11月24日オンライン懇親会の報告 〜最近の活動・取材計画〜 


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11月24日、この「HP有料会員コンテンツ」のオンライン懇親会を行わせていただきました。初めての試みということで、何人集まるか不安だったのですが、20名ほどの皆様にご参加いただき、活動の報告と交流会をさせていただきました。皆さまと活発な意見交換もさせていただき、また写真活動を続けるうえでの葛藤もお話させていただいたりと、大変嬉しい時間でした。ご参加いただきました皆様、どうもありがとうございました。

こちらのオンライン懇親会は、一ヶ月半に一度ほどのペースで、今後も開催していきたいと思っています。以下、オンライン懇親会のご報告をさせていただけたらと思います。

以下が懇親会の議題でした。

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まず初めに10〜11月の最近の活動について報告しました。

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< 『 NHKワールド 「Direct talk」 』 出演について >

・番組は、海外に向けて発信する英語の番組。大変光栄な機会だった。一方、「自分の写真表現」をまだほとんど確立できていないことを感じている。もっともっと、写真家としての仕事をしたい。人間一人ひとりのエピソードを、独自の視点から伝えることをしたい。 

・番組で座右の銘として紹介したのは、「名のない星に目をこらす」という言葉。夜空が美しいのは、名のある明るい星の光だけでなく、名のない無数の星の光があるから。同じように、じっと目を凝らさなければ見えることのない、それぞれの土地でひたむきに生きる人間一人ひとりの唯一無二のエピソードに、じっと目を凝らしていたい、という意味から。

次に、連載をさせていただいている秋田魁新報社の記事をご紹介しました。10月に執筆したものです。

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今年は、全国的にクマの被害が報告されており、私の郷里の秋田でも例年の6倍以上と言われるクマによる被害が出ています。以前は考えられなかった市街地でもクマが多数出没し、まさに異常事態。

私は以前、登山に熱中していた時期がありました。山を始めた秋田では、山がどういう場で、そこにどのように臨むのかを多くの先輩方から教えていただきました。今考えると、古来から山の文化に依った土地で、現代的なスポーツとしてではない、精神文化的な「登山」を教えていただいたのだと感じています。

その後、大学山岳部で本格的な登山を学び、20代半ばの2007年ごろまでは登山を中心にした生活を送り、憧れのヒマラヤの高峰にも登りました。その後は新たな地平線を求め、厳しいヒマラヤの世界から離れましたが、その後も山で得た学びや感覚は、私の原点として心から離れずにおります。

前置きが長くなりましたが、クマの被害が相次ぐ故郷の現状から、これまで山を登るなかで出会った先輩たち、先人たちの、自然との向き合い方、繋がりについて改めて思い起こすようになりました。その一人が、この記事に書いた、小国(おぐに)マタギの藤田栄一さんでした。藤田さんにお会いしたのは10年ほど前の2013年のこと。福島・新潟・山形三県にまたがる飯豊連峰の麓、山形県小国町で、かつてマタギの棟梁として知られた一人でした。

「自然との共生とは、昔からの、人間と自然との関わりを維持することではないか。狩猟もそのひとつだ」。藤田さんは、人間が狩猟という手段で積極的に自然界と関わることで、大型動物の繁殖制御をし、さらに動物と人間の棲家の境界性を認識し合う、という考えを持っていました。

「人間が自然から遠ざかりつつある今、動物との間に保たれてきた境界線が失われようとしている」。当時80代だった藤田さんの言葉を、改めて思い起こし、記事でご紹介させていただきました。こちらの秋田魁新報社様では連載のお仕事をいただき、大変にありがたいことです。

ほか、雑誌『kotoba』(集英社インターナショナル)への連載『人間のいない土地』の第3回 「砂漠へ、ラクダの乳を搾りに」についてご紹介しました。こちらは、最近ようやく提出が終わってホッとしたところです。

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写真は、校正原稿です。『人間のいない土地』は、再来年の書籍化を目指して全部で10回ほどの連載を予定しています。毎回10000字近く書かねばならず、遅筆な私は毎回フーフー言いながら書いております。

今回の、第3回 「砂漠へ、ラクダの乳を搾りに」では、2021年5月にトルコで亡くなった義父ガーセムについて、彼がどのようにシリアを離れ、難民となったのか、そしてどのように異郷で亡くなったかを書きました。

