シリア人に聞く ♯1 〜ザイド・アルスレイマンさん〜

シリア人留学生のザイド・アルスレイマンさんは、ダマスカス郊外の出身。現在、神奈川大学工学部の2年生です。軍人の家系であるザイドさんからは、独自の視点による、大変貴重なお話をお聞きしました(取材日:2026年3月13日)

———お名前とルーツについて教えてください。

私はザイド・アルスレイマーン、神奈川大学の2年生で23歳です。シリアのダマスカス南部、レバノン国境から約15キロに位置するコツセイヤ(Qudsaya)の出身です。

私の家族のルーツはシリア東部のデリゾールですが、祖父の代にダマスカスに移り住みました。祖父は1960年代から70年代のアラブ・イスラエル戦争を戦い抜いた軍の少将で、父もまた空軍情報局の大佐という、代々軍人の家系でした。

しかし、シリアで2011年から革命が起きるにつれ、父は2013年に軍を離脱(離反)しました。(軍の離脱者は犯罪人として罰せられるため)報復として家族が逮捕されないよう、私たち家族はその一年前に、すでに反体制派の支配下にあったデリゾールへと逃れていました。父は、いずれ軍を離脱することを考えて、私たち家族を安全な場所に移動させていたんです。

しかしその後、2014年にデリゾールが過激派組織IS(イスラム国)に占領されました。それによって元軍人の家族である私たちも、危険に晒されました。ISは、離反した軍人であっても、罰を与えようとしたからです。

———ISの統治下にいらっしゃったのですね。そこでは偏ったイスラムのルールが強要され、例えば成人男性は、(預言者ムハンマドのように)ヒゲを生やさないと、ISによって殴られたり罰せられたと聞いたことがあります。

私は当時まだ子供で、11歳から14歳ほどでした。ですのでまだヒゲはありませんでしたが、父はヒゲを生やしていました。彼ら(IS)のルールに倣わなければいけなかったのです。

最終的に私たち家族は、身の安全と教育の機会を求めて2016年6月にトルコへと逃れ、難民となりました。

———トルコでの避難生活について教えてください。

トルコでは、南部のシャンルウルファで6年半暮らしましたが、どれほど努力を重ねても、シリア人であることが原因で、結果に結びつかない日々が続きました。

例えばシリア難民という立場では高校受験ができなかったり(トルコ人のみ許可されていた)、また外国人留学生向けの大学入学試験(YÖS)も、シリア人志願者の多さと高い倍率に阻まれました。

大学は2年間で30近く受験しましたが、志望していた医学部は叶わず、工学部の電子情報学科へ進学して一年間学びました。

そんなとき、難民の学生を対象とした「パスウェイズ・ジャパン」の日本語学校奨学金プログラムを知りました。これは、日本で二年間日本語を学んだら、その後は就労も可能なプログラムです。

同時に、スペインへの交換留学も申請していましたが、こうしたヨーロッパへの交換留学のプログラムは、一年や二年の期限付きで、終わればまたトルコに帰らなければいけません。

しかし日本語学校奨学金プログラムは、選考結果が出るのも早かったことや、プログラム終了後、日本での就労が可能なことも魅力的でした。とにかく早く、トルコでの経済的な厳しさから抜け出して自立したかったのです。それで、このプログラムで日本に行くことを決めました。

———ヨーロッパの国々はキリスト教国も多く、文化的にシリアとは近いかと思います。しかし日本は、東アジアの外れで、シリアからは文化的にとても遠いように思います。それでも、日本に来るという決断に躊躇はなかったのですか?

確かに日本は、文化的に馴染みの薄い国でした。しかし父が以前、軍人として中国を訪れたことがあり、東アジアの文化も知っていました。それで父が「日本なら安心だ」と背中を押してくれました。

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——–ザイドさんはその後、2022年10月に日本にやって来たのですよね?

はい、日本語学校奨学金プログラムの7期生として来日しました。このプログラムは渡航費や学費の支援はありますが、生活費は自力で稼がなければいけませんでした。

工場やレストランなどでのアルバイトをして生活費を稼ぎ、さらに日本語の勉強を両立させることはとても大変でした。現在は、神奈川大学工学部の2年生です。ここで、2029年の3月まで大学生活を送る予定です。

———卒業後の進路についてはどのように考えていますか?

日本を離れてシリアへ戻るか、または別の国へ移動することも考えています。日本にとどまることを考えられないのは、日本の労働文化が自分には合わないと感じるからです。

———なるほど、それは例えばどのような点ですか?

