K2に逝った先輩を偲んで

その一報を受けたのは7月28日のことだった。

K2西壁の未踏ルートに挑んでいた平出和也さん(45)と中島健郎くん(39)が、7000m地点から墜落した、という知らせだった(*)。聞けば、27日午前11 時半頃に墜落、約1000m落ちて、体は約6000m地点にあるのが確認できているという。その時点で24時間が経過していたが、二人の体は全く動かないとのことだった。

(*その後、遠征事務局であるICI石井スポーツの事故報告にて、滑落地点が約7500m地点であることが公表された)

「1000m落ちた」と聞いた時点で、二人の生存の確率はかなり低いことを悟った。というのも私自身もルートは違えど、2006年にK2に南南東リブルートから登っており、あの山の急峻さ(平均斜度は45度以上である)、もろさ、落石の危険性(車ぐらいの岩がガンガン落下してくる)は知っているつもりだった。ましてや1000メートルも、あの岩と雪と氷のミックス帯を落ちるということは、絶望的である。

墜落した二人の体は斜面上に目視できるらしい。しかしその場所が急峻なためにヘリコプターが近づけず、地上からの収容部隊も二次遭難の可能性の高さ、そして何より生存の可能性の低さから、30日に正式に捜索打ち切りとなった。

改めて、K2西壁のような未踏ルートを登るということは、何かがあっても救助できない、遺体すら収容できない、そうしたリスクを負っての登山なのだと実感した。しかし、よりによって、あのK2で・・・・と、様々な思いに駆られた。

*K2・・・・パキスタン・インド・中国の国境にまたがる世界第二の高峰。標高8611m。8000m14座の中でも登頂率の低さ、死亡率の高さ(登山者の26パーセントが遭難死する)が際立っており、「最も困難な山」、「非情の頂」と呼ばれる。

平出和也さんは、東海大学山岳部の先輩であり、私が一年のときの四年として、山を教えていただいた一人だった。学生時代からヒマラヤへの憧れを人一倍持っており、同じくヒマラヤの世界を目指していた私にとり、一歩前で夢を実現している存在だった。他者にも、自分にも厳しい先輩だった。

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