(7月4日、取材先のシリアから出国し、レバノンに移動しました。滞在したシリア中部のパルミラでは、ほとんどインターネットが使えなかったこともあり、取材経過のご報告などができずにおり、申し訳ありません。
自己主張の強くなった子供たちを二人連れての子連れ取材は、想像以上に大変で、一人での静かな時間を確保しにくかったこともあり、取材経過を密に報告していくことができませんでした。
今回もドタバタ取材でしたが、アサド政権崩壊後のシリア難民の今を、しっかりと見つめ、記録することができました。あとは、なるべく早いタイミングで、取材の発表をしていきます。
イスラエルとイランの衝突の影響で航空便に影響が出ており、予定が変更となり、帰国日が8日になります。
今回、シリア難民をめぐる幾つかのテーマで取材を行いましたが、以下は、取材後半に起きたある出来事についての記事です。
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6月29日、取材中のシリア中部のパルミラで、信じがたい報に触れました。
親族の一人、マフムードさんが、地雷を踏んで亡くなったのです。マフムードさんは2020年から一年間、労働のために日本に滞在し、東京都八王子市の我が家にも二カ月ほど居候していました。その後、家族が難民として暮らすトルコに戻り、三カ月前に故郷のパルミラに帰還したばかりでした。
(写真左から三人目がマフムードさん。マフムードさんは、2020年12月〜2021年11月まで一年間日本に滞在。最初の2ヶ月ほどは我が家に滞在し、夫を含め、三人のシリア人の男性とのドタバタ生活だったのでした)
(シリアで床屋さんの修行をしたこともあるマフムードさん。いつも子供たちの髪を整えてくれました。)
6月29日の夜遅く、マフムードさんは三人の友人と、パルミラの街から4キロほど離れた砂漠へウサギ狩りに出かけました。
そして、バイクに二人乗りをしながらウサギを追いかけている最中、政府軍・イラン軍によって仕掛けられた地雷を踏んでしまったのです。
地雷が仕掛けられていたのは、車両が通行する道からわずか10メートルほど脇にそれた場所で、200メートルほど離れた地点には、アサド政権崩壊前まで、シリア政府軍・イラン軍が駐屯していた小さな基地がありました。
マフムードさんが踏んでしまった地雷も、シリア政府軍・イラン軍によって仕掛けられたものと考えられます。
この付近に地雷が残されているらしいことは知られていましたが、男性たちはウサギを追ううち道を外れてしまったとのことでした。
マフムードさんはまだ34歳でした。アサド政権崩壊により、それまで離散していた家族がようやく集まり、故郷で一緒に暮らし始めた矢先のマフムードさんの死。親族や友人は、深い悲しみに包まれています。私も、なんとここに書いて良いやら、まだ気持ちの整理がつきません。
この事故に限らず、パルミラでは毎日のように、シリア政府軍・イラン軍が家屋や基地の周辺、砂漠などに残していった地雷によって、住民が死亡したり重症を負う事故が起きています。
アサド政権が崩壊した後も、14年にわたる内戦によって多くの負の遺産が残されているシリア。この一件により、故郷に帰還した難民たちを待ち受ける、深刻な問題にも気づかされました。
今はただ、突然逝ってしまったマフムードさんの魂の安らかなることを祈るばかりです。
(次男サラームを特に可愛がってくれ、膝の上に乗せてご飯を食べさせてくれたり、寝かしつけをしてくれました。私が仕事で遅くなる日は、歯磨きをして寝かさせてくれたことも)
(左からムハンマド、夫、マフムードさん。2020年夏、ムハンマドが職場でトラックに挟まれ、重傷を負った際は大変心配し、退院の際は大変喜んでいました。ムハンマド退院の日の写真。三人は親族であり、幼い頃からの幼馴染でもあります)
(日本に来てから、千葉の建築会社で労働していたマフムードさんは、中古バスを改造した内側に暮らしながら働いていた。バスの内部。座席を取り外し、ベッドや台所を作っていた)
(右側が、バス車内に作った台所)
(マフムードさん、日本からトルコに帰る日)
(親族同士で、近所で生まれ育った幼馴染みの三人。左からマフムード、私の夫ラドワン、ムハンマド。日本滞在時、山梨県の勝沼ぶどう郷にて)
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▼マフムードさんの地雷事故の経過 日記より
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