日本での職場での上下関係や、外国人労働者の扱いに強い違和感があります。

例えば日本の職場で、目下と見る人には大きな声を出して叱ったりなど、高圧的な行為に何度も直面しました。もしかしたらこれは、日本人の間では普通のことかもしれません。しかしシリア人である私にとっては、人間としての誇りという点でとても失礼で、受け入れられないことです。

また外国人労働者は、日本人と同じように扱われず、平等ではないと感じる場面がたくさんありました。同じ時間給を得ているにも関わらず、です。

また、特別な事情がある時でさえも、頑なにルールを優先する日本の文化も、理解が難しいと感じています。

さらにどれほど努力しても、日本では「頑張るのは当たり前」とされ、努力や才能に応じた報酬や評価に結びつきにくいと感じます。例え結びついたとしても、評価されるまでに非常に時間がかかります。

私は、少しでも早く、家族を経済的に支えたいと思っています。しかし日本では、このような理由から経済的に安定するまでに時間がかかります。

日本で安定した収入を得るには5年はかかると感じますが、他国であれば、能力や努力次第で、1〜2年のうちに評価され、高収入を得る道があると感じます。日本は、外国人が努力しても、正当に評価されにくい国だと感じます。だから私は、日本を離れることも考えています。

ただ、日本での問題はそれだけです。大学では先生方や友人たちがいつも私を親切にサポートしてくれ、満足しています。

———卒業後は日本を離れるかもしれないということでしたが、どのような職種を希望しているのですか?

システムデザインなど、IT企業でのコンサルティングの仕事を考えています。

またもうひとつの選択肢として、シリアに帰国し、祖父や父のようにシリア政府軍に入ることも考えています。ここでは、トルコや日本で学んだ専門的なITの知識を生かすことができるかもしれません。シリア政府軍は今、立て直しの段階にあります。私は祖父や父のように、シリアの国のために貢献したいんです。

———ザイドさんのご家族は今、どうされているのですか?

私の家族は2016年からトルコで難民として暮らしていましたが、昨年2025年7月に、もともと暮らしていたダマスカス南部のコツセイヤに戻りました。

私は5人兄弟の一番上です。私の下には、二人の妹、二人の弟がいて、一番小さい弟はまだ4歳です。実はまだ、私は彼に会ったことがありません(笑)。

コツセイヤの私の家は、空爆などの被害はありませんでしたが、父親が脱走兵だったため、自宅は政権側からの嫌がらせを受けました。家の中にあったものは全て略奪されてしまったんです。私の家族のシリアへの帰国は、他の難民に比べてとても遅かったのですが、それは略奪に遭ったため、帰国してもすぐには暮らせないと分かっていたからです。

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———次に、アサド政権下のシリアでのエピソードを教えてください。アサド政権下を生きていた、ということを、どのように記憶していますか?

私が育ったのは、周囲に軍関係者が多い環境でした。周りはみんな軍関係者の家だったので、学校に行っても、みんな軍関係者の子供たちです。ですので子供が学校で、〝(政府にとって)不適切なこと〟を話さないように、私の両親は子供の前で政治の話題はしないようにしていました。

しかし子供ながらに、「何かおかしい」と感じることがありました。2011年以前は、アサド大統領をあえて称賛するような空気はありませんでした。しかし、2011年以降は、「アサド大統領は素晴らしい」と先生が言い始め、その変化に違和感を感じたんです。

また2011年以降、学校で「自由」の意味を教えられることがなくなりました。学校は、体制に都合の良い、偏った「自由」の概念を教えるようになりました。そのために、それを教えこまれた子供たちは、外の世界で反体制派の意見を聞いても、理解することができなくなってしまいます。このように、教育の場に政治的な影響が入ってきました。

また私の家族のルーツ、シリア東部デリゾールに、毎年イード(イスラム教の祭り)の時に滞在していたのですが、この経験から、私は10歳くらいになると、シリアの政治体制についてだんだん理解するようになりました。

ダマスカスでは決してできない政治的な話を、デリゾールでは家族がしていたからです。またデリゾールで父は、1982年に起きたハマ虐殺の話を語ってくれました。

しかし、ダマスカスで同じ話をしたところ、その話をするな、と父はひどく私を叱りました。父は私を別の部屋に連れ、今の話をムハバラート(秘密警察)に聞かれたら大変なことになる、そういう話をしないようにときつく言いました。私の父親は軍人でしたが、思想としては反体制派でした。これは2012年頃の話です。

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———軍人だったお父様は、2011年以降にシリアで起きたことをどう受け止めてらっしゃったのでしょうか?

