パルミラに生きたガーセム

2022年5月31日、義父のガーセムが86歳でこの世を去ってから一年が経った。夫の父親であるガーセムは、厳しくて暖かく、威厳のあるアラブのお父さんだった。ガーセムを思い浮かべると様々な思い出がよみがえるが、その多くが、内戦前のシリアで忙しく働いていた頃の生き生きとしたガーセムの姿だ。

私は彼を通して、シリアの砂漠で生きる人間の精神、砂漠の世界観を学んだ。全ての砂漠は異なっていること、砂粒の大きさや色、形、そこに生える草の種類で砂漠を見分け、先祖代々、砂漠に名をつけて識別してきたこと。第一次世界大戦後にシリアの国境ができるまで、自由にイラクやサウジアラビア方面のオアシスへ砂漠を旅してきたこと。砂漠が閉ざされた空間ではなく、むしろ自分たちを違う世界へと導く「開かれた世界」なのだと教えてくれたのも、ガーセムだった。

左端がガーセム。パルミラにて。2009年。

2020年に上梓させていただいた拙著『人間の土地へ』(集英社インターナショナル)では、前半部分にガーセムが登場する。内戦前のシリアの暮らしとして、シリア中部パルミラに暮らす一家の話を書いたが、それがガーセム率いるアブドュルラティーフ一家であり、まさにガーセムがいなければ知ることのできない世界であった。

『人間の土地へ』では、ガーセムをこう紹介している。

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「勤勉で実直、一代で身を立て、大家族を養ってきたガーセムは、一家の大黒柱として尊敬されている。がっしりとした体格にこの頃はいくらか脂肪がついてきたが、風貌は依然として威厳に満ちている。ガーセムがいるだけで、その場にピリリとした緊張感が生まれ、すでに50を回った彼の息子から小さな孫までもガーセムの機嫌を伺うのだ。冗談好きで陽気な一面もあるが、曲がったことが大嫌いで、こうと決めたらひたすらその道をゆく。特に善悪についての子供への教育に厳しく、いつも片手に杖を携えて睨みをきかせるために恐れられていた。」

                ―――(『人間の土地へ』「ガーセムとサーミヤ ある夫婦の物語」より

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内戦前のパルミラにて、ラクダに与えるエサを運ぶ仕事の合間に。中央がガーセム。右端の男性ソフィアンは、イスラム過激派ISの戦闘員になっていった(彼の物語も『人間の土地へ』に登場する)。

ラクダの放牧中、メッカに向かってイスラムの祈りを捧げる。一家は100頭近いラクダを砂漠で放牧していた。

内戦前のシリアでガーセムと過ごしたのは、2008〜2011年の4年間だ。ガーセムは当時70歳ほど。大柄でがっしりとした体躯で、いつも片手に杖を持っていた。その杖は、歩くためのものというより、学校に行かずに遊んでいる孫を見かけると叩くための杖だった(私も冗談で時々叩かれた)。ガーセムが現れると、その場の空気が引き締まるような独特の存在感があり、その足はいつも裸足にサンダルばき。足の裏はゾウのように硬い皮膚に覆われてひび割れ、中に土が挟まっていた。その手もやはり大きく厚く、水で洗っても手に染み込んだ土はとれなかった。土地とともに働いてきた長い年月を感じさせる手足だった。

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