2024年6月13日〜24日まで、新宿駅徒歩5分の「OM SYSTEM GALLARY」様にて写真展「あなたは ここにいた〜燃やされた故郷、パルミラ〜」を開催させていただきました。10日間の会期中は、驚くほど多くの皆様にご来場いただき、大変嬉しい時間となりました。
改めて、ご来場いただきました皆様、また本写真展への応援をいただきました皆様に、心より感謝いたします。どうもありがとうございました。
こちらのページでは、写真展で展示した全写真をご紹介いたします。遠方にお住まいの方など、ご来場いただけなかった皆様にも、写真展の雰囲気を感じていただけましたらと思います。
( なお、実際の写真展ではスマートフォンでの写真スライドショーや、空爆で破壊された夫の実家からの残置物を展示しましたが、このページには反映されていません。ご了承ください )
小松 由佳
( 放牧中の祈り | 2010 | Palmyra-Syria )
( ありし日のアブドュルラティーフ一家 | 2009 | Palmyra-Syria )
( 故郷の沙漠を懐かしむ義父ガーセム | 2019 | Osmaniye -Turkey )
( 異郷に眠る ー2021年、アブドュルラティーフ一家の父親ガーセムは、86歳でこの世を去った。トルコに逃れてから5年、故郷に帰る日を願い続けていたー | 2022 | Osmaniye -Turkey )
○スマートフォンでスライドショー(スマートフォンで撮影した2009年頃のパルミラの写真)
( 燃えたナツメヤシの森 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 数キロ四方にわたる瓦礫の街 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 結婚式に集まった子ども | 2022 | Palmyra-Syria )
( ラクダを自慢する農夫 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 破壊された古代の彫像 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 来訪者のいない博物館 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 処刑場として知られた円形劇場 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 凱旋門が爆破されたパルミラ遺跡 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 侵略者が去った後 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 停電中の食堂 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 瓦礫をならして作られた畑地 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 夜風が涼しいパルミラの夏の夜 | 2022 | Palmyra-Syria )
( ズボンを探す少年 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 水路を管理する老夫 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 収穫の日 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 沙漠へと続くオアシスの道 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 義父ガーセムの家 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – 絨毯の切れ端 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 家族が憩った中庭 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – パン | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – 玩具 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – 少年時代の夫 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – 砕けた床石 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – 新聞紙 | 2022 | Palmyra-Syria )
( 残置物 – ガーセムと息子バーセル | 2022 Palmyra-Syria )
( 残置物 – 日本からのお土産 | 2022 | Palmyra-Syria )
○スマートフォンでスライドショー(スマートフォンで撮影したガーセムの家付近の写真)
○残置物 – 生活の痕跡I | 2022 | Palmyra-Syria
○残置物 – 生活の痕跡II | 2022 | Palmyra-Syria
○残置物 – 生活の痕跡Ⅲ
ー軍服を着た軍人は、この家の家族が全く知らない人物だった。恐らく、住人たちが街を去った2016年以降にパルミラに派遣され、このあたりの家に出入りしたイラン人兵士のものと考えられるー
| 2022 | Palmyra-Syria
( 地雷が埋められたジャーラッラー・ムハンマドの一族の庭園。 ーかつてここに大家族が集い、木陰で団欒の時間を過ごした。一族の思い出の地だー | 2022 | Palmyra-Syria )
( アブ・アフマッド ー パルミラでは200頭の羊、300本のザクロの木、500本のオリーブの木、3階建ての家を持っていたー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( エブラヒム・チャルハ ーパルミラの街に近い沙漠の塩田で30年働いた。その後遺症で、今も腰痛持ちだー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( 夫の兄アブドュルメナム ー家畜の獣医を夢見て学んでいたが、パルミラを離れるとき夢もあきらめた。トルコに来てからは小さな商店を経営。2022年、イギリスを目指し、不法移民として海を渡ったー | 2022 | Osmaniye -Turkey )
( アリアと息子エブラヒム ーエブラヒムは戦火のなかで成長し、ほとんど学校にも通えなかった。トルコでは家計を支え、朝から夜まで働き詰めだった。2022年、13歳になったエブラヒムは、不法移民としてイギリスに渡っていったー | 2022 | Osmaniye -Turkey )
( オンム・ムハンマド ーパルミラでは近所の誰もが親しく、親族も多かった。毎日が天国のようだった。現在は6児の母として、子供たちの成長が生きがい。ペットのリクガメ「クッキー」を中庭で世話する時間が幸せだー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( アブ・シャーケル ー8年前にパルミラでの空爆で母親を失くしてから、何事にも集中できず言葉が出にくくなった。トルコでは、路上のビンや缶などを回収し、わずかな生活費にあてているー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( ジャーラッラー・ムハンマド ーパルミラでは床のタイルを製造する工場で働いていた。2015年、パルミラを占領したIS兵士に拷問を受け、四肢麻痺となった。トルコでは十分な医療ケアを受けられずにいるー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( オンム・シャーケル ーパルミラが破壊されてから、家族がバラバラになった。シリアに残っていた父親とは6年間会えないまま、父親も亡くなった。その遺影を、寝室で毎日眺めているー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( ハーレッド・モトラック ー2012年以降、軍が市民に武力弾圧を加えるのを目撃した。政府軍の将校として将来が約束されていたが、軍を離れ、シリアからも去って難民となった。トルコではタクシー運転手として暮らすー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( アブ・ムハンマド ー60年近く大工として働き、パルミラに数多くの家屋を建設した。それらの家屋のほとんどが、2015年から2016年までの空爆で倒壊したー | 2022 | Reyhanli-Turkey )
( ナディア ーパルミラでは第二夫人として嫁ぎ、2人の息子、2頭の牛がいて幸せな日々だった。空爆で自宅が倒壊後、夫は第一夫人のもとに身を寄せ、離れ離れになった。トルコではピーナッツ工場で働き、一人で子供を育てているー | 2022 | Osmaniye -Turkey )
( シリア側の山が見渡せる国境の街レイハンル | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( 午後のひととき | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( 息子を呼ぶオンム・シャーケル | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( お気に入りの友だちを紹介するオンム・シャーケルの娘 | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( 家事の合間 | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( パルミラの伝統料理〝キシック〟の昼食 ーキシックは、牛と羊のチーズをシチュー状にしたものー | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( 夕涼みをする中庭 | 2023 | Reyhanli-Turkey )
( 断水中の台所 ートルコ・シリア地震(2022年)後、この古い貸家では毎日断水が起こるー | 2023 | Reyhanli-Turkey )
鳩を食べる
( ーパルミラでは野生の鳩を沙漠で捕らえ、食用とする文化があった。トルコでも食費の節約のため、鳩を捕らえて食べているー | 2022 | Palmyra-Syria )
○ガーセムの写真展示(アクリル版)
< 完 >
One Reply to “写真展「 あなたは ここにいた 〜燃やされた故郷、パルミラ〜 」展示写真”
改めて思いました。難民達の眼の少なからずが、ユダヤ人のような悲しみをたたえていること。Diaspora の眼の表情は共通してるのだと感じ入りました。けども、ユダヤ人が二千年も帰還に要したような長期の離散生活にはならないと思います。アサド大統領が打算でマトモなやり方をする公算が全くないと言えないし。シリア難民が帰還するためには、日本政府がロシアとトルコに働きかけることは最低限必要。しかし、そのために私達ができることがなんと小さいことか。それでも、あらゆる伝を辿り努力しないといけないと思う次第です