2010年以降、「アラブの春」によって、国民の力でアラブの国の政権がいくつか倒れていきした。それを目にしていた父は、シリアの未来について楽観的に見ていました。シリアと同じ政治体制のアラブの政権が、一週間くらいで倒れていった。シリアも同様になるだろう、と期待していたのです。

父親の一族は軍人が多かったのですが、2011年以前から、思想的には反体制派でした。ハマ虐殺など、80年代からのアサド政権の問題を知っていたからです。

———ふだん軍人として、それもかなりハイポストの軍人として働きながら、思想的には反体制、ということは可能なのですか?

はい、誰にも言わなければ可能でした。

(アサド政権が崩壊するまで)シリアでは、軍の上層部はアラウィ派で占められていましたが、私たちはスンニ派でした。それに祖父や父が軍に入った頃は、まだアラウィ派の力は強くありませんでした。例え大統領が尊敬に値しなくても、シリアを守りたいという思いで、祖父や父は軍人として働いていました。

しかし2011年になると、父は空軍情報部のレーダーの専門家としてダマスカスのハラスタ(シリア政府軍の空爆によって壊滅的に破壊された街)の事務所に配属され、そこで6ヶ月勤務することになりました。

外見上、アラウィ派とスンニ派の区別の問題が見えないように、またアラウィ派だけでなくスンニ派も市民の弾圧に加わっているということを示すために、政権側はあえてスンニ派の人間を情報部に組み込もうとしたのでしょう。

しかしそこで父は、市民の弾圧や取り締まりをしなければならず、悩むようになりました。そしてそれ以上続けることを望まずに、軍から離脱したのです。

———全てのシリア人にとって、2024年12月8日のアサド政権の崩壊は、一生忘れられない出来事だったと思います。その際、どのように感じましたか?

アサド政権の崩壊を私が知ったのは、2024年12月8日の、日本時間の朝4時頃のことでした。私はすぐに、トルコにいる両親に電話をしました。父がすぐ電話に出て、「自分が1967年に生まれて以来、変わらなかった政権がついに崩壊した」、と感動していました。また、大統領の取り巻きだった悪い人たちがみんな逃げた、あの人たちからシリアがようやく解放された、と喜んでいました。

———反体制派が北西部イドリブから侵攻を始めてからアサド政権の崩壊までは、たった10日間ほどのことでした。その間、ザイドさんはどのような心境でしたか?

実は私は、今の朝鮮半島のように、シリアが南北に別々の国に分断されるのではないか、と心配していました。しかし中部ホムスを反体制派が占領した時点で、政権の崩壊は確実だと感じました。

———それまで、アサド政権の崩壊は予想していましたか?

率直なところ、2024年の政権崩壊は想像していませんでした。しかし、いずれ崩壊すると思っていました。アサド政権のような政権は、国民のための政権ではありません。ですので、絶対にもたないと思っていました。シリア人の多くは、これは自分たちの政府ではない、と思っていました。

———2011年以降、シリアが内戦状態になると、ヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊、ロシア軍などがアサド政権を支援し、国内で軍事支援を行ってきました。このように外国勢力がシリア国内で行ったことについては、どのように考えていますか?

イランやロシアは、アサド政権を支援してきました。しかしどんなに支援しても、そのうち絶対にアサド政権は崩壊すると思っていました。

私のデリゾールの親族の中には、シャーム解放機構(HTS・後に、アサド政権崩壊を成功させる反体制派の中軸となった)に入って抵抗のための戦いに参加していた人がいましたが、そうした人から、どんなにイランやヒズボラやロシアが激しく攻撃しても、HTSが負けずに抵抗していると聞いていたからです。

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———現在(2026年3月13日)、アメリカとイスラエルがイランを攻撃し、イランの情勢が危機的なものになっています。これについてはどう感じていますか?