第一次世界大戦後のフランスによる委任統治領時代のシリアに生まれ、時代の激動に生き、その晩年に内戦状態を経験し、パルミラを離れなければいけなかったガーセム。トルコ南部で、難民として最後の日々を過ごした彼の最後の言葉は、「砂漠へ、ラクダの乳を絞りに行ってくるよ」でした。義父への感謝と尊敬と慎みを込めて、難民となっていくということがどういくことなのかを描きました。こちらが掲載された雑誌『kotoba』は12月6日に発売です。是非書店でお手に取っていただけましたらと思います。

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また、10月7日からのイスラエルとガザの衝突以降、頭から離れずにいるこの問題について、自分なりにどう取り組んできたのかをお話ししました。

ガザ側・イスラエル側、双方の話を聞き、それぞれの立場から考えたく、トークイベントを企画し、お話を聞きましたが、理解が深まった一方、さらに悶々としております。しかし写真家として何ができるかを真剣に考えるようになりました。この議題は、後半に再度登場しますので、そちらで詳しくお話いたします。

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昨年からのウクライナ侵攻や、今年世界各地で起きた大地震や洪水などの災害、さらに最近起こったイスラエルとガザとの衝突の裏で、ほとんど報道がなくなってきたシリア難民の現状についてもお話ししました。

こちらはあくまで、シリア難民である私の夫や、近所に住む夫の甥のムハンマド(2020年に二年間の労働のため来日)、及びその周囲のシリア人ネットワークからの情報です。

こちらの写真は、ヨルダンに一ヶ月ほど渡航して戻ってきたムハンマドと久々に会い、サイゼリヤでご飯を食べている写真です。ムハンマドは、日本に来た頃は料理上手でよく料理を率先してしてくれたのですが、最近は仕事の後で調理をする体力も気力もないそうで、「忙しい」「疲れた・・・」が口癖に。なんとも、「仕事で疲れ切っている日本人サラリーマン」のようになっており、ほとんど調理しなくなったとか! ムハンマドは夫と同時期にヨルダンへ行き、夫は難民として暮らしている家族に会いにトルコへ渡りましたが、ムハンマドはビザの問題(*)があるため、トルコには行けず、ヨルダンとドバイに滞在して帰ってきました。

*夫はムハンマドと同じシリア国籍だが、ビザが「日本人の配偶者」なので、トルコビザ取得があまり困難ではない。ムハンマドは来日するまでトルコで難民生活を送っていたこと、家族が暮らすトルコに戻りたいと希望しているため、これ以上シリア難民を入国させたくないトルコ政府の思惑から、トルコビザがなかなかおりずに入国できない、という困った事態になっています。

帰国したムハンマドのため、「うちに来てみんなでご飯食べようよ」と誘いましたが、ムスリム文化のため、親族ではあっても、夫のいない家に私と子供たちとムハンマドがいるのはダメとのことで、夫のいない間、ムハンマドとご飯を食べるのは、もっぱらムハンマドのお気に入りの近所の「サイゼリヤ」(お手頃なイタリアンレストラン)でした。

全く料理する気がなくなったムハンマドは、サイゼリヤで数日分食いだめをするとのことで、夫が帰ってくるまでの二週間近く、なんと4回も、私たちも一緒にサイゼリアに行くことに。以下、サイゼリアでのムハンマドの話です。

<ムハンマドの話>

・自分のトルコ入国ビザは、今後数年間おりないかもしれない。日本の生活は、仕事と家の往復で、これは我々シリア人にとって「人生とはいえない」。そのため、どうせトルコビザ発給を待つなら、同じアラブ民族が暮らすヨルダンかドバイで働きながら待とうかと下見をしに行った。しかしヨルダンもドバイも、収入に対する生活費の割合が高いと感じ(収入の半分が家賃代、あとの半分が食費に消え、ほぼ貯金ができない)、日本のほうが、働けば生活は安定し、貯金もできる。治安面でも日本がとても暮らしやすいことを実感し、ヨルダンやドバイでは、早く日本に帰りたくなっていた。

