6月20日、シリアの首都ダマスカスに入りました。隣国のイスラエルとイランの衝突が懸念される情勢下、シリアに入るための航空便が延期となったりと取材に影響が出ており、取材日程が遅れています。ただ、シリア情勢には、この衝突による大きな影響は出ていません。
(レバノンの首都ベイルートで目にした巨大な看板。エルサレムの黄金のモスクの上に、ヒズボラやハマス、イランの革命防衛隊の指導者たちの姿が描かれていた。いずれも、イスラエル軍によって殺害されている。
2024年10月に死亡したハマスの最高指導者ヤヒヤ・シンワル氏(左から一人目)、2024年7月にテヘランで死亡したハマスの政治部門のトップ、イスマイル・ハニヤ氏(左から二人目)、2020年1月に死亡したイランのイスラム革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」の司令官、ガーセム・スレイマニ将軍(真ん中)、2024年9月に死亡したヒズボラの最高指導者であるハサン・ナスララ氏(右から二人目))
(レバノンの首都ベイルートから陸路で国境を越え、シリアへ入国。「あなたの故郷へようこそ」の文字に、胸をうたれた。アサド政権下、祖国を去った多くのシリア人に向けたメッセージだろう。2025年6月20日、シリア側の国境にて撮影)
▼大多数のシリア人は、イスラエルとイランの衝突をどうとらえているか
6月22日、イスラエルとイランの衝突に、アメリカがイスラエル支援を行い、参戦することが発表されました。
大多数のシリア人にとっては、イスラエルもイランも、シリアにとっては非友好国として捉えられていますが(イスラエルは明確に、長年の敵国)、特にイランの革命防衛隊は、レバノンのヒズボラとともにアサド政権を支援し、アフガニスタンやイラクのシーア派民兵を訓練して派遣しました。これらの部隊が、シリアの民間人殺害や略奪行為に関与したことも指摘されています。
また夫の故郷であるパルミラには、2016年頃からイラン軍が駐屯していましたが、2024年11月末、イスラエルの空爆によってイラン軍が撤退した後、彼らが駐屯した多くの家屋に地雷が設置されており、アサド政権崩壊後、住民が多数亡くなっています。こうした、イラン軍による、民間人をターゲットとした無差別攻撃について、その責任を免られるものではありません。
イスラエル・イラン間のこの衝突に対するシリア人の心境としては、〝シリアの敵が互いにやり合って、互いにダメージを負っている〟というもののようで、特にイランが弱体化することを、シリア人の多くが歓迎しているようです。
私自身は、15年ほど前にイランを旅したことがあり、住民の素朴さや温かさ、歴史や文化遺産の素晴らしさに感銘を受けたのですが、アサド政権下、シリア国内で、イランから派遣された兵士たちが行ってきた行為と、一般的なイラン人への心情は切り分けて考えたいと思っています。
(イラン革命防衛隊は、空き家となったパルミラの家屋で、大量の武器製造や、保管を行っていた。アサド政権崩壊後の2024年12月撮影。)
▼ダマスカスでの取材計画
さて、現在、このダマスカスで、先にシリアに入っていた夫と合流しました。シリアには、10年近くトルコで難民生活を送っていた夫の親族や友人たちが次々と帰国しており、故郷では毎日がお祭り状態とのこと。3週間前にシリア中部パルミラに入った夫は、毎日、多くの帰還した同郷の人々と交流し、皆が故郷に再び立てる日が来たことへの喜びを噛みしめているようです。
ダマスカスで私が行おうとしている取材は3つです。
①ひとつ目は、殉教者の広場として知られる、ダマスカス中心部のマルジェ広場での取材です。6ヶ月前、アサド政権崩壊後にこの地を訪れた際、私はここで、塔の基部にびっしりと貼られたチラシを目にしました。それらは、アサド政権下、行方不明になった家族の情報提供を求めるものでした。現在、チラシは全て剥がされ、びっしりと塔の基部にチラシが貼られていた光景は消えていましたが、6ヶ月前、ここで兄の情報提供を求めるチラシを貼った1人である私の夫ラドワンが、再びここに立って何を思うかをインタビューします。
(マルジェ広場の塔にびっしりと貼られた、行方不明のままの家族の情報提供を求めるチラシ。アサド政権崩壊後の2024年12月撮影)
②2つ目の取材は、アサド政権による抑圧の象徴とされてきたサイドナヤ刑務所です。こちらも、6ヶ月前に夫と共に一度訪ねた場所です。この刑務所はかつて、収容された囚人の6割以上が生きては帰れないとされ、「人間虐殺の場」と言われてきました。
実はこの刑務所で、夫の兄サーメルが2013年に逮捕されたまま亡くなっており、兄がどのような最後を迎えたのか、今も夫の家族は、その真相を求めています。
政権崩壊から半年が経った今、このサイドナヤ刑務所で夫は何を思うのか。ここで兄が亡くなったことをどのように受け止めているのかを、インタビューします。現在ここに立ち入るためには、シリア情報省から発行される「ジャーナリスト証明書」の取得が必須のため、パーミッションを取得したうえで向かうことになりました。
③3つ目の取材は、アサド政権下で行われた住民への虐殺についての取材です。シリアが内戦状態に突入した2012年以降、民主化運動の盛んだった地域などに対し、政府軍による住民への虐殺行為が行われてきたことが明らかになっています。しかしアサド政権下では、そうした事実を公に語ることも許されていませんでした。政権崩壊後、こうした虐殺の証拠を示す集団墓地が、ダマスカスだけでも複数の場所で見つかっており、犠牲者の特定と真相の究明が進められています。今回、そうした動きについても取材します。
二人の子供たちも元気に過ごしており、子供たちを見守りながらの取材は本当にパニック状態ですが、なんとか切り抜けております。引き続き、安全に留意して取材を続けます。
(2025年6月22日)