ヒズボラや、イスラム革命防衛隊は、シリア人の民間人にとても酷いことをしてきました。彼らによって、民間人がたくさん亡くなっています。

それを考えると、イランは敵だと感じます。ただそれは、イランの市民に対してではなく、イラン政府やイスラム革命防衛隊に対する思いです。

イランが攻撃されているニュースを目にすると、「あなたたち(イラン)は、私たち(シリア)に同じことをやったじゃないか」、と感じます。だから今起きていることはある意味、シリア人にとってはジャスティス(正義)だと感じるのです。何故ならイランは、シリアに対して同じことをしてきたのですから。

シリア人としては、イランのイスラム革命防衛隊が、アレッポなどで民間人の虐殺を引き起こしたことなどをみんな知っています。だから私の周りのシリア人の間では、〝イスラエルもイランも、どちらもシリアにとっては良くない存在だから、この戦争が何年続いても全然構わない。どちらも消耗してほしい〟といった意見が大多数です。

私は、イランの軍事施設が空爆され、ミサイルや戦闘機が炎上する映像を見て、喜びを感じました。何故なら、イランのこうした設備や兵器のせいで、私たちは難民になったのです。

———シリアを始め、アラブとイランの関係は、民族や宗教の違いもあり、大変複雑ですね。

シリア人同士でイランの話をすると、古い歴史の話になります。シリア、イランの話ではなく、アラブ、ペルシャの歴史的な問題になるのです。

また、イラン人の大部分はシーア派で、自らをムスリムとしていますが、スンニ派が多い私たちアラブ人は、イランのシーア派は、形だけのイスラムで、同じムスリムではないと思っています。

それに、イランの体制に対しての反対デモの報道を見ると、「イスラムに反対」、「イスラムの政権に反対」、というスローガンを掲げている人も多いんです。イランで、イスラムが嫌われているんです。ですので、スンニ派がとても多いシリア人のなかには、イランの政府だけでなく、イラン人の市民に対しても良い印象を持たない人も多いんです。

———イスラエルについては、どう感じていますか?

イスラエルは、シリア人にとって永遠の敵です。アサド政権の崩壊直後、イスラエルがシリア政府軍の兵器庫や拠点などを空爆して、設備をことごとく破壊しました。

イスラエルとしては、新しいシリア政府軍ができたらイスラエルに絶対に敵対するので、まだ力がないうちに叩いておこうと考えたんです。

アサド政権の崩壊は、イスラエルにとって好ましくないことでした。アサド政権は、イスラエルとあまり敵対していなかったからです。しかし、今後のシリアの政府はイスラエルと敵対していくでしょう。

———イスラエルとガザのハマスとの衝突については、多くのシリア人はどのように捉えていると感じますか?

シリア人は、一般的にはハマスの側に立っています。私たちは同じ、スンニ派のアラブ人ですから。しかし、2023年10月のイスラエルの越境攻撃で、イスラエルの民間人をたくさん殺害したことは、ハマスの失敗でした。あのやり方は正しくありません。

ただ同時に、イスラエルは民間人といえどもみんな兵役を経験しているので、民間人と兵士の境がないと考えたことも事実です。イスラエルもハマスも、アンケートをとれば、過激な思想の人たちが今は圧倒的に勝つでしょう。

———アサド政権崩壊後のシリアの話に移ります。現在のシリアでは、どのような民族・宗教の問題があると考えていますか?

まず、これまでのアサド政権の構造を考えると、その支配機構の上層部には、ドルーズ派やアラウィ派などの少数民族のほうが多かったのです。ドルーズ派も、スンニ派に対する行動が、アラウィ派とあまり変わりませんでした(つまり、スンナ派を目下に見ていた)。

少数派はかつてアサド政権下で、スンニ派に圧力をかけてきたため、そのスンニ派の新政権が少数派に復讐をするのが怖いのです。だから今、暫定政権に対して問題を起こしている(従わないと抵抗をしたり)んです。

———アサド政権を支持してきた人たちが、政権崩壊後は難しい立場に置かれていると思います。アラウィ派の人たちはその点、どのような状況でしょうか?

シリア人がよく使う、「フルール」という言葉があります。アラビア語で、〝逃げた人〟という意味で、アラウィ派の人たちに対して使われることが多いです。

例えばfacebookで、アラウィ派のある人のプロフィールを見ると、今は暫定政府の旗を使っていますが、過去のコメントを見ると、2019年にイドリブが空爆された(つまり、反体制派が空爆された)ことを支持していたんです。アサド政権が崩壊したから自分の政治観を変えた、こういう人が多いんです。

———なるほど。アラウィ派はアサド大統領の出身母体として力をつけ、政権の中枢を固めていたと聞きました。しかし、そうではないアラウィ派の人もいたと聞いています。アラウィ派でも、アサド政権の支持者もいれば、そうでない人もいたのではないですか?

