今日、取材先のトルコ南部オスマニエにて、甥っ子とこんな冗談を言い合いました。
「5年後、オスマニエに住むアブドュルラティーフ一家の半分近くがヨーロッパに行っているかも。10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」
半分は冗談だけど、まんざら冗談でもありません。
今やそれは、本当に彼らがそうありたいと願っていることなのです。
悪化し続けるシリア難民の境遇
今年トルコに来た私は、彼らの置かれている状況がこんなにも変わりつつあることに本当に驚きました。
少なくともトルコ南部のオスマニエの状況ですが、シリア難民のコミュニティのうち、かなりの人々が、トルコでの生活を諦めつつあり、ヨーロッパへの密航を実際に実行に移しています。
私の夫の親族だけでも、二週間前に密航した兄が一人、さらに今月中に密航する予定の親族が五人近くいます(先に一家の男性が一人で海を渡り、後から家族を呼び寄せる)。
今、彼らの気持ちはトルコにではなく、完全に海を渡った先のヨーロッパに向いているのです。そこでは、難民として保護を受けて生活を再建できる可能性があるからです。
コロナ流行直前の2年前(2019年11月〜2020年1月まで)、トルコで取材をした際の彼らは、ここに根を張り、安定した暮らしを実現することに希望を見出していました。言葉や民族の違いも、トルコ人からの差別もありましたが、それでもシリアと陸続きで、シリアの文化の匂いを多少感じるこの地で、新たな日常を築きたいと語っていました。
ところが、その後のコロナ禍と、トルコの経済政策の失敗で(一年間で物価が二倍近く高騰)、シリア難民の置かれた状況はますます悪化していきました。
彼らにとってトルコに暮らすということは、物価高騰の中での貧困と、日々の差別と、労働条件や権利などのトルコ人との完全な区別の中で生きるということ。さらに来年の大統領選の結果次第では、シリア人に対して強硬な帰還政策が取られる可能性があります。先行きは不安ばかりです。
私の目には彼らが、シリア難民としてトルコ社会での複雑さと困難さに向き合い、苦労を重ねることに疲労感とあきらめを募らせているように感じられます。彼らはギブアップしつつあります。
三つの選択肢
実際、トルコ南部に暮らすシリア難民には選択肢が三つしかありません。
一つ目の選択肢は、シリアに帰ること。そこには電気や水道もほとんどなく(電気、水道ともに平均して一日1〜2時間のみ)、子供たちは教育を受ける場もほとんどありません。人々は飢え、寒さや暑さに苦しみながら、命を繋ぐための最低限の暮らしを送るしかありません。
二つ目の選択肢は、このままトルコに留まり、貧困やトルコ社会からの区別、差別に耐えながら、模索を続けることです。自分たちの世代はもちろん、子供たちの世代も同じ問題に直面することになるでしょう。
そして三つ目の選択肢は、密航という(命を失うかも知れない)リスクを負い、大金をかけ(密航業者に支払う額は、2022年8月現在で一人約5000〜6000ユーロ)、ヨーロッパに渡って難民としての保護を受けることです。そこでは自立のためのプログラムが整備され、職業も紹介してもらい、安定した生活に向かうためのプロセスが保証されています。
どの選択肢が、最も未来に光を感じるでしょうか。皆さんだったらどうするでしょうか。
私が同じ立場だったら、三番目を選ぶでしょう。
人間は、希望に向かって生きている存在、誰もが明るい方向を目指していきたいのです。
この11年間のシリアでの戦乱で、離散と避難を繰り返してきた人々にとり、希望をもって選び取ろうとしている唯一とも言える選択肢が、「ヨーロッパへの密航」なのです。
こうして、ヨーロッパへと一人、また一人と出発しようとするシリア難民の親族のなかに、私は滞在しています。まさに今、時代が流れていることを肌で感じ、シリア難民の歴史の一端を目の当たりにしています。
「10年後、ここオスマニエにはもう誰も親族がいなくて、私はあなたたち一家に会いに、トルコではなくヨーロッパに行かなくちゃいけないかもしれない」。
だから冒頭で書いたその冗談は、あながち冗談ではないのです。
なぜならそれは、すでに彼らの新しい夢になりつつあり、現実に身近な人々が、海を渡り始めています。
人間としての尊厳を求めて
私はそうした彼らの姿に驚き、ショックを受け、そして寂しさを感じています。シリアが内戦状態になる2011年以前、砂漠でラクダを放牧して生きていた彼らの暮らしがどんなに生き生きしていたか。その頃の彼らの姿が、今も胸に宝石のように光っています。
一方で、シリアから隣国トルコへ逃れた彼らが、シリア国境に近い土地で暮らし、いつでも故郷に帰れるよう留まっていることを、私は心のどこかで勝手に期待していたのかもしれません。
しかし彼らは、今やシリアというルーツから遠く離れようとしています。海を渡り、より良い暮らしを送ることができるだろう土地へ・・・。
その彼らの姿を、私は一生をかけて見つめたいと、本心から思いました(これはきっと、イラクのオアシスにルーツを持つというアブドュルラティーフ一家にとり、「フン族の大移動」ならぬ、「アブドュルラティーフ一家の大移動」とも言える、一家の血脈的大事件なのです)。
現在夜中の3時。開けっぱなしの窓から外を見ると(全くと言っていいほど蚊がいないので、網戸はなくどこの家も開けっぱなし。しかし巨大女王アリなどがどんどん入ってくる)、赤やオレンジや白の、街の光がきれいに見えます。そのひとつひとつの光に、無数の人間の人生を重ねました。
人生を変えるため、身ひとつで見知らぬ彼方へと向かう親族たち。彼らを目の当たりにし、人は、「人間としての尊厳を抱いて生きていると感じられる場所」へ、どこまでも旅をし続けるのだと思いました。