・(私の夫の兄の妻Rから、「シリアに暮らす妹のために洗濯機を買うお金をカンパしてもらえないか」と言われていることについて私が相談したところ)、シリアは今、1日に1〜2時間しか電気が使えない。洗濯機代を送っても、そもそも使えるだけの電気が来ない。自分の姉もシリアに暮らしているが、6年間洗濯機なんか使っていない。兄の妻Rは、「洗濯機代をカンパして」と言って、洗濯機を買わず、生活費に充てるんじゃないか。今、シリア国内の生活は本当に大変だ。電気もガスも水道も、1日数時間しか使えない。100ドルあれば、5人ほどの家族が暮らすのに十分だが、それだけ稼ぐのも本当に難しい。一家に2人の男性がいて、ようやく家族の生活が成り立つといった感じ。トルコに暮らすシリア人の暮らしも年々厳しくなっているが、シリアの比ではない。そんなシリアの悲惨さに、国際社会は目を向けなくなってきている。由佳はシリア国内についてもっと支援してほしい。でもシリア国内は、取材は危ないから行かないでほしい。

・ハマスとイスラエルの問題については、どちらも悪いと思っている。自分も子供の時から、パルミラのシェイフ(イスラムの宗教指導者)に、「イスラエルは敵だ」「イスラエルにはジハードで身を捧げよ」と教えられて育って、トルコで難民生活を送るまでは、それが正しいと思っていた。もしパレスチナに産まれていたら、自分も爆弾をつけて自爆テロに向かっただろう。でも、2012年からシリア政府軍を脱走してトルコで難民生活を送るようになって、「オープンマインドになった」(視野・価値観が広がった)。故郷のパルミラはイスラム色が強く、そうした社会しか知らなかったが、トルコでいろんなムスリムのあり方に触れた。それで考え方も変わった。自分たちに「イスラエルにジハードせよ」と語っていたパルミラのシェイフは、間違っていたと思うし、クレイジーだ。なぜならその標的は、イスラエルの普通の人々も対象で、憎むべき存在として教えられていた。ガザの人々も、狭い空間で、狭いイスラムの思考に陥っていると思う。正直、クレイジーな思考回路だ。ガザの人は、「イスラエル人やイスラエル兵を爆弾テロで攻撃するのはジハードだ」と思っているが、そんなのジハードではないと思う。ハマスも、ガザの人々も、イスラム教徒としてやり方が間違っている。自分は難民になって、トルコや日本で暮らしてそれが分かった。

・しばらくは日本で働いてお金を貯めて、トルコビザが降りるのを待つしかない。自分ではどうにもできない問題だ。

ちなみに肝心なことを言い忘れましたが、ムハンマドは10 月に、シリア国内に暮らす女性とオンライン結婚式を挙げ、現在オンライン夫婦生活を送っています。なぜ「オンライン」かというと、ムハンマドはトルコビザがおりずトルコに入国できないため、二人が会うのは「オンライン」しか方法がないからです。

二人はまだ、一度もリアルで会ったことがありません。互いに、両親が紹介し、オンラインでお見合いをして決めた結婚です。ムハンマドがリアルに奥さんに会うには、①ムハンマドのトルコビザが取れてから、②一人当たり3000ドルという大金を、シリア・トルコ間の密入国斡旋業者に支払い、奥さんをトルコに招聘し、③奥さんが不法にトルコ国境を越えてくる、といった道のりになります。今、ムハンマドと同じように、オンライン結婚式・オンライン夫婦生活を送るシリア人は少なくありません。シリア人の、国籍やビザをめぐる複雑さゆえの現実です。こうしたオンライン結婚式についても、次回トルコに渡航した際は取材できたらと思っています。

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また私の夫について。夫も10月初めから一ヶ月半ほど、ヨルダンとトルコへ家族に会いに帰省していました。「人生には砂漠が必要だ」とのことで、精神的安定を得るため、ヨルダンとサウジアラビアの国境の砂漠で遊牧民ベドウィンの知人とテント生活を送り、ラクダの群れの世話をしたそうです。毎日、ラクダの乳を絞ったり、放牧に出て、素晴らしい砂漠の滞在だったとのことでしたが、ラクダの世話より、私たち家族の世話をちゃんとしてくれ、と思うのでした(夫が支払いを担当している家賃支払いを二ヶ月分踏み倒して中東に行ってしまった!現在踏み倒し家賃を回収中!涙)。