これは私の意見ですが、アラウィ派の8割が、政権崩壊後に、政治的な立ち位置が変わっています。しかし外見的に変わったように見えても、彼らが本当に、中身まで変わったかは分かりません。

———昨年2025年の3月、ラタキア県やタルトゥース県でアラウィ派と治安部隊が衝突して、1500人近いアラウィ派の人々が亡くなりました。この事件については、治安部隊による虐殺が行われたのではないかという報道もありました。これについてはどのように捉えていますか?

殺害されたアラウィ派の人々は、確かに軍服を着ていませんでした。そのために、殺害されたのは民間人だ、これは虐殺だ、と言われましたが、私はそうは思っていません。

まず衝突は、アラウィ派の側から武力的に始まったものです。

またアラウィ派と衝突したのは治安部隊だけでなく、アラウィ派によって家族を失った人々も、復讐のために多く参加していたと聞いています。

そして殺害の対象となったのは、民間人の格好をしていましたが、皆アサドを支持してきた人たちでした。この人たちが亡くなった後は、アラウィ派の地域で、その後問題は起きていません。

———ザイドさん自身は、アラウィ派についてどのように理解していますか?

アラウィ派は、私たちスンニ派からすると、無宗教者のように捉えていて、彼らはムスリムではないと思っています。その証拠に、彼らはモスクを空爆して破壊したりしています。

またアサド政権下では、多くがムハバラート(秘密警察)として働いていました。

アラウィ派と私たちスンニ派は、実は、アサド政権以前から歴史的な問題があるのです。

例えば800年前にシリア周辺の一帯に十字軍が来たときに、私たちはイスラム教徒として、やってきたキリスト教徒たち(十字軍)と戦いました。しかし私たちと同じエリアに暮らしながら、アラウィ派は毎回、十字軍の味方をしています。アラウィ派は歴史的に、この地域の不安定要素を生み出してきたのです。

だから私は、彼らと共存すべきとは思いますが、〝気をつけながら〟共存すべきだと思います。

例えば彼らが軍に入ったり、政権の重要なポストに入ることには反対です。何故ならかつてハーフィズ(前バッシャール・アサド大統領の父親)は、軍に入ってクーデターを起こし、アサド政権として実権を握った歴史があるからです。同じことが起こらないよう、私たちは気をつけなればいけません。

———現在のシリアでは、アラウィ派のほかにも、ドルーズ派と暫定政権との問題が起きています。ドルーズ派は、国境をまたいでイスラエルの北部にも住民がおり、イスラエルでは市民権を持っている存在です。こうしたイスラエル国内のドルーズ派住民への連帯のため、イスラエル軍はシリア南部のドルーズ派住民のエリアに介入しています。ザイドさんはこの問題について、どのように捉えていますか?

ドルーズ派は、シリア人の7割近くを占める私たちスンニ派からすると、アラウィ派よりも危険な存在です。イスラエルからのサポートを受けているからです。今のシリアの安全保障を考えるとき、国内の少数派の中でも最も気をつけるべき存在なんです。

———ドルーズ派は、暫定政府の下に入るのではなく、独立も望んでいると報道がありました。

ドルーズ派の独立は考えられません。それはシリア全体の問題です。暫定政府は少数派の権利も認めようと提案しているのに、ドルーズ派はそれを受けつけないのです。繰り返しますが、ドルーズ派の独立は、シリア全体の安全を揺るがす問題で、受け入れられません。

他にも現在のシリアでは、クルド人の支配地域の問題もありましたが、クルド人とは、話し合いで解決するところまでいっています。

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———アサド政権崩壊後の暫定政権については、どのように感じていますか?

暫定政府は国民から非常に支持を得ていると感じます。ただ、シリアのために尽くそうとする姿勢や思想は評価されていますが、政権としての経験不足からか、政策のペースが遅いという声もあります。

14年にわたる戦争が終結した直後であることを考えれば、それも無理もない側面もあるでしょう。政権として、シリアのために努力はしているが、具体的にどう動くべきかまだ模索している段階のようです。

———ザイドさんは、2011年以降、シリアが内戦状態となったことについて、「内戦」という言葉を使いません。どのような言葉を使いますか?

私はそもそもシリアでは内戦はなかったと思っています。内戦ではなくて、戦争だったと思っています。より具体的に言えば、「独立戦争」、「独立革命」だったと思っています。

———アサド政権が倒れた後も、シリアでは内戦は続いている、というふうに、国際社会は認識していますが、シリア人であるザイドさんはどう捉えていますか?

