7月27日、東京都北区の絵本屋「青猫書房」にて行われた、フォトジャーナリスト豊田直巳さんのトークイベントに行ってきました。
豊田さんは、イラク戦争などの紛争地を精力的に取材されてきたフォトジャーナリスト・ドキュメンタリー映画監督で、最近では原発事故後の福島を継続して取材しています。イラク戦争勃発から20年目を迎えた今年、イラク戦争取材のお話をされるとのことで、参加してきました。
〈 以下、豊田さんのお話 要旨 〉
イラク戦争が始まったのは2000年3月20日。この日、アメリカ主導「有志連合軍」が、大量破壊兵器があるとかで、戦争を一方的に始めた。以降、豊田さんは戦争取材のためイラクに頻繁に通った。
*小松メモ 〜イラク戦争の始まり〜
イラクのサダム・フセイン政権が、国連の求めた大量破壊兵器(WMD)に関する査察に非協力的だったことを理由に、米英軍は2003年3月20日、バグダッドの空爆を行い、イラク戦争が始まった。しかしその後、大量破壊兵器は発見されず、ブッシュ政権が依拠した大量破壊兵器に関する情報の誤りも明らかになった。
戦争開始直後、豊田さんはすぐ現地に入り、イラク戦争の最初の犠牲者を撮影することになった。クェートからイラクに入った国境のドライブインの隣にある郵便局が最初の空爆を受け、そこで亡くなったのが、当時豊田さんが雇っていた車の運転手の兄だった。空爆で亡くなった、その運転手の兄を撮影した。
その頃、戦争開始から48時間以内にフセイン大統領がイラクから去れば、これ以上の攻撃は止めるとアメリカは言っていたが、それも嘘で、空爆はどんどん続いていた。どこが標的になるのか、爆弾が落ちるか分からず、イラクの人々は逃げようがなかった。
イラク戦争ではクラスター爆弾が使われた。クラスター爆弾は今、ウクライナでも使用されているが、殺傷能力が強く、広範囲を破壊することで知られる危険な爆弾。非人道的であることから「クラスター爆弾禁止条約」が締結されている。
*小松メモ〜クラスター爆弾とは?〜
ひとつの親爆弾の中から、大量の子爆弾がばらまかれる方式の爆弾のこと。その仕組みは、1発の容器(親爆弾)に数個から数百個の小さな爆弾(子爆弾)が入った爆弾で、親爆弾が空中で開くと、たくさんの爆弾が広い範囲にばらまかれるというもの。集束爆弾、親子爆弾とも言われる。
(「認定NPO法人テラ・ルネッサンス」HPより引用)
*小松メモ 〜クラスター爆弾禁止条約〜
2004年に締結された。日本も含めて111か国が合意している。
(AFP通信/2008年6日2日記事より引用)
イラクに空爆が続くなか、世界各国から戦争に反対する活動家が集まり、「人間の盾」としての活動を行うようになる。なかには日本人も数十人いた。彼らの主張は、武力によって戦争は解決しないということ。特に市民の生活インフラに関わる浄水場や発電所で「人間の盾」になり、そこが攻撃されないように活動した。しかし実際には、そんなことはお構いなしに攻撃された。
*小松メモ 〜「人間の盾」とは〜
Human shield。目標物に民間人がいることを敵に知らせ、攻撃を思いとどまらせる活動。しかし国際法では、人間の盾を使って軍事目標を守ることは戦争犯罪であるとみなされている。
その後4月8日、米軍がバクダッドの高級ホテル、パレスチナホテルを空爆した。ここに宿泊していたのは海外メディア関係者がほとんどで、こうした人々が犠牲になった。豊田さんもここに泊まっていた。
(空爆直後のパレスチナホテルで、途方に暮れるメディア関係者)
その翌日、4月9日に首都バクダッドが陥落した。街の中心部に、米軍の戦車が入っていく。フセイン大統領の像も引き倒され、ロイター通信が撮影したその写真が世界へと拡散された。
この写真を見た豊田さんは、「違うんじゃないか?」と思ったという。像が引き倒されたのは事実だが、引き倒しているのが誰なのかはこの写真だとわからない。主語が見えない写真で良いのか、と当時思ったし、今も思っている。さらにこの光景を見ていた市民の視線は、報道で伝わったか?という疑問があった。それこそが伝えるべきものではなかったか。
同日4月9日の午後から、米軍は市民に銃を向けるようになった。米兵による検問も大変厳しくなった。その光景からは、「これが本当に、(アメリカ側が主張する)サダムフセインの圧政から解放されたイラクの姿なのか?」と感じたという。
また、空爆され破壊された家から、物を盗む人が増えた。そうした「アリババ(アラビア語で〝泥棒〟)」を米軍は放置した。本来は、そこを占領したアメリカ軍が治安を取り締まらなければいけないのに、一切放置した。そのため現地の警察機能が麻痺していった。