ちなみにこのベドウィンの知人というのは、かつて夫の故郷、シリア中部のパルミラ郊外の砂漠に暮らしていた方々だそう。30年前にラクダの群れを引き連れて(おそらく不法に?)ヨルダンの国境を越え、そのままこの砂漠で暮らしているそうです。国境をほとんど意識していない、なんとも大らかな遊牧民の世界なのです。

写真左は、絞ったばかりのラクダの乳。淡白な味がします。写真真ん中は夫です。

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ヨルダンで砂漠の生活を満喫した夫は、トルコ南部に暮らす家族のもとへ。トルコのシリア難民コミュニティでは、例年にもまして大きな変化が起きていました。

トルコでは、コロナ後の経済政策の失敗により、深刻な物価高が進行しています。さらに2月に発生したトルコ・シリア大地震では、多くのシリア人が再び生活を失いました。シリアとの国境に近いトルコ南部の街レイハンルでは、三年前と比べて5倍近い物価高になっているとの話も聞いており、特に家賃の高さにシリア難民は苦しんでいます。こうしたなかで、地震後、復興に関する仕事が増え、多くのシリア人が建設業に従事しているそうです。

シリア難民にとっては生活の厳しさは増すばかりですが、働けば、それだけ豊かになれるチャンスが増えてきている状況のようです。

写真は、トルコ南部オスマニエに暮らす夫の兄やその妻、子供たちが、総出でオレンジ果樹園の摘み取りの仕事をしている風景です。なんと、季節限定ではありますが、一人当たり1日1000トルコリラ(約5000円)の収入が得られるそうで(私の日収より高いかもしれません!涙)、平均日収は二年前の5倍です。何よりも驚いたのは、兄の妻たちまで働きに出ていることでした!

実は、兄の妻たちに、毎年こう言われていたのです。

「由佳はどうして、日本でいつも外に働きに出ているの?女は毎日家にいて、完璧な家事と育児をするべきよ。外で働くのをやめなさい。ちゃんと家に座って、夫と子供に尽くしなさい」。

夫の故郷パルミラの伝統的な文化(アラブ民族とイスラム教、両方の文化)では、女性は家族以外の男性と接する場に出るべきではない、基本的に家にいるのが良い、とされ、私もそれを毎回諭されていたわけですが(もちろん私は聞き流していましたが)、その彼女たちが、わずか2、3年の間に、今ではほぼ全員が外に率先して働きに出ているではありませんか!!

「あなたたちも働きに出ているじゃないの!」とつっこみたくなりまして、柔らかくつっこみを入れたところ、兄の妻Rいわく、「毎日1000トルコリラももらって、服やスマートフォンを買ったのよ」とウキウキしておりました。自分で働いてお金をもらい、それを自分のために使う、ということに目覚めたようです。

彼女たちは三年ほど前までは、外出時は全身に黒いマントを身につけ、目だけを出して外出するスタイルだったのですが、今はヒジャーブで髪を隠すのみ。服装も思考も、大変な変化を迎えています。これには驚きました。時代も、人も、変化するのです。

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直近で計画している取材についてもお話しました。

現在の私の取材スタイルは子連れ取材です。子供を連れると撮影チャンスを逃したり、集中できず、えらいことになるのですが、私が見るしか選択肢がないので、連れて行くしかない状況です。長男が一歳になったタイミングでこれまで6年間、子連れパニック取材を続けてきました。

その長男がこの春から小学生になったため、基本的には今後、子供の学校の長期休みに合わせて長期取材に向かいたいと思っています。そうなると、夏休み、冬休み、春休みしかタイミングがなくなってくるのですが、子供たちもあと数年したらより成長し、取材について来なくなる日も来るでしょう。あと数年の間はこのスタイルで頑張るしかありません。

そんなわけで、この冬休みに子連れパニック取材に向かいたいと思っています。行き先は、イギリスです。取材先としては初めてのヨーロッパで、こちらもシリア難民の取材です。

これまで10年近く取材をしてきたトルコ南部のシリア難民コミュニティでは、物価上昇とシリア人への差別、トルコ政府によるシリア人帰還政策への不安から、次々と難民たちがヨーロッパに移動しており、昨年9月から今年にかけ、夫の親族も10人近くがドイツやオランダ、イギリスなどに渡りました。通常、男性が一人で向かい、その国で難民として保護されたら、後から家族招聘する、というパターンです。