私もそう思います。まだ戦争は続いています。かつてシリアの一部だった全ての領土が再び戻ってくるまで、それは続きます。スウェイダ周辺や、南部のクネイトラ、50年前からのゴラン高原などが全てシリアの土地として戻るまでです。

———今後、シリアはどのような国に生まれ変わるべきだと考えますか? 政治体制のモデルとして、トルコのような「政教分離」を目指すのか、ヨルダンのように「イスラム法の原則と現代法」を共存させるのか、またはイランのように「イスラム法を最優先」する体制を望むのか。考えをお聞かせください。

ヨルダンのような国になればと思います。イスラムという要素は入れるべきです。それを入れなければ、存在価値が変わってしまいます。

私はシリアの強みは、イスラム的要素だと思っています。それは例えば、諦めないこと、考え続けることです。シリアはこの14年間、戦争をして戦ってきました。その間、(反体制派は)ウクライナのように外からの手厚い支援を受けてきませんでした。このような状況で、もし他の国民だったら諦めたかもしれません。しかし私たちはムスリムなので、どんなに大変な時期があっても、いつか神様が助けてくださると、最後まで信じることができたのです。ですのでこれからも、神様の言葉や宗教を、大切にしなければいけないと思います。

———現在のシリアが抱える問題点について、ザイドさんはどのように考えていますか?

私が一番懸念しているのは、シリアの存続に関わる問題です。どうやってシリアを、周辺の国に負けないくらい強い国にできるのか。現在のシリアには軍事設備がありません。それを早く作らなければ、イスラエルが侵入する恐れがあります。こうした国の存続に関わる点が、私にとって心配な点です。

また教育の問題です。復興のなかでも、一番重要な課題は教育でしょう。シリアを改善していくためには、この状況を理解して、対処できる人々が必要です。シリアでは2011年以降、そうした人々の多くが国外に逃れてしまいました。だからこそ国内にいる若い人たちに教育を与え、将来的にもっとシリアが改善されるようにすべきです。

———アサド政権の崩壊後、あなたの家族は2025年7月にシリアに帰国したと聞きました。現在、シリアでの暮らしで苦労していることはありますか?

シリアに帰国後、私の父は軍人に戻りました。ハイクラスの軍人なので、収入は平均的なシリア人の8倍をもらっています。ですから正直なところ、私の家族はあまり苦労を感じていないと思います。

父の月収は、900ドルくらいです。

しかしシリアでは、月収100ドルくらいが普通です。その金額は、家族の一週間の生活費としても足りないくらいの額です。私の家族からは、多くのシリアの一般的な市民が、いかに生活が大変であるかをよく聞いています。

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———シリア人として日本に来て、学んだことや考えたことはありましたか?

日本人の思考法についてです。

例えば日本では、何かが起きたら、終わってからただ反省するだけでなくて、なぜそれが起きたのか。次からどうしたら同じことが起きないか、具体的に考えることをします。こういう考え方はシリアにはありません。あればいいな、と思いました。

———難民になるという経験は、ザイドさんに何をもたらしましたか?

難民になったことで、人生の価値を考えるようになりました。人間は、ごく限られたものがありさえすれば、生きていけるのです。私たちは、生活を一度失わないと、その生活がいかに価値があったか、ということを理解できません。私はそれを失い、理解しました。

私の大学では、同級生たちがよく「大変だ、大変だ」と話しています。しかし私は、「これが本当に大変ですか?」と感じます。それは私に言わせれば、大変ではありません。私はもっと大変な目に遭ってきたからです。

難民になったことで私は、自分の人生がどんなに困難な方向に向かっても、必ず生きていける、という自信を得ました。

難民となって6年半、日本に来てからは4年近くが経ちます。若いうちからこうした困難に直面したことで、普通の人が30年、40年かけて経験することを、わずか20年で経験したような感覚があります。 しかし、それは決して悪いことばかりではありませんでした。こうした日々を通じて、自分の精神を鍛え、人生に対する考え方を深めることができたからです。

———ザイドさんと話していると、まだ20代初めとは思えないほど、考えがしっかりと固まっていて驚かされます。また現在のシリアやこれからのシリアについての視点は、軍人の家系ならではのものだとも感じました。ザイドさんは神奈川大学の山岳部ということで、なんと、私が東海大学山岳部時代にお世話になったSコーチから指導を受けているとのことで、勝手に山岳部の後輩のような親近感を抱かせていただいております。

是非そのうち、シリアで登山をご一緒させてください。シリアの山にも登ってみたいんです。今日は様々なお話をお聞かせくださり、どうもありがとうございました!

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  (2026年3月15日 文・写真:小松由佳)