはセキュリティじゃなくて情報統制があるから。シリア国内での支援は、どこも自分たちがお金を出したプロジェクトを最後まで見れない、というジレンマを抱えている。
シリア関連の情報は、よくその発信元を見た方がいい。今回のウクライナでも、ロシアの出してくる情報はダメだとみんなわかったと思うが、シリアでも同じで、政権側の通信社が出してくる報道は全部信じられない。プロパガンダ、情報統制がかなり徹底している。(完)
現地の被災状況(SSJ現地マネージャー、スラージュ氏より報告。)
(通訳・山崎やよい氏)
シリア北西部イドリブ県での地震発生は4時過ぎ頃。みんな飛び起きた。地面が裂けるような地鳴りがした。何が起きているか分からずとにかく恐ろしかった。子供を連れて外に出たが、揺れがあまりにく長く続いたので、どうしたらいいかわからない状況だった。
外に出たら、インターネットも電気もなかった。こんなに大きな地震が起きたとは予想していなかった。
暗くてインターネットも繋がらないので被害状況も分からなかった。その後、明るくなってくると、いろんな建物が崩れていることがわかり、さらにネットが回復すると、300ほどのメッセージが自分に来ていて驚いた。
友人、親戚の安否を調べ、どこに被害が大きかったか調べた。友人の家が崩れたと聞いて見に行ったところ、友人の家だけでなくその地区が全て崩壊していた。そこでは建物の下敷きになっている人々の声がたくさん聞こえてきた。
埋まっている人たちをなんとか助けたいと救援活動を始めるが、重機も何もない。手で瓦礫を除去しようとするが、ボブキャップのような小さい重機すらなく、落ちてきた天井を上げるわけにもいかず、作業が進まなかった。
みんな国連の支援を期待したが、3日経っても4日経っても支援は来ず、どうしたんだ、私たちは見捨てられてしまったのかと感じた。インターネットでトルコに支援がたくさん入っていることを見ていたし、アサド政権下にも入っていることも見ていたが、ここには来なかった。みんなで感情的に国連を批判した。
最初の三日間はとにかく何も支援が入ってこない。救援活動をする組織は、国内の団体と「ホワイトヘルメット」だけ。機械もほとんどないが、建設会社が少し械を持っていて、それを使って捜索をした。
地震後、病院もすぐにいっぱいになり、遺体や負傷者があふれた。病院は公立であれ私立であれ、全て無料になって治療を行なった。
最初の一日二日は非常に寒くて雨も降っていたので、必要としていたのはテントや寒さを防ぐ毛布だった、これらを地元の団体が配り始めた。
問題はテントだ。みんなテントが必要だったがテントがない。昔支援されて保管されていたテントは、一日目で全て売り切れた。またこの頃は、テントではなく仮設住宅に支援が移行している時期で、テントがなくなっていた。どこに行ってもテントが調達することができない状況だった。
こうしたなか、なぜ最小限の支援さえトルコに接する北の国境から入らないのかと、人々の怒りが大きくなり、国際社会や国連に対して憤りを覚えた。
この12年間、政治的な判断、問題があって、国連がいろんなことを止めた、ということは知っている。普段、国連がそういうスタンスを取るというのはわかるが、この大変な自然災害で、なぜ国連がここに政治を持ち込むのかと、我々は怒りを訴えた。
この北西シリアにいるのは、みんな他の地域から逃れてきた人たちだ。もともとホムスやダマスカスなどに暮らしていたが、そこから追い出されてここに来ている。そうした自分の家に戻れない私たちが、追い出した側のアサド政権の支援を受け入れるのを幸せに感じると思うだろうか?
10年前に私たちが革命を始めたのは、テントに住むためではない。テントや食料の支援を求めるために立ち上がったわけではないのに、自然災害においても支援に政治を持ち込み、政権側がお情けで支援を入れるというこの状況がとても受け入れられない。
SSJのスタッフとして、支援した人々の写真を撮るときとても躊躇します。私たちはこれだけしか彼らに提供できず、しかも写真を撮らないと周りが事態に気づいてくれないのだから。だから世間でよく反体制側は支援を拒否していると言われるが、なぜ政権側からの支援を拒みたいか、私たちの気持ちをわかってほしい。
私たちが現地で支援しているのは北西部で、アフリンやクルド人の地域も含まれるが、私たちはあなたはアラブ人ではなくクルド人ですか?などとは聞かないし、聞くのは恥だ。支援を求める人に対して平等に支援するだけだ。
パッシャール・アサドは先日被災地を訪問し、病院で大笑いをしていた。地震から二週間が経つが、私はいまだに子供の前で笑うことはできない。ここ北西部は政権側から逃げてきた人たち、自分の故郷に帰れない人たちなので、アサド側からの支援を拒否するのは単なる支援の拒否ではなく、もっと深い意味がある。
政権側の地域に支援団体が入って、支援スタッフが一人づつ、手から手へ支援をするのはいいが、みんなアサドにまとめて支援を渡すということをしている。そうした支援は私たちとしても拒否するしかない。
今回の地震だけに限らず、今まで革命が起こってからのことに言えることだが、人道支援が始まっても、政権の中枢にいる大統領の妻のアスマ・アサドなどが中心人物になって動いている。自分たちが人々を追い出しておきながら、人道危機を生み出しておきながら、彼らが率先して人道支援を配るという歪んだ構造ができている。
国際社会が私たちを見放しているという話をしているが、政府や政治は確かにそうだが、人との信頼は消えていないと思っている。日本からの支援が入っただけでも私たちは十分だと考えている。2012年の革命以前から日本は支援に熱心な国民だと思っていて、ここでもそれを続けていてくれるということに感謝している。
日本は地震国だが、シリアでは地震の避難訓練などしたことがないので、日本ではどうしてこんなに自信を怖がらずにいられるんだと、みんな話している。みんなとにかく地震が怖くて恐怖を感じ、家では寝られずに車で寝たり、家の横でテントをはって暮らしている。日本人はなぜこんなにも地震を怖がらずにいられるんだ。
シリア北西部でテントなどの支援を求めている私たちは、けっして乞食ではない。我々はかつて財産があったのに、いろんなプロセスから剥奪された。けっして最初から食料を求めていたわけではない。革命を起こした時に私たちの基本的な要求があったが、国際社会がそれをすり替えられてしまった。そして国連は、国際社会は、一番重要な人道支援が必要な日に、国境すら開けなかった。それを皆さんでよく考えてほしい。だからここで亡くなった地震の犠牲者は、私は国際政治の犠牲者だと考えている。そしてこうした状況を無視する人々も、責任の一旦を担っていると思っている。
みんな北西部に暮らす私たちに対して「食べ物が欲しいのだろう」と支援の要求を矮小化しているが、私たちはそれだけではない。この12年で生活を失い、それ故にここにいるのだという思いがあることを理解して欲しい。皆さん、話を聞いてくれてありがとう。(完)
SSJの震災対応について
・震災状況の配布
・日本での対応(メディアでの現状の紹介と寄付金集め)
・現地支援状況(現在約570万円を、615の家族にトイレ、シャワーユニット、毛布、テントに利用。送金ルートが限られており、毎日少額ずつ送金。緊急支援を継続しつつ、復興に向かっていけるようインフラの支援もする予定)
・復興に向けた支援を続ける上で、継続的な支援が必要。
・独自のルートから、シリア北西部に支援を届けている。
(以上、イベントのご報告でした。大変学びのあるお話でした。2023年2月24日)