日本では爆発的に新型コロナの感染者が増えているとのこと。トルコではコロナはどうなっているの?と質問されることが多かったので、ご紹介したいと思います。
7月半ばの渡航時、飛行機乗り換えのアブダビやイスタンブールの空港では、すでに人々の半分ほどがノーマスクでした。
さらにトルコ南部に来ると、街中でも、公共の施設内でも、ほとんど誰もマスクをしていません。
驚くべきは、先日、感染症にかかってオスマニエの総合病院に行きましたが、医師や看護師などの医療従事者までもがノーマスクか、口マスク(口だけマスクをして鼻にはマスクをかけていない)が圧倒的。診療に来ている患者も、ほとんど誰もマスクをしていません。
トルコでも、コロナの感染者は一定数いると思いますが、もうあまりコロナを気にしてはいないようです。その大きな理由が、自粛に疲れたことと、コロナ対策の失敗による経済の疲弊が深刻であることが挙げられるようです。
コロナ全盛期の昨年4〜6月、例年通りトルコで取材を行い、コロナ禍のトルコを体験しました。その頃はイスラム教徒の断食月ラマダンもあって感染の爆発が懸念され、厳しいロックダウンが行われていました。
例えば、外出時には必ずマスクをしなければならず、土日の外出、夜20時以降の外出も禁止で、違反すると月収に相当するほどの高額な罰金が課せられました(しかし実際人々は、家の中では不特定多数がいてもノーマスク。また土日や夜も、警察のいない道からぞろぞろと建物の影に隠れながら移動し、親族訪問をしていました)。
こうしたなか、コロナ禍で多くのビジネスが破綻し、失業率が非常に高まっていきました。そして9〜12月にかけて、4回にわたるトルコリラの「利下げ」が中央銀行によって行われ、トルコリラは大暴落。物価が昨年と比べて2倍ほどに値上がりしました。
コロナ対策は失敗したとされ、人々はコロナの自粛生活に飽き飽きしているようです。そしてコロナ以上に、上昇した物価の中でどう生活を維持していくかが、人々にとってはるかに大問題なのです。
というわけで、トルコではもはや、コロナを気にする人はあまりいないように感じられます。道路脇のチャイハネ(喫茶店)でも、杖を手にしたお年寄りたちが、ツバを飛ばしあってトランプゲームやおしゃべりに興じています。
実際、私たちもコロナをめぐってこんなことがありました。先日、感染症にかかってゲロゲロ事件が起き、長男が病院で検便をしました。
その結果、腸から「コロナの友だち」のウィルスが見つかったそうで、ちょっとした騒ぎに(医師は「Friend of Corona」が見つかったと話し、そのときだけ、私たちの前でマスクをつけ、私たちが部屋から出るとすぐにマスクを外しました!涙)。
急遽、PCR検査を受けることになりました。その頃体調が悪かった長男が代表して受けたのですが、内心私は気が気ではなかったのです。
親族は頻繁に交流し合う大家族。泊まらせてもらっている夫の兄の家族はもちろん、オスマニエに暮らす親族100人近くが全員感染という大変な事態になるかもしれない。中には高齢者もいるし、どうしよう・・・。
不安を夫の兄に話したところ、「問題ないよ。一緒にコロナを広げていこう」と、冗談とも本気ともとれぬことを真顔で言われ、なんとも反応に苦慮したということがありました。そしてこれが、シリア人がどんなときにも大事にする「ユーモアのセンス」(アラビア語で「ノクタ」と呼ばれる。「冗談」を指す)なのだと後から思いました。
親族も、私たちがコロナかもしれないという事態に戸惑ったはずです。しかし、〝とりあえず今は笑い飛ばして気にしない〟、というのがいかにも彼ららしいなと思いました。起きていないことをくよくよ考えてもしょうがないのです。
シリア人の家族を持って日々感じるのは、彼らは計画性を持って何かをすることがあまりない一方で、何かが起きる前から物事を不安に考えたりすることもないこと。ことが起きてから、その時に考えればいいと捉えているようです。過去でも未来でもなく、常に今を生きている人々なのです。
その後、PCR検査の結果が4日後に出て(非常に時間がかかる)陰性とわかりホッとしました。
現在はコロナのほか、サル痘などの感染が広がりつつありますが、私たちにとってこのトルコ南部で最も警戒しなければいけないのは、やはり先日かかってしまったような食物から来る感染症です。一週間繰り返した下痢と嘔吐は、近年経験したことのない大変な事態でした。
引き続き、体調管理に努めながら取材を続けます。