義父ガーセムのお墓参りへ

〜トルコ南部オスマニエにて〜

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(ガーセム・アブドュルラティーフ、1939年1月1日生誕し(アブドュルラティーフ一家は全員正式な誕生日が不明で、誕生日は1月1日だ)、2021年5月31日に死没。お墓にお水をたっぷりかける。長男はまだ、人が死ぬということがどういうことかを理解しておらず、「ジッド(アラビア語で「おじいちゃん」)はどこ?」と探し回っていた。)

シリア難民としてトルコで4年近くを過ごし、昨年5月末に86歳で亡くなった義父ガーセム。昨年、亡くなる2、3日前に握手をしてお別れしてから、その死はあまりにも突然のことでした。

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(毎日のように家の屋上で火を焚き、パルミラを懐かしんでいたかつてのガーセム。)
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(その手は大きく、皮膚が厚く、長年風土とともにあった彼の生涯を思わせた。パルミラでは100頭のラクダの放牧が生業だった。)

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(イスラムの祈りのとき。トルコに来てからは、一人屋上で過ごすのがガーセムの日課になっていた。)

オスマニエに到着し、まず向かったのが、郊外の丘陵地にあるガーセムのお墓です。ここは比較的お墓代が安価な公営墓地で、シリア人のお墓も増えつつあるとのこと。なるほど、トルコ語に混じって、アラビア語が刻まれた新しいお墓があちこちに作られていました。

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(オスマニエの公営墓地。トルコ人のお墓に混じり、難民として暮らすシリア人のお墓も増えている。多くのお墓には赤や白の花が咲いている。故人の家族が頻繁にやってきては水を与えていることを感じさせた。)

イスラム教では、人が亡くなったら24時間以内に地中に埋葬しなければいけません。訃報が届いたらすぐに、近親者や友人などが故人の家に集まり、故人を埋葬するための準備が行われます。そして故人の身体を白い布でくるみ、良い香りの香水をふって、地中2メートル近くに掘られた穴に土葬します。

穴を掘ったり埋めるのは故人の近親者の役割で、特に遺体の上に最初に土をかぶせるのは故人に最も近い男性(故人の息子など)が行います。

穴を埋めた上には一段高く石を積んで囲い、誰かが上を踏んだり歩いたりしないよう、故人に敬意を払います。オスマニエのほとんどのお墓では、石の囲いの内側を花壇のようにして、花を植えていました。

日本でもお墓参りではお墓に水をかけますが、イスラム教でも同じです。故人を思い出しながら、お墓にたっぷりと水をかけます。ただし日本のように線香をあげたり、供物を供えたりはしません。

夫の兄によると、一週間に一度の頻度でお墓参りに来ているそう。亡くなった故人を悼み、死後もその冥福を祈る姿は、例え宗教が違えど、人間は皆共通なのだと改めて思いました。

ガーセムの面影を感じながら、彼が残したものをたどる取材がこれから始まります。

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(ガーセムが眠るオスマニエ郊外の墓地。丘陵地や森林に、いくつかの区画に分けて墓地が作られている。丘を登ると、子供たちのお墓があり、アラビア語で名前が刻まれたシリア人のお墓が目立った。)

(2022年7月19日)