以下は、2025年11月21日に行われました開高健ノンフィクション賞の贈賞式のスピーチ原稿です。
贈賞式は集英社四賞の合同贈賞式であり、何百名もの招待客の皆様の前で、壇上に立ってスピーチをしなければなりません。受賞者は4人。一人に与えられたスピーチ時間は5分ほどです。そしてこの5分間のスピーチが大仕事なのです。
何日も前から、スピーチで何を話そうかを考えていましたが、なかなか考えがまとまりませんでした。というよりも、壇上に立って見える世界から、頭に浮かんだこと、話したいことをふわりと話すことをしたいと思ったのです。大体の流れは小さなメモに箇条書きにしていましたが、金屏風が飾られた壇上に立つと、頭の中は時空を越えていきました。そして、見えてきたのです。聞こえてきたのです。記憶のなかの、心の深いところの、私自身の声が。
以下は、スピーチの内容を思い返し、書き起こしたものです。あくまで記憶なので、細かい部分が少し違っているかもしれませんが、大枠はこの通りです。これが、壇上に立った私が、そこに立たなければ見えなかった世界から話したかったことです。

開高健ノンフィクション賞 贈賞式 スピーチ原稿
開高健ノンフィクション賞を受賞させていただきました小松由佳です。今日は、この場に立たせていただけるということが本当に感慨深く、ここまでの長い道のりを思い出し感慨深いものがあります。
アラブの格言には、こんな言葉があります。
「故郷とは、人間が持ちうる最良のものである」
アラブ社会において故郷とは、生まれた土地を意味するだけでなく、深く広い親族コミュニティがあり、自分が生かされてきた、そして生かされていくだろう「人間の連なり」を指します。アラブの人々にとり、故郷とは、土地そのものではなく、人間なのです。
そうしたかけがえのない故郷での暮らしを内戦によって失い、難民となっていった人々の物語を描いたのが『シリアの家族』です。
物語の舞台は中東の国シリアです。
古代文明の発祥地としても知られるシリアでは、2011年以降、市民による民主化運動を政権側が武力弾圧したことをきっかけに、泥沼の内戦へと突入し、多くの死者、難民が生まれました。
かつての人口2240万人中、50万人以上が死亡し、500万人以上が国外に逃れて難民となったこの騒乱は、国連によって「今世紀最悪の人道危機」とも呼ばれました。
私の夫はシリア難民の一人であり、夫の家族もまた、難民として故郷を離れなければなりませんでした。私は彼らのそうした境遇や思いを、近い距離から目撃する機会がありました。
難民とひとくくりにされる彼らにも、一人一人唯一無二の物語があることを実感し、そうした彼らの姿を通して、シリアで何が起きているのか、難民となることがどういうことなのかを伝えたいと考えるようになりました。
当初この作品は、故郷への帰還を願いながら異郷に暮らすシリア難民を描く予定でした。しかし昨年12月、半世紀近く続いたアサド政権の崩壊により、作品を書き始めた当初は思いもよらなかった波乱の展開となりました。
作品を描く上で考えたことは、ひとつの出来事にしても、様々な解釈ができる余地を残すということです。そして特に、人間の多面性をこそ描くということです。
私は写真家です。私が考える素晴らしい写真とは、見る人により、さまざまな解釈が可能な写真だと思っています。同じように、作品を描くのならば、読み手によってさまざまな解釈が可能で、それぞれに何かを考えさせられるものを書きたいと願ってきました。
この作品を通して私は答えを示したり、白と黒の線引きをするのではなく、読み手が考えるきっかけを示すにとどめ、読み手それぞれが、それぞれの答えを見出してほしいと思います。
この作品は、5年近い執筆期間のなかで生まれました。その日々のなかでも、特に2022年に単身で行った、アサド政権下のシリア取材が思い出されます。
厳しい情報統制下、市民が真実を語らず、親族によって自宅軟禁にあい、秘密警察に監視をされ、精神的に追い込まれることもありました。しかし、どのような厳しい状況下でも、私は写真家としてありたいと思いました。
写真家としてあるということはどういうことか。それはどんな状況にあっても、常に光を追い求めることだと思うのです。そしてシリアのような紛争地において光とは、人間のなかの光であり、それを信じ続けるということが、写真家の役割なのだと自分に言い聞かせてきました。どんなに過酷で厳しい状況にあっても、微かな光はあると思うのです。これからもそれを信じ続け、探し続けたいと願っています。
今日は、この贈賞式に、私の二人の子供たちと共に、秋田から両親が来てくれています。今、さまざまな思いが込み上げます。
個人的な話になりますが、私はシリア人の夫と結婚する際、両親に結婚を反対され、勘当されて結婚式を行うことができませんでした。ですので今日、こうしてここで20年ぶりに着物を着たかったのは、両親に、結婚のときに見せられなかった晴れ姿を見せたかったからです。
私はこれまで、ヒマラヤに登ったり、砂漠を旅したり、シリア人と結婚したりと、自由奔放に生きてきました。そうした私の生き方は、親として受け入れることが簡単ではなかったと思います。しかし両親は、そのような私を受け入れ、認めてくれました。本当に二人には感謝しています。どうもありがとうございます。
そして今日は、後で私の夫もこの会場に来ることになっていますが、夫との結婚によって、一度バラバラになっていた私自身の家族が、今日、またひとつの家族へと繋がろうとしていることを思います。まさに私自身も、シリアの人々が、家族とともに日々を生きてきたように、自分の家族というものを築きながら、ともに生きてきたのだと、ここに立ちながら感慨深いものを覚えます。
この受賞に慢心することなく、これからも現場に立ち続け、人間がどういう存在なのか、この時代を生きる人間の姿を見つめていきます。
そしてまだ先行きの見えない、厳しい復興の道を歩もうとしているシリアの人々に、この受賞を捧げたいと思います。
皆様、本日は本当にどうもありがとうございました。(終わり)
贈賞式 写真ギャラリー(写真は全て知人よりいただきました)














<完>
(2025年12月4日)