探検家・編集者の岡村隆さん
昨日7月9日、探検家・編集者の岡村隆さんが旅立たれた。
冒険者の集まりである「地平線会議」や関野吉晴さん主催の「地球永住計画」などを通し、生前、大変お世話になった先輩であった。法政大学探検部出身で、月刊『望星』編集長の傍ら、スリランカの密林へ探検に赴き、多くの仏教遺跡を発見。2018年には植村直己冒険賞を受賞した。
ほんの数日前まで、宮崎の実家で炎天下の草むしりをされた様子をFacebookに投稿していたのに、あまりに突然の訃報に、ただ驚きと寂しさでいっぱいだ。以前から患っていた骨髄の病が急に悪化し、白血病へと進行、数日の間で体調が急変された。
訃報を耳にし、信じられない思いと共に、岡村さんの人懐っこい笑顔が思い起こされる。もう、あの笑顔を見ることができないと思うと、大変寂しい。退職後も精力的にフィールドに立ち、まさに生涯現役だった。こんなふうに歳をとりたい、と思わせていただいた偉大な先輩であった。
(2021年の暮れ、探検家の関野吉晴さん主催の「イノシシ丸焼き会」にて。写真左が岡村さん)
「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」でも
岡村さんは、山本美香記念国際ジャーナリスト賞の選考委員もつとめてらっしゃり、拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル/2020年)が、小川真利枝氏の『パンと牢獄』ともに、二作品同時受賞をさせていただいた第8回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」では、以下の選考所感をいただいた。
https://www.mymf.or.jp/topics/news_2021-05-14.html
〜以下、抜粋〜
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ただ、『パンと牢獄』には、中国で政治犯となった夫の獄中生活の描き方や、再会した一家のその後の描写について不満も述べられ、『人間の土地へ』には、難民のなかでも弱者である女性や子供たちに向ける著者の視線に弱さがあるのではないかとの疑義も出された。
このうち後者については、イスラム世界や遊牧社会における女性の地位、夫婦関係、幼女婚など現地独特の文化や習慣、社会制度を、取材者がどう捉え、どう描くかという問題が含まれている。外から見れば一見奇異な現象でも、そこに厳然と成立している暮らしや文化をどう受け止めるかは、取材以前に人が異文化を理解して入り込んでいく上での前提となる感覚や資質の問題でもあろう。
そこに柔軟さが求められる取材者のありようと、普遍的な「人権」の概念の取り扱いには、ときに矛盾や相克が生じる。自分の異文化理解に浅薄さはないか、選考の焦点の当て方はそれでよいのか、と選考委員たちにも矢が跳ね返ってくる難しい課題だが、結局、著者の小松さんには、取材地で女性や子供たちの声に耳を傾けてきた山本美香さんからの付託という形で選考会の声を届けることになった。数奇な自身の人生と過酷な環境を丸ごと受け入れてなお取材に励もうとする「強靭な柔軟さ」を持つ小松さんなら、きっと今後への糧としてくれるだろう。
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『人間の土地へ』という作品で抜け落ちている部分があるとすれば、イスラム文化に対するもうひとつの見方であるという。それは、この本で表現した内側からの視点と、一方で、国際社会で認識されている外側からの視点。それははっきり記せば、人権という意味でのイスラム社会での女性のあり方や課題について、ジャーナリズムとしての深い、客観的な切り口で表現できているか、という問いだった。つまりは、主観的な体験からくるノンフィクションだったとしても、その視点には客観性をどこまでも反映させなければいけないのではないか、という選考委員のメッセージとも感じられた。今後の作品の執筆をするうえで、大変考えさせられた。
私の作品に対する岡村さんの選考所感は、以下の言葉で締めくくられている。
『数奇な自身の人生と過酷な環境を丸ごと受け入れてなお取材に励もうとする「強靭な柔軟さ」を持つ小松さんなら、きっと今後への糧としてくれるだろう』。
岡村さんのその激励のお言葉を、胸にしっかりと刻みたい。この世界を、ひとつの目だけではなく異なる幾つもの目を通して、より深く、捉えていこう。
岡村さんは逝ってしまった。しかし、あの素敵な笑顔とともに、旅立つ直前まで自らのフィールドを求め続けた情熱的な生き様は、私の心から離れることはないだろう。
岡村さん、どうもありがとうございました。またいつか、お会いしましょう。
(2025年7月10日)