このような中で、夫の兄や甥がイギリスに渡りました。彼らはギリシャまでは小型船で密航し、ギリシャから歩いて(!!!)フランスまで行き、フランスからドーバー海峡をゴムボートで渡り、2回ボートが転覆して、溺れたりしながらなんとかイギリスに到達しました。そうやって海を渡っていった夫の甥エブラヒムはまだ13歳。

今彼は、ロンドン郊外の難民収容施設で、認定を待っているところだそうです。まもなく学校にも通い始めるとか。イギリスにきたばかりの彼が、今後、どのように難民として生きていくのか、その取材の第一弾をしたいと思っています。

こちらの取材は、「故郷を失ったシリアの人々が、難民としていかにこの時代を生きていくのかを見つめることで、人間とはどういう存在かを写真で表現していく」という私自身のライフワークの取材です。ウクライナやイスラエルに注目が集まっている今、メディアや日本社会からの需要はほとんどないかもしれません。しかし、世界に散らばりながらそれぞれの異郷で生きようとするシリア難民の姿を記録していくことは、意義があると信じています。

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今後の写真活動の方向性について、考えていることについてもお話ししました。

これまで、写真活動の方向性については、模索し続けてきました。私が最もやりたいドキュメンタリーの分野は、収益化するのが大変難しく、また、収入の不安定な夫と二人の小さな子供を抱え、家族の経済も担いながら、私自身も収入の不安定なドキュメンタリーを撮り続けることは、一言で言えば、「サバイバル」です。

少しでも活動を収益に繋げるため、また多くの人に現場を広く知っていただくため、ここ数年は取材内容を新聞にも寄稿させていただきましたが、大手メディアの記者の仕事と同じことをしているにすぎないのではないかという疑問も生まれてきました。

私が本当にやりたいのは、「政情をジャーナルすることではなく、人間のエピソードをより掘り下げることで、”人間とはどういう存在であるのか”を写真で表現すること」です。また、より普遍的なものを希求したいという思いに駆られるようになりました。

新聞記事などの仕事は、多くの方に読んでいただける影響力のある仕事で大変貴重な機会ではありますが、一方で、多くの人にとってよりわかりやすい情報を端的に届けることが求められ、その部分が目指す写真表現とは異なることもまた感じるようになりました。

自分が前面に出て書いたり話したりするより、私は作品表現に徹し、作品が語るように。それを見た人が、それぞれにそこから何かを感じ、考えるきっかけになれば。そういう表現がしたいと思いました。それはつまり、写真家としての表現です。

今後どのような取材をしたいか、頭の中で温めている企画がいくつかあります。

取材企画① 「もう一人の先祖」

これは、私の故郷秋田の小松家に伝わる、もう一人の先祖の物語です。幕末期、秋田藩は東北の諸藩の中でも唯一、新政府軍側についたことから周囲の藩に攻められ、その援助のために佐賀藩や長州藩から多くの藩士が支援に駆けつけました。こうした戊辰戦争の戦いのひとつが、当時私の先祖が住んでいた地域でも繰り広げられ、佐賀藩士の「竹村庫之蒸(たけむら くらのじょう)」という人が、先祖の家の横で討死したため、周囲の人が墓を作って丁重に埋葬したそうです。数年後に、秋田の地で命を落とした藩士の遺族たちが九州からやってきましたが、その中に竹村庫之蒸の家族(竹村庫之蒸の母親?)がいたそうです。私の祖母の祖母が、その墓のすぐ隣に住んでいたたため、その遺族から、「佐賀から秋田までは大変遠いので、恐らくもう二度と来れないだろう。息子の墓を大事に守ってくれませんか」とお願いされ、「代々この墓を守っていきます」と約束した、と聞いています。それが1870年代または1880年代のことらしいのですが、このような逸話が小松家に伝えられています。そのため我が家では、毎年お盆になると、先祖の墓のほかに、この佐賀藩士の墓も墓参りをして供養をしています。小松家にとっては、その方は「もう一人の先祖」なのです。さて、この竹村庫之蒸が、本当に佐賀藩士だったのか(諸説あり)。仮に本当に佐賀藩士だったら、佐賀のどこで生まれ育ち、どのように秋田にやってきたのか。この「もう一人の先祖」の出自をたどることで、今や忘れられようとしているある先祖の物語を可視化したいという試みです。

