突然ですが、シリア取材に入っています

(記事の更新スピードを重視したいため、この記事の写真は低画素・簡易編集で更新しています。写真の解像度が低く恐縮ですが、ご了承ください)

突然ですが、取材地をヨーロッパからシリアに変更しました。すでに16日にシリア入りし、取材を進めています。

今回、ヨーロッパで移民として暮らすシリア人の取材のため、イギリス、フランス、ドイツに入る予定でした。しかし、何というタイミングでしょうか。日本を出発し、ロンドンに着いた12月8日夜、シリアのアサド政権崩壊を知りました。

53年間続いた独裁政権が、民衆の力で倒されるということ。これはすごいことが起きた、シリアの歴史的な転換だ、ということをすぐに理解しました。

そして、今やるべきはヨーロッパでの移民の取材ではなく、歴史が大きく動いているシリアではないか、という思いがだんだんと強くなっていきました。

2年前の2022年夏、夫の故郷パルミラに11年ぶりに取材に入った私は、秘密警察に監視を受けたり、親族にほぼ自宅軟禁を受けたりと(秘密警察に命じられて閉じ込められた)、非常に苦労した記憶がありました。そこで私が目にしたのは、市民に対し圧倒的な権力を持つ秘密警察と、それに対し(恐怖心から)協力を惜しまない市民の姿でした。

長らくシリアの人々は、政権による抑圧下にあり、自由な政治的発言が許されない状況が続いていましたが、アサド政権崩壊とともに、何が変わろうとしているのか、時代の変動の「今この瞬間」を目にしたかったのです。

当初、取材に8歳の息子を連れてきていることもあり、まだ幼い息子とともに混乱のシリアに入ることが最も大きな心配の種でした。

取材費やバックアップ体制に脆弱なフリーランスの私が、小さな子供とともにシリア入りをし、もし何かが起きても、対応できるだろうか。息子の身の安全と、そしてシリア難民をテーマにしてきた写真家として、時代の大きな転換を目にしたい思いとの間で、私は夜も眠れないほど悩みました。

そして12月12日の深夜、突如、私は夫に電話をしたのです。

「一緒にシリアに行こう!」

私の夫はシリア中部パルミラ出身。2011年に政府軍に徴兵をされましたが、上官の命令で市民に銃を向けなければならない罪悪感に悩み、2012年に軍を脱走。ヨルダンに逃れて難民となりました。シリアでは脱走兵は死罪になるため、政権が倒れない限り二度とシリアには入れない立場となっていたのですが、このアサド政権崩壊によって、夫はシリアに戻れる自由を得たのです。

夫は12月8日以来、「今すぐシリアに帰りたい」と言っていたので、「今行こう、シリアへ!」と声をかけたわけですが、本当に今すぐ帰るとは考えてはいなかったようで、唖然としていました。しかし、子供も一緒だからと説得し、夫も一緒にシリア入りすることに。夫にとっては、13年ぶりの祖国です。

こうして私は現在、夫と8歳の息子とともに、〝夫が13年ぶりに見たシリア〟を取材しています。

というわけで、当初予定していたヨーロッパ取材は、四日間で切り上げ(2022年に不法移民としてイギリスにやってきた夫の兄アブドュメナムと甥のエブラヒムを、ロンドンの北の街ミルトン・ケインズにて取材したのみ)、その後、大急ぎでシリアへと移動をしました。シリア入りしたのは16日。

今、シリアで目にするものの全てに衝撃を受け、この国が大きな転換点にあることを全身で感じています。何よりも、2年前のシリアとは人の表情が違うのです。この感覚を、写真家としてしっかりと記録し、表現をしたいと思います。

シリア取材に入る前も興奮で眠れませんでしたが、シリアに入ってからも時間が惜しくて寝る暇がありません。

そして今のところ、8歳の息子も、父親の故郷シリアを元気に、興味津々な様子で一緒にめぐっています。

(夫とはレバノンのラフィク・ハリリ空港で待ち合わせをした。レバノンの首都ベイルートからダマスカスまでは、車で約3時間ほどの距離だ。1週間ぶりに長男に会って嬉しそうな夫)

(ラフィク・ハリリ空港からシリア国境まで、ベイルート市街地をタクシーで走る。途中、イスラエルの空爆によって最近破壊されたという高層住宅が点在していた。ヒズボラ幹部が暮らしていた家が狙われたとされている)

(レバノン側の国境にて出国検査。本当にシリアに入国できるのか、夫にとっては緊張の瞬間だった)

(シリア国境を越える。シリアの国境検問所は封鎖されており、入国審査がなかった。ハーフェズ・アサド前大統領(左側)とパッシャール・アサド大統領(右側)の顔写真の看板は破られていた)

(シリア側の国境検問所は閉鎖されており、一切入国審査がなかった。今回、外国人の入国は数日以内に制限されるかもしれないとの報を聞き、入国を急いだ)

(シリア国境に、反体制派の新しい旗(星三つ)が掲げられていた。「今まで(アサド政権下)だったら、国境の最初の検問所で私は終わりだった(捕まってしまう)」と夫)

(シリア側の国境から乗車したタクシーの前で。反体制派のシンボルである、星が三つの国旗が貼られている)

(シリア入国後、タクシーから緊張した面持ちで祖国の大地を眺める夫。「本当に、今ここにいるのが信じられないよ」。13年ぶりに、シリアに帰る)

(ダマスカスまでの道で、政府軍のものと思われる戦車が置き去りにされていた。道を行く人々が、その上に立って反体制派の国旗を掲げ、写真を撮っていく。「こんなことをして本当にいいのか?」とタクシードライバーに尋ねると(以前は軍事施設やこのような戦車の撮影は絶対に御法度であった)、「政府は崩壊して、この戦車も我々のものになったのだからいいのだ!」という返答が返ってきた。夫と息子も恐る恐る、戦車の上で写真撮影した)

(ダマスカス中心部に近づくにつれ、放置された戦車や燃やされた軍事車両などが残っていた。反体制派がダマスカスに迫るなか、政府軍は逃亡者が続出し、ほぼ無抵抗であったという)

(ダマスカス中心部、メッゼ地区にて)

(アサド政権崩壊を「マブルーク(おめでとう)」と祝い、反体制派の国旗を掲げている建物。ダマスカス中心部の大通りにて。こうしたポスターや看板を、至る所で目にした)

(街中でお茶を売る少年。反体制派の国旗を頬にペイントしている)

▼アサド政権崩壊後のシリアへ

(以下の原稿は、今回のアサド政権崩壊とシリア行きについて、うまくいけば来年度に完成予定の新刊に組み込むために書いたものです)

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2 Replies to “突然ですが、シリア取材に入っています”