7月8日夜、中東での取材を終えて、日本に帰国しました。

今回、ギリシャ、トルコ、シリアの3カ国で、アサド政権の崩壊によるシリア人の現状を取材しました。
取材費もかなり厳しい中での実施でしたが、多くのシリア難民が故郷に帰還をしているこの瞬間を、今取材しなければ!という思いから、二人の子供たちを連れて日本を飛び出しました。
現地からの取材報告がなかなかできず申し訳なかったですが、まさに今しかできない実りある取材ができたと感じています。
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ギリシャでは、アサド政権崩壊後、難民としての立場が揺らぎ、岐路に立たされるシリア人移民を取材しました。
トルコでは、2023年のトルコ・シリア地震後を生きるシリア難民や、アサ政権崩壊を受けて、それぞれの故郷に帰還をしていくシリア難民の家族を取材しました。取材場所は、シリア国境の街、トルコ南部のレイハンル。トラックの荷台に荷物を積み込んで、まさに今、シリアに帰還していく家族を撮影させていただきました。さらにその家族が実際にシリアに帰ってきた場面も取材しました。
シリアでは、中部パルミラを中心に、アサド政権崩壊後、次々と帰還してきた人々を取材しました。
しかし、電気、水道、インターネットが未整備のパルミラでの取材は大変にハードで、安全な飲み水がなかったことで、子供達の体調不良が続き(私も)、また取材後半には親族のマフムードさんが地雷の爆発で死亡するという悲惨な事故が起きました。
難民たちが帰還していく彼らの故郷は、インフラが崩壊し、仕事が少なく、医療や教育が整っていない、まだまだ厳しい環境にあります。
加えて、一部の家屋や街の周囲、砂漠にイラン軍やシリア政府軍が残した地雷は、こうした生活再建を始めようとするシリアの人々を苦しめており、パルミラではほぼ毎日のように地雷の爆発事故が起きていました。
アサド政権が崩壊した後も、シリアはまだ、多くの課題が山積みです。
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今回、二人の子供たちを連れた取材があまりにも大変で、ついに私の中での限界リミットを突破しました。もはや、取材が不可能なレベルに達してしまったので、子連れ取材は最後になるでしょう。涙
今回、一人の時間がほぼ取れなかった余裕のなさ、シリアでインターネットが使えなかったことなどから、取材先からの経過報告がほとんどできなかったのが、本当に残念で心残りです。
今回の取材では、写真撮影よりも動画撮影に力を入れました。というのも、シリアの人々の証言を記録したいという思いが今回は特に強かったからです。
取材の内容は、ショートドキュメンタリーの動画にてこれから発表をしていきます。取材先からの経過報告ができなかった分、なるべく早いタイミングで、皆様にシリアの今をお伝えできるよう努力します。
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帰国して一日目の本日は、時差ボケ中です。そして、明日から学校に戻る子供の宿題を、すごい勢いで一緒にやっています(現地ではなかなか学習習慣の継続ができず!)。
私の二人の子供たちは、多くの子どもたちが深夜まで路上で遊ぶ、かなり自由なパルミラの子供の生活にすっかり慣れ、日本に戻る際は、「日本に戻りたくない!シリアにこのままとどまりたい!」と大号泣。最後までかなりごねて大変でした。最後はパルミラの親族が、
「ここには学校もないし、病院もないんだよ。日本のほうがいいんだよ」。日本に帰りなさい」と説得。
地雷が残る、学校も病院も整っていないパルミラでも、子供たちにとっては、たくさんの親族や同世代の友人たちが共に手をとって賑やかに生きようとする土地であり、子供たちはおそらく、パルミラの親族コミュニティからなる、人と人との距離の近さを敏感に感じ取ったのだと思います。それほど、人と人とが近づき合い、生きようとする姿がありました。
現在、取材で疲労困憊して放心状態ですが、徐々に日本の生活に戻っていきます。
今回の取材に対し、多くの皆様より温かい応援、ご支援をいただきました。
皆様、本当にどうもありがとうございました。
多くの皆様に、シリアの現状や人々の思いを知っていただけるよう、まずは発表を急ぎます。
小松由佳

(9年間暮らしたレイハンルから、まもなくシリアの故郷へと帰還しようとするアブ・シャーケル一家)