取材企画② 「サーメルのババはシリア人」

シリア人の私の夫は、日本に来て10年目。(撤去された放置自転車など、行政が安く払い下げた中古自転車をコンテナに積み込み、ヨルダンに送る仕事を5年前から手がけています。ヨルダンに送られた自転車は、現地で難民として暮らす夫の兄が受け取り、それをシリア人難民キャンプに運美、そこで売られます。広大な難民キャンプでは、「代々木」「富ヶ谷」「渋谷」などとステッカーに書かれた日本からの自転車を、シリア難民が使っているのです。日本での夫の仕事がヨルダンのシリア難民に使われているというその流れを、写真絵本のような形でまとめられたらと思っています。「サーメルのババはシリア人」のサーメルは私の長男の名前、ババはアラビア語で父親のこと。こんなタイトルにできたら面白いですね。

取材企画③ パクラワ

パクラワは、トルコやアラブなどの国々で愛されている国民的お菓子。ピスタチオなどのナッツをパイ生地で挟んで砂糖蜜で固めた、とにかく甘〜いお菓子です。トルコ南部、大都市ガズィアンテップの周辺はピスタチオの一大産地で、毎年夏になると、多くのシリア難民がピスタチオ農園で収穫の仕事を担っています。彼らがどのようにそこで難民として暮らし、働いているのか。そうして収穫されたピスタチオからパクラワができるまでを、仕事に関わる難民たちの視線から、繋げてみたいと思っています。

いずれにしても、「人間とはどういう存在であるのか。それぞれの土地で、どのように風土と繋がって生きようとしているのか」を、表現したいという思いに駆られています。

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このところ、大変に悶々としているのがイスラエルとガザの衝突についてです。自分なりにガザ側、イスラエル側からの意見を聞き、考え続けてきました。確かにイスラエル側の強硬な支配が続き、ガザの人々が不条理のもとに置かれてきたことは事実です。イスラエル側のガザへの激しい空爆で、1万5000人近い市民の犠牲者がごく短期間で出たことも、悲劇としか言いようがありません。

しかしこうしたなかで、私がSNSで参加しているイスラム教徒のグループの中から、ユダヤ人へのヘイトともとれるメッセージが、平和を祈る文面と共に出てきたり、またメディアや専門家の中でも、一方の側から、片方を激しく非難し、犠牲者へのリスペクトに欠けるような言葉が出てくることについて、違和感も感じました。また都内では、ガザで起きていることを知るための多くのイベントが開催されています。そこでは歴史的事実を認識し、イスラエル軍によるこれ以上の殺戮を止め、戦闘停止に繋げたいという意図があることも分かるのですが、一方への激しい怒りや憎しみを伴う感情的な発信も多く、平和を語りながら分断や対立を生み出してしまっているのではないかという思いになりました。

私は、独自の立場を取ろうと思っています。イスラエルとガザ、どちらの犠牲者にもリスペクトを保ち、冷静に、客観的に、起きている事態の理解に努めています。イスラエルの肩を持つわけではありませんが、日本ではメディア報道も、専門家も、ガザよりに傾いているような印象を受けています(イスラエルに戦闘停止を求める一方で、ハマスに対しては250人近い人質の解放や、現在もイスラエル側に撃たれているミサイル発射の停止について一言も触れない、ハマス側からの情報についてファクトチェックが不十分なまま報道されるなど)。

そうしたなかで、私はやはり「写真家の仕事をしたい」と改めて意識するようになりました。

ジャーナリストではなく、政治専門家ではなく、「写真家」としてできることは何か。一方を非難したり、政情を批評するのではなく、あくまで双方の人間の痛み、悲しみ、心情に寄り添い、そこから見えるものを表現していくこと。それこそが写真家の仕事ではないか、と思っています。そのうえで、私は今のようなスタンスで、この複雑で大変難しいイスラエルとガザの問題に向き合っていたいと思います。

