【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】

12月8日は、シリアでアサド政権が崩壊してからちょうど一年の節目でした。シリア国内、特に暫定政府の統治地域では、この政権崩壊を記念する盛大な式典が開催されたようです。シリアの人々は、この12月8日を「解放記念日」として、長く記憶し、語り継いでいくことになるでしょう。

e250323写真展2 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】
(アサド政権崩壊から8日目の12月16日、シリアの首都ダマスカスへ。2022年のアサド政権下での単独取材とは人々の表情が全く異なっていた。反体制派の旗を手に歓喜する男性と、取材に同行した息子サーメル)

2024年12月8日。アサド政権崩壊のニュースは、全世界に大きな衝撃を与えました。2011年以降、シリアが内戦状態にある中で、アサド政権はロシアとイランからの強力な軍事支援を受けており、安定した統治を続けるだろうと見られていたからです。

しかし、反体制派の進撃により、政権はわずか10日ほどで破滅へと追い込まれていきました。まさに誰もが予想しなかった、突然の出来事でした。

その背景には、ここ数年の国際情勢の変化が大きく影響していると言われています。   

そのひとつとして挙げられるのが、2020年1月、イラン革命防衛隊の精鋭ゴッズ部隊を指揮してきたガーセム・ソレイマーニー将軍が、米軍の無人機攻撃によって死亡した事件です。彼の死は、シリア国内でのイラン軍の影響力を弱体化させるきっかけになったとされています。

もうひとつは、2023年10月、ガザのハマスがイスラエルに越境攻撃を仕掛けたことです。

これをきっかけに、アサド政権を支援していたレバノンのヒズボラやイラン軍は、イスラエルとの対決姿勢をより明確にせざるを得なくなりました。その結果、シリア国内での影響力が急速に弱まり、政権崩壊につながったとされています。

つまり、もしスレイマーニー将軍が存命だったら、またハマスのイスラエル越境攻撃が起きていなかったら、アサド政権は崩壊していなかったかもしれないのです。

e250323写真展5 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】
(アサド政権崩壊を祝う露店の少年。写真はすべて昨年のアサド政権崩壊後の取材のもの。写真を目にし、歴史的瞬間に立ち会った興奮がよみがえる)

改めて、私たちが生きている世界は、国や勢力間の微妙なパワーバランスが働く世界であることを思います。半世紀近くも政権を握ってきた支配体制が、このようにあっけなく崩壊するということが、突然起こるのです。

私にとっても、政権崩壊直後のシリアの地に立つことができたのは、一生忘れられない瞬間となりました。毎年12月8日が巡ってくるたび、私もまた、この日に起きた歴史の重みを感じ続けることになるでしょう。

e250323写真展1 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】 【12月8日は、アサド政権の崩壊から一年】
(政権崩壊後、ズタズタに破られたアサド大統領のポスター。シリア中部パルミラにて)

(2025年12月12日)