・「それぞれの立場から考え続ける」

・「白黒つけない」

・「憎まない」というスタンスを

・「写真家としてできることを考え続ける

「中立であることは、逃げである」という意見もありました。しかし、私はそう思いません。そもそも「中立」なのではなく、私自身のポジショニングにある、と思っています。それは一方への批判や怒りや憎しみではなく、双方の連帯の動きにこそ注視し、賛同していくというスタンスです。そもそも、どちらかにつかねばならないというスタンスこそが、分断の思考に囚われているように感じるのです。

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こちらは11月22日の朝日新聞の「コラムニストの眼」という記事です。NYタイムズのコラムニストであるニコラス・クリストフが、紛争で愛する家族を失った人々とつくるイスラエルとパレスチナの共同非営利団体「ペアレンツ・サークルー家族フォーラム」の活動を紹介しています。以下、記事中より。

「暴力を暴力で止めることはできません。私たちはそれを100年試し、そして機能しなかったのです」

「互いへの人間性を認めなくなる過程の中で、互いに相手を道徳的に劣った存在とみなすようになった」

「国家の数が一つであれ、二つであれ、五つであれ、私たちはこの土地を共有しなければなりません。そうでなければ、この同じ土地を子供たちの墓場として共有することになるでしょう」

「私たちは放火犯からではなく、和解、癒やし、進歩のために人間の能力を示す消防士たちから学ぶべきなのだ」

葛藤しながらも、現場で連帯を試みようとする人々の言葉が、大変印象的でした。こうした双方の連帯の動きにこそ、私は心を寄せていたいと思うのです。

231124オンライン懇親会(ドラッグされました) 20 pdf 11月24日オンライン懇親会の報告 〜最近の活動・取材計画〜  11月24日オンライン懇親会の報告 〜最近の活動・取材計画〜 

報告会の最後は、皆様からの質問や、自由な意見交換の時間とさせていただきました。さまざまなご意見や質問をいただき、皆さまありがとうございました。質問内容としては、甥のムハンマドが日本に再入国するのにビザの問題は起きなかったのか、トルコ在住のシリア難民の女性たちが外で働くようになったことについて、女性たち自身はポジティブな変化として捉えられているのか、などの質問をいただきました。

今思えば、せっかく参加くださっている皆様同士、親しくなれるように簡単な自己紹介を頂いたらよかったと思っております。こちらのオンライン懇親会は、定期的に開催していけたらと思います。皆様、引き続きよろしくお願いします。

以上、第一回目のオンライン懇親会のご報告でした。最後まで読んでいただきありがとうございました。

<<追伸>>

トルコ・ヨルダンから帰国した夫から、イスラエルとガザの問題について考えを聞いたところ、こんな話がありました。

トルコ南部のオスマニエ県に暮らす夫の一家の総意として、「ハマスは間違ったよ」という意見を持っているそうです。パレスチナ人の豊かさは、シリアでも大変知られているそうで、トルコのイスタンブールでも、多くのパレスチナ人が豪遊していることで裕福さが知られていたそうです。「彼らはこんなに経済状況がいいのに、どうしてイスラエルに反抗したのか。確かに故郷を追われたのは可哀想だけど、(イスラエルによって何らかの経済補償がパレスチナ人に行われていることもシリア人の間では知られた話のようで)経済的な不安がなく暮らせる状況で、圧倒的なイスラエルの軍事力を知りながら抵抗運動を、それもジハードのような過激な方法で行ってきたのは、間違ってきたと思う」と。さらに、「パレスチナは永遠に平和にはならないだろう」ともみんなで話したそうです。アラブ人は皆、母親の乳をもらいながら、「パレスチナはアラブ人のもの」と言われて育つそうです。

「パレスチナは我々のもの」。そう教えられて育ったアラブ人にとって、パレスチナの奪還は使命のようなものなのだとか。一方でイスラエル人もまた、パレスチナの地にユダヤの国を作ることは長い長い悲願でした。双方が、ここに自分たちが暮らす正当性を信じて疑わないのです。

そんな、「パレスチナは永遠に平和にはならないだろう」という夫や家族の言葉を聞いて、私は思わず聞き返しました。「じゃあ私たちはどうすればいいの?」。

夫は「ただ祈るしかない」と即答しました。その横顔に、中東地域で繰り返される戦争の悲劇への、当事者としての諦めのようなものを、ふと感じてしまうのでした。

(